第339話 9割5分

 ラグリースの西部に位置するジュロイ王国。


 この地でも隣国の戦争によって、一部の兵に混乱が生じていた。



『突如として戦火に見舞われた。敵国はヴァルツであり、同盟国として援軍を求める』



 鳥によって齎されたこの急報にジュロイ側は、これを軍部へ指示を出し、一部の事情を知る者に偵察へ向かわせる。


 場所はジュロイ王国北東の山岳地帯に存在するバルダモ砦。


 山間の隙間を埋めるように作られたソレは両国間を塞ぐ関所の役割を担っており、普段は馬車を牽いた多くの商人が護衛を引き連れ往来していたはずだが……


 偵察の命を受け、300の兵と共に訪れたロイエン大佐は、その地で奇妙な光景を目の当たりにする。


 関所の前には一人の老人がゴザを敷いて堂々と寝ており、その手前側には地面を擦って作られた一本の線が。


 そしてその横には



『働きたくない。境界線の内に入れば斬るゆえ、無駄に命を散らさぬように』



 このように書かれた立て看板が掲げられて、その周囲では右往左往する商人達を、関所に駐在していた兵士達が立ち入らないよう必死に止めていた。



「ロ、ロイエン大佐。これは、どう受け止めればよろしいので?」


「文字通り、入れば殺される、ということだろうな」


「酔い潰れた爺さんが、道端でただ寝ているだけのようにも見えますが?」


「そう思うか? ならば……入ってみろ」


「え?」



 トン、と。


 背中を押された兵士は、一歩、二歩と、たたらを踏みながら境界の中へと入っていき――


 その姿をロイエン大佐は眺めていたつもりだったが。



 ピュッ――……



 赤い何かが飛んだことに気を取られた時。


 既に目の前の兵士は首から先が無くなっており、その頭部を持つ老人は睨むでもなく、ロイエン大佐をしげしげと眺めていた。



「罰が絶対であるからこそ、取り決めとは意味を成すもんじゃが……どちらの首を落とすべきか、ワシに悩ませるとは面倒なヤツよのぉ」


「ッ……か、帰るぞ。10名ほどはこの場で待機だ。商人や旅人が線を跨がぬよう、交代で見張りを行え」



 逃げるように境界から距離を置けば、定位置と言わんばかりに改めてゴザの上で寝転ぶ老人。



「……決定、ですかね」



 その姿を見て、ロイエン大佐の背後から囁くように話しかけたのは、この場で事情を知る二名のうちの一人。


 部隊の副官として同行していた男だった。



「このような異才を放つ者が、戦地外で時間を潰しているくらいなのだ。ヴァルツの上位傭兵が大半参戦しているというは、真実の可能性が高いだろうな」


「これが国内に傭兵ギルドを持つか持たないかの差ですか……」


「誰の傘にも入らぬ中立の姿勢ではもう済まぬ時代に入ったということだ。少なくとも傭兵ギルドの受け入れは進めねば、こうも簡単に国が潰されてしまう。ラグリースのようにな」


「古代文明の跡地という利点はどうみます?」


「あのような亀裂が生まれるほどの何かを持つなら話は別だろうが……共倒れを恐れ、上がラグリースを見限るような判断をしているのだ。つまりは掴んでいる情報の中に、戦力差を覆せるほどの手はないということ」


「もしそれほどの強大な力を隠し持っているのであれば、それこそ恐れる神の裁きが待っているでしょうしね」


「西で様々な国が飲まれようと、神の裁きなど一向に落ちはしないのだ。結局はよほどの人外な力でなければ神もただの傍観者。それこそ、盤上の遊戯を楽しんでいるのかもしれん」


「あってもなくても、どちらにせよ国が壊滅するとは、哀れなものです」


「ふん、拳を捨てた国ほど便利な盾は他に無かったのだがな。利用価値がなくなるとなれば止むを得ん」


「……大佐、今凄く、悪い顔されてますよ?」


「失えば次の標的は我が国、こちらとしてはあの者が成長するまで、できる限り時間を引き延ばしたいからな。今回は派手にいかず、手薄そうな南東部辺りの土地を少し頂くとしようか」





 ▽ ▼ ▽ ▼ ▽





 一方ラグリースの宮殿内は、かつての神託騒ぎなど比較にもならないほど場が混乱していた。



「報告! カラン街道から王都に向けて侵攻中のヴァルツ軍が、東部の領都『ティエニク』を飲み込んだとのこと!」


「エ、エストラーダ辺境伯は何をやっている!? 『ルーベリアム境界』の破壊と押さえ込みには失敗したのか!?」


「開戦より前の段階でラグリース側の砦が潰されていたとしか思えませんな……これも傭兵の仕業として、国の責任を逃れるつもりでしょう」


「東部から侵攻していた40万のうち、既に約10万ほどの兵が北部へ向かったとありますから、辺境伯率いる東部第二騎兵軍と第三歩兵軍はもう……」


「北部にも10万……目的はサバリナの町――いや、出土した遺物か?」


「それらもあるでしょうが、サバリナはCランクハンターを多く抱える町。戦場で十分な戦力になり得る彼らと、遺物を管理する駐在軍を北部で押し止める目的もあるのでしょう」


「サバリナを押さえ、そのまま真っ直ぐに南下してくるか。もしくはジュロイ側の援軍を断ちに、そのまま西へ侵攻する可能性もあるか」


「バルダモ砦を先に押さえられれば厄介なことになるな……ジュロイからの報は? 援軍の知らせはまだなのか!?」


「ジュロイ王国、トルメリア王国ともにまだ知らせは届いておりません!」


「くっ……この肝心な時に……」


「こうなれば、一度マルタからレイモンド卿を戻すしかあるまい。他所と違ってすぐに連絡はつくのじゃ。あの男も民のためならば力を貸してくれるじゃろうて」


「うむ。それにあの町は、新たな発見で腕の立つハンターが増えてきていると聞く。民の救援という名目で、なんとかそやつらもまとめて王都に――」


「ほ、報告ッ! 南部からもヴァルツ兵の侵攻を確認! 南東ドゥリガ山の歩哨が、西へ侵攻する敵軍を確認したとのことです! そ、その数、推定10万!」


「なんだと?」


「亀裂の、南……? まさか、パルメラ側から10万もの軍が入ってきたということですか!?」


「そ、そうとしか考えられません」


「となれば、狙いは、マルタ、でしょうな……」


「ふ、ふふ……、孤立させ、本気でこの王都に攻め入るつもりか……? なぜ、やつらは神の裁きも恐れずにこんなことを……」


「そもそも、なぜこのような事態になっているのだ!? あの時、異世界人が火種を取り除いたのではなかったのか!?」


「……そうだ。どのような対価を得たのか知らぬが、我らは騙されこのような不測の事態に……ッ!」


「わ、我が国の『地図』を広めたのもその異世界人では? ここまで侵攻が速いのは、地理状況を正確に把握しているせいとしか思えません」


「だ、誰かあの、異世界人を探し出せ! たしか姉もいたという話だろう!?」


「ならば二人に責任を取らせ、戦場の只中に身を投じさせよ! 我が国のために命を賭して――」



「いい加減にしないか! このジャリどもがッ!!」



 だだ広い催事場に轟く、女性のしわがれた声。


 しかし誰が発したのか。


 この場にいた者達は全員がすぐに理解できたからこそ、騒然としていた場はピタリと――それこそ、一切の音が消えた。



「こんな状況になってもまだ、お前たちは誰かに責任を押し付けていれば事が済むと思ってんのかい」


「「「……」」」


「ロキ坊は……あの異世界人は、見返りなんか求めなかったよ。ただ、私の我儘を叶えてくれただけさ。私らは小競り合いの原因を、『亜人差別』による交易ルートの封鎖だと判断していた。そうだろう? シラグ宰相」



 問われ、ラグリース王国の宰相はビクリと、動揺しながらも答える。



「たしかにその通りだ。しかしそうなると、なぜこのような曰くのある土地に攻めいってくる?」


「そんなもの、少し外から眺めればいくらでも理由なんざ出てくるだろう。豊かで広大な平地、未だ掘り起こされる古代の遺物、点在する狩場……自分達が神の裁きを恐れているから、他所だって恐れてくれる。そんな妄信であり油断が、この現状を招いているのさ」


「そ、それは……」


「ただ今回は別の――、この焦りを感じさせるほどに余力を残さない動きは、私も気付けていない何かがありそうなもんだけどね」


「焦りだと?」


「まず動員されている兵が多過ぎるんだよ。ヴァルツの正規兵なんざ精々15万から20万がいいところ。倍じゃきかない数をこの戦のために徴兵していることになる」


「なるほど……」


「それに中身があまりにも。いくらこちらの地理状況を把握したところで、眼前の障害を退けなきゃ前には進めないだろう?」


「それはその通りだが」


「東部がこの速さで飲み込まれるとなると、いったいどんな条件を付けたのか……傭兵でも相当上位の連中が複数人同時で動いてるとしか思えないね。このまま呑気に口だけ動かしていたら、この王都だって10日もかからずに沈むかもしれないよ」


「10日、だと……?」


「い、いくらなんでも早過ぎるだろう!?」



 実現可能かは別として。


 神の裁きにも耐え得るよう、そして裁きの恐怖を和らげるために、どこよりも堅牢に作られたのが王都ファルメンタの四重城壁であり、それが中枢を居場所にする者達にとっての誇りでもあった。


 だからこそ、この国の最高戦力から発せられた"現実"に再び場が騒めく中――


 ここまで、静かに事態を見守っていたこの国の王が、ゆっくりと口を開いた。



「ニーヴァル、このような状況なのだから遠慮はいらん。この戦、どのようにして勝てばいい?」



 この言葉に、ニーヴァルは素直に答える。



「それじゃお言葉に甘えて、遠慮なく言わせてもらうよ。残念だけど9割……いや、9割5分は耐えられないね。この国はついえる」


「……ふふっ、相変わらずだな。9割5分か……そなただからこそ、信じられる数字だ。ならば残りの5分をいかにして手繰り寄せられるかだが、こちらの動き次第でその可能性を上げられる策は?」


「……最低限は4つってところかね」


「申してみよ」


「まず一つ、西門からただちに住民を、可能な限り西へ逃がすこと」


「それは、武器を握れる者達もか?」


「いくら頭数だけ揃えたところで、多少扱える程度じゃ大した役にも立ちやしないよ。それに耐えるとなればこの王都がそのまま戦場になるんだ。私の気が散る」


「ならばやろう、ただちに動け」


「とは言いましても、王都の膨大な人数をいったいどこに向かわせれば――」


「荷車でも馬車でも活用させて、野宿くらいさせんか! むざむざと殺されるよりは遥かにマシだろうが!」


「は、ははーッ!!」


「次は?」


「二つ、Aランク素材の加工技術がある者だけは、ギリギリまで防具の製作に携わってほしいところだね。うちの宮廷魔導士部隊でもまだ4割程度しか出来上がっていない。ラディットんとこは?」



 問われ、一際煌びやかな鎧を纏った大柄な男が丁重に答える。



「本音を言えば欲しいところではありますが、こちらは元からの金属製鎧もありますから。魔導士部隊を優先してもらって構いません」


「よし、職人には死ぬ覚悟で造るだけ造らせてから西へ逃げろと命じよう。敗れれば全てが奪われるのだ。報酬は望むだけ渡して構わん」


「ははっ!」


「次は?」


「三つ、今からでも遅くはない。ルーベリアム境界をなんとしてでも落として、敵の補給線を遮断する必要がある」


「それはもっともな話だが……しかし、"石抜き"の仕組みがまだ生きていると思うか?」


「どうだろうね。砦を潰したのが傭兵なら気付かない可能性も高そうだけど、こればかりは行ってみないと分からない……だからラディット」


「はい?」


「おまえさんが行っといで」


「は? な、何を言っているのです!? 私が抜ければ、近衛部隊と王国騎士は……誰が陛下をお守りするのですか!?」


「それが最良ならば構わん、すぐに行け」


「へ、陛下……」


「いざとなれば力技で橋を壊す必要があるんだ。それに辿り着くまでにくたばっちまっても意味がない。こちらへ向かってくる敵軍に発見されず、可能な限り道中の村や町に危機を知らせ、現地で確実に策を実行できるとなるとラディット――『槌覚』であるおまえさんしか適任者はいないんだよ」


「……」


「それともうちの近衛や騎士は、ラディット坊やがいなきゃまともに機能しないほど役立たずなのかい」


「ッ……そんなわけないでしょう! 陛下、ほ、本当によろしいのですか?」


「我が命じているのだ。どのような方法でもいい。必ず橋を破壊し、そして生きて戻ってこい」


「ハッ! 暫くはお守りすることができず申し訳ありません。ただちに行ってまいります」



 今は何よりも与えられた命を優先するまでと。


 2名の部下を引き連れ宮殿を足早に去っていくラディット――その姿を眺めながら、王が呟く。



「次で最後か。ニーヴァル、4つ目はどんな悪足掻きをすればいい?」



 この時、王は内心、ニーヴァルの口から『ロキ』という異世界人の名が出てくるものと思っていた。


 蔵書の複製を販売するという形で、唯一繋がりを持っているのはこの場でもニーヴァルのみ。


 だが、返ってきた答えは王にとって拍子抜けするものであり――そして、肝を冷やす内容でもあった。



「最後が最も勝率を上げる方法だ。四つ――、掘り起こされた遺物の中に、【付与】付きの装備があっただろう。そいつを私に貸しな」


「そんなことか? 国が存亡の機に瀕しているのだ。『破天の杖』ならば、最初からそなたに託すつもり―――」


「違うね。ソイツも重要だけど、本当に必要なのはそっちじゃない」


「なに?」


「同時に使う。『大黒樹の禍棘』、アレも私に寄越しな」

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