間s ~世界が変わるはざまの話~

珠響夢色

01

 ねぇ、常識が崩れる音って聞いたことある?

 私はある。

 すごく迫力ある音だけど、なんかチープで、現実感がなくて……ぐちゃぐちゃして、うるさいっ、怖くて、あー、頭真っ白で、怖くて、逃げたくて、足が、逃げたい、動かなくて、とにかくそんな音。

 きっと、そのうち聞くことになると思うよ。



 水曜日。

 大学の入学式は、眠たくてよく覚えていない。



 木曜日。

 よく、大学生は一限目に遅れがち、ということが言われている。実際、大学に入って一人暮らしを初めると、自己管理ができなくなって、夜ふかしして、ということはよくあることだ。

 まあでも、初日からそれってことはないんじゃないかな。うん、うん。はぁ。

 部屋の場所を間違えていないことを祈りつつ、講義室の扉を開ける。

 生徒のザワザワした声と、かすかなチョークの音が聞こえる。

「ということで、今から教養科目の魔術史をはじめます。みなさん、魔術史で間違いないですかね」

 よかった。今始まるところだ。

 あたりを見渡して、空いている座席を探す。二人用の長机が四列。なんと、一番後ろの席には立っている人が。

 マジで? 大学って席が足りなくなったりするの? この講義そんなに人気なの? 流石に立ち見は嫌なんだけど。ほんとに全部埋まってるのかなぁ。

「えーっと、この科目は、選択でいくつか取らないといけない、教養科目の一つです。同じ時間に他の科目もあるんだったかな」

 おっ、一番前が一席空いてる。ラッキー。あんまり前の席は座りたくないけど、仕方ない。

「まあ、多分今なら受講登録の修正もできるので、今から話す内容を聞いて、思っていたのと違っていたら、別の科目に行ってもらってもかまいません」

 急いで前の席に座り、かばんからルーズリーフとペンケースを取り出す。

 隣の席の金髪の女性が、こちらを見てニコッと微笑みながら軽く会釈してきた。ぎこちなく会釈を返す。がっつりオシャレしてるタイプの人だ。

「えー。で、まずはじめに、成績評価について説明してから、授業の概要、魔術史とは何か、という話をします」

 教室につくまで、ちょっと走ったので、心臓が落ち着かない。

 深呼吸をして、黒板を見る。黒板には、魔術史という文字が大きく書かれていた。まだ何も板書することはなさそうだ。

 遅刻回避。

「この講義は2回のレポートのみで、成績を付けます。レポートの内容については、授業をしながら考えるのでまだ未定です。毎年、レポート用紙2枚程度書いてもらってます」

 レポートだけで評価かー。なんか大学っぽい。手元のルーズリーフに、『成績評価・レポート』とメモを取る。レポートってどんな感じで書くんだろう。

「それでは、魔術史なんですが。っと、その前に自己紹介を忘れてました。私は、賀茂かも久瑠間くるまと言います。普段は別の大学で、魔術による社会の変容、特に科学と魔術の関係の変化を専門に研究しています」

 この授業は、読んで字のごとく、魔術に関する歴史の授業だ。魔術というのは、化学反応や力学じゃ説明できない、人だけが起こせる力のことだ。なぜか、魔法とは呼ばない。

 魔術。それは、私達が生まれるよりも前に、実際に、あったらしい。正直信じられないけれど、歴史の教科書にもちゃんと、魔術の時代が書かれてあった。物語の世界でなく、神話の世界でもなく、だ。

「小中学校で学んでいると思いますが、魔術というのは実際ありました」

 賀茂教授(多分大学の先生だから教授だろう)は、黒板に一本の横線を入れて、その横に『150年前』と書いた。

 魔術があったのは近代の話。聞けば聞くほど疑わしい。この教室に、魔術を見たことある人なんていない。でも、ちゃんと記録は残っているくらい最近の話。

「百五十年前、誰も実際に魔術があるなんて思いもよりませんでした。火を起こすには、道具が必要なはずです。もちろん今でもそうです」

 そういえば、隣の人は一切板書をしていない。というか、筆箱もだしてない様子だ。マジか。堂々と一番前の席でサボるなんて。すごい度胸だ。絶対真似できない。

「ですが三十年後、今から見ると百二十年前、魔術は現れました。最初に有名になったのは、火を操る魔術師です」

 先生は黒板にもう一本横線を追加して、『120年前、火を操る魔術』と書いた。たしか、中学のときの歴史の教科書で、写真を見た気がする。警察官に向かって、変に指向性のある炎が吹き出している写真だ。正直画質が荒いし、合成写真なんじゃないかって思ってるんだけど──。

 賀茂教授は淡々と授業を続けた。魔術史の概要、百年分くらいの概要が話され、ときどき、黒板にメモをするという感じだった。一番前の席に座ったので分からないけれど、きっと後ろの方では居眠りしてるやつもそれなりにいるだろう。

 なんか、大学の授業って言っても、高校のときとそんな変わらないなぁ。変わったのは部屋の広さくらい? うーん。

「で、最後に魔術が確認されたのが、五十年前だと言われています。その頃になると、魔術師はすべて国の管理下にあったので、メディアに記録は残っていません。それ以降も十年程、自称、魔術師による記録が一般メディアで残っていますが、すべて偽物という説が有力です。ということで、魔術史の概要は以上です。次回から、もう少し詳しく、実際の記録等も参照しながら、順に説明していきます。おつかれさまでした」

 賀茂教授は教卓に置いていた紙を回収して、トートバッグに突っ込む。

 携帯を取り出して時間を確認すると、ちょうど授業の終了時刻だった。

「ふあ~。あ」

 両手を前に伸ばして伸びをする。血がめぐるー。なんか酸素も薄くなっている気がする。

 トントン。

「ビクッ」

 何?! ていうか、セリフと擬音が逆じゃない?!

「ねぇねぇ、一年生だよね」

「あ、はい。そうです」

 隣の席にいた金髪の女性が話しかけてきた。とうとう一度もペンケースを出さなかった人だ。この人もどうせ、遅刻ギリギリになって教室にかけこんで、前しか空いてなかったんだろう。そうに決まってる。進んで一番前に座るやつが、ノートも取らない不真面目ちゃんなわけない。

 さしずめ、真面目にメモを取っていた私を見て、ノート貸してとか、テスト直前に勉強教えてとかやるために、そういう人当たりのいい笑顔を向けてきているに違いない。

 そうはいかない。私をタダで使おうたってそうはいかないぞ。と、軽く一人で決意を固めた私にかけられた言葉は、予想とは百八十度違うものだった。

「君、結構真面目に授業受けてたよね。魔術史に興味ある? 実は私、魔術史研究会に入ろうと思ってるのよね」

「はい?」

 なんて? 魔術史研究会? そんなニッチなサークルがこの大学に? てかさっきあなた授業真面目に聞いてなかったよね?

 授業終了の雑踏が遠くなっていく。

「あっ、まぁ、興味ないならいいんだけど。今日の授業が終わったら、サークル棟に話を聞きに行こうと思ってるの。一人じゃ心細いから誰か一緒がいいなーって思ってるんだけど……ありがとー。これからも一年生同士よろしく! じゃあ、連絡先も、この新入生グループ入ってる? 入ってないの?! はいこれ私の番号、そう、これで友達登録できた。招待も送るね。よし。んじゃ、放課後に会いましょう。じゃあね~」

「じゃ、じゃあねー」

 嵐のような人だったな。押しが強いというか、軽く足が震えている。なんだったんだあの人。大学、怖い。

 ヴェェェイン。

「わあっ、何の音」

 あー、そうだった、スマホの通知音変えてたんだった。危ない危ない。なんでこんな音にしたんだっけ。

 スマホと取り出すと、メッセージが一通。

『魔術史研はサークル棟の二階の奥の部屋ね。魔術史研で待ってるから、近くに来たらメッセージください(絵文字)』

 ユーザー名はリッカ、アイコンは、森の中にある古い建物の画像だった。思ったより大人しいアイコンしてるな。

 うーん。どうしよっかなー。サークルに入ると、今後もあの人と話すことになるんだよね。持つかなあ、色々。余裕なさすぎて名前も聞いてないー。なんて名前なんだろう。リッカは本名?

 ぐるるるる~。そうこうしてるうちにお腹が空いてきた。お腹の音、誰にも聞かれてないだろうな。教室には誰もいない。うん、まあまずはお昼ごはんを食べましょう。メッセージに返信するのは、それからでも大丈夫。きっと。とにかく食堂へ行こう。

 ちなみに、これはいい忘れていたけれど、意図的に忘れていたことだけど、実はさっきの授業二限なんだよね。今までこんな大寝坊したことなかったのになー。私の大学生活、慌ただしいスタートだなー。うん。放課後へ続け。

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