第357話 解放

 相対する二人の距離は20メートルほど。


 お互い出方を窺うも、動き出せばその程度の間など、詰めるのは一瞬で。



 ――『転移』――【剣術】力刃――



 わざわざ時間を掛ける必要はない。


 背後に回り、今持てる全力の力で首を斬り落とす。


 そのつもりで振り抜いた大剣は、纏わりついた黒い魔力の残像を残して空を切ってゆく。



「ソイツはさっきも見たんだよ!」



 やや離れた位置から聞こえた声の主は、俺の側面。


 揺らめくように身体から湧き出す靄は先ほどと同じで、拳を握り、腕は既に引かれていた。



(まだ間に合う!)



 ――【硬質化】――



 ゴッ!



「ッ――……」



 やはり、衝撃は如何ともし難い。


 勢い良く吹き飛ばされながらも現状を把握し、レベル1でも【魔力纏術】を使用した意味はあったなと、ここで痛感する。


 先ほどは一瞬意識を飛ばしたが、今は【硬質化】も使用すれば"なかなか痛い"程度で済んでいるのだ。


 あの小男を先に潰したことで、防御力が上昇していることも大きいだろう。


 僅かに煌めく靄が身体から溢れている時は、明らかに攻撃の速度が上昇している。


 それに威力も相当上がっていそうだが……


 なぜ、今は靄が出ていない?



『切り裂け、"穿嵐"』



「ぐっ」



 追撃を狙い、俺に飛びつこうとしたところに足先から魔法を放てば、虎女は呻きながら距離を取っていく。


 単純な時間経過とは違うであろうタイミング。


 発動条件があるのか、それとも任意でオンオフを切り替えているのか。


 妙な引っかかりを感じてしまう動きだな。


 それに、『見た』とは何をだろうか?



(試すか……)



 ――『転移』――



 一度まったく関係のない位置に移動すれば、それでも虎女は飛び引いたようにその場を離れ、大きく立ち位置を変えていた。



「へぇ……どこに移動するかは見えなくても、移動する瞬間は見えているわけですか」


「あぁ? 黒い円の中に吸い込まれていくんだから、当たり前じゃん」


「なるほど」



 何言ってんだコイツ、みたいな顔をしている虎女。


 だが俺にとってはなかなか衝撃的な発言だ。


 言われてみればその通り、『収納』でモノを出し入れする時は、フッと生まれる黒い入り口を通しているわけで。


『転移』も亜空間を通って移動しているのだから、そのたびに俺自身が消えるのではなく、その黒い入り口を行き来しているということになる。


 移動している本人では一瞬の出来事なのでまったく分からないし、人が『転移』する瞬間も使い手がいないのだからそう見る機会はない。


 ゼオやフェリンのを数度見ているはずだけど、消える瞬間なんてまったく意識していなかったしな……



「最初はその黒いのと同じ系統の何かかと思ってたけど、今の【風魔法】で確信したよ」


「ん?」


「アンタのそれ、身体の周りにあるのは魔力――【魔力纏術】使ってんでしょ?」


「ん~大事なことに気付けたお礼として答えておきますか。正解ですよ」


「うふふっ、黒い魔力とか、アタシ以上に魔物と勘違いされそうなヤツが世の中にいるなんて驚きだわ」



 そう言いながら腹を抱え、心底可笑しそうに笑う虎女。


 自白していることには気付いているのか。


 笑い飛ばしたくなるほどの何かが、今までにきっとあったのだろう。



 まぁいい。


 どのような過去があれ、今やっていることは紛れもなく殺し合いだ。


 お互いがお互いの死を求めているのなら、他の何かを考慮する必要もない。



(転移がバレるのなら、安易に使うのはかなり危険か……)



 しょうがないな。


 こうなれば奇襲ではなく、正攻法の手数で押し切るしかない。


 1段階ギアを上げつつ、攻め手を変えるとしよう。



 ――【時魔法】――



『自己加速、ファースト』


『対象減速、ファースト』





 ▽ ▼ ▽ ▼ ▽





 幾度とない攻防を繰り返して。


 アトナーの言った最悪の予想が徐々に現実味を帯びてきた。


 そのことに少しの危機感を覚えながら、荒い息を隠しもせずにガキの攻撃へ備える。 


 不可解なほどに緩急の強い変則的な踏み込み。


 その動きは左右だけでなく。



「上ッ!」


「力刃!」



 ステップの直後から低空飛行に切り替わり、上段から頭部を狙って振り抜かれる大剣。


 いなせる。


 潰れていた左手の甲で剣撃を逸らし、そのままガキの身体まで強引に流していく。


 狙うはその横っ腹。


 引いた右拳に力を籠めるも――



「ゴフッ」



『雷撃』



 強い衝撃とともに、視界がブレた。


 また、速度が上がったのか?


 顔を横から蹴り飛ばされ、おまけとばかりに電撃を浴びる。


 小賢しい……



「その程度じゃ効かないんだよ!」



 弾き飛ばされている途中で、強引に宙を、唖然とした表情でこちらを見つめている異世界人。


 手札を隠しているのはアンタだけじゃない。


 手には魔力の塊――、撃たせやしない。



「グガァッ!」



 顔の前に回された、その腕ごと砕く。



 ゴッ――!



 そのつもりだったのに――クソッ、まただ。


 意表はついたはず。


 なのに、まだ砕けない。


 まるで金属鎧の上から殴りつけたような、手に残るこの不自然なほどの硬さはいったいなんなのか。


 一度だけ、エヴィゲラに向けてぶん殴った時は、通常の――それこそ、を感じたのだ。


 何かがあるはずなのに、しかしその原因は分からない。


 本当に、異世界人とは小賢しい……



「それなら食い千切ってやるよ!」



 どこを――、喉、喉か。


 今までのように遊ぶ必要はない。


 喉元を喰らえば、異世界人だろうがなんだろうが大概は死ぬ。



 地面を豪快に転がっていくガキ。


 その上に覆いかぶさるように跳び掛かり、頭を掴み上げようとした時。



「喉ぉおおああ、っぐ……ッ…ふざ、け……」



 腹に感じる、鋭い痛み。


 何事かと己の腹を見やれば、蠢いていた羽のようなモノが、いつのまにか細い2本の槍に形状を変化させていた。



 グリッ。



 ……まずい。


 さらに、腹の中で動こうとしている。


 咄嗟に飛び退けば、そこにあった2本の槍は何かに変わるような動きを止め、ゆっくりと羽の形状に戻っていった。


 その奥には肩越しに、鼻や口から血を垂らしながらもこちらをジッと見据えるガキの……何を考えているか分からない眼……



「クソがァアアッ! 小賢しいんだよガキぃいいいぁあああッ!」



 あんな中途半端な攻撃でアタシが死ぬと思っているのか。


 想像以上に手札が多く、しかし大半は致命傷に至らぬ粗末な攻撃ばかり。


 手ぬるさを感じるからこそ、舐められ、遊ばれているような。


 そんな感覚に、神経を逆撫でされる。



「フッ……フゥ……ぶっ殺して、やる」



 もう、あまり時間がない。


 体力がもつうちに、なんとか――。



「?」



 踏み出そうとした一歩。


 しかし、その一歩があまりにも重い。


 な、んだ……


 自然と目は下に向き、そこで脚に纏わりつくドス黒い泥のようなモノを目にする。


 コイツは、見たことがある。


【闇魔法】、行動阻害を目的とする魔法だ。


 まだ、ここにきて追加で出てくるのか。


 このような、新手の、小賢しい手が。


 加えて、周囲には砂塵を巻き込み、全身を細かく刻む風の渦が生まれていた。


 毛並みを整えていると、勘違いしてしまうほどに威力の低い風刃。



「うふ、うふふふっ」



 これはもう、確定的だ。


 この程度でアタシが死ぬことはない。


 アイツはそれを分かってやっている。



 知らないようなフリして、アタシのスキルに気付いていた。


 もしくは、【闘気術】の欠点を理解したか。


 狙いはスキルを無駄に使わせ、体力の消耗を狙いつつの時間稼ぎ。


 どうせそんなところだろう。


 アタシがもっとも嫌がるところを突いてきた。



「ふふっ、コッチは連戦で相手してやってるってのに、本当に、四肢を引き千切ってやりたいくらい、小賢しいクソガキだよォ……」



 来ないと思ってスキルを切れば、深手を狙う一手も織り交ぜてくる。


 だから安易に切れない。


 油断できない。


 でももう分かってきた。


 近接戦だ。


 あのガキは致命打を狙うなら、どういうわけか近接戦で仕留めようとしてくる。


 "火纏い"を無効化した……たぶん、そのせいか。


 得意なはずの【雷魔法】をアタシには牽制程度にしか撃ってこないのは、魔法効果が薄いと。


 本命では使えないと、そう判断しているに違いない。



 砂塵の先。


 急速に接近してくる影は、本気で狙いに来ている。


 なら、丁度良い。


 ここだ。


 こっちも、ここで仕留める。



 ――【闘気術】――



 さぁ、竦み、震えろ。



 ――【威嚇】――



「ガァアアアアアアアアアッ!!」



 けたたましく響く"咆哮"。


 一部の獣人が持つ種族固有スキルなら存在を知らない可能性も高い。


 それに【威圧】の上位互換とも言えるコイツであれば、目を合わせなくても効果が―――。




「え? エヴィゲラ?」




 ブシュッ――……




 圧により砂塵が薄れ、その中からこちらに向かって飛び出してきたのは、岩で形作られた歪なゴーレム。


 不格好なそれは辛うじて人の形をなしており、手には同じように岩で形作られた"大剣"が添えられていた。


 そして視界は半分閉ざされたが、自分の前に飛び出ている、それこそ見覚えのある本物の大剣。


 まだ首は繋がっている。


 たぶん、半分近く。



「な、んで……?」



 でももう、首は回せなかった。


 前方の不出来なゴーレムを見据えながら問えば、異世界人は感心したような素振りで答えてくれる。



「さすが3位、全力でいったのに、首を一発で落とせなかった人は初めてですよ」


「……」


「視界が塞がれた時、魔法を撃つ気配のないアナタが目と【気配察知】だけに頼っているようなら騙せる。そう思っていましたけど……騙されてくれて良かったです」


「この、ゴーレム、作ってから……一切、動かなかった?」


「ええ。動かなければゴーレムを僕だと勘違いするでしょうから」


「ふ、ふふっ、やっぱり、人は、小賢しい……異世界人は、特に」


「……」



 妙にゆっくりと流れる時間。


 痛みというのはあまりなく、薄れてゆく意識の中で、これで終わりかという、どこか達観した気持ちと。


 やり残したこと、やりたかったことがまだまだあったという、生きることへの執着、ここで潰えることへの後悔が入り混じる。



、か……)



 まさかジルガに促しておいて、自分自身がその選択を迫られるとは思っていなかった。


 果たして人に戻れるのかどうか。


 そもそも解放すれば、どのようになるのか。


 気軽に試すこともできず、試せる資格を持つ者も滅多におらず。


 それこそこの先は、強くなり、姿が変わるというくらいで、他は未知と言ってもいいほど何も分からなかった。


 たぶん戻れても五分。


 可能性でいえばそのくらいだろう。


 知っている中で確実に戻れている二人ほど、アタシの血は格別に濃いわけじゃない。



 ――使わずして、死ぬか。


 ――使おうとも、傷が深過ぎるこの状況では使えないか。


 ――使い、何を成すかも分からぬ本物の獣に成り下がるか。


 ――使い、この異世界人を殺してから身を隠し、傷が癒えた後にいずれ人へ戻るか。



 舞う砂埃さえ止まったように見える世界で逡巡し、あぁ、と。


 今更一つの事実に気付く。



(たぶん、アタシはもう、一人だ)



 どこにでもついてくるエヴィゲラは死に、東にいた派閥の連中も、たぶんもう死んだのだろう。


 あの時、連続した雷鳴の後、この異世界人が現れたのだ。


 それ以降に他所で雷鳴が轟くこともないのだから、この異世界人が南にいる時点で、つまりは全員死んでいることになる。





 ――【獣血】――『解放』――





 そのことに気付けば、迷いもなくなる。


 一人なら、もうどうでもいい。


 自我があってもなくても、すぐに死んでも生き延びても。


 仲間達を殺した異世界人――このガキを殺せれば、もうそれだけで良かった。



 メキ……メキッ……



 身体が軋み、変質していく。


 筋肉は膨れ上がり、残った傷口から痛みを感じるようになるも、なんとも言えぬ全能感が脳を支配してゆく。


 これが解放。


 これが獣人の始祖に繋がる力なのか。



(自我は――、まだ残っている)



 身体の軋みが止まった時、ふとそのことに気付くも、そこに感動や感慨といったモノは何もない。


 あるのは一点。


 見降ろせばそこにいるであろう、異世界人を壊すコトだけ。


 どのような姿に変わり果てたのかも分からないこの身を見て、このガキはどう怯えているのか――。



「?」



 視線を下ろした時、異世界人もこちらを見上げていた。


 アタシの脚に手を触れながら、渋い顔で。







「せっかく次戦に向けて魔力を温存していたんですから、無駄に粘らないでとっとと死んでくださいよ」



「ア?」






 ――『消失』――






「あなたは前座、勝手に2回戦なんてしようとしないでください」

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