第340話 ばあの役目
「ならん!」
催事場に響き渡る怒声。
今までニーヴァルの言葉を信じ、提案される"悪足掻き"を全て認めてきた王が、険しい表情のままここにきて初めての異を唱えた。
だがしかし、ニーヴァルはその表情を一切変えず、王を静かに見つめながら言葉を返す。
「どの道、敗れれば全てを奪われる。さっきそう言っていたはずだけどね」
「それとこれとは話が別だ! 『破天の杖』だけにせよ。ならばすぐにでも許可する」
「それだけで済むなら私だってそうしたいさ。だけどね、まずソイツだけじゃ来るべき未来を変えられそうもない。だから私は"両方"と言ってるんだよ」
「ッ……破天の杖を使用しても、それでもなお、そなたと迎え撃つ敵とでは、そこまでの開きがあるのか……?」
戦場に出た経験もなければ、戦時を経験したことすらない王には、俄かに信じがたい話だった。
火仙の魔女ニーヴァルと言えば、名だけで周辺国に強い影響を及ぼす有数の強者であるはず。
公表戦力が全てとは思っていないが、それでもヴァルツの国軍にニーヴァルを超えるような強者が存在しているとも思えない。
敵兵に"傭兵"が混ざっていることは話の中で理解していたが、『特殊付与の備わった
長く亜人を排斥し続けたがゆえの弊害。
人間の基準しか分からぬ王や側近には、この事態が未だぼやけた状態でしか見えておらず、恐怖よりも現状に対する疑問や困惑の方が先立っていた。
「辺境伯の抱える8万の兵と、高い城壁を備えた『ティエニク』が僅か1日で落ちた。自身に置き換え、どこまでやれるかを想像すれば自ずと戦力差は見えてくるもんさ」
「しかし、だな……」
「まったく、はなたれ小僧がずいぶんと聞き分けのない親父になったもんだねぇ……いいかいヘディン王。把握しているだけでも私より明らかに強いのが3人、それとは別に、まともにやりあってもどっちに転ぶか分からないような連中が、片手の数じゃ足らないくらいにはいる。どれほどこの戦に参加してんのかは知らないけど、そいつらが最悪は一斉に、多方面からこの王都を攻めてくるかもしれないんだ」
「だ、だが、『大黒樹の禍棘』は……あれは、呪具の類だ。それは先々代――我が祖父と宝物庫の中身を鑑定したそなたが一番分かっていることだろう? 自身に及ぼすであろう影響も」
「だから生い先短いこの老いぼれが適任なんだろう。それともじり貧になって、うちの若い連中にでも使わせるつもりかい」
この言葉と、表情から滲み出る覚悟に、王はこれ以上視線を合わせることができなかった。
ゆっくり片手で両の瞳を覆い、頭を垂れながら本音を漏らす。
「あの異世界人……、戦闘技能に秀でているであろう弟は、この窮地を救ってくれぬのか……?」
この言葉は王だけではなく、王を囲う国の重鎮達も一番に気にするところ。
だからこそ、固唾を飲んでその返答を待っていることが分かったニーヴァルは、敢えて王ではなく、周囲の者達に目を向けながら答えた。
「無理だね。あの異世界人は二月に一度、私との取引でこの地を訪れるだけ。もうこの国にもいやしない」
「つ、次はいつ―――」
「それにね。何かと利用することばかり考えるあんたらは、あの異世界人に助けてもらえるほどの何かをした記憶でもあるのかい」
宰相の疑問を遮るように放ったこの言葉に、周囲の者達は口を噤み、視線だけを漂わせる。
誰も口を開かないし、開けない。
そんな記憶など、誰一人として持ってはいなかった。
「それも、そうだな。我は今も、そなたを生かすため、あの異世界人を盾にしようとしていた……このような国、助ける道理がないというのも当然のことか……」
「……」
「すまない……損な役回りばかりさせ、最後もそのツケを背負わすようなことに……本当に、すまない……」
「それが"ばあ"の役目ってもんさ。で、返答は?」
「許可する……この国を、守ってくれ……」
▽ ▼ ▽ ▼ ▽
「右方で展開していた兵の始末も完了しました」
「よろしい、ハンターもこれで粗方殲滅は完了したかと思いますが……しかし、不思議な恰好をした者が多いですわね」
「こやつらが発掘を生業とする『遺物ハンター』という者達でしょう」
「ならば今後の参考に、持ち物だけでも押収しておきましょうか」
「ルエルお嬢様、遺物の保管場所を確認できましたので、どうぞこちらへ」
水色の長い髪を靡かせた女性は、純白の衣装を身に纏い、死体と血肉だらけの路地を歩いていく。
その姿は周囲の状況にまったく溶け込んでおらず、しかし動揺した素振りは一切見られない。
「相変わらず、殺し方が汚いですわね」
「も、申し訳ありません」
「場所はこの1ヵ所ですか?」
「そのようです。各所で拷問にかけても、この場所しか示しません」
「古い武具に古い硬貨、かつての宝飾に……まぁ、欠けてはいますが、やきものもありますわよ」
「ふむ……これは磁器ですかな。今までお集めになられていたモノとも少し質が違うようで」
「あとは何かの部品に、破損の目立つ魔道具の類。やはり、そう簡単に可動品が見つかるものではなさそうですわね」
「正常に動く魔道具自体が珍しく、さらに目を見張るような珍品であれば、十年に1点出土するかしないか。ラグリースで国宝認定されているはずの
「ふふっ、夢があっていいではありませんか。宝物庫の中身は手を引く代わりに、これからは我がフェンシル家がこの地を管理するのですから。そうなれば手付かずのエイブラウム山脈にも着手しないといけませんわね。あぁ、もう今から心躍ります―――」
「ルエル嬢、お楽しみのところ申し訳ありません。コネット副司令が……」
「なんでしょう、コネット副司令。もしかして、また同じ質問ですか?」
「あ……いや、今回は、この町の町長を見つけまして。それで、どうしてもということでしたので、こちらに」
「……呆れました。それで、『敵』に頼まれたから、私の前にわざわざ連れてきたのですか?」
殺気立つ、周囲の従者。
軍人ではないがゆえに、その目は仲間に向けるようなものでもなく、そして多くが一派に属した上位傭兵であるため、『剣華』の二つ名を国から貰い受けたコネットに対しても物怖じすることは一切無かった。
しかし、それでもここまで来たのであればと、覚悟を決める。
今までのように、自らの進言だけでは一蹴されるのならば、立場ある当事者から懇願された方が結果も変わる可能性がある。
一縷の望みに賭けたのは、捕虜として後ろ手を縛られた老人も、そして連れてきたコネットも変わらなかった。
「サバリナの町長を務めているメルディスと申す。貴女がこの町におるヴァルツ軍の纏め役と聞き、嘆願の機会を貰い受けた次第」
「……」
「何卒、お頼み申す。駐在軍は壊滅し、ハンター達も倒れた今、町民にこれ以上抵抗する気はない。せめて命だけは、見逃してくださらんか……?」
「無理ですわね」
「ぶ、武器を握る者はもうおらぬのじゃ。出ていけというのなら、この町も明け渡そう。だから皆の命だけは―――」
「無理と、言っております」
「――ッ、せ、せめて、女子供くらい」
「しつこいですわね。歳も、性別も関係なく、全員、確実に、殺しますわ」
「なぜそこまで……あんたに、人の心は無いんか……?」
「あら? 心外ですわね。ここにある骨董品一つで心打たれるほどには感情がありましてよ?」
「……人の命は、欠けた骨董以下ということか。はは……面白い話じゃ」
「"人の命"ではなく、"あなた方の命が"、ですわ。能力もなければ知恵もないのに、命の価値を自ら吊り上げ、口だけは大きく開く――典型的な"雑草"ですわね」
「な、なにを……言っておる……?」
「コネット副司令」
「な、なんでしょう……?」
「あなたは能力があるのに、知恵がなさ過ぎますわ」
そう言いながら、ルエルと呼ばれた女の腕が僅かに動き――
「ぬごぉぉおおおおあああああああ!」
次の瞬間、目の前で跪いていた町長の太ももに、細身の剣が深々と突き刺さる。
「コネット副司令、見てください。この老人の目は私を好いていると思いますか? それとも憎しみを抱いていると思いますか?」
「それは……後者かと、思いますが……」
「そうですよね? "雑草"にも家族はおり、住む場所があり、痛みを覚え、何かを奪われれば憎しみの感情だけは人一倍に抱きます。ならば生かすことに何の得がありますか?」
「と、得……?」
「私達に得――、生かすことで『実益』が生まれるのなら、コレット副司令の助言を聞き入れ、この町の人々を生かすとお約束しましょう。どうですか?」
こう問われ、コネットの中で真っ先にでてきたのは『良心の呵責』だった。
罪の意識を少しでも和らげること。
普通であればそれが何よりの『得』であるはずだが、『氷血のルエル』と二つ名がつくほどの相手にそんな言葉が通じるとも思えない。
『実益』と釘を刺された時点で感情論の話ではなく、そうなれば『労働力』という点でしか町の者達を生かすことでの実益が見えず――
捕虜の労働力とは即ち奴隷であるため、コネットは口にすることを躊躇ってしまう。
そのことに気付いたのだろう。
「フェンシル家がこの一帯を統治するにあたり、労働力と引き換えに負の感情を抱く者達を無理に生かせば治世は乱れますし、この老人が望むように野へ放てば、今度は負の感情を撒き散らして余計な工作のきっかけを与えるだけ。こちらの得は一切なくなります」
「……」
「それでも替えの利かない能力を持つ者がいるならば真剣に奴隷化の検討をしますが、主張だけは一人前の"雑草"であれば、初めから負の感情を持ち合わせていない本国の者達をこちらに呼び寄せた方が合理的でしょう? 徴兵された多くの者達もそうですし、仕事を得たい者は山のようにいるのですから」
「そ、それは……」
「私は現実的な話をしているのですよ。それに長く長く、人を外見や種族などの理由で排斥し続け、それを疑問にも思わなかった国の民なのです。ならば今度は『無能』という理由で、自らが排除の対象になっても文句は言えないと思いますが」
コレットは、目の前の老人が自分を見ていることに気付いていた。
だからこそ、視線を向けることはできなかった。
続く言葉が、掛ける言葉が、一つしか思い浮かばない。
説得できる材料がなく、軍人として、こちらから攻めいっているにもかかわらず覚悟が足りなかったのではないかと。
思わず自問自答してしまうほど思考は巡り――つい、問われた言葉から反射的に答えてしまう。
「もう、よろしいですか?」
「すまない……」
どちらに謝罪したのか、分からない言葉。
しかし、縋るような眼差しを向けていた老人の瞳からは光が完全に消え――
「き、貴様ら……絶対に忘れぬぞ……貴様らの血が尽きるまで、どこまでも呪い続けてやるわ……ッ!」
血だらけの膝を震わせ、呪い殺すような眼差しで呪詛を吐く老人。
しかし『氷血のルエル』には、その言葉と表情がひどく可笑しかったらしい。
「ふふっ、最後に笑わせないでください。"呪う"のも、高位の能力があって初めてできること。あなた方にそんな力はないでしょう? ねぇ、すぐに背伸びをしたがる"雑草"さん」
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