四十一章



 西で足止めを食っている合間に事態は急速に動き出していた。気持ちばかりが焦るなか、足早に箭楼やぐらに入ったところで妙な飛来音を聞いた。不審に見回した瞬間、突如として屋根を貫き落ちてきた塊に皆悲鳴をあげた。


 まるで霆撃いかずちが落ちたかのよう、鼓膜を引き裂くほどのとどろきと激しい揺れで近くにいた者全員が倒れ込んだ。


「――瑜順さま‼」

 埃立つ房内に駆け込んできた兵が叫ぶ。「盾を‼壁上から阻塞を挟んでの攻撃です!」

 光の射す頭上の穴と、いらかと木板を割って降ってきた、ひと抱えほどもある岩を唖然として見つめる。遠志が物見台から叫んだ。



「――――霹靂車へきれきしゃだ‼連中、箭楼ごとらを叩き潰すつもりだ!」



「霹靂車……」

 さすがのあんたも見たことねえか、と遠志はかぶとを被り瑜順の頭にも乗せた。

発石礮はっせきほうとも言う。の原理で石やら油壺やらをやたらめったら飛ばすためのとんでもねえモンだ。あいつら、門の中で閉じこもってる合間に歩哨ほしょうにも秘密であんなもン作ってやがった」

 瑜順は見張りに叫んだ。

「何台ある⁉」

「南に二台!北はありません!」

 一撃で、と投石で怪我をした兵が瓦礫の下で呻いているのを助け出しながら、内心肝を冷やした。こんなものが長く続けばまずい。しかし遠志は短槍に腕を預けて安心させるように悠々とした。

「次弾はすぐには来ない。図体がでかくて手間がかかる。そのぶん、威力は凄まじいけンどな」

「下にいては危険だ。一度散らばるか壁寄りに避難させよう」

「でもどうやって戦う。今も上歩道の阻塞は崩されてる。下からも騎馬が来る」

「あれはどのくらい命中する?」

「狙えば百発百中」

 ならば、と兵たちに指図する。「怪我人を箭楼に集めろ。初弾は脅しだ。昇降機を壊しては門が開けないから潰れるほど近くに当てに来はしない。敵がすでに阻塞を切り崩しているならこちらから開く必要もない。今のうちにいしゆみ隊は準備を整えろ。境界を越えてきた兵を確実に倒す。上歩道にあまり固まっては投石の標的になるゆえばらけ、壁下で陣を展開しつつ上の兵も狙う。火矢で霹靂車を破壊しろ。無理なら工手を仕留めろ」

 汗を散らして雉堞じょしょうの上に立った。

「私が放つ鳴り矢の音を聞き逃すな!聞いたらつぶて沸油あぶらが飛んで来ると思え!絶対に門を奪われるな!」



 敵はすぐに壁下に現れた。封鎖した馬道をも突破しようと乱戦になる。瑜順は敵味方双方から目立ったまま、自分に放たれる矢を払い落としながら南を睨んだ。うずたかく築いた阻塞はすでに対岸が燃えている。煙ときな臭い風を上げ、積んだ岩は壁の上から落とされ、かつそれを――――。


 瑜順は南に向かって矢を放った。甲高い音が空に響く。同時、風鳴りと共に黒い砲丸が飛来し剛州側の門前に落ちる。


「バカ!避けろ‼」


 満嵐が叫んだ。門前で斬りあっている兵たちの真上に落ち、地割れし土埃を立てて視界がくなった。落下の砂嵐が巻き吹いた後には、血まみれの動かない塊たちと呻く声。

「瑜順、次弾が来る!」

 敵の霹靂車は二台。交互に放てば時差を埋められる。

「弩隊、工手を狙えって言ってル‼」

 続いてがなった遠志に無茶です、と壁下の兵が叫び返した。「下からでは敵が多すぎて阻塞の向こうまで行けません!」

 瑜順は雉堞から降りた。「私がここからあちら側へ行く。下の敵数を見るに上は霹靂車を持ち込んでいてそれほど歩兵はいないとみた」

「あんた、そりゃ無謀だあ。火ン中を突っ込んで行くってエ?」

「燃え落ちればどのみち攻められる」

「ちぃっと冷静になんなヨ。ひとりではどうもならンだろ」

 それに、と指の腹で彼の額を払った。赤いものが付いたのを本人に突き出す。

「あんた、鋼兼ハガネじゃねンだろう。俺らと一緒ですぐ死ぬるぞ」

 満嵐が遠志を睨む。だとしても、と瑜順は前方を見た。

「他に策がない」

は撤退してもいい」

「何を言っている」

「この人数じゃ苦しい。今ならまだ征西軍本営の真後ろまで戻れる。関門は奪い返されるけンど英霜と蔭蝋関へ駆けつけることもできる」

 だめだ、と瑜順は硬く言い放った。

「すでに東二州は移動を始めている。敵の気を少しでもこちらに引きつけ、べん将軍らがやりやすいようにしなくては。私とちょ将軍がいないのなら尚更。あちらに八馗が既にいるのかも、どれだけ派遣されたのかも分からない。蔭蝋も同じく、ここを早々に手放せば本営が背面を取られるのは変わりない」

「ここで討死うちじにするより機会をみテ、……っ‼」

 やじりが顔前を掠め、二人がはっとして下を見ると馬道のひとつが破られようとしていて容赦のない征矢そやが飛んでくる。さらに振り仰いだ青天、次なる黒点が二つ。


「箭楼のほうにくる!」

「皆、北側に退避‼」


 兵が一斉に箭楼を抜けた先に向かい始める。放った響箭かぶらやの音さえ掻き消す飛来音、歩道の半分ほどの巨大な岩塊が箭楼のすぐ手前に着弾した。瑜順と遠志の目と鼻の先に。


 思わず顔を覆い、衝撃と風に押されてよろめく。震動で甍はなだれ落ち、次々にはかない悲鳴を上げて砕ける。庇った腕に傷を刻みつつ足場に気を取られ後退あとじさった直後、頭上にかげが射した。


 視界を埋める固そうな岩石のざらついた表面がくっきりと見える。思考する間もない刹那、瞬きを忘れた瞳が捉えた景色はいつもよりゆっくりと流れていくように感じた。

 後ろにつまずいたが支える寄辺などなく、かしいだ体は壁を乗り越えて宙に舞った。


「――――瑜順‼」


 腕を強く引かれた。しかし足はふわふわと浮いたまま、投石の突風をもろに被り、砂を吸い込む。何度かせて、ふと――我に返った。


 耳に音が戻ってきた。阿鼻叫喚の悲鳴の渦の上、隣には同じく呆気に取られた満嵐がぽかんと口を開けている。知り合って間もない男の声がオイ、と降ってくる。


「平気か」


 状況が飲み込めず激しくしばたたいた。下を向けば地上、横を見ればすぐ側に城堞ひめがきの列、ずんと石畳にひびを入れて食い込んだ夸父きょじんの拳のようなつぶてが二つに、半壊した箭楼。

 自身の腕を引き上げているのは紛れもなく遠志、しかし――と首を巡らせた。



「……なぜ、浮いている?」



 そう、どこにも足を着けていない。満嵐がひたすら目を泳がせた。「俺ってば、死んだのか……?」

 呟くと大きな笑い声。

「死んじゃいねえ。これが見えないンか?」


 言われて三人を覆う鳥の両翼が大きく上下した。


「…………少し、待ってくれ。理解が追いつかない」

「知ってたろ、は南の出だって」

べる…………?ヒト、なのか……?神仙でなく?」

 いまだこの状況に戸惑っていると、あんたらの一族だって、と下界の驚愕した視線を受けながら遠志はさらに笑う。

「人離れした能力ちからがあるだろ。それとおんなじさア」

 やっと満嵐が、うわあ、と歓声をあげ、一転すぐに非難した。

「翔べるなら、最初からあんたが空から攻めればこんなにやられずに済んだんじゃねえのかよ」

「そう言われるから嫌なんだ。いい矢的まとでしかねえ。それに言ったろ、俺は合いの子で、それほど長くは翔べねンだ。服を着てるとまどろっこしいしなあ」

 思えば戦いはじめからまともに甲冑よろい姿を見ていない。文身ほりものが埋める裸の上身、羽は肩甲骨あたりから伸びていた。


羽生はねはゆる人とはそういう意味だったのか……」


 霧界の奥地に暮らす南蛮なんばんの文献は北にはほぼ入って来ない。てっきり背ひれ尾ひれのついた伝説なのだとばかり思っていた。


 なんとか状況を把握し、呼吸を整えつつ眼下を観察する。

「……しかし、どうしたものか。押されている……」

 言ってる合間にこちらにも矢がくる。

「遠志、いけるのか」

 ひらりと羽ばたきつつ旋回して彼はいきなり急下降した。

「――――どこへ⁉」

「どうやら、なんとかなるぞお姫様たち」

 二人を小脇に抱えたまま口笛を吹いた。





 壁下で打ち合う歩兵たちは荒地から煙を立てて近づいて来るものを凝視して静止し、やがて恐怖で顔を強ばらせた。


 咆哮ほうこうとともに敵兵が宙を舞った。呆気にとられた顔のまま次には爆発し、彼らの体が重力に伴い地に叩きつけられることはなかった。

 五体を血の泡粒に霧散させたのはむちのような鱗の尾。深い青緑のなかにぬらりとしたあやを陽光に反射させ、風を切って水気を払うと次の標的に襲いかかる。

 四つ這いの大蜥蜴おおとかげはあっという間に城壁に近づき、するすると側面を登ってゆく。豺犬やまいぬの顎が敵にかぶりつくのが見えた。


渠長きょちょう‼」


 大声で呼んだ満嵐に、無事だったか、とサイを走らせながら頷いたのは柱勢ジュセ

「ところでその奇っ怪な鳥はなんだ?どこで手に入れた」

 遠志は柱勢の背後に降り立った。

「彼は趾族です。国軍に協力を」

「たまげた。人でないのか」

 躍動する獣の上で彼はいつの間にか翼を消しており、うんざりしたように頭を掻いた。

「人だ。だから見せたくなかったンだ。珍獣扱いされるからなあ」

「すまない。私たちを助けたばかりに」

「まあいいや。それより」

 こちらには通じない訛り言葉で豺を指す。

「なんで連れてきたんだ?あんなに血を吸わせて」

 霹靂車の工手を襲う豺たちを見上げ、瑜順も柱勢の後ろ頭に問う視線を投げれば、なぜとは、と剣を抜いた。

何梅カバイさまのご指示にほかならんだろう」

「何梅さまは」

「予定通り東にお出ましだ。我らは先んじて西の平定を任された。豺については血酔ちえいにならないよう気は配る」

「統率が取れていると?」

 危惧してなおも訊くと案ずるな、とそのまま門をくぐった。

 馬道から上り、半分倒壊した箭楼まで戻って状況を把握しようと壁から身を乗り出したところで、猛進する豺と四不像を駆る八馗の後ろからもうひとつの群れが見えた。


「州司馬!」


 老兵は挨拶がわりに敵兵を斬り捨てた。

「瑜順、よくやった!英霜も無事じゃ!ここを片付け次第本営に戻る!」

 しかしその場しのぎに追い払っても南から敵がまだ来るだろう。そう返そうとして、前面にいきなり、ぬっ、と豺の頭がとび出てきた。外壁を登ってきた一騎を操る男は鼻を鳴らした。

「泉人とつるんでいいザマだな。ぼろぼろじゃないか」

郝秀カクシュウ

 歩道に乗り上げ、すでに炭化している阻塞を睥睨へいげいする。「無謀な籠城戦とはお前のわりには頭の悪いことをした。俺たちがあの程度の妨害でもたつくとでも思ったのか」

「瑜順、そういうわけだ。西は儂と鑲黄俟斤じょうこうしきんに全て任せろ。お前は東へ行き何梅さまの手足となれ」

 肩に手を置かれて思わず掴み返した。

「あの子は!当主は、帰ってきたのですよね⁉」

 普段見ない必死の形相に柱勢は一拍驚き、ややあって力強く頷いた。

「――ああ。黄仙こうせんは無事に帰還なされた。この戦は親征だ。文を返さず悪かった。こちらもいざこざで目まぐるしく落ち着けなかったのだ」

「いざこざ……」

鑲纁じょうくん家が刃向かってな。しずめるのに少し手間がかかった」

 亡き森悦シンエツが預かっていた八馗家だ。郝秀が無駄のない所作で矢を放ちながら、俺だって、とさらに睨んだ。

「泉人を助けるなんて反吐へどが出る。采舞さいぶから戻った戦士たちの最期を見た者は誰だってそう思ったはずだ」

「郝秀、言を大きくするのはやめんか。……それで意見が割れてな。方針がなかなか定まらなかったのだ。だが当主がおりよく戻り、すぐさま出兵したわけだが」

「こちらに六万五千も割いてよろしかったのですか」

「我らの務めはとにかく惣州斧州軍を剛州壁に近づけさせないことだ。すでに泉畿の北にも兵を置いておるし、我らの勝利は確実だ」

「まさか泉宮奪還に鑲纁家を当ててはおりませんね?」

 嫌な予感がして問うと、当てたとも、と柱勢は至極当然と頷く。

りに選って」

「落ち着きなさい。これは黄仙の指示だ」

 瑜順は眉をひそめる。「当主も同行を?」

「無論。罪を犯した鑲纁家には償わせねばならんし、あれらの名誉を取り戻すにはうってつけの役どころだろう」


 当主の不在に同盟をないがしろにする意見を通そうとして混乱を招いた。収拾後、今一度一族に忠誠を示す機会を、と願われたらしい。

 懸念に顔を曇らせる。この戦は失敗が許されないというのを本当に分かっているのか。


「瑜順、あれらとて一族の行く末を真に考えてやったのだ。そのおもいは偽りはないと儂も進言した。きっと上手くやる。仲間を信ぜずして何を成し得るというのか。お前が一番よく知っているだろう」


 八馗は狭くは己の馗家のことを何よりも大事にする。当主というのは家どうしを繋ぐくびきであり手綱たづな、皆、一族としては家にこだわらず団結するがときに抑えるのがままならない時がある。瑜順はその危機を事前に察知するための任に長年就いてきたのだ。八十万人老若男女、個々に考えがあり信念があり矜恃がある。組織としてまとまるのがいかに困難であるのか、誰よりも肌で感じてきた。

 疑心は軋轢あつれきを生み摩擦は内部崩壊を招く。一致して同じ方向に進むにはどうしたって馭者ぎょしゃが要る。導く者も自分の命を託すことで絆を保つ。

 だから当主は逆らった鑲纁家とあえて共に戦う。


「しかしなにも今回でなくとも……」

「いつか、はない。森悦を失ったのは大きかった」

 それでもう何も異議出来なくなり、押し黙っていると巨馬をいななかせ合流してきた達吟が豪快に笑った。

「なんだなんだ、痴話喧嘩したのか。たったの八十万も纏められんとはこちらとて心配になるぞ」

 郝秀が不快そうに口を歪める。「それはこっちの科白せりふだろうが。王を守り万民を導く尖兵せんぺいが飼い主に咬みついて醜態をさらすとはとんだ恥知らず」

「無遠慮だな若造」

「達吟どの。あなたは以前、角族も一枚岩ではないだろうとおっしゃられた。たしかに今の話を聞けばやはりと思われるのは当然です。しかし」

 束の間、北の霧の彼方からやってきた男たちは一様に眼下に広がる戦いを眺めた。苛烈な心を映したかのような狩人の眼だった。

「我らは一枚です。それも、とてつもなく分厚い。ひびが入ろうとも割れるまでには及ばず、障碍しょうがいがあるなら」

 地鳴りが場を震わす。異形の妖たちによって敵の大層な仕掛けが倒された音だった。郝秀が不敵に笑って矢をつがえる。

「粉々に砕いて食ってやる‼」




 ほどなく、壊滅した剛州軍は撤退した。






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