第44話、うたかたの少女と、いつか来る世界で再会の約束を



そうして。

僕たちは……最終目的地へ向かう正真正銘最後のポイント、丁字になっていて、右へ折れれば女子寮、左に折れれば職員寮、学院長室へともれなく辿り着ける場所に来ていたのだが。



「うぐっ……いかにも私が最後の砦ですってカオしよってからに」


思わず僕が、苦い表情で呟くその視線の先。

女子寮の入り口へと続く、細い飛び石にある道に立っていたのは。

薄桃色のおさげ髪に、無表情さならジェノサイドモードのよっし~にも負けない、アンティークドールのような顔立ちをした一人の少女。

隣のクラスで今では仲の良い友人の一人(少なくとも僕はそう思っている)、サユの姿がそこにある。


「……」


僕の呟きは、サユにも届いたらしい。

まるで照準でも合わせているかのように、ぴたりと僕のほうにチェリーレッドのように赤く、深く脆い瞳を向けてくる。


僕は、そのまま動かないでいてくれればいいのになあと淡い期待を抱きつつ。

意味のない抜き足差し足で、迂回しながら……サユのいる道とは逆、職員寮と学院長室のあるほうへと歩みを進めた。

すると、そんな僕の願いが通じたのかなんなのか、サユはその場をどこぞのゴーレムのように動かずに、視線だけを僕に向けている。


「なんや、見逃してくれるんか?」


ひょっとして、彼女はあのふざけた試験には参加していないのだろうか、なんて事も考えるが。

普段から僕をいびるのが常のサユである。

こんな絶好の機会に彼女が乗らないはずはないはなかろうと、これはもしや罠なのかもと、僕はあえてそんなサユに近付いてみる作戦に出ることにした。


「……(びくっ)」

「……ん?」


するとサユは、野生の猫のように、近付く僕にあからさまに怯える様子を見せる。それは、普段のサユならば絶対にしないだろうリアクション。

僕は驚き、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

ますます怪しく思い、さらに近付くと……。


「来ないで、お願い」


そんな、蚊の鳴くようなむしろその赤い瞳に涙すら浮かべているサユを見て、ついにはぎょっとなった。


「な、なんやねん。僕がいじめとるみたいやないか」

「……っ」


思わずそう叫ぶと、再び身体をふるわせるサユ。

よく見てみたら、いつも携帯していて僕の肝を冷やし続けている赤茶色のナイフすら持たず、サユはただそこに立っていた。

やっぱり別人なのかもと思うくらいの変貌振りである。


『吟也さん、本当にいじめてるみたいで……かわいそうなんですけど』

「……せやなあ。ふだんはかわいそうなんて似合うキャラやないのに。まあ、ええか。もたもたしとったら追っ手増えるかもしらんし。ほなな。近寄んのやめといたるから、もうそんな顔すんなよな」

「……え?」


そう言ってきびすを返すと、何かに驚いたような、そんな小さな声が背後から聞こえる。

僕はそれが気になったが。

それよりも先に、やることがあると。

そう思いつつ後ろ髪引かれながら、その場を後にして……。





            ※      ※      ※




そして。もう少しで日が暮れ、茜色に空が染まる……という時分。

僕たちは、学院長室へつながる最後の細道を歩いていた。


「さて、この先にご所望であろう目的地があるわけやが。その前に、ちょっとお別れでもしとこうか」

『え? それって……』


その短い道中、唐突にそう言った僕に、詩奈は聞き返すような声をあげる。


「いや……な。さっきよっし~と戦った時の会話聞いとったと思うんやけど、勝手に名前とかつけたって悪かったな。君は本当は詩奈やのうて、本当の名前、あるやろ? 今のうちにけじめつけとこ思てな」


あの時の僕の感情は、彼女にも伝わってしまっただろうか。

僕が、決して会うことも守ることも叶わなかった、その名前だけが存在して残る『しいな』という妹に、彼女を重ねているということを。


『どうして今になって、そんなことを?』


だけど彼女は、そんな押し付けがましい僕の感情に寛容でいてくれたらしい。

そんなの気にしないって感情が、はっきりと伝わってくる。

それでも僕は、それを振り切るように言葉を続けた。


「だって、君には本当の名前があるやろ? 詩奈ちゃうねん。事情があんなら教えてくれとは言わへんけど……大切な人と会うんやろ? こっからはジブンに戻るべきや思うねん。 だから、お別れ。……僕と詩奈の、お別れや」

『……』


気付いたのは、いつだったか。

彼女が自分の名前を忘れたのではなく、言おうとしなかったことを。

それはもしかしたら、初めからだったのかもしれないけれど。

僕はけじめをつけたかった。

『しいな』という、想いを懐いたままに。

だけど、彼女を迷わせ留まらせるような、未練を断ち切るために。



『分かりました。……わたしの本当の名前のこと、本当のわたしのこと、話そうと思います』

「……ああ、頼むわ」


僕は、そんな彼女の決心に感謝の気持ちを込めて、改めてそれを促す。


『わたしは……わたしとして生れ落ちて本来の名前を知らないのは本当です。お母さんの名前が我屋ですから名字は……ううん、これもやっぱり違いますね。それで、その……その後に、吟也さんがつけてくれたみたいに新しい名前をもらって、その名前はとても気に入っていたんですけど……わたしは、一番大切な友達に、その名前をあげちゃったんです。自分がもう長くないことを知っていたから……』

「……」


彼女がそう話した後、しばらくの間、静寂が訪れる。

正直に言えば、彼女の事情を知らない僕にとって、その言葉は難解すぎた。

彼女も必死に説明しようとしてくれるのだが、どうにもややこしいらしく完璧には伝えられないでいるようで。


それでも僕が分かったのは、彼女が僕の想像もつかないくらい重い人生を送ってきたということ。

自身の名前も知らず、母を知っていても会ったことはなく。

与えられた自分の名前に、あげてしまった名前。

自分の末路を重々承知しているとでも言いたげな超然的な態度。


それはまるで、意思ある『もの』のようだと、僕は思ってしまった。

その声が届かなければ、果たしてどんな結末が待っているのか、想像に難くなくて。



「その、友達が……これから会う大切な人なんか?」


僕は、震えそうになる口調を必死に誤魔化し、そう聞いてみる。


『……あっ』


すると彼女は、何でそんなことを忘れていたんだと言わんばかりに声をあげて見せて。

さっきよりも長い沈黙が、お互いの間に降りて。



―――都合よく忘れていたのは。

その友達へのささいな嫉妬だったのかもしれませんね。


それはきっと、独り言だったのかもしれない。

あるいは、彼女の心情が届いたのか。

どこか吹っ切れたように……彼女は苦笑してみせて。


『ううん。違うよ。会いたかった大切な人は……その友達に譲った、わたしの大好きだった人なの。おかしいよね? もうわたしはいなくなるって分かってるのに、こうして大好きな人が幸せにしてるのかなーなんて夢を見てるんだから』


ちょっと砕けた口調でそう言う彼女は、とても寂しそうだった。

自棄ではなく、それは自分への諦め。

僕は、そんな彼女の力になってあげたいと思った。

苦いものじゃなくて。

ただ笑って欲しいと、そう思った。


それが僕の願い、存在意義だったから。



「死して尚愛を求める存在、か。うん、そんなとこ気に入った。気に入ったで。僕は……紅恩寺吟也や。全ての、女の子たちの笑顔と幸せが野望のナイスガイや。しっかり覚えときや。生まれ変わったら……迎えにいったる」


それは、誰になんと言われようと、本気の、生きる理由とも呼べる宣誓。


『ありがとう、吟也さん。ぜったい、忘れないから』

「……ああ」


僕には、見えなくても分かる。

彼女が今、僕の望んだ笑顔を浮かべていることを。

僕はその言葉に、しっかりと頷いて見せて。


そうして。

学院長室の……扉を開けた。



             (第45話につづく)






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