第9話 危機


 その週末、僕とクロエは一緒に街に出て、魔法学院へと向かった。

 

 隣を歩くクロエは魔法学院の制服を着ていた。

 ブラウスとスカートの上にローブを背中に羽織っている。

 全体としては黒を基本としたデザインだが、ローブの裾やリボンは青色で、ほどよいアクセントをつけていた。


 ただ、気になることが一つある。


「スカートの丈、短すぎない?」


「あら、レノったら叔父様みたいなことを言うのね」


 つまり、僕の父のベルトランも気にしているらしい。

 クロエはくすっと笑った。


「いいの。これもおしゃれの一つなんだから。ね、レノは似合っていると思わない?」


 クロエは赤髪と黄金色の瞳が印象的な美少女で、たしかに魔法学校の制服を着ると、颯爽とした雰囲気になり、かなり華やかだ。

 でも、それはそれとして、露出度が高すぎるような気がする。

 ローブとブラウスは改造しているのか、肩の部分の白い肌も見えている。


 似合っている事自体はたしかなので、僕がそう言うと、クロエは「ありがとう」と嬉しそうに笑った。


 いまは真冬の二月だが、大通りには多くの人が歩いている。


 その誰もが上等な外套を羽織っていた。

 僕らが王都に住んでいるからかもしれないが、しかし、この時代の生活水準はかなり高いらしい。


 一方で、魔法は限りなく衰退している。

 

 四百年前なら、炎魔法と回復魔法と浮遊魔法を一人で操ることは、簡単なことだった。

 なのに、この時代では、影をなくしたためか、人々は一系統の魔法しか使えない。


 たとえば、クロエは優秀な魔法使いとみなされているけれど、炎火フラムの魔法のみしか扱うことができないのだ。

 ただし、炎魔法のなかでは質の高い魔法を使える。

 クロエの年齢で、クラス・5の大魔法を扱えるというのは珍しいことらしい。四百年前なら普通のことだったのだけれど……。


 ともかく、同じ系統のなかで、どこまで高いクラスの魔法が使えるか、というのが、この時代の魔術師の力量だ。


 ついでに、この時代では、杖なしでは魔法を使うこともできず、発動には時間がかかる。


 だから、クロエは、僕の治癒魔法に驚いた。


 あれ以来、クロエは僕の使った魔法のことも問い詰めない。

 記憶喪失の病人に対する優しさなのか、それとも見間違いかなにかとして忘れることにしたのか。

 僕も魔法を使うことは避けている。

 

 幸運なことに、レノ少年の使える魔法系統は治癒キュラティフだったようで、僕がうっかり使ってしまった魔法とかぶっている。

 だから、複数の魔法を使えることはまだ隠せていた。


 僕らの横を馬車が通り過ぎていく。


「クロエさ、馬車には乗らないの?」


「乗りたい?」


「べつにそういうわけでもないけれど」


「私は乗りたくないの。せっかくだから、レノとお散歩したいし」


 くすっとクロエは笑う。

 プランタジネット邸から王立魔法学院までは、それほど距離は離れていないらしい。


 四百年も経てば、町並みも人も変わるけれど、僕が一番驚いたのは、自力で走る鉄の箱だった。


「あ、あれ……なに?」


「もしかして、そういう記憶も抜けているの? あれは鉄道っていうの。蒸気機関を積んで動いているわ」


 クロエの説明を聞くうちに、僕は気づいた。

 この時代では、魔法の代わりに、機械文明が高度な発達を遂げている。


 だから、魔法の衰退が問題にならないのだ。

 日常生活と産業のあらゆる場面で機械が活躍している。


 蒸気機関車が町中を駆け抜けていく。

 今はまだ国内の主要都市しか走っていないけれど、いずれは王国を、そして大陸中に鉄道網が張り巡らされることになる。

 クロエは楽しそうにそう語った。


 たしかにこの時代は、政治も文明も進歩している。

 七賢者の支配が、それにどの程度、貢献したのかはわからないが。


 それなら、衰退した魔法はどう扱われているのか。


「ねえ、クロエ。魔法はなくたってみんな生きていけるんだよね?」


「そうよ。四百年前に緑星の賢者が国民から魔法の力を奪ってから、生きていけるように王国はみんなで工夫してきたの」


 実際には、緑星の賢者ではなく、ユーグ王が王国から魔法を無くしたに違いない。

 だが、それは話の本筋じゃないし、もちろん、僕が緑星の賢者だなんて名乗るわけもない。


「どうしてみんなは魔法がいらないのに、魔法を使えるようになろうとするの?」


「それが魂の修練になるからよ」


「魂……?」


「そう。魔法は人の心の最も奥深くから生まれるものだから」


 魔法は人の精神と深く関わりがあるのは、たしかにそうだ。

 だから、僕の時代でも、精神面での強靭さが魔法の強さに比例した。


 けれど、魔法はあくまで実用の技術であり、それを通して精神を鍛えよう、という考えはなかったと思う。


 つまり、魔法は教養になった。

 貴族は古典語で書かれた詩を読めなければならない。

 もちろん、詩を読めても、生きる上では直接には役立たない。

 けれど、それができることが、貴族としての品格を保つ条件なのだ。


 魔法も同じようなものらしい。、

 だからこそ、王立魔法学院という魔法を教える学校が存在する。


 突然、人通りにどよめきが起こった。


 僕もクロエも後ろを振り向いた。


「どうしたのかしら」


 クロエが不思議そうに首をかしげる

 最初は何が起こっているのかわからなかった。


 僕たちが歩いているのは、商店が立ち並ぶ区域で、鉄道の線路と並行して通りが走っている。

 通りの端のほうから、悲鳴が聞こえた。


 悲鳴の原因は、店と人をなぎ倒し、暴走する黒い鉄の塊だった。


「蒸気機関車が脱線……したの?」


 クロエが呆然とつぶやいた。

 レールから外れた機関車は恐ろしい速さでこちらへと向かってくる。


 巻き添えになった人々の悲鳴が聞こえた。

 僕はとっさにクロエの手を引いて逃げようと思ったが、暴走する機関車は目の前まで迫っていた。


 クロエの瞳は恐怖で大きく見開かれていた。


 なるべく魔法は使いたくなかったが、やむをえないか。


 僕は覚悟を決めた。

 手をかざし、「守護ガルディエーヌ」と短くつぶやく。


 透明な魔法障壁がその場に広く展開される。

 真正面から黒く、重たい蒸気機関車が突っ込んできた。


 だが、僕もクロエも傷つかない。

 障壁が僕らを守ってくれている。


 ふっとクロエが糸が切れたように倒れたので、慌てて僕はそれを支えた。

 たぶん、暴走する鉄道を目の前にして、ショックで気を失ったんだろう。


 クロエはとても軽かった。


 一方、障壁と機関車がぶつかり、激しい火花が散らしていた。

 もしこの脱線車両に巻き込まれれば、僕もクロエも死んでいたし、それどころかあたり一帯の店と人も巻き込んでいたはずだ。


 けれど、僕の魔法障壁がそれを防いでいる。

 かつては魔王の攻撃すらも凌いだ防御魔法だ。


 鉄の塊ぐらい、どうということはない。 


 障壁は崩れることなく、機関車は弾き返されて動きを止めた。


 僕はほっと息をついた。

 

 何がおこったかわからない、、という感じで、周りの人達は呆然としていた。


 騒がれないうちに、逃げたほうが良さそうだ。

 僕はクロエを背負い、近くの建物の物陰に隠れた。

 

 そして、あたりを見回した。

 見るも無残な状況だ。


 機関車の暴走に巻き込まれ、多くの人が死んだと思う。

 死者を蘇らせることはできないが、せめてけが人だけでもなんとかしたい。


 「大治癒グラン・キュラティフ


 僕は小さくつぶやいた。

 辺り一帯が白く輝く輪で包まれ、強力な範囲回復魔法がかけられた。


 これで、助かるけが人は助かるだろう。

 後は手当をする医者の仕事だ。


「うーん……」


 クロエが小さくうめき、そして起き上がった。

 どうやら意識を取り戻したみたいだ。

 きょろきょろとクロエがあたりを見回す。


「わ、私たち、機関車の脱線に巻き込まれて……」


「巻き込まれそうになったけど、間一髪のところで列車はそれて、助かったんだよ」


 僕はなるべく優しい口調でクロエに告げた。

 幸い、クロエは気を失ったせいで、僕の使った魔法のことを覚えていないみたいだ。


 クロエは「よかった……」とつぶやくと、ぽたぽたと涙をこぼし、そして声を上げて泣き始めた。

 よっぽど怖かったんだろう。


 僕は一瞬ためらい、そして子どもをあやすように、クロエの赤い髪をそっと撫でた。

 今の僕はクロエの従弟だけど、本当は僕のほうが年上なのだ。


 クロエが僕にぎゅっとしがみつく。

 甘い香りがする。

 クロエの華奢な体の温かさと柔らかさに、僕は赤面した。


 不意に、誰かに見られていることに気づいた。

 僕はさっとあたりを見回した。


 魔法が衰退したこの時代では、道行く人々が僕の使った魔法を見ていたとしても、何が起きたのか、理解できていないだろう。


 だが、僕が感じたのは射抜くような鋭い視線で、おそらく魔術師のものだった。

 すぐに気配は消え去った。


 心のなかで警鐘が早鐘を打つ。

 早めにここを立ち去ったほうがよさそうだ。

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