第九話② 追われる方は、冗談じゃない
「……って訳よ旦那。俺としちゃ、記憶を消して元の世界に帰る方が良いと思うんだが……」
アジトにミヨとトマルを連れ込んだリッチ。ミヨは相変わらず気を失っているのでその辺に転がしておくだけで良いのだが、トマルの方が面倒くさくて仕方なかった。道を歩くだけであれは何だとイチイチ聞いてくるし、せっかく出してきてやったお酒も不味い、他のもんを持ってこいと要望まで出してきている。
勝手についてきた癖に偉そうにと思いつつも、ターミナルから同行者として認定されてしまったが故に、無碍にはできない立場にいる彼が、うっとうしくて仕方なかった。
しかも、だ。
「何言ってやがるッ! せっかく他の世界があるって知ったんだぞッ!? 忘れて帰る訳ねーだろうがよッ!」
「……ならターミナルで働かなきゃいけないぜ、旦那。今働ける先は……」
「はあ? 何で働かなきゃいけねーんだよ? ウチの娘売った金があんだろ? 馬鹿じゃねーのか? それよりも酒、もっと美味いやつッ!」
このトマルという男は決まりを守ろうともせず、自分で動こうともせず、あるものを食いつぶすことしか考えていない。よくこんな男が結婚し、子どもまで授かれたものだと、リッチは呆れていた。
「……そういう決まりなんだって。手間かけさせねーでくれよ……」
机を挟んだ向こう側で飲んだくれているトマルに向かってリッチがそこまで言った瞬間、突如として外に風が吹き、窓ガラスが揺れた。急な強風でも来たのかと彼が目をやると、ガタガタいっている窓ガラスの向こうにつむじ風のようなものが巻き起こっている。
それを見た彼に、嫌な予感が走った。自然現象では起きにくい風、まるで
風の中から一人の男の姿が現れた。黒い革靴にスーツズボン、黒のトレンチコート着て、開いた真ん中には白いワイシャツと無地で濃い緑色のネクタイをのぞかせた、長身細見のその男。白い髪の毛と、フレームのない眼鏡の向こう側には翡翠色の瞳を携えた、彼の姿。
「な……ッ!?」
「……見つけましたよ、リッチ」
リッチが騙して、言いくるめて、甘い汁を搾り取ろうとした、同じ異世界行商人の男、ランバージャックであった。
「く、クソ……ッ! テメー、どうやってこの世界が……っつーか、どうしてこの場所がッ!?」
「お、おいッ! 追手かッ!? なんでバレたんだよッ!?」
リッチは慌てて身支度を始めた。お金等が詰まったリュックを背負ってミヨも担ぎ上げ、急いで
直後。アジトの壁が衝撃波を受けたかのように砕けた。空いた巨大な穴の向こう側から、呪符を真っすぐとこちらに向けているランバージャックの姿がある。
「
「おい、置いていくなってッ!!!」
何とか起動が間に合い、リッチはミヨとリュック、そして引っ付いてきたトマルと一緒に転移することに成功した。飛んだ先は街中の歩行者天国の真ん中であり、急に出現した彼らに驚いたように雑踏が距離を置く。
周囲に彼の姿がないことを確認したリッチは、急いでタブレットを取り出して、ドアの位置を探った。神はまだ彼を見捨ててはいないのか、幸いにしてすぐ近くの裏路地にドアが出現するらしい。「見せもんじゃねーぞッ!」と周囲に声を荒げながら走り、承認を終えて現れたドアに三人で飛び込み、彼らはターミナルへと戻った。
「ハァ、ハァ、な、なんであの世界が……?」
「おいリッチッ! 追手が来るなんて聞いてねーぞッ!?」
荒く息を吐いたリッチは喚くトマルを無視して、タブレットにある検出アプリを起動させた。発信機や探知魔法の類がついていれば一発で解る筈なのだが、自分にもミヨにもトマルにも、そして背負っているリュックにも反応はない。
その結果を見たリッチは舌打ちをすると、すぐにステーション窓口に向かい、飛べる新しい世界への予約を申し込みに行った。
「……ただいま混みあっておりましてねー。特急料金がかかるうえに行ける世界も……」
「うるせぇッ! 金なら出すッ! だからさっさと行ける別の世界を探しやがれッ!」
「……わかりましたねー。今すぐ行けそうなのは、この世界ですねー。では、お気をつけてくださいねー」
先ほど窓口に居た筈のねーねーさんにお金を叩きつけたリッチは、お釣りも受け取らないまま予約をぶんどって、再びドアで別世界へと飛んだ。焦っていた彼はミヨとリュックさえ無事なら良いとトマルのことを無視していたが、汚い長髪を振り乱した男は、寄生虫のように彼にくっついて来ていた。
やってきたのは、お菓子で作られた世界。木々にはマカロンが生り、チョコレートの川が流れ、道々には食べられるドーナツの花が咲いている。今はオールドファッションが満開の時期だ。
レーザー銃を腰にさげ、迷彩服の上にポケットのいっぱいついた黒いベストを着た男に似合う世界とは、とても言えない有り様であった。
「……なんつー世界を予約してくれたんだよ、あのクソアマ……」
「な、なんだこの世界ッ!? 絵本の中かよッ! ドーナツが咲いて……お、おいッ! このドーナツうめーぞ!?」
頭を抱えたリッチだったが、トマルがその辺のオールドファッションをむしって食べており、さらに頭痛がする思いだった。そのまま彼らは動き出す。念のために帰りのドアの場所も検索し、なるべく近い場所に移動したのだが、またしても、彼の目の前につむじ風が巻き起こる。
「なァ……ッ!?」
現れたのは、やはりランバージャックであった。目を見開いたリッチは、慌てて
「……またメルヘンチックな世界に逃げたものですね」
「"
更に逃げる羽目になり、再びドアを使ってターミナルへ戻ったリッチ達。
「おいまた予約だッ! 今すぐ行ける世界を持ってこいッ!!!」
「……わかりましたねー。お急ぎなら、また特急料金の方もよろしくお願いしますねー」
「おらよッ!」
再び金を叩きつけて、リッチ達は別の世界に飛んだ。次に彼らがやってきたのは、空から青白く冷たい光が降り注ぐ、氷に閉ざされた世界。人が住んでいるのだが、建物も道路も全てが氷で構成されているこの世界は、平均気温はマイナス五十度を下回っている。
そんな世界の街中にやってきた彼ら。行き交う人々がモコモコのジャケットを着ている中で、何の防寒対策もしてこなかった彼らは、身体の芯から冷える思いであった。
「さっっっっっっっっっっむッ!!! なんなんだよこの世界はァっ!?」
「……クッソ……もっとマシな世界あっただろうが、あんのクソビッチがァ……ッ!」
凍えるトマルと、こんな世界を予約したねーねーさんへの不満が爆発しそうなリッチ。兎にも角にも、冷える身体を何とかしなくてはと思い始めたその時。
再び彼らの目の前につむじ風が現れ、モコモコのジャケットに着替えたランバージャックが姿を現した。
「……寒くないですか、その恰好?」
「"
再びターミナルへと戻ってきたリッチ達。寒さで身体は震え、息も絶え絶えのまま、彼はリュックとミヨを担いだまま、再び他の世界への予約を取りにいく。
「……金がねぇッ!」
しかし、そこで一つの誤算があった。連続して特急料金込みでドアを使いすぎた為に、持ち金が尽きてしまったのだ。リュックに入っているお金はまだターミナル紙幣に換金していないし、この状況でそんなことをしていればランバージャックに追いつかれる可能性がある。
お金を下ろす手間も惜しんだ彼は、財布にしまっていた自分の本拠地となるアジトがある世界へ行くためのチケットを出す。万が一の際にいつでも逃げ込めるようにと、高いお金を払って用意していたものだ。
「このファストチケットを使うッ! さっさとしやがれッ!!!」
「わかりましたねー」
変な世界に飛ばしまくった挙句、こちらの必死な様子を見ても全く調子を変わらないねーねーさんに、リッチは頭の血管が切れそうな思いだった。だが、ここで騒ぎを起こす訳にもいかないと歯を食いしばりながら、必死の思いで理性を働かせる。
やがてタブレットに届いた予約番号を持ってして、彼らはステーションから三度、異世界へと飛んできた。
彼らがやってきたその世界は、先ほどは打って変わって熱い世界。高くそびえる山々からは溶岩の川が平然と流れており、立ち上る熱気が頬に汗を伝わせる。切り立った断崖もあり、その下にも灼熱の赤い川が流れていた。
「あっつッ! 今度は何だってんだよッ!?」
「……ここは俺の本拠地だよ。クッソ、金も
溶岩のお陰か、とっくに日は暮れているのに辺りは明るく見えている。リッチは"
そこは岩肌しか見えない大きな山の麓のような場所であり、周囲は底の見えない崖が取り囲んでいる。彼が岩の一角にタブレットを掲げると、「ロックを解除します、おかえりなさいませリッチ様」、という機械音声と共に岩肌を割れて、入り口が姿を現した。
中に入って目の前にあった、カプセル状の機械に彼らを乗せ、リッチがスイッチを入れると宙に浮いて自動的に動き出した。途中には周囲が岩肌で囲まれており、コンクリートの床が広がる闘技場のような広い空間があった。
そしてそこには、二階建てくらいの大きさがある、人型のロボット兵が六体並んでいた。これこそ、リッチが持っている武力そのものである。これに加えてもう一つ、奥の手も隠してはいるのだが、まだここからは見えない。
巨大ロボットを見たトマルが興奮しながら、何だあれはと質問を投げたが、疲れ果てていたリッチはそれに答えることはなかった。やがて到着した場所で降りた彼らは、玄関の扉を開けて中に入り、大きなモニターが設置されているリビングと思われる部屋にやってくる。
ミヨを適当な床に転がすと、リッチはドカッとソファーに座り込んだ。首までソファーにもたれかかった彼は、上を向いて思いっきり悪態をつく。
「あー、ったく……クソがよォォォッ!!!」
「ッ!?」
急に上げられた大声に、トマルの身体がビクッと震えた。不機嫌を隠そうともしないその声には、苛立ち以外の感情が込められていない。今日一日での出費が痛すぎて、文句を言わずにはいられなかった。
その後もブツブツと文句を言っていた彼であったが、やがて室内にビープ音が響き立った。
『侵入者ありッ! 侵入者ありッ!』
「……アアアアッ!?」
警告のアナウンスにブチ切れたリッチは、荒々しく足で床を踏みつけると、タブレットをモニターへと向けた。モニターの電源が入り、アジト内部の映像を映し出す。そこには、もう見たくないとさえ思える男の姿があった。
『……逃がしませんよ、リッチ』
「いい加減にしやがれェェェッ!!!」
その男、ランバージャックは真っすぐに監視カメラを睨んでおり、それを見たリッチも大声を上げた。
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