第27ミッション 幸運

 定時に帰れたので、駅に向かう里桜。乗る路線を間違えて、また駅員に謝罪をしてしまった。引っ越してから2週間ではまだ慣れなかった。駅から徒歩5分にある高層マンション。近くにはスーパーもあるし、犬を散歩させるのに便利な自然公園もある。リチャードの厚意で住まわせてもらっているが、今でもエントランスに入るときに緊張してしまう。

 カードキーで家に入り、部屋で着替えを済ませる。リビングにいるマカロンをゲージから出して、散歩と買い物に出掛けた。公園を2周してスーパーで買い物をしている時に、リチャードからメッセージがあった。今夜は帰ってこられるらしい。里桜は夕食を二人分買って帰って支度を急いだ。

 鶏肉のトマト煮を作っていると、マカロンが玄関への通路へ走っていった。ドアが開く音がしたので里桜も廊下へ出る。


「やぁ、マカロン。お出迎えとな偉いな」


 玄関へ続く廊下を見ると、リチャードがマカロンを撫でている。大きめの鞄を抱えた彼が自分の姿を見付けて微笑む。


「ただいま、里桜」


「おかえりなさい。思っていたより早かったね。」


「メッセージを送ったときはすでに空港にいたんだ。やはりここは空港から近くて便利だな」


 リチャードは私の頬にキスをして、部屋に荷物を置きに行った。ぽっとのぼせた頭を落ち着かせながら、料理に戻った。

 夕食を一緒に食べて片付けを済ます。お風呂を準備してリビングに戻ると、リチャードがマカロンに『訓練』をしていた。


「待て……」


 リチャードはマカロンの鼻の上に犬用の餌を一粒のせる。『待て』の指示を守っているマカロンは動かず、次の指示を待っている。


「待て……」


 マカロンは視線を外さずリチャードを見つめる。リチャードは険しい表情をマカロンに向ける。


「いいぞ……」


 『よし』の合図が出たのにマカロンは餌を食べようとしない。今度はにっこりと笑顔を向ける。


「いいぞ……」


 マカロンは鼻の上のおやつを器用にキャッチして食べる。マカロンはリチャードの言葉ではなく、表情を見て指示を汲み取っていた。上部の指示ではなく、本心を読み取るように訓練しているらしかった。彼の躾に見事答えたマカロンをリチャードは撫でる。


「いいぞ……。本当に君は優秀だな」


〈ふっ!当然じゃねーか!〉


「まるであなたが主人みたい」


「日本では犬は家族の役割だが、海外では番犬や猟犬の役割なんだ。マカロンには君を守る騎士ナイトになってほしくてな」


 前のアパートに住んでいた時から、マカロンには何度も助けられた。押し売りの撃退や空き巣の防犯まで、マカロンがいなかったらもっと不運が降りかかっていただろう。

 マカロンを抱えて一緒に入浴するリチャード。里桜も入浴を済ませてリビングへ行くと、ソファで本を読んでいるリチャードの横に座る。


「何しているの?」


「ハングル文字を復習しているだ。昔ざっと覚えたけど、やはり忘れてしまっているからね」


 貿易会社で働いているリチャードは、色々な国へ赴き商談をしているらしい。何ヵ国語も話せて文字も読める。どうしてこんなすごい人が自分と付き合っているのか分からない。


 前から聞きたいと思っていた。彼はなぜ私に告白してきたのだろう?

 出会いこそ唐突で、彼の告白に驚いて付き合ってしまった。何度も会う内にかっこよくて人柄のいい彼に惹かれていったが、心の中で疑問は消えない。

 彼は、自分のどこが好きなのだろう?

 リチャードを横目で見ていると、彼の視線がこちらを向く。リチャードは優しく微笑んで、顔を近付けて来たが、スマホに着信が入りそちらに意識を向ける。


「すまない、仕事の電話だ。部屋に戻るよ。おやすみ……」


 頬にキスをして部屋へ行ったリチャード。里桜も明日は仕事なので就寝することにした。


 部屋へ行ったKは別のスマホからJに折り返しの電話をする。『交渉』についての確認電話だった。


『準備は万全か?』


「まぁな。だが、俺が交渉役でいいのか?他に適任がいると思うが……」


『経験でいえばお前でも申し分ない。一発勝負だが、上手くやってくれ』


 Jの気の抜けた声援に応えることなく通話を切るK。次の任務はある国の官僚への『接触』だった。


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