十二章



 数日後、韃拓ら角族代表は朝議に招かれた。辮結みつあみに一泉の衣服を纏うとよりちぐはぐで異国情緒漂う彼らの中で、このひと月あまりで噂の的になり、とりわけ女官たちの熱い視線を受けているのはもちろん瑜順で、しかし当の本人はこのところ具合でも悪いのか普段よりもさらに寡黙で無表情だ。その憂い顔が益々女たちの歓心を誘っているのにはまるで頓着せず、隣で悠々と歩を進める主に耳打ちした。


「話した通り、一泉では謀叛むほんの兆しがある。だが韃拓、受けて立つといっても具体的にどうする。同盟を継続する以上、俺たちも協力すべきとは思うが」

「又聞きじゃ本当のところは分からねえしな。直接本人たちが何て言うのか聴いて決める」


 それはそうだが、と憮然としたところで議場である朝宸ちょうしん殿に到着した。儀式や外交で使用する太承たいしょう殿よりもひと回り小ぶりな宮殿は泉主の政務の空間である治朝じちょうで最もよく使われる常殿であり、一泉宮のなかでは古い建物のひとつだ。磨かれた石ではなく木組みの床はよく使い込まれて飴色に輝き、柱は丹塗り、玉座も紫檀したんの巨大な切株をそのまま用いて精緻な漏花彫すかしぼりを施してある年季の入った格式高い御座ぎょざだ。横の一段高い所にはおなじみの簾を垂らした上座が据えられていた。


 厳かなことには変わりはないが他とは違いどこか暖かみのある殿内で角族は示された場所に陣取る。族主の韃拓だけは壇上に置かれた座に登るよう促されたが、それでは太后や泉主の顔が見えないと言い張り瑜順たちと同じ下段に座り込んだ。


 最後に遅れて入ってきた今日も黒衣の太后が上座に着いて口を開き、それが朝議の始まりとなった。


「皆に下達は行っておろうが、先日拘束した尚書台の官と偽の羽林郎の鞠訊とりしらべが済んだ。保管庫の勅書を持ち出し、火災の応援要請をかたった者数名と偽羽林は結託して角族使節を亡きものにしようと企てた。また市街の火災も故意によるものと断定された」

詔獄しょうごくにて厳しい処断を望みます。泉主と太后様の宣旨を偽った罪は大逆に等しく、またいたずらに民を巻き込み放火したことも到底赦されない重罪でございます」

 諸卿のひとりの発言に葛斎も頷く。

「無論、躊躇は要らぬがあとは係わる者の役目。今日の朝議は叛逆者たちの首謀についてどのように対処していくかが議題である。――大理卿だいりきょう

 裁判と刑律を司る大理府の長は奏上文を広げた。

「調書によりますと、有罪の尚書吏はいずれもどう州出身でございました。いまだ口を閉ざしている者もおりますが捕らえた偽羽林たちも同様のようです。これは組織立った謀叛で間違いございません」

 殿内がざわついた。

「桐州刺史ししから報告は」

「ございません。ですが現在、桐州南域、来癸らいきにおいて民による中規模の暴動が起きているとの噂です。しかしながらなんの上奏も届いておりません。州軍をして鎮圧している様子もなし、いったい、どういうことなのか」


 大きな図面が広げられた。桐州は国の中央部にある。東南西北を走る大街道の交わる要衝がいくつもあり、桐州の経済は主に商工業の発展で成り立つ。


「至急刺史を呼び戻さねば」

 誰かが焦ったように言ったが、葛斎は、否、と首を振った。

「あちらの連絡経路は確保しておかねばならぬ。こちらから遣わす。急ぎ桐州の状況の把握に努めよ」


 州牧と刺史は職掌としては大差なくどちらも中央から派遣される監察官だが、最大の違いは軍権の有無にある。短期間に駐箚地ちゅうさつち泉畿せんきを行き来する刺史は特に朝廷と州を繋ぐ連絡役だが、州牧はより長い任期で国策にのっとった自治を行う。州牧のみに与えられた特権が州軍の統率であり、各郡郷の兵卒も大きくみれば全て州軍に属する。ゆえに郡兵を動かすには太守の認可が形ばかりは必要とされるが拘束力はなく州牧は実質として治領州内であれば軍を自由に動かせた。


「桐州で叛乱とは場所が悪い。かの地は泉畿への物資の流通に欠かせない土地です。特に南域からの穀物をはじめ巌嶽がんがくへ上納する租税は全て桐州経由で運んで来ます」

「通達を出して他州から迂回させるしかあるまいな」

「その前に暴動です。早く抑えなければそもそもの税が収まりませぬ。桐州牧は何をしているのか」



 言葉が交わされる殿内で突然開門の号令が叫ばれた。血相を変えて走り込んできた下官は床にのめり込むように体を投げ出した。


「至急申し上げます!西二州で乱あり!ひん州、そう州の州軍が州都にて一斉蜂起しました!州牧と刺史を人質に両州城を占拠している模様です!」


 唖然とした空気があたりを包む。

「なんと……」

「要求はなんだ。声明は出ているか⁉」

 それが、と下官は唇を震わせた。発言する前にまた二、三の人影がなだれ込んでくる。


「奏上たてまつります!」

「なんだ、騒々しい!」


 最初の者の両隣に同じく膝をついた官たちはまくし立てた。


「南州三州、及び桐州で数郡の太守が民兵と共に賦役ふえきの拒否をもって叛逆!南三州府には民が押し寄せて破壊行為が起きているとの事!」

「東南、じゅう州は州牧が叛旗をひるがえしました!刺史が州を放逐され泉畿へ向かっていると。しかしながら途上ですでに行方が分かりません」


 重臣たちが絶句したところで、追い討ちをかけるように駆け込んできた最後の官が極めつけに大声で叫んだ。


「謀叛――わい州謀叛!州牧、州軍共に結託して関を封鎖、すでにごう州州境で乱闘が起きております!」


 大司徒が萎れて座り込んだ。


「八州叛乱――――‼」


 泉主が引きった顔でおどおどとし、それが伝染した混乱する朝議の間で韃拓は両手を後ろ頭に置いた。

「なあ、瑜順。こりゃどういうこった?」

「首都州以外の余州が一斉に暴動とは、出来すぎているな。だがまずいぞこれは。下手をすれば全ての州から剛州が包囲され落とされる」

「そんなこと有りうるのか?」

 それは対処次第だ、と上座を見上げた。紗羅簾うすまくはすでに引き揚げられようとしている。


「皆、静まれ」

 氷の響きが殿内の者の鼓膜に突き刺さる。決して大声ではないのに確かに憤怒の色を孕んだ声が降ってきた。

「まずはなによりも状況を把握することに努めよ。立て大司徒、何のためにおぬしがいると思っている。我が国の丞相ならば自失しておる場合ではあるまい」

 顔を見せた葛斎はすらりと扇を伸べた。

「手をつけられるところから解決すべし。淮州との州境へ剛州軍をただちに遣わし平定せよ。今は無理に関門をこじ開けずとも良い。桐州と南三地域の州牧、刺史と至急連絡を取れ。大司空、今すぐ都水令とすいれいを呼べ」


 議場は一気に忙しなくなった。控えつつも溢れる怒号や悲鳴を聞き流しながら、角族の面々は顔を見合わせる。


「彬州と惣州の声明を聞こう」

 葛斎に鉄面皮を向けられた下官が額を床に擦りつける。

「畏れながら!角族との再同盟の破棄と……たっ、太后陛下のご引退、及び泉帝陛下の――――禅譲ぜんじょうを、と」

 泉主がひっ、とき潰れた声を出した。諸官が叫ぶ。

「ばかな!禅譲だと⁉なんと不敬な‼」

「それは我々がしようと思ってできる範疇のことではない。王位の交代はすべて黎泉の采配によるもの」

「そもそも御子はまだ昇黎もなされておらぬ王太子殿下ただおひとりのみ!それとも王弟君を擁立せよということか?馬鹿馬鹿しい!」

 葛斎が扇で肘掛けを打ち叩く。

「同盟の反対のみならず妾の隠居が望みとは。――――都水令はまだか」

 無感動な声音に苛つきが混じり、諸卿がにわかに浮き足立つ。いくらも経たないうちに慌ただしく一人の男が入ってきた。胸に抱きかかえるはかわうそに似た奇妙な獣。男の肩越しに赤い布を巻かれた口が、何かを咀嚼するようにもごもごと動いているのが見えた。官服の裾を濡らしたままの都水令は滑り込むように膝をつく。


「お待たせ致しました!」

「今すぐ水虎すいこを集めて伝令を。畿内と上霖苑しょうりんえんからも全ての補獣を掻き集め、八州諸郡全てに水門を閉じられたくなかったら今すぐ停戦し混乱を鎮圧するようにと通達せよ」

「――かしこまりまして」

「各州都水台は泉の汚濁に警戒態勢を敷き乱の勃発地域における浄水石の余剰の有無を確認、無ければたせ。貯水槽及び貯水塔の水位を把握せよ。今は春、飲み水に限らず田畑に使える水も事欠くとなればおのずと乱は鎮まる。狗監くかんは水虎の管理を徹底し一頭も死なすでない」

「確かに、うけたまわりました!」


 小さな獣は鱗に覆われた長い尾を庇護者に絡みつかせ、つぶらな眼でそれを凝視していた韃拓を見返した。葛斎はそのまま官を退さがらせると正庁ひろまを見渡す。


「何も狼狽うろたえることはない。水が無くなれば歯向かう気も失せよう」

「お……お待ちください太后様。水門を全て閉じてしまっては、乱は収まるかもしれませんが民が死んでしまいます」

「そんなことは百も承知。だから石を供給しておけと言うておる。ある程度水を止めて弱らせてから叩かねばこちらがやられる」

泉川せんせんの閉鎖を知った民が泉畿に群がるのでは」

「それも承知じゃ。しかし剛州の壁を越えられてはならぬ。敵が民に混じって入り込むやもしれん」

 そんな、と議場はざわついた。「剛州の関門まで全て閉じると?たしかにそれなら州外の民は入れませんが、なかの余剰とて豊富なわけではございません!外との道が阻害されれば今度は州内の民が反発する可能性も」

「なんだ?では巌嶽ここの関門だけ閉じておけば良いと?」

 ひたと見据えられて声を上げた者が口ごもった。

「そ、それは……」

「それこそ逆効果ではないか。巌嶽のみを守っては逆に剛州の泉畿外の民の不安を煽り、敵を増やすことになる。首都州だけでも手の内に置いておかねば本気で弑逆しいぎゃくが起こるとも分からぬ。何があっても泉主をお守りし、泉根を危険に晒してはならぬ」

 葛斎はようやく角族らを見た。

「角族の方々、ご覧の通りどうやら余州八州は同盟に反対のようじゃ」

 瑜順が応えた。

「我々は一泉国主とこうして直々に全く正当な手順に従い盟を交わしているのです。これを不法な弾劾で反故にすることは許されません。もちろん我々は対抗し叛乱平定を助力致します」

 葛斎は黙って頷き、隣に目を移す。

「角公も依存はあらなんだか。こんなことになって恥じ入るばかりじゃが、どうか盟約のもとに手を貸して頂きたい」

 韃拓は胡座あぐらをかき、腕を組んだまま無言で見上げた。瑜順が何か言え、という視線を投げる。ようやくひとつ息を吸い込み口を開いた。

「……助力というのは何だ。俺たちは一泉のごたごたを助けるなどという約を交わした覚えはない」

「韃拓」

「なぜお前たちの内輪の喧嘩に俺たちが首を突っ込まなきゃならない。朝廷以外が俺たちと関わりたくないというのなら、そっちが多数ということだろ。それが民意というやつじゃないのか」

「韃拓、何を言い出す」

 咎める瑜順を追い払うように手を振る。正面に縮こまる泉主を睨んだ。

「王様はどうなんだ。俺たちのことが嫌いなんだろ?俺たちとの同盟をやめると言えばそれで乱は収まる。禅譲しろと言われてるならそうしたらいい。あんたも望んで王になったわけじゃあないんだろ」

「無礼だぞ族主!神聖なる泉主を一体何だと思っている!」

 周りから野次が飛んだがどこ吹く風というように眉ひとつ動かさない。目で射竦められ泉主は挙動をおかしくさせたが、やがておずおずと韃拓を見返した。

「わ、われは……そなたたちが、正直恐ろしい。で、でも国の未来の為には、必要と思う……」

 泉主、と息を飲む重臣たちが彼の小さな声を拾おうと耳を澄ませた。それで赤面しながらも続ける。

「そ、それにまだ太子は若く、国は落ち着かぬ。神勅がうまく移るかも、わからぬ……。太后様に今ご引退されては、困る。我は、頼りないから」

「じゃ、どうすんだ」

 泉主はひとつ唾を飲み込む。葛斎をちらりと見上げたが助け舟は得られず、向き直りもう一度喉を上下させた。

「大逆は許されぬこと。直ちに乱を平定し……いまいちど国主として威光を示さねばならぬ。今回のことは角族にも関わりのあること。是非に協力をお願いしたい」


 それを聞いて韃拓は立ち上がり、つかつかと壇上に近寄って階を登る。呆気に取られた人々がどよめきを取り戻した時にはもう泉主の目前まで迫っていた。片膝を突き出して前屈みに顔を寄せた。

「大層虫がいいことだな!俺たちを毛嫌いして旅の妨害を見て見ぬふりした間抜けのくせに、困ったら助けろと言うのかよ!しかもこれは約束の範囲外のことだ。俺たちの助けが要るなら相応の対価を払ってもらわなきゃ割に合わねえ」

「し、しかし、国が乱れれば盟約にも影響が」

「確かに一泉の水は俺たちにとっては貴重だ。だがな、絶対に一泉が必要だというわけじゃない!同盟を棄てるならまた淮州で狩りをすることになるぞ。それでもいいなら反故にしやがれ」

 放った言葉に強い非難が上がる。

「我々を脅すつもりか!なんと恥知らずな!」

「泉主、惑わされてはなりませぬ!角族は所詮このような奴らなのです!」

「うるせえ!こっちは住みもしない知らねえ土地を守れって言われてんだ!そんなのに命を懸けられるか!タマを張れというなら見返りを示すのが筋だろうが!」

 どうなんだ、と詰め寄られて泉主は震え出した。

「でも……あの……」

 そこでようやく冷静な声が掛かった。

「角公ののたまうことはもっともじゃの」

「太后様」

 目を細めた。「おぬしの言からすると、一泉の割譲が望みかえ。角族は移住を希望しておるのか」

 韃拓は再び腕を組んだ。

「移住するかどうかなんてのは分からない。ただ泉地に俺たちの拠点が欲しいのは確かだ。俺は何よりもまず少しでも霧の晴れた土地が欲しい。子供ガキやしたいからな」

「角族の人口を増加させたいだと?」

 そうだ、と振り向いて人々を見渡す。

「俺たちは戦じゃ負け無しだと自負しているが、如何せん毒と病には弱い。だから人が殖えないし天寿が尽きる前に死ぬほうが多い。人口は八十万しかいねえが、今年は生まれた赤ん坊の数が俺が見てきた中でいちばん少なかった。これからもっと減っちまったら一族として成り立たなくなってくる。それはだめだ。だから新鮮な水と澄んだ空気のある場所が必要だ」

 瑜順は韃拓を見上げた。そんなことを考えていたとは。

「ではなぜ、約定にそのことを含めようと言わなかったのだえ」

「ややこしいことは嫌いだ。この同盟は太后、あんたと先代当主の力で成り立ったものだ。ここで俺が土地を寄越せと言って素直に差し出すわけがなかっただろ。そうしたら最悪争いになる。だから今回は諦めたんだ」

 だが、と泉主に向き直る。

「話が変わってきた。この大乱に俺たちを噛ませるというなら、俺は対価に一族のための土地を要求する。受け入れられないというなら静観するしかない。どうする、一泉のお偉い方。ここで俺たちを退けるなら、最悪泉主は禅譲、太后は引退、そして同盟は無くなり、また民と土地を荒らされる羽目になる。どっちを選べばいいか、頭のいいあんたらには分かるだろ」

 腹立たしげなざわめきと困惑が広がって喧騒になる。韃拓は鼻を鳴らし、怯え顔の泉主に、

「あんたも自分の考えがあるんじゃねえか。人に流されないでもっと自分を貫けよ」

 そう言い捨てると壇上から降りる。見てきた友に片目を瞑ってみせた。それで瑜順は韃拓の意図を知り、こそりと口の端で苦笑した。



「――――あいわかった」

 ふいに高らかに宣言する声が響き、扇を大きく打ち叩く音がこだまする。

「叛乱平定のあかつきには角族に一泉の土地と泉を割譲いたす」

「太后様、そのような安請け合いを」

「たわけ。軽々しく決めることではない。泉主の仰られたように八州を鎮めなければ我らが瓦解するのも確かじゃ。朝廷だけでは手に余るのは必至。長い目で見れば角族の由歩ゆうほの力を我々が取り入れることが出来るということじゃ。そうすれば霧界の麦飯石脈や鉱脈の採掘高も増えより確立した資源として輸出が可能となる。これは先行投資と捉えるべき事柄である」

 ふ、と韃拓がしめやかに笑った。もとより帰る気などさらさらない。ごねてみるものだな、と瑜順は感心し、口を開いた。

「とはいえ、太后さま。八州蜂起の起因は我らにもあり。ここで角族が武でもって押さえ込みにかかれば、ますます反発は大きくなるのではないでしょうか。ここはどうぞ、手始めには穏便に事を運ぶのがよろしいのでは?」

「しかし暴動は収めねばならぬ」

「確かに、混乱の大きな地域には軍を派遣したほうがよろしいかとは思いますが、まず敵味方を明確にしてから対策を練り鎮圧兵を動員したほうが要らぬ民の反感を買わずに済みます」

 泉主が自信なさげに呟く。

「敵味方……」

「はい。まずはどの州牧と刺史が朝廷に寝返り、あるいは捕らえられているのかを把握しなければなりません。加えて州軍もです。今明らかに刃向かっていると分かっている州軍は彬州、惣州、重州そして淮州。いち州軍は左右二えいあるいは左右中三営ですね?州の一営は一万から一万二千五百前後とまちまち。多く見積もり十五万の叛乱兵と我々は戦わなければならない」

 立ち回りながら図面を指差して説明する。隣に大司馬だいしばが近づいてきた。

「南三州は民の暴動だ。いまだ州軍の動きはない。桐州もいちばん始めに乱が起こったが、州牧が援助、あるいは鎮圧の為に兵を動かしたという報はない。分からないが、ひとまず味方に数え、少なくとも四州八万兵はいまだ国軍」

 瑜順が石を転がした。

「問題は州牧です。八州のうち、敵に回ったと完全に分かっているのは東二州。彬州と惣州では人質にされたということで、もはや軍権が機能していない。この四州は早期に叩かねば勢いにまかせて泉畿まで上ってきそうです。特に距離の近い淮州は抑えたい」

「所在と動向の分かっていない州牧と刺史とは早々に連絡を取りたいところだが。太后様、こちらから使者を派遣するにしても危険過ぎませんか」

「だがこのままでは各州の動きがまるで分からぬ。特使は出さねば。とはいえ州牧が敵意を向けている州は危険すぎて無理じゃ。州軍が決起している州を抑えつつ、さきがけて民兵、郡兵の暴動を鎮圧するほうが良いのではないか」

「仰る通りかと。水門を閉じられることは敵も予想出来ていることです。短期戦にならざるを得ない。敵州軍は水が涸れる前になんとしても剛州を占拠したいと押し掛けてくる。守りに入れば勝ち目はありません。まだ生きている軍のある州には直ちに使者を向かわせ、まずは説得を試みてください。叛乱軍と化した州に対しては残念ながら武力行使はやむを得ないでしょう。ある程度力で押さえ込まねば聞く耳を持ちません」

「禁軍、前後左右中十二万五千と剛州軍三万をどう振り分けるか。あまり細分すると守備が薄くなる」


 禁軍に五軍全てを揃える国は珍しい。一軍一万二千五百でしかも二営ずつとは一泉五百五十万の人口にしては多い。


「これは軍籍簿に名のある者の総数だ。全てが軍府で任官しているわけではない。とはいえ登籍している以上は招集し振り分ける」

 大司馬は顎をさする。泉国において戦は滅多に起こらない。なので普段は役職付きと最低必要兵数以外は輪番で一定期間の徭役ようえきに就かせている。大多数が予備役よびえき、ほぼ平民と変わらない。だが兵練を積んでいる以上は戦力とみなす。


「禁軍は三万もいりゃ巌嶽の守りは厚い。剛州軍三万は州境で展開させて、余った九万五千のうち三万でまず桐州、続けて南三州を攻めて確実に州軍をこちら側にかせろ」

 韃拓がぞんざいに石を南に寄せる。

「他州の侵攻はその残りでということか?」

「五万で西二州を叩く。向こうは多くて六営七万五千だろ?出来るさ」

「郡軍を計算に入れていない」

「ほぼ平民なら頭数には入んねえだろ。残りの一万五千は剛州軍と淮州の州境に」

「淮州の下には重州もいるんだぞ」

 それには笑う。

八馗はっきを出す。東はそれで攻める。重州に八馗が入れば淮州も警戒せざるを得ない。全ての戦力を剛州に割けないだろ」

 仲間が色めき立った。

「当主、領地から呼ぶつもりか。いきなり召集してすぐには来れないぞ」

「南三州を平定するまでに間に合えばいい。収めたら割いて重州に。八馗と挟撃して重州をおとす」

 瑜順は地図を見下ろした。

「まずは桐州の州牧の旗色を明らかにしなければ無闇に出兵はできない。暴動が起きているのに州軍に動きがないのはおかしい」

「すぐに桐州に使者を遣わす。じゃが、もし万一州牧が敵であればどうする。桐州軍とやり合うことになって八馗軍が重州入りするまでに南三州を引き入れるのが間に合わぬ」

 葛斎が懸念を口にした。韃拓がなんでもない事のように答える。

「州軍はひいては大司馬府が上位権を持つのだろ。州牧も本来なら逆らうはずのない朝廷の監察官なんだから、まだ軍が決起していないならたとえ州牧本人が敵側でも兵は力づくで従わせろ」

 大司馬が首を振った。

「それは無茶だ。州軍の統制は州牧に全権を委任している。だからこその自治だ。たとえ禁軍が味方に付けと呼びかけても、直接の指揮権限を持つ州牧を飛び越えてなびくのは軍規違反だ」

「おいおい、禁軍は泉主の直轄軍だろうがよ」

「それでも完全に服従するとは言いきれない」

「韃拓、泉国の軍権は中央に集中しないようそういう仕組みになっているんだ。ただでさえ主泉しゅせんを抱える泉畿には絶大な力があるからな」

「ち。面倒だな」


 泉主といえど人、歴代全ての泉主が民にとって善い王だったわけではない。もし暴虐や悪政を布いても軍権を州に委任させていれば抑止力になる。その為の地方自治体制でもあった。

 一度降勅した王は歴史上ほとんどの場合、たおれるまで国主である。不在になれば水が腐るために、その全権絶対君主の立場を逆手に取って自らを人質に行き過ぎた偏向統治におちいることが容易い。これは非常に暴君を生みやすい支配構造であり、朝廷は泉主の独断と苛政を抑制防止するために職掌を細分化し権力の分散を図っている。泉国においてその最たるものが命水を司る独立行政機関である都水台、次いで直接の武力行使で命令を執行する大司馬府と府下の兵科組織であった。


 しかし、と瑜順は唸る。

「桐州、南三州の州牧が本当にこちら側なのか確証がない今、韃拓の策は胸算用むなざんようだ。使者を遣わして拒否された場合、逆に四州が完全に謀叛側に寝返る後押しをしてしまうという最悪の形もありうる」

「全員罷免して新しい牧を立てればいい」

「定石だがもはやこの段階となっては危険で無意味だ。あちらが敵でも味方でも反感を煽ることになる。新州牧が被害に遭っては目も当てられない」

 しばしの間があり、韃拓は大司馬を見上げた。

「なあ、州軍は州牧の指図がないと動かないんだよな?」

「州軍だけでなく各郡兵も一応は太守の承認が要る。こちらは州牧の権を上回るものではないが、自治圏が小さくなればなるほど兵どうしの結びつきが強い。太守が首を縦に振らねば渋られる時もある」

「頭目がいないときはどうしてる」

「その時は……戦時に設置される兵曹従事史へいそうじゅうじしか、さもなければ実際に軍指揮を執る州司馬しゅうしばに」

「じゃあ指示を出される前にそいつらを殺しちまえばいいんだよな?」

 場が固まった。

「……お前は一か百しかないのかい」

 黙って聞いていた中樊チュウハンがぼそりと言って瑜順が即座に頷いた。

「だってよ、国軍のなかでいちばん偉い大司馬が命令しても無理なんだろ?そんなら今すぐ頭目と州軍を引き離したらいいじゃねえか。州軍だって頭がいない状態ですぐにどう動くかの判断は出来ないだろ」

「否定はしないが……」


 大司馬が言を継ごうとした時、いきなり大きく扉の軋む音が響いた。壇下に集まっていた者たちは顔を上げる。


「聞き捨てならぬ。今のところは否定すべきじゃ、大司馬よ」




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