イルシオンシティ ピエタアンジェロ(慈悲の天使)病院 7F 特別病棟 23:10

 病院の中は静かだった。

 当然といえば当然か。 本来ならとっくに訪問時間は過ぎている。

 自分がここにいる時点で特例なのだと、思い知らされる。


「確かここだったな……」


 細く、小さな声でズィルバーは病棟を確認する。

 深夜の病院というのはどことなく独特な雰囲気を醸し出している。

 ズィルバーはこういった雰囲気を苦手としていた。

 決して怖いというわけではない。

 昼は人々が行き来し、活力に満ちているというのに、夜になれば途端に墓地のような冷たい空気になる。

 それがとても気味が悪く、できれば触れたくはない。

 そんな風に嫌がる体を抑えつつ進むと、メールに指示されていた病室を見つけた。

 恐る恐るドアを静かに開け、病室を見渡す。

 比較的大きな一人部屋のようだ。 状況が状況だけに、特別にマルダ―が手配してくれたに違いない。

 そのまま入ると大きな医療ベットに寝かされた例の少年が見えた。

 少年は、異常に伸びた髪を切られ、すやすやと眠っている。

 よく観察しようと少年の方へ脚を進めると、別の方向から気配がした。


「やあ、こんばんわ。 久しぶりね、ズィルバー」


 声を掛けられ、ズィルバーはその方向へ視線を向ける。

 すると、そこのは白衣を着た人間の女性だった。

 東方の国寄りの顔立ちをしており、どことなく妖しい美しさを感じる。

 ズィルバーは彼女のことを知っていた。

 ユアン・チャン。 ただの人間ではなく、魔術を扱える魔女という存在。

 かつての仕事仲間であり、旧友でもある。

 それを見たズィルバーはフッと笑みがこぼれた。


「……ユアン、君か」

「ええそうよ、フクス・ズィルバー。 かれこれ……『あの日』以来?」

「そうだな。 しかし、何故君がここに?」

「失礼ね。 私の本業は医者なの。 『あの時』が臨時だっただけで私自身の仕事が変わってないわ」


 少しドギマギしながら、ズィルバーはユアンに歩み寄る。

 と同時に、ユアンもこちらに近寄ってきた。

 

「ねえ、あなたの本当の姿を見せて。 レディの前で姿を偽っているなんて、失礼だと思わない?」

「いやしかし、ここは公共の場だ。 それに人間に見られたら……」

「大丈夫、ここは私が運営している病院よ。 従業員は全員獣人や魔術師だし、何よりこの階層は誰も人間はいないわ。 おまけに人払いの結界も張ってある」

「むぅ……」


 仕方なく姿を元に戻すと、心なしかユアンの眼が輝いているように見える。 まるで子供のようだった。


「うん!! 毛並みも正常だし、体調も悪くなさそうね!!」

「おいおい、僕は診察されるために元の姿に戻ってくれってお願いしたのか?」

「そうよ。 あなた、昔から生きるためならなんだっていい、みたいな生活していたじゃない。 姿を眩ませてから、どう過ごしていたのか気になっていたの」

「悪いが、あいにくと最近は気を使っていてね。 それなりに健康には自信がある」

「でも、あなたの生活資金は底をついた、と」

「……なんでそれを?」


 そう聞くと、ユアンは得意そうにふふん、とほほ笑んだ。


「今回の件、実はゼクトさんとマルダ―から聞いてたの。 違法オークションがあるから、売りに出された子たちを診断してやってくれ、て。 そしたら、急に懐かしい者が訪問するってゼクトさんから」

「じゃあ、これまでの経緯も?」

「そう、あなたが人知れず探偵をやっていたことも、どうやって生活していたかも、ね」


 そこまで聞くと、ズィルバーは頭を抱えた。

 要するに自分に直面していた問題が筒抜けで、それらを関わりのある人物に全て知れ渡ってしまっている、ということなのだから。

 畜生、ゼクトの野郎。 あとで文句を言ってやる。


「大体の子たちは特に問題はなかったわ。 暴行は受けてはいたものの、特に障害が残る怪我とか無し。 ……ただ、問題はこの子ね」


 すやすや眠る少年の頬を撫でながら、ユアンは続ける。


「この子は正真正銘の人間よ。 ただ、引っ掛かるのは今回の商品の中で唯一の人間だった、というのと、この子、恐らく生まれてから数回しか目覚めていないということね」

「目覚めていない? じゃあ、この子は産まれてからずっとこのままだったのか?」

「そういうことになるわ。 それにこの子、人間としては明らかにおかしい部分があるの」

「おかしい部分?」


 そう聞きなおすと、ユアンが手に持っていた書類をズィルバーに手渡される。

 それは少年の身体測定の結果だった。


「うーん……どう見てもただの人間の子供じゃないか」

「最後。 最後のページをよく見て」


 言われるがまま、ズィルバーは最後のページを開く。

 ページの内容は通常、一般の人間が検査されることのない、魔力測定のページだった。

 本来なら一部を除いて人間には魔力というものは存在しない。 だが、獣人には魔力が存在し、日々の生活には欠かせないものだ。

 例えば、先ほどズィルバーが使った人間への変化。 厳密には幻惑魔術と言われるものであり、獣人たちの間では必須科目の魔術でもある。

 異形な姿と未知の力。 同じ二足歩行の生物でありながらも、姿形が異なるだけで人間というものは畏怖し、恐れる。

 その為、ひと昔では獣人は人間に迫害を受けていた時代もあった。

 だからこそ基本的に獣人は人間の前から姿を現さない。 もしくは偽装する。


 ……話を戻そう。

 

 そんな人間に何故魔力検査をしたのか? そして、何故この検査の内容を見ろと言われたのか?

 この二つの疑問がズィルバーの頭の中に浮かんだ。


「これが一体?」

「気づかない? この子の数値」

「いや? 何故、人間に魔力検査を、とは思ったが僕自身こういうのは……」

「そういうと思った。 じゃあ、これと比較してみて」


 そういわれて手渡されたのは、先ほど渡されてた物と同じ身体測定の書類だ。

 だが、こちらは細かい数値が違う。 ということは別人のものだろうか?


「これは?」

「一般の人間の子供のよ。 ほら、最後のページ」


 言われるがままに魔力測定のページを見比べてみる。

 ……確かにおかしい。 一般の子供に比べて数値が桁違いにも程がある。

 一、十、百、千……千倍だ。


「なんだこれ、計測器が壊れているんじゃないか?」

「私もそうだと思って、何度も検査したわ。 けど、結果は同じ」

「……ちなみに僕はこういうのは疎いんだが、これは僕ら大人の獣人や君みたいな魔術師と比較した場合、どうなんだ?」

「その子の方がダントツよ。 というか、この世界の全ての生物と比較しても一つ頭抜けているわ。 ……一つの生物を除いて」

「その生物は?」

「ドラゴン。 もしくは龍と呼ばれた存在ね」


 ドラゴン。

 その言葉にズィルバーの脳内がぐらりと揺れる。

 かつて、この世界には竜と呼ばれる存在がこの世を支配していた。

 しかし、大霊災と呼ばれるとても大きな災害によって竜は滅んだ、とされている。

 だが、ここで言われるドラゴンと竜は全く違う。

 高度な魔術を操り、天空を駆ける翼を持ち、強大な力を持つ生物。

 まさに理想の生物だ。 人間の国旗などにドラゴンを取り入れるのも頷ける。

 ……もし、このドラゴンたちがこの世界に侵略してきたのならばひとたまりもないだろう。

 だが時折、異世界からドラゴンなどがお忍びでこの世界に来ることもあるというが、ズィルバー自身はその姿を見たことはなかった。


「どうしてそこまで言い切れる? 僕でさえ、ドラゴンなんて見たことがないのに」

「お生憎様、ここの国認定の病院でね。異世界からお忍びで来たドラゴンのお偉いさんを診察したことがあるの」


 えへん、と自慢げに胸を張るユアン。

 ズィルバーは微笑みつつ、目を逸らす。 なにか目の前に眩しい物があるかのように。


「......出世、したんだな」

「ええ、おかげさまでね。 良くも悪くもあの『事件』以来、私は評価されて世界でトップクラスの魔術医療の権威になった。 ......あの時の他のメンバーだって、私みたいに高い地位につけている。 でも、あなたは?」

「なにが言いたい?」


 そう問うも、ズィルバーは分かっていた。

 

「この際、はっきり言わせてもらうわ。 確かにあの時の出来事はあなたの心に多大な傷を負わせた。 でも、それを癒すのに十分な時間が経った筈よ。 それに今のあなたを亡くなった『彼女』が見たら......」

「やめろ」


 それは冷たく低い声だった。

 普段のズィルバーから想像もできない程、地獄の底から響くような声。

 短い期間だったとはいえ、ひと昔に共に行動していたユアンでさえ、聞いたことのない声だった。


「分かっている、分かっているんだ、ユアン。 けどな、僕の目の前で『彼女』の事を口にするな。 それだけは絶対に許さない」


 有無を言わせずに、そのまま扉に向かう。

 そして、ドアノブに手をかけ一呼吸整え、背を向けたまま、怒りを抑えるように口を開いた。


「......すこし、外の空気を吸ってくる」

「え、ええ」

「ついでにゼクトに報告してくる。 申し訳ないが、もうちょっとこの子を見てやってくれないか?」


 そういうと静かにドアを開け、ズィルバーは喫煙所に向かって行った。

 一人取り残されたユアンは、深々と溜息を吐く。

 だが、ユアンは後悔していなかった。

 心に深い傷を負った彼に対して、これが最善の対処だったと今でも思っているし、これからも変わる事はない。

 それでも。

 かつて恋したズィルバーにあんな敵意を向けられて、ユアンは少し心を抉られたような気分になっていた。


「嫌われちゃった......かな」


 すやすやと眠る人間の少年の寝息だけが響く部屋の中で、ユアンはただ一人感情を抑えていた。

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