第30話 カレー③と米

「15分くらい煮込むぞ」

「それが終わったら完成ですか?」

「その後にカレー粉を入れてもう一回煮込んで終わりだ」



炒めた野菜を鍋の中に入れ、柔らかくなるまで弱火から中火で煮込む。ぐつぐつという音が徐々に聞こえ始める。



「この泡は何です?」

「それはあくだな」



煮込み始めてから段々と浮かび上がってくるので気づいたようだ。あくを知らない事に驚いたが、逆に知っていても違和感がある。


あくの量が多くなってきたので、網じゃくしを手に取った。うまみの油や水分を取りすぎないように気をつけながらあくを取る。



「これはこんな風にして取らないといけないんだ」

「へぇ、そうなんですか」



急に素っ気ない対応をされる。泡の正体が分からないから聞いただけで、興味は持っていなかったようだ。


残りの作業も似たようなものなので、有栖の興味を惹くような見ていたくなるような作業は無さそうだ。




「有栖、ソファに行って座っててもいんだぞ?」



今日は歩き疲れたと言っていたので、立っているよりも座った方が良いし、今からは有栖に手伝いをお願いするつもりもないので、俺としても座って欲しい。



「お気遣いはありがたいですけど、料理をお願いした私が先に座る訳にはいきません」

「……座りたくなったらいつでも座れよ」



決めるのは本人なので強制はしないが、座りたくなったらすぐに座って欲しい。




「今は座りたい気持ちよりも食べたいという気持ちが強いです」

「そうだよな。三代欲求に素直なんだもんな」

「………忘れてくださいよ」



あくをいくら取っても消えずに出続けるように、俺の口からも三代欲求についての事は消えずに出続ける。正確にいうと出し続けると言った方が正しい。


比喩表現で"彼はまるであくのような人だ"というのが似合いそうだった。




「そんなにお腹空いてるなら、急いで作らないとだな」

「お腹空いてるんじゃないです!早く食べたいんです」

「それは一緒の意味じゃないのか?」

「違いますよ」



同じ意味のように聞こえるが、有栖は違う意味だと言い張る。確かにお腹が空いたと何かを食べたいという英文は違うので、込められた意味も違うのかもしれない。


有栖の場合は、ここの家に来る前にお腹空いたと言っていたので、三代欲求に素直だという事を否定したかっただけだ、という事を何となく理解する。




「そろそろカレー粉を入れるか」

「やっとですね」



菜箸でじゃがいも等を突いてみると充分に柔らかくなっていたので、カレーのルーを作る準備を始める。


準備といっても個包装されたカレー粉を袋から取り出すだけなので誰でも出来る。炒めた時に使った器具などは台所に入れる。後で俺が洗うので洗いやすいように並べて置いた。




「せっかく隣にいるし、入れてみるか?」



本当はお願いするつもりはなかったが、隣で見ているだけでは可哀想だったので、カレー粉を鍋に入れる事だけ任せた。


個包装は俺が取っていたので、渡されたカレー粉を鍋の中に落とすだけの作業は有栖にも簡単に出来た。



「……やっぱり子供扱いですよね」

「混ぜるから少し離れててくれよ」

「誤魔化しましたね」



子供扱いされる事にやたらと過剰反応を見せる有栖だが、その姿にはなんだか喜びも感じられた。




「あんまり近くで見すぎるなよ」



混ぜると多少波が立つので、顔を深くまで覗き込むとルーが当たる可能性がある。そこまで近づいてはいなかったが、滑ったりしたら俺の救う余地なくダイブするので危ない




「分かってますよ」

「だったら下がってくれ」



一歩、二歩と下がって立ち止まる。



「ここからじゃ、客観的すぎて見えても楽しくないです」



有栖は、炒めたり切ったりするのに興味がある訳でなく、近くで見る事によって実際に料理をしているような臨場感を感じているようだった。


(いよいよ可愛いな……)


顔だけでなく、性格も可愛いのでどんどん甘やかしたくなる。もう有栖に料理教えないでずっと作っていたい。


俺と有栖の保護者からの許可を貰った今となっては、もう甘やかしてもいいんじゃないかと思ってしまう。



「明日から毎日作るんだし、今日はもう見なくてもいいんじゃないか?」

「そういえば明日からも作るんでしたね、今楽しみすぎて忘れてました」



見ているだけで楽しいと思ったのなら、料理を出来る様になった時にはその倍は楽しくなる。




「ではソファ行きます」

「お願いしたのは自分だから、座る訳にはいかないんじゃないのか?」

「いつでも座っていいのですよね?」



座って欲しいのは本望なので、自分から座りに行ってくれて何よりだ。隣に要監視人物もいないので、周りを気にする事なく料理に戻る。


戻るといっても後は煮込みながら混ぜるだけなので、皿の用意に取りかかった。


有栖はソファに深く腰掛けてスマホを触っていた。




「皿はどれでもいいんだよな?」

「家にある皿でしたらご自由にお使いください」



随分と高そうな皿が何枚かある。どんな料理にでも対応できる様に一通りの皿は揃えてあった。それも二部ずつ。


有栖の祖父母は有栖の事をかなり理解している。そう思わせてくれるような食器棚だった。カレーを盛り付けれるような大皿を二枚、慎重に取り出す。


真っ白な皿に金色のよく分からない紋様がついた皿

だった。



「やべっ、ご飯炊くの忘れてた」

「どうかしましたか?」



皿を台の上に置いた後その事に気づいた。俺の声が聞こえたのか、ソファに座っていた有栖がこちらを向いた。


両親が仕事で不在の時が多い我が家では、妹が白米でオレがメインとなるおかずなどを担当する事になっている。理由は妹が部活終わりに簡単に終わらせられるのが炊飯だからだ。


無洗米なのですぐに炊くことができ、そのまま風呂に直行するのが妹の帰宅後の流れである。


どちらかが不在の時などは臨機応変に対応するのだが、俺は基本的に炊飯は行わない。


(妹のおかずはどうしよう)


今のルーティーンで行くと、妹はおかずは作らない。妹一人でも作る事は出来るので、心配はしてないが、部活終わりに全てを作らせるのは申し訳なくなる。


明日からの詳しい時間は分からないが、時間がありそうだったらおかずを作り置きしておけば良い。


なので今の問題はそこではない。炊飯器に早炊きの機能がついているかを確認する。




「ここの炊飯器は早炊き機能は……あった」



この家の家電製品は新型が多い。今年から有栖が一人暮らしをする事になったので、当然といえば当然なのだが、高校生の一人暮らしでここまで贅沢な環境を持っている人なんてそうそういない。



「ルーは出来たが、保温しとけば大丈夫だな」



出来上がったカレーのルーは問題ないとして、いくら早炊き機能でも20分くらいは必要となってくる。

有栖は俺の方を向いたままずっと様子を伺っていた。



「有栖、ご飯炊くの忘れてたから20分くらい遅れる」

「そうなんですか」

「すまない」



自分には関係のない事だと言わんばかりの返事が返ってきた。とてもお腹を空かしている人とは思えなかった。



「すみません。私の気が回ってなくて」

「いや、それは俺も一緒だった。とりあえず今から炊くわ」

「炊き上がるまでの間は光星くんも休憩しましょうね」

「……そうさせてもらうわ」



正直な所、俺自身も休憩したいという気持ちはあったので、有栖のその提案はとてもありがたかった。


休憩するためにも米を探す。米は有栖の家に元々あると言っていたので、購入しなかった。




「米はどこにあるんだ?」

「最後に見た時は、後ろの棚の一番下にあったと思います」



言われた通りの場所を開く。そこには光星が中学の頃に一度、買おうか迷った物があった。



「これ、胚芽米じゃん」

「それは一体なんですか?」

「まぁ普通の米より良い米だよ」



もっと詳しく説明しても良いのだが、説明が難しいし簡単に説明したほうが分かりやすい。米に関しては、有栖が炊けないのも仕方なかった。


胚芽米は精米が難しいので、より丁寧に行わないといけない。俺が中学の時に買おうか迷った理由は値段でも精米でもない。胚芽米は消化が悪いらしいので迷った挙句買わなかった。


結局美味しいのは白米という人もいたので、俺は胚芽米よりも普通の米を買い続けた。まさかここで食べる事になるとは思わなかった。




「有栖、20分と言ったがもっと長くなりそうだ」

「お腹すい……早く何か食べたいです」



お腹空いたと言いそうになったのを急いで言い換えていたがもう遅かった。気づかないフリをして胚芽米を炊く事にする。



「やるか」



まず水で綺麗に洗わないといけない。胚芽米は栄養などを落とさないように素早く研がないといけない。研ぎ終わったら水を捨てる。


同じことを二、三回繰り返した後、水を多めに入れて炊飯器の中に入れる。本当ならここで数十分くらい放置して水に浸すのだが、今回は十分くらいしかか浸していない。


これで出来上がりが変わってもこちらはお腹がペコペコなので、許して欲しい。


そう思いながら、炊飯ジャーのスイッチを押した。




「はぁ〜」



普通の米よりも丁寧に、胚芽米にしては雑に行った後、ようやくソファに腰掛けられた。




「これ、どうぞ」

「悪いな、ありがとう」



目の前にチョコレートと紅茶を出された。甘い物を口に入れたい気分だったので口に放り込んだ。口いっぱいに広がったチョコを紅茶で流す。


言葉で表すのが難しい味が口中に流れたが、美味しかった。



紅茶とお菓子を出してくれた有栖が俺の右側に座る。俺の肩くらいまでしかない座高が、有栖の小柄さをアピールする。


有栖も俺と同じものを自分にも用意したようで、食べていた。

 

お互いに体力がないのか図書館まで歩いて行った疲れがどっと出た。しばらくは、食べたり飲んだりしながら流れていたテレビを何も考えずに見ていた。


この空気が炊き上がるまで続くのも気まずくなりそうだったので、話かけようと思った時、右肩がやけに重たくなった。





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