幕間 灰雪の賢者セレス


 かつて魔王から国を救った七賢者。その第四位……灰雪の賢者セレス・デュノワは、オルレアン王国王城の「鏡の間」を見渡した。


 派手に飾られた大きな窓以外、壁も天井も無数の鏡が埋め尽くしている。黄金のシャンデリアが鏡に映り、テーブルの上の燭台の灯りが、鏡に光を乱反射させ、幻想的な空気を生み出していた。


 四百年前の七賢者の時代と、この部屋は何も変わらない。


(そして、私自身も……何も変わらない)


 鏡に映るセレスは、二十歳のときの姿のままだ。かつて美しき女賢者と呼ばれた時代から、セレスの美貌は変わることがなかった。

 銀色の眼、銀色の髪という神秘的な容姿から、金蘭の賢者エミリと並び称されたものだ。


(ユーグ様に振り向いてもらえなかったんだから、何の意味もないことだけれど)


 ユーグの周りの多くの女性と同様、セレスはユーグに恋をしていた。けれど、それを自覚したときには、すでにユーグには金蘭の賢者エミリがいた。

 

 四百年前にセレスは、失恋し、そして、それは今も続いている。

 すべてが何も変わらない。


 ただ、当時と違うことは、今やこの場には賢者は三人しかいないことだ。

 

 その三人が、鏡の間のテーブルについている。


「黒曜の賢者が死にました」


 口火を切ったのは、七賢者序列第七位、「透輝の賢者」コレット・ホーエンハイムだった。

 コレットは、不老不死の魔法の開発者だ。魔法理論の研究者で、学級肌の少女だ。


 少女といっても四百年生きているわけだが、14歳のときの姿を維持している。小動物らしい愛らしい見た目の女の子だ。

 黒い三角帽に、マントといういかにも魔術師らしい格好をしているのも、本人の趣味らしい。

 

 四百年前、コレットは仲間内でもっとも歳下で、そして変わり者だった。いつも一人でいて、魔法理論の研究に没頭していた。

 魔法はほとんど使えないが、その魔法知識の圧倒的水準の高さで七賢者の称号を手にした。


 仲間の中での序列こそ最下位だが、コレットは皆から尊敬されていた。それに、あの「女たらし」の王子ユーグに対しても、コレットは淡々と接していた。


 緑星の賢者を粛清することを決めたときも、コレットだけが最後まで理路整然と反対の論陣を張った。


 確固たる自分が、コレットにはあるのだ。


(羨ましいな……)


 セレスは心のなかでつぶやいた。セレスにはなにもない。いつも振り回されてばかりだ。ユーグへの叶わぬ思いで傷つき、他の賢者に流されて、オルレアン王国の支配者になった。


 魔法だって、そうだ。


 当時、セレスは貴族の幼い娘だったが、戦争孤児となり、師匠のデュ・ゲクランに拾われた。

 他の七賢者とともにゲクランの弟子の一人として教えられ、義務として修練を積んだ結果、セレスは大魔術師となった。

 ただ、それは結果としてそうなっただけで、強く望んでなったわけではない。


 緑星の賢者レノを殺すとき、セレスはそれなりに心が傷んだ。ユーグに対するような好意こそ持っていなかったが、兄代わりのようなレノのことを、セレスは信頼していた。


 だが、結局のところ、セレスはレノを殺すことに反対しなかった。それがユーグの命令だったから。


 もう一度、同じ選択を迫られても、セレスはレノを殺すことに賛成しただろう。


 今、仲間の黒曜の賢者が死んだと聞いても、セレスはなんの感情も抱けない。


 セレスは自覚している。自分は、ユーグにもエミリにもレノにもコレットにもなれない。中途半端な存在だ。


 蒼海の賢者ジャン・アランソンが、セレスをちらりと見た。そういえば、彼は変わった。一人だけ、歳を取ることを選んだのだ。

 七十代ほどの、長老然とした風貌の彼は、白ひげを手で撫でている。


「……セレス? 聞いているかのう?」


「ええ。黒曜の賢者が殺されたなら、犯人を探さないといけないでしょうね」


 セレスの言葉に、コレットはうなずく。


「手がかりをもとに、考えてみましょう。黒曜の賢者を倒した人間は、巧妙にその痕跡を消しています。その隠蔽は、驚くほど高度な魔法によって成立しているのです。そもそも、黒曜の賢者を殺せるほどの魔術師は、もはやオルレアン王国にはいないはず。そうであるならば結論は一つ」


 コレットは一座を見回した。


「緑星の賢者レノ・ノワイユがこの時代に転生したということでしょう」


 セレスも、同じ見解を持っていた。

 黒曜の賢者を殺すことのできる敵。そんな人間は一人しかいない。


 かつて自分たちの仲間だった人間。セレスが裏切った人間。

 緑星の賢者レノだ。


 彼は復讐の思いに燃えているはずだ。当然だ。


 信じていた仲間に裏切られたのだから。


 それなら、セレスたちは、レノを探して殺さないといけない。

 そうしなければ、レノに殺されるのは、次は自分たちの番だ。


「銀月の賢者ユーグ様と金蘭の賢者エミリが不在の今、反逆者たる緑星の賢者レノを止められるのは、わたしたちだけです」


 コレットは言い切った。

 この国の真の王たるユーグは、目下のところ、行方不明だ。国外に重要な用があるということで、コレットにオルレアン王国を影から支配する権限の全てを委任した。


 序列が上のセレスよりも、コレットのほうがユーグから信頼されているのだ。それも当然だと思う。

 セレスにない知識を、勇気を、強さを、コレットは持っている。


 一方、ユーグの王妃である賢者エミリは……生きてこそいるが、もはや、何の役にも立たない存在へと成り下がった。


 その理由は――。


 セレスが物思いにふけっていたとき、蒼海の賢者ジャンが口をはさむ。

 その顔には不思議な微笑が浮かんでいた。


「コレット殿はレノ殿を殺して良いのかのう?」


「どういう意味です?」


「コレット殿は、あのレノに懸想をしていたようだから」


 懸想、という言葉が恋慕の意に変換されるまで、時間がかかった。

 

(コレットが……レノのことを好きだった?)


 四百年ものあいだ、セレスはコレットと一緒にいたが、初めて知った。

 だが、たしかに当時の二人は仲が良かった。というより、レノがコレットを可愛がっていたという方が正しい。


 幼い少女だったコレットが、唯一なついていたのは、レノだった。変わり者のコレットにとって……たった一人の理解者は、レノだったのかもしれない。


 だとすれば、コレットがレノ粛清にあれほど強硬に反対した理由も納得できる。


 セレスはちらりとコレットの表情をちらりと見た。だが、その表情は相変わらず冷たく、何の動揺もうかがわせなかった。


「ジャンさんがどうしてそんな妄言を信じているのか、わかりません。ですが、わたしが言えるのは、一つだけです。今度こそ、確実にレノ兄さんのことを、いえ、反逆者レノを、わたしの手で殺すつもりです」


 きっぱりと言い切り、コレットは椅子を蹴るような勢いで、立ち上がった。セレスとジャンもそれに続き、鏡の間を出る。


 ユーグがいつ戻るかわからない以上、セレス、コレット、ジャンの三人で、決着をつけなければならない。


(大丈夫。私のしていることは……正しいはず)


 七賢者の支配こそが、オルレアン王国を救う。ユーグの、エミリの、そしてコレットの言葉を、セレスは信じていた。

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