第40話
陽ざしが部屋の奥まで届いている。
そこではフライアとダーシーがテーブルを挟み、お互いに刺繍を刺していた。
グラントブレア王国の離宮にてフィンリーとフライアに再会した。
フライアはフィンリーがロイドクレイブ王国の王子だと分かっても婚約を破棄はしなかった。フィンリーを慕うのは自分だけと宣言した。
両親たちは考え直すように、フィンリーも好きにしていいと告げたが、あっさりロイドクレイブ王国へ行ったのである。
「ほら、ご覧になって」
フライアの声にダーシーは顔を上げる。
広げられたのは一枚のハンカチ。
そこに彩られた刺繍にダーシーは感嘆の息を吐く。
「さすがです。フライア様」
「ロックウェルでもロチェスターとほぼ同じデザインの刺繍がありました。魔よけなのだそうです。二つの間には国境がありますが、昔から親交があったのでしょうね」
満足そうにフライアは微笑む。
二人の間にも国境が出来た。
けれども、この刺繍と同じと言われたようで面映ゆい気持ちになる。
「ほら、ダーシーは刺繍に集中しなければ目が飛んでますよ」
ここ、とフライアが示した個所は指摘の通り、布をうまくとらえていなかったため糸が出てきていない。
「ああ、ありがとうございます。どうも、考え事をすると手が疎かになるようでして」
針を外して糸を整える。
もう何度目だろうかと肩を落とす。
「レジナルド殿下が気になりますか?」
「そういうわけではありませんが…」
しかし、顔は肯定している。
別室ではフィンリーとレジナルドが打ち合わせ中である。
二人が本来の国に戻って暫くが経った。
冬を迎える前に一度、顔を合わせておいたほうが良いと両陛下に言われ、グラントブレア王国の離宮に滞在することになったのだ。
「その後、メイジーの居場所は分かりますか?」
フライアは話題を変えた。
「いいえ。何処にいるかは不明です」
知っていても教えてはくれないだろうことはフライアも分かっている。
「わたくし、彼女の事は嫌いではありませんでした」
フライアの告白にダーシーは驚かなかった。
ゆったりとした印象のあるフライアは激しく好き嫌いを主張するタイプではない。
「そうですね。やり方は間違えましたけれど、おのれの思いを強く出せるのは羨ましいです」
ダーシーも立場、家柄などに縛られ好みより打算を優先してしまう。
すっかり二人は親友となっていた。
以前、ダーシーは令嬢たちのどの派閥からも距離を置いていた。
当然フライアとも親交は深くなかった。しかし、フライアはダーシーを警戒することなくその場の状況を受け入れた。
始めはフィンリーを通していたのかもしれないが、色々な出来事があり、一冬共に過ごしたことによりその親密さはどの令嬢よりも深いものとなった。
「一つ、聞いても宜しいかしら?」
フライアの声に、ダーシーは手を止めて顔を上げる。
「わたくしのお茶会には来てくれていましたよね。何か理由がありましたの?」
フライアは他の令嬢たちのお茶会には数度しか顔を出さないダーシーが、自分の主催するお茶会にはよく来ていたことを不思議に思っていた。
公爵家だから断りにくかったこともあるだろう。
自分が王家の血を引いていることも関係しているかもしれない。
けれども、令嬢たちがフライアの機嫌を取ろうとする中、一人隅でお茶を楽しんでいる姿を見ている。
「それはフライア様が、私が自分でお茶を淹れることを咎めなかったからですわ」
やや恥ずかし気に視線を落とす。
「お気づきでしょう?私は自分以外の方が淹れた飲み物、特にお茶が飲めません」
はっとフライアは息をのむ。
「今もですか?」
「治そうと努力をしているのですが、中々…」
「そうだったのですが、そこまでだったのですか」
胸に手を置いて我が事のように残念がる。
「フィンリー殿下が淹れてくださったお茶は美味しかったですか?」
「それはもう、香りから違いました。でも、わたくしは先入観がすでにありますから正確ではないかもしれません」
「香りが良いのは分かります。本当に、変な特技を与えてしまいました」
瞳を閉じ、肩を落とすダーシーにフライアは笑みを浮かべる。
「それだけ、フィンリー殿下はダーシーのことを思っているのですわ」
その情は男女のモノではないことはダーシーもフライアも気が付いている。
どちらかと言えば、妹に対してのような家族のそれに似ている。
ふと部屋の扉向こうが騒がしくなり、入室の許可を求めてきた。
二人は顔を見合わせて頷いたのだった。
フィンリーとレジナルドはお互いに話をしながら部屋に入ってきた。
二人のテーブルまで来ると笑顔で挨拶を交わした。
「昨日より刺繍が進みましたね。出来上がりが楽しみです」
レジナルドがダーシーの手元を確認して爽やかに言ったが、本人はやや顔を引きつらせながら答える。
「今も目が飛んでやり直している最中です。残念ながら離宮滞在中に完成は難しくなりました」
しょんぼりと肩を落とすダーシーの手におのれのそれをそっと重ねる。
「まだ時間はあります。ゆっくりで構いませんよ」
励まされてもダーシーには重荷だった。
諦めるわけにはいかないので地道にやるしかないのだが、うまくいかない自分が情けなくなり投げ出したくなる。
「それとも、私にだけくださらないおつもりですか?」
レジナルドの責める言葉にダーシーは反論できない。
横でフィンリーがなぜか自慢げにひらひらとハンカチを振る。
「こっちはフライアからこっちはダーシーから。今も大切にしているぞ?」
頬ずりしかねない勢いにダーシーは頭を抱える。
フライアはにこにこと見守っている。
「フィンリー殿下、もうすぐロックウェルで習った分も出来上がります。楽しみにしてくださいね。勿論、ダーシーにも作っていただきましょう?」
「それは嬉しいな。期待しているぞ、ダーシー」
フィンリーは無邪気に瞳をキラキラさせて笑顔を向ける。
ダーシーの横には表面上は穏やかながらもヒヤリとする気配を含んだレジナルドがいる。
「レジナルド殿下。お願いですから、時間をください」
自分は一体、いくつ刺繍を完成させなくてはいけないのだと気が遠くなりながらレジナルドを宥める。
振り返った彼の表情は蕩けそうなほど甘く、ダーシーは居心地の悪い思いがした。
椅子、椅子が悪いんだわ。
慌てて座りなおして姿勢を正す。
レジナルドはすっと手を伸ばし、ダーシーの髪飾りに触れる。
「良く似合っています。やはり、間違いなかった」
にこにこにこ。
レジナルドの指は髪飾りから髪に触れ、耳たぶを掠めていく。
目の前にフィンリーとフライアがいるにもかかわらず匂うほど甘い雰囲気が漂い、ダーシーは腰を抜かしかけた。
「本当にレジナルド殿下はダーシーのことをよく見ているのですね」
フライアはふんわりと二人の仲を感動したように呟く。
ダーシーが異議を唱えようと口を開きかけたが、あわあわと開け閉めするだけで何もでて来なかった。
フィンリーは以前、ダーシーが氷の女王かと思うほどの冷たい表情をしたのを目撃しているので、今の茹ですぎた何かのような真っ赤な顔は意外だった。
「そうですわ、わたくしたちに子が出来ましたら、婚約を結ぶというのはどうですか?」
妙案を思いついたというようにフライアが手を叩く。
急なことにフィンリーとレジナルドはお互いを見る。
「婚約はケッコウです」
ダーシーは真顔で応える。
即座に否定され、フライアはあらぁーと残念がる。
「遊学で手を打ちましょう」
片頬を緩め、ダーシーは妥協案を出す。
それならと二人の殿下も頷く。
フライアもほっと息を吐く。
穏やかな空気にダーシーはふと窓の外を見る。
木々が色づき始めている。
秋が訪れようとしていた。
エルフィー殿下が亡くなって時間がだいぶ経ってしまった。
もう同じ季節を一緒に味わうことは出来ない。
傍らに立つレジナルドの顔を見てもエルフィーの面影を探さなくなっていた。
それでもまだ、胸は疼く。
この痛みとともにもう暫く歩いていこうと心に決めるのだった。
完
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