第51ミッション 老爺

 俺にとっての仕事エージェントとは何だ?何故スパイであろうとする?幼い頃からの指標であり、目的のように感じていたが、それは洗脳に近い目標意識だ。それが本当に己の願望なのかは分からない。だが、悲しい事に他に何に成りたいかを考えても『答えはない』。色々な事にチャレンジし、資格も経験もあるのに『成りたいもの』がないのだ。


「何か悩み事かな?」


 隣の老爺が話しかける。Kは何とはなしに心の内を打ち明けた。悩みを相談するなんて初めての事だった。


「私も昔は君と同じ悩みを持っていたよ。自分の意思がなく、仕事に全てを捧げていた。でも、ある時一人の女性と出会って変わった。彼女と過ごす時間が私に『人らしい感情』をくれたんだ」


「それは素晴らしいですね」


「君には、そういった感情もないのかい」


「ないですね」


「なら『仕事』を辞めるのかい?」


 Kはそれで悩んでいた。Jの言い分も分かるし、従ってもいいと思う。だが、どうしてか踏ん切りがつかない。『諜報員』という仕事に『意義』を感じているからだ。


「辞めたくないのなら、辞めなくてもいいんじゃないかい」


「けど、一つ間違えば『死』と隣合わせの仕事です。同僚もそれを心配しています」


「なら、『死ななければいい』」


 老爺の強い言葉にKは視線を彼に向ける。白髪に浅黒い肌。歳を取ってはいるが、背筋は真っ直ぐとし凛とした佇まいをしていた。


「『生き抜い』て『欲』を探しなさい。常に先を読んで最悪を回避するのだ」


「先を読む……」


「その仕事に誇りと使命感を持っているなら、続けなさい。それが誰かの受け売りじゃないのならね」


 遠くから犬の声が聞え、老爺は席を立ち、老婦と小型犬の待つ方へ歩いていった。Kもしばらく海を眺めた後、ベンチから腰を上げた。


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