生き馬の涙目殺人事件

異酒屋デリカットにまたおかしな献立が並んだ。だいたいお品書きからして「今日のおすすめ」じゃない。マスターいわく一見さん避けではないそうだが、敷居の高さは上々だ。


今日も店内は仕事帰りの会社員やドワーフがカウンターで異業種歓談をしている、レジ横の水晶玉が光った。

あいよっ、とマスターが叫ぶと天井にオーダーが映る。

木目調の画面。居酒屋によくあるお品書きの札がずらっと並ぶ。


【ご注文明細】

わりと雑な納豆割り冷麺

流れないそうめん流し

夏のスタミナピリ辛かき氷

アニサキスの踊り食いつ付きで千円ポッキリ

ドリンクバー付き

アルコールはセルフサービスでバットマンにおごり放題

「これをクレヤボヤンスで配達してくれ。三分以内だ」


「ちくしょーちくしょー!店長のちくしょー。人使いが荒いや」


成田五郎は泣きながら配達に出かけた。お届け先はバリウム団地の本田さんだ。、

そこは有名な酸素不足の社長で、毎週のように本田さんのご両親に呼び出され、デリバリーの度に酸素欠乏症を患わされている成田さん。

その日は這う這うの体で配達完了した。無事に届けられたのはクレヤボヤンス、千里眼のおかげだ。このスキルは混雑状況から信号のタイミングまで教えてくれる。制限速度と道交法を守ってロスタイムなしで到着できるからこそ店長は五郎を信頼して酸欠になるほどこき使う、


「ほら、【神涼高原の純粋酸素】だぞ、全部もってけ」

「マジっすか店長、しかも5本も」

「お前あってのデリカットだからな。明日も頼んだぞ」

「だーっ」

そういうやり取りがあって、その日はのれんを下ろした。


翌夕もクレヤボヤンス大活躍だ。無茶ぶりの嵐が吹き荒れる。

純粋酸素のボトルをあおる、


「成田様、成田様。大変です。本社に連絡が入っています、本田様がバリウム団地で亡くなってから24時間になります」

デリカットのオペレーターが電話口で急かす。

「わかってるよ。仕出しの『生き馬の涙目』十三人前。お通夜に間に合わせますって」

五郎はポータブル酸素テントを畳むと魔導バイクによじ登った。どうして今日はこんなにたくさん死ぬんだ。おかげでうちの店はウハウハだけど弔事より慶事の方が喜べるなあ。ていうか、向かい風で呼吸困難になった。酸素不足って肺を針金で縛るような痛みが走るんだよね。あ本田ら…。


「お客を呼び捨てにするとは、さすが!成田様、しかし本田様は社長じゃぞ!しかも人の名前を呼ばないとか。

何とか助けてください!成田様!お願い!

本田先生、バリウムで生まれたんじゃったら、その酸素吸入してくる?」


オペレーターの日本語が変だ。しかたない。もともとガラの悪いダークエルフを売春容疑から無罪放免してやる代償に【帰化】のギアスを日本政府がかけた。

彼女は打って変わっておとなしくかわいい美人になったが、黒エルフ本来のスチャラカに磨きがかかった。

そう言うわけで日本名:黒十一黒子くろえるふくろこがデリカットの二階に住み込んで働いている。

「黒子、なんだって」

「成田様。ご命令です。至急本社に電話し、本田様を救っていただきたく」

五郎は耳を疑った。バリウムというのは復活儀式装置バリウムの事だ。

異世界において死んだ冒険者は教会で莫大な寄付金と引き換えに復活する。

その簡易普及版バリウムを製造販売している拠点がバリウム団地だ。

廉価版だけあって完全復活とまではいかないがある程度なら回復できる。

それは町医者を駆逐した。『生まれ変わった』と実感するほどスッキリする。



本田家の当主宗一郎が間質性肺炎で他界したのは昨夜のことだ。バリウムが及ばず灰になった。

遺志に従って通夜は限られた親族で行い生き馬の涙目をしめやかに供える。そういう手はずだという。


「本田さんは亡くなったぞ。大丈夫か、黒子」と聞き返すも

「いいえ。とにかく本社へ連絡を」の一点張りだ。

五郎はしかたなく酒のデリカット本社人事部に電話した。

「デリバリースタッフの成田ですが…」

彼は雇用形態を確認した。契約書の業務範囲に顧客の救急救命は入ってない。

すると人事部長は「だって君は本田さまと近しいだろう」という。

「冗談じゃない。僕は本田さんに酸欠で苦しめられているんですよ」

堂々と証言した。配達するたびにカスタマーハラスメントを受けている。

「黒子さんの頼みだ。デリカットで救えるのは君しかいない」と懇願された。

「よくわかりませんが僕は辞退します。本田家の親族でもないし」

深入りする理由も義理もない。ただ、生き馬の涙目を届けただけなのに。


すると、人事部長が一言だけ述べた。「生き馬の涙目が曇っているのだよ」

これは痛い所を突かれた。五郎はとっさに壁の時計を見やる。

「ご出棺は何時ですか」

「午後三時だ。焼き場の混雑状況で繰り上がるかもしれん」

言われて更に焦った。「さ、斎場で生き馬は…」

彼は一縷の望みにかけた。ごく一部であるが最後の最後に御棺を開けて生き馬の目に故人を偲ばせる因習が残っている。

「いや。澄んだ瞳でお見送りさせろ。冷凍もので代替したり、新たに生き馬の目を抜くことは出来ん」

にべもない。

生き馬の眼という食材は真実を見つめ、本人に成り代わって贖罪の涙を流す。これは本田に深くかかわってしまった成田五郎の宿業なのだろう。

「わかりました。本田家に何が起きているのか、確かめないと…」

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