お茶のあとに… 第七話

 ダーシーが家に帰れば、兄が険しい顔で立っていた。

「あらお兄様、お早いお帰りですね」

 そそくさと部屋に戻ろうとするダーシーの後ろ襟を捕まえる。

「お前は何をしている?」


 ちらりと兄を見上げ、ため息を吐く。

 すでに知っているにもかかわらず、報告しろと言う兄を恨めしく思う。

「今日はフィンリー殿下に王城内にある温室を案内していただきました」

「フィンリー殿下にはフェアバンクス公爵令嬢という婚約者がいることは分かっているな」


「フライア様とは仲良くさせていただいていますよ」

 お茶会のお誘いを頂きましたと続ければ、アイザックは首を振る。

「お前がフィンリー殿下に下心があると城内で噂になっているぞ」

 ダーシーは目を瞬かせて驚く。

「え、下心?」

「お前はフィンリー殿下に鞍替えしたのか?」


 聞き捨てならず睨みつければアイザックはダーシーの頭を叩いた。

「そんなに分かりやすく反応するやつがあるか」

「先ほどから、お兄様が変なことを立て続けに言うから動揺しているんです」

 両手で叩かれた場所を庇いながら、口を尖らせる。


 相手が兄だということもあるが、確かに素直に感情を出しすぎていると反省する。

 頭の中で今日見た温室の植物たちを整理していたため、余裕がなかったせいだ。

「まあ、フィンリー殿下でも構わんが」

「それはないです」

 即答で否定すれば、アイザックも分かっていたようで、だろうな、と言葉を零した。


「私はフィンリー殿下を慕ってはおりません」

「だが、利用している」

 それは否定できない。

「温室に入った報告は受けている。何を調べているんだ?」


 ただ単に興味本位で温室にいくはずはないと気付かれているのだ。

 ダーシーはここで言い訳しても得はないと判断する。

「毒になる植物があると聞いたから見てきたのよ」

「エルフィー殿下の死因か」


 頷きはしなかったが、アイザックには充分に伝わっていた。

 ようやくダーシーを解放し、腕を組む。

「毒見役も調べられたが不審な点はなかった。口にするものは全部、確認されている」

「でも、だったらなんで!」

 思わず声を上げてしまい、ダーシーは慌てて口を閉じる。


「口じゃなくても良いのよ、きっと。指先とかについて、それが目や鼻から体の中に入る、そういうことも考えられるわ」

 アイザックはそれを一つ一つ調べるには途方もない時間がいると思い、気が遠くなった。

「まてまて、毒にだって種類があるだろう?」

「そうよ、だから手あたり次第、調べるしかないじゃない」


 王城内でも毒に対しては調べが行われていた。専門家が集められ意見交換から様々な検証がされ報告されたが、かなりの人数と時間を要しても答えは出なかった。

 それをダーシー一人で解決させるのはかなり無理がある。

「王城でも検証済だ。お前ひとりで見つけられるものでもないだろう?」

「じゃあ、私は何をしたらいいの。どうやって犯人を捜して…」

 見つけてどうするのだろう?

 ふと浮かんだ疑問に戸惑う。

 何をしてもエルフィーは返ってこない。


 それでも、

「何かしていなくちゃ、気が狂いそうなの。お願い、気を付けるから許して」

 アイザックに懇願すれば、やれやれと呟いて納得した。

「こちらでも調べている。だが、公式発表は病死だ。いいな、忘れるな」

「分かりました」

「それから、フィンリー殿下と距離を置け。やり過ぎると庇いきれんぞ」

「忠告、痛み入ります」


 ダーシーはしょんぼりと肩を落とす。

 確かに、王城へ行くたびにフィンリーと会い、頼み込んで普段は入ることできない場所へ案内させている。そろそろ限界かもしれない。

 あまり、近づきすぎては変に疑われる。

 今日の温室の官吏たちも同じだろう。


 暫く、時間を置くしかないと部屋に戻ることにした。


 そうして。

 出席したフェアバンクス公爵令嬢主催のガーデンパーティーのあと、ダーシーは王都を離れることになった。



 ◇


 ふわりふわりと風が頬をくすぐる。

 ダーシーはまるで自分をからかっているような風に頬を緩める。

 耳の奥で声が聞こえる。


 やっと来てくれたね。


 閉じた目でもはっきりと姿を確認できない。

 顔を忘れたわけではない。その声を思い出さない日はない。

 だけど、浮かぶのは口許から下ばかり。

 まだ、全身を思い浮かべるには勇気がいる。


 王家の者が眠る陵墓。

 エルフィーが眠るその場所にダーシーは初めて訪れた。

 一般の者が入ることが出来るのはずっと手前までで、今はレジナルドに連れられて墓の目の前にようやく立てた。


 一人で来たならば、もう少し前に来たならば、きっと墓に縋りついて泣き叫んでいたことだろう。

 いや、気を抜くと駆け寄ってしまいそうになる。

 組み合わせた両手がわずかに震える。

 引き締めた唇が揺れる。


 踏みとどまっているのはすぐ脇にレジナルドがいるからだ。

 彼の目の前でそれはできない。

 エルフィーと距離を置くことはもう決めたことなのだ。


 ゆっくりと手を下ろす。

 開いた瞳にはまだ動揺が残っていたが、何度か瞬くうちに消え失せる。

 笑みを深くして、レジナルドを見上げる。

「殿下、ありがとうございます。おかげで祈りを捧げることが出来ました」


 ダーシーの長い祈りを急かすことなく、ただ静かに付き合ったレジナルドはやや心配げに見つめる。

「いいえ、お役に立てたのなら幸いです」

 レジナルドの不安げな様子に申し訳ない気持ちなり、ダーシーは胸が締め付けられた。

 彼はダーシーの気持ちの揺らぎに気が付いている。

 それでも口にしないのは自分がここに連れてきたからだろう。


「さぁ、参りましょう。今日は楽しみにしていました」

 意識して声を高くして告げると、ようやくレジナルドの表情も柔らかくなる。

 差し出された手を一度眺めてから、そっと乗せる。

 エルフィーが見ているようで恥ずかしかったが、目の前のレジナルドを大切にしたかった。




 レジナルドは髪飾りを買いに行く約束をしても中々、ゆっくりと段取りをつけることが出来なかった。

 可能な限り流行のものを見つけたかったし、ダーシーの期待に副える時間も過ごしたい。

 しかし、グラントブレア王国にきたばかりのレジナルドには時間がなく、またそのような品物を取り扱う店との縁も少なかった。


 王族ならば、商人を直接呼びつけることが多い。

 部下に命じて依頼すれば容易いが、今回はレジナルド自身が足を使って探してダーシーに贈り物をしたいという希望があった。

 少しでも自分がダーシーの事を思っていると伝えるためには必要なことだと考えていた。


「地味に面倒くさいですね」

「うるさいな、ライリー」

 幼い頃から馴染みであるライリーは容赦なく眉をひそめる。

「適当に王家馴染みの商人を呼べばいいでしょう?ダーシー嬢も文句を言いませんよ」

 忙しい合間を縫って宝石を取り扱う商人を調べている姿に呆れた声を出す。


 隣の部屋からアイザックが入ってくる。

「殿下、次の会議の資料が出来上がりました」

 ライリーはダーシーの兄であるアイザックに聞こえたのではないかと、一瞬ヒヤリとしたが、相手が片頬を動かしたので確信する。


「それから」

 アイザックはさらに資料を足す。

「こちらが王家とかかわりの深い商人や店、こちらがヴィルフォークナー家出入りの業者、それから、令嬢たちがよく通っている店」

 受け取りながら、レジナルドは視線をさ迷わせる。

「あ、アイザック?」


「可能な限り、王家と縁がある店を選んでいただきたいものですね。髪飾りだけを贈るわけではないのでしょう?今後の事も考えると、どさくさに紛れて採寸もしてくることを願います」

 なんか、強要されているような気がするとレジナルドとライリーは顔を見合わせる。

「妹の性格は把握しているつもりです。それだけのためにまた出かけようと言っても首を縦には振らないでしょう。それに呼びつけても適当な理由をつけて断る可能性もあります。上から下まで面倒をみてくれる店が良いでしょう。全てを一度に片付けたほうが早い」


「ダーシー嬢はあまり装飾品に興味がない?」

「基本、我が家は質素倹約です。勿論、格式ある場所に出ることもあるのでそれ相応の装飾は致します」

 伯爵家だというのにそこまで財政が苦しいということなのだろうかと、レジナルドはヴィルフォークナー家の内情が心配になる。

 レジナルドがヴィルフォークナー家の領地ロチェスターに捕らえられた時、館や部屋の様子は華美ではなかった。見栄えより実用性を取る、寒い土地だからかもしれないがそれが色濃く出た内装であった。


 確かに伯爵家は数多くあり、それぞれ事情を抱えているものである。

 裕福に過ごしている家もあれば、日々かつかつである家も多いと聞く。

 ヴィルフォークナー家の領土は広いわけではないが、荒れ地というわけでもない。

 何処に金銭が流れているのかよく分からない。

 ただ、相手は建国以来、王家とのかかわりの深い家である。他の貴族より伝統と格式は高い。


「我が一族はあまり商才がなくてですね。幾つかやりかけのものはあるのですが、どうも先読み過ぎるというか、流行に乗れないというか」

「今、ダーシー嬢がお茶に力を入れていると聞きましたが?」

「本人はやる気があるようですが、商品として形になるには何年必要か。そもそも茶の木を手に入れるのにどれだけかかったか」

 レジナルドはそっと視線を落とした。

 商売をするにも元手がいる。そのための金銭をダーシーがどうしたのか聞いたほうがいいだろうかとこっそり悩む。


「その辺をうまく殿下が手綱を握っていただければ結構です。多少、無謀なことを致しますが、基本、素直で可愛い子ですよ」

 にこにこにこ。

 アイザックが可愛がっている様が簡単に想像できてレジナルドは頭が痛くなった。


「お妃教育も考えなければいけませんしねぇ」

 ライリーがダーシーの予定も把握する必要があると付け加える。

「申し訳ございません。表に出るとは思ってもみませんでしたので、専門の方を雇っていただけると助かります」

「パーティーには出ていらしたのに?」

「それはそれですよ。本来、裏側の人間ですので」


 さらりと爆弾発言をしたアイザックは二人ににっこりと笑って見せる。

 公式発表はないが、エルフィー殿下の毒殺の真犯人とされたラッセルリベラ侯爵令嬢が行方不明となっている理由が分かった気がした。

 そもそも、犯人を突き止めたのもヴィルフォークナー家だった。

 アイザックが、またダーシーが絡んでないわけがない。


 事件は二人がグラントブレア王国に来る前に片が付いたというので、詳細は聞いていない。

 ただ、事実を把握しているに過ぎない。

 なんか、早まったかな?

 レジナルドは背中から冷たい何かを感じて、身を震わせた。

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