5:山麓に、たなびき這いよる

 ログロウドの名は、数年前に興した者が、近くに臨む剣山から取ったとされる。


 ログロウド山。

 村から山頂までの往復に一日程度と短い所要で済む、背の低い山だ。遠い昔には火を噴いていたようで、山頂付近は岩肌が見てとれる。

 裾野を大森林に囲まれ、抜け出た先にそびえる地域を示すシンボルであるが、春を迎えたばかりのこの季節は、

 

「さ、寒い……!」

「だから言ったろうに。せめて金属鎧は置いてきた方が良かったろうよう」


 残雪が足元だけでなく、昼前の温もりをも奪っていく。


「家宝なの! 私の、最後の財産なの! それにインナーだって厚手の防寒用を用意してもらったの! なのに、なんでこんなに寒いのよ……!」

「春の山を舐めてたなあ。レヴィルの嬢ちゃんを見ろよう。見事なまでに真ん丸じゃんか。警戒しすぎだって」

「うふふ。普段が身軽ですかぁら足元が危ういですぅよ……あ、足が」


 あきれ顔のユーイの目の前で、幾重にも着ぶくれた聖職者が足を滑らせた。

 ここは七合目の斜面。剥き出しな岩肌を、ふもとまで転がり落ちていくだけだ。

 であるが、危険箇所であるなら、備えをしていないわけもない。


「アイちゃん、踏ん張れ!」

「わかっているわよ!」


 互いに結んだロープを握り、膝を張り、踵に力を込める。

 やがて滑落の力が消え、続けてレヴィル自身の重さも消える。無事、自力で体重を支えることができているようだ。


 詰めた息を安堵に緩める。

 相棒が横合いから、


「鎧を着ていて正解ね。重量がアンカーになったわ」

「麓で汗だくになった甲斐があったなあ」


 冗談に腹を立てたのか、脇腹を小突いてくるのだった。


      ※


 彼らが目指すアマサキシラユリは、高所に咲く可憐な百合の花だという。

 その根は擦りおろすことで解熱作用があることが広く知られており、ペイルアンサであれば希少ながら商店に並ぶ商品である。


 であるが、地方村では行商以外で手に入れるには、自力確保のみ。

 野獣が跋扈する森を抜け、険しい岩肌を這い上り、帰路で同じ危険を越えて、だ。


「しかも、場合によってはキャンプを張って一晩、でしょ? 採取系の依頼をこなすのは専門職、って言われるのは伊達じゃないわ」


 そんな危険の中腹で、一行は昼食にありついていた。

 麓で集めていた焚き木で暖を取りながら、保存食を暖めて噛り付く。

 食道から胃に温もりが広がり、冷え切った体が力を取り戻していく。


「戦闘力はもちろん、野草と野外行動の知識も必要ですぅねえ」

「土地勘とか、天気の兆候とか、そういうのも必須よね」


 慣れない仕事に専従者の高い実力を思い知らされるアイは、ふとユーイの姿に怪訝を覚えた。

 食事は口に運ぶものの進みは遅く、心ここにあらずの様子で辺りを見回しているのだ。


「おじさま? どうかしましたぁか?」


 相方も気が付いたようで、小首を傾げて問いかける。

 問われた壮年は、いやあ、と枕に置いて片眉を上げて見せた。


「なんだか静かなんだよなあ」

「静か?」

「言われてみれぇば。麓はいっぱい野生生物がいましたけど、岩山になってからは全然見かけないですぅね」


 確かに、である。

 森林部を抜けるまでは手間取ったが、以降はひどく順調である。本来、帰路の中腹で一泊を計画していたが、当日中に村へ戻れそうなほどだ。

 山と呼べる山に登ったのは初めてであり、アイにとっては「こんなものか」という認識であった。


「普段はもっと賑やかなの?」

「春だぜ? 雪に埋まる死の季節を乗り越えた、恵みの季節だ。草を食う輩も肉を食う奴らも、普通は腹を空かして動き回っているもんだがなあ」

「ああ、そうね」

「ところが猛禽の一匹も見当たらない。あいつらが狙うネズミやら蛇やらも、まったくいないってこった」

「それって、みなさん麓の森に降りていったってことでぇす? 食べものなら、こんなごつごつしたところより、森の方が豊富でしょうしぃね」

「そうさな。野生生物の数が増えたってのは、そんな感じで縄張りが押し込まれたのかもなあ」


 腑に落ちないながら理には叶ったようで、ユーイは残っていた食事を一口で頬張り終える。

 同時に休憩の終わりと、出発の合図となった。


      ※


「あ! これじゃない⁉」

「わあ……きれいですぅね」


 日が傾いだ頃にアイが、岩陰で春風に揺れる可憐な百合の群生を発見した。

 色の無い岩山に、不意に現れた緑の絨毯と彩りふるえる白花は、旅の疲れを忘れさせる爽やかな光景であった。


「よし。じゃあ、三つほど掘り返すかあ」

「三つですぅか? ペイルアンサに持ち込んだらお金になりますぅよ?」

「俺らが確保するのは村で今使う分と少量ストック分だよう。大量持ち込みして相場が崩れたりしたら、事だからなあ」

「ああ。さっき言ってた専門職の徒党に睨まれる、ってことね」

「ははあ。確かに余計なトラブルは勘弁願いたいですぅね」


 そういうことだ、とユーイは笑って、一凛の傍らにしゃがみ込んだ。

 根を傷つけないよう、慎重に固い土を削り払っていく。

 少女らも見よう見真似で、根を掘り返していく。


「ですけど、おじさま? 帰るにあたって村長さまに伝えたのは、明日の朝ですよぉね。大丈夫ですぅか?」


 不意に、レヴィルが懸念をこぼした。

 思わず手を止め見やれば、アイも同じだったよう。


 言いたいことはわかる。

 村長は自分たちを村から遠ざけたがっており、こちらは明日に帰ると予定を組んだのだ。なので、こんなにも早く村に戻るとなれば、先方の目論見にヒビを入れることになる。

 なるが、


「アイちゃん、レヴィルの嬢ちゃんに話したのか?」


 それは、昨日に顔役らの不審な会合を目撃した故に持ちえる疑いであり、彼女は同行していなかった。

 相棒が伝えたのかと疑ったが、少女の驚き顔からそれも否定、

 彼女は、泥のついた指で口元を押さえて笑うと、


「これでも聖職者ですからぁね。悩み困る方を見ると、隠していてもわかってしまうんですぅよ」

「アイちゃん。お前さんの相棒、おっかねぇこと言い出したぞ?」

「オジサン。私たち、もうチームよ? オジサンの相棒でもあるのよ?」


 絆の押し付けあいは分かち合うことで合意となり『人心を見てとれる』とのたまった聖職者と向き合うことに相成った。


      ※


「なるほぉど。昨晩にそんなことぁが……村長さま方の様子が、少々おかしいのはわかっていましたけれぇど、知らない女性ですぅか」

「嬢ちゃんの見立てじゃあ、敵意はなく、困惑と焦り、か」


 百合の根を手に入れる頃には、情報共有も終えていた。


「とは言っても、顔色や所作から読み取っただけですぅよ。確証はありませぇん」

「なんて言いながら自信満々なんだから、確信はあるんでしょ?」


 相棒に詰められ、、笑ってごまかすのは自信の表れか。


「敵意がないってのは、オジサンと同じ意見なのね」

「言った通りだわな。あるなら、とっくに一服盛られているさ」

「じゃあ、いったい……」

「簡単に考えれぇば、私たちに見せたくないものがある、ですぅね」


 だから、予定を繰り上げて帰っていいのか、と疑問したのだ。

 ユーイは、根の土を払いながら思案する。

 が、状況が霧中なため、どうしたものかまとまらず。

 ひとまず麓まで戻ってから考えるか、と結論づけたところで、先に立ち上がっていた少女ら二人が、訝む声をあげた。

 何事か、と顔を上げれば、


「なんだあ、あれ」


 ユーイもまた、疑うような声を出してしまう。


 微かな黒煙であった。

 夕暮れ空にたなびく、遠く、麓の森を越えた先。


「村じゃない、出元?」


 不明瞭であるが、アイの言う通りである。

 疑問に頭がいっぱいになっていると、


「ちょっと、なんか揺れてる!」

「地震⁉ こんなとろでですぅか⁉」


 足元が、響くように揺れ始める。

 大きなものではないが、気のせいと切り捨てるには明確に振動しており、それぞれ踏ん張るように姿勢を支える。


 ユーイは、口元を厳しく結ぶ。

 揺れの正体に目星がついたためだ。

 地震などではなく、


「生き物の気配が無い理由が分かったなあ」

「え? え⁉ なにあれ!」

「遠いですけぇど……すごくおっきくないですぅか、あのトカゲさん……」


 尾根を削りでもするかのごとく、腹を地に擦り、四肢を踏みしめのし歩く、巨大な爬虫類の姿が。

 体高でユーイ二人分、体長に至っては十幾人分となる、


「オオアシハイヘビ……立派なドラゴンの眷属だよ」


 巨体をそびえさす亜竜の、空腹の猛りであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る