陽炎なる暁

@kai6876

第1話 被雷

昭和一七年(一九四二年)五月二日 静岡県 御前崎南方



「左舷、雷跡接近。」


見張り員の絶叫が響いた時すでにそれは間近に迫っていた。


「面舵いっぱい。最大戦速。」


艦長の命令も


「だめです。間に合いません。」


見張り員の絶叫も


「総員何かにつかまれ。」


悲鳴と怒号のいずれもが無力であった。


直後左舷に落雷のような爆発と水柱が出現した。


それはアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊所属ガトー級潜水艦ドラム

(USS Drum, SS-228)が放った四本のMK14魚雷のうちの一本が目的を達成した瞬間だった。


この時期欠陥魚雷として名を高めていたMK14魚雷が起爆したこと自体が珍しいことであったが、それは攻撃を受ける側にとっては不運以外のなにものでもなかった。



「被害報告。」

艦長大屋大佐の苦悩をにじませた声に各部につながる伝声管から一斉に報告が入った。

「左舷艦体中央部に魚雷命中、浸水。」

「左舷機械室火災発生、同時に浸水中。」

「左舷発電機室浸水。発電機損傷。」

「左舷軽質油タンク付近で火災発生。応急要員の増員を。」

「艦長。被雷により主機が停止、航行不能です。」


最後の尾崎副長からの報告に血がにじむほど唇を噛みしめた大屋だが、すぐさま指示を出し始める。


「応急一班二班は左舷機械室へ。川瀬機関長指揮を執れ。」

「三班、四班は軽質油タンクへ、副長指揮を執れ。」。

「通信員、緊急電を送れ。『ワレ雷撃ヲ受ク。』座標と時刻もだ、急げ。」

「はっ。」


すぐさま各員はそれぞれの持ち場に向かって走り始める。

頷いた尾崎もすぐさま踵を返し、軽質油タンクへと向かった。

その間にも大量の浸水で徐々に艦は左へと傾いてゆく。


「後部甲板、水偵の発進はできるか。」

『この艦』は後部甲板に複数の水上機を搭載している。それを上げられれば敵を牽制できるはずだった。


後部甲板格納庫へつながる伝声管に声を送りこんだものの、大屋は被雷し火災発生中のこの状況下での水偵発進は不可能だろうと考えていた。

だが格納庫からの報告は「一番射出機に載せられている零式水観の発進は可能」という嬉しい報告だった。


零式観測機は複座式の水上偵察機で旧型だが六〇キロ爆弾の牽吊も可能な機体で、対潜哨戒に使用可能な機体であった。

定例の前方哨戒の為に用意され、発進直前であったものである。


敵潜が付近にいることが確実な以上多少でも威嚇して再攻撃を阻止する必要があるためすぐさま命令を下した。

「すぐに発進させろ。敵潜を撃沈しなくとも威嚇するだけでいい。何としても再攻撃を阻止させろ。」


すでに搭乗員も乗り込んでいたのだろう。

すぐさまドン、という射出機からの爆発音に押され零式水偵が空へと舞って行く。

これで再攻撃は阻止できる。そう思った矢先、先ほどとは比べ物にならない爆発音と炎が艦中央部から噴き出した。

ドォーン。

「どうした。」切羽詰まりながらも聞き返した大屋に軽質油タンクへ向かっていた副長から艦内電話で連絡が入る。

奇跡的にも電話線はいまだ断絶していないようであった。

「左舷軽質油タンク爆発。軽質油に引火した模様。応急班の増員を。」

くそっ、艦橋の窓枠を叩きつけ、歯を食いしばりながらも、手すきの要員を向かわせるように指示をだす。その間にも艦はさらに左舷へと徐々に傾いてゆく。


事態が最悪の方向へと進みつつあることは彼も分かっている。

軽巡洋艦クラスの艦体を持つ『この艦』だが、その性質上正規の軽巡洋艦に比べると被弾には弱い。

無論徴用された特設艦や通常の輸送船に比べれば軍艦構造を持つ以上よほど抗堪性(こうたんせい)が高いが、魚雷を一本食らえばただでは済まない。

さらに軽質油への引火は致命傷になりかねない。

艦内全域が溶鉱炉と化すのは時間の問題と思われた。


だがそんな状況下でも全乗組員が艦を見捨てることなく懸命の復旧作業を行っている。特に軽質油タンクへ向かった副長以下、応急三班と四班の将兵は危険を顧みず、さらに引火しかねない炎の中で懸命の消火作業を行っている。


また機関室、機械室へ向かった一班と二班も怒涛の勢いで侵入する海水の中で懸命に隔壁の修復補強作業を行っている。

どの乗組員も就役以来『この艦』に乗り組み、この艦を愛していた。

だからこそ何としてもこの艦を救おうとしているのだ。

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