第186話 睨み合いの原因
「エニー。今日は久しぶりに苦いのいくかねぇ」
「えぇ~大ばあちゃん、あれ飲んでも文句ばっかり言うのに?」
「いいんだよ。今日は特別なお客さんが来てるからね」
20畳くらいはありそうなゆとりある部屋。
ベッドや衣装棚が置かれた私室と判断できるこの場には、入口で佇むカムリア次官にニローさん、部屋の主であるニーヴァル様のほか、お世話係のような女性――というにはまだ若過ぎる女の子がいた。
「大ばあちゃん、ですか?」
「あぁ。あの子はひ孫だよ。私に似たのか魔法の才が抜きん出てたから、こうして直接面倒見てんのさ」
「へっへー凄いでしょ!」
飲み物が乗ったお盆をテーブルに置くと、すぐさま自慢げにダブルピースするその子は、丁度今の俺と同じくらいの年頃だろうか?
ニーヴァル様と同じ深い紫色の瞳をしており、確かに血は繋がっているんだなと思わせる共通点がある。
それにしても、飛びぬけた魔法の才か……
調子に乗ったからか、杖で尻を小突かれているこの少女には負けていないと思いたいが、さすがにもうこの場で【洞察】を使おうとは思えないので、なんとも言えないところだ。
使うとレイラードフェアリーのように、俺が目の前のばあさんから距離を取りたくなってしまう。
「えーと、先ほどは失礼しました。そして唐突な訪問なのに時間を取っていただきありがとうございます。僕はロキと言います」
「あぁ聞いてるよ。私はニーヴァル。裏じゃ皆から『ばあさん』と呼ばれている。そう畏まらなくていいから、まずはそいつをお飲み」
「ん?」
一見すれば毒物にしか見えない色合い。
緊張して意識から完全に外れていたが――よく見れば、というか、よく見なくても、この嗅ぎ慣れた匂いを放つ黒い液体は、まさかまさか……
――ゴクリ。
「こ、これってコーヒーじゃないですか!」
「ヒッヒッヒッ、やっぱり異世界人はその苦いのが好きらしいねぇ。カムリア、良かったじゃないか」
魔女みたいに笑うニーヴァル様が視線を向ければ、"こちらに振るな"と言わんばかりに渋い顔をして視線を外すカムリア次官。
異世界人はコーヒー好きって情報をどこかで入手して用意してくれたんだと思えば、コーヒー中毒だった俺は感謝しかない。
日本で毎日飲んでいたモノとはそりゃ違うけど、ドロドロした苦みの強いこの味わいもかなり好みになりそうだ。
「それで? 富も地位も求めていない異世界人のロキは、私に何か聞きたいことでもあるのかい」
「……」
そう言われても、だな。
出会う前までは色々聞きたいこともあったわけだが、先ほどの対面で全部吹き飛んでしまった。
今興味があるのはばあさん、あなたの強さ――その秘密だ。
リプサムでも王都でも。
ハンターギルドに赴けば必ず【洞察】を使ってきた。
王都に至っては兵士にまで片っ端から使ってきたのだ。
結果、俺より強い奴は一人もいなかった――はず。
少なくとも対象を視線で捉え、全身総毛立つよう事態には一度もならなかった。
【洞察】を切っている今なら、魔術師として杖を使うではなく、足腰を支えるために杖を使っているようなばあさんに負けるイメージは何一つ湧かない。
それでも【洞察】を使えば、けたたましく警報が鳴るのだ。
何をどうやったらそのような結果になるかは分からないが、ガチンコで勝負すれば―――俺はたぶん、このばあさんに負ける。
(レベルなのか、個別、もしくは総合的な能力数値なのか、それとも数値ではない、魔物スキルだからこその野生的な何かなのか)
魔物専用スキル含め、自身のスキル保有数はそれなりだと思っていたからこそ、何が原因になっているのか解き明かしたい気持ちに駆られてしまうな。
しかしそれは言い換えれば、ばあさんのスキルや職業を丸裸にしてくれとお願いするようなもの。
現実的に無理だと分かっているからこそ、何かとっかかりはないものかと思案する。
(いや……まずはしっかり条件を確認しておくか。じゃないと交渉が後手に回る可能性も高くなるな)
危うく知識欲に駆られ、相手側の見返りも確認せずに情報を得ようとするところだった。
聞けば最後。
教えたのだからという理由で、どんな要求を突きつけられるか分からなくなる。
「僕が聞きたいこと、知りたいことはいくつかあります。ですが、ニーヴァル様――というよりラグリース王国として、僕に求められていることはなんですか? その要求次第では"取引"も成立しなくなると思いますから」
そう伝えると、ばあさんは頬杖つきながら口をへの字に曲げ、あまり気乗りしない雰囲気を醸し出しながらも答えてくれる。
「当面の問題としてある東の隣国――ヴァルツ王国への対応だろうね。国はいざという時、ロキに助力を求めたい。そうだろう?」
問いかける先は俺の背後、ドア付近で事の様子を窺うカムリア次官。
「仰る通りです。できれば局地的な参戦ではなく、国の存亡や発展にかかわる事案に対して――」
「んんッ! カムリア次官」
ニローさんが一応止めるも、まぁそうだろうな。
それが本来の望みであることは、以前のマルタでのやり取りで十分理解している。
しかし、だ。
戦争に参加すれば、強くなるという目的に対して大義名分は得られるかもしれないが……
『悪』は命令によって実際に動く兵ではなく、その兵を動かす上層部にあると思っているので、もし仮に助力するにしても、"なぜ戦争になりそうなのか"を知らなければ判断のしようもない。
かつてマルタのギルドマスターであるオランドさんに聞き、濁されてしまった部分。
下手に踏み込めば情が入ると、当時は濁されたことを気にもしなかったが。
「なぜ、戦争状態になりかけているのですか?」
俺は、改めて聞いた。
―――強くなりたいという願望、人に対してのラストアタックという機会を作るためなのか。
―――それともこの国で関わった人達の未来を案じてなのか。
自分自身でもよくは分からない。
二つが重なり合っているような気もしてくる。
ただ言えることは、以前と状況や心境が変わってきているということ。
だから、ある程度の覚悟を持って俺は答えを求めた。
「ニーヴァル様」
ラグリース側に問題があるのでは? という、かつての予想を裏付けるように、カムリア次官の答えを遮るような声が後方から聞こえる。
当然目の前のばあさんにもしっかり聞こえているだろう。
それでも、一切の表情を変えず――
「この国の――」
「ニーヴァル様ッ!!」
「――亜人差別が原因だよ」
――さも当たり前のように、淡々とした口調で答えてくれた。
「あ、貴方様の立場で国の、延いては歴代王家の判断を非難するとは大問題になりますぞ!?」
「何を言ってんだいまったく。咎めたわけでもなく事実を述べただけのこと。それともカムリアは責がラグリース側にあると思ってんのかい?」
「そ、そんなわけないでしょう!? そうしなければこの国は存続できなかった! だからこそ―――」
俺の上空を行きかうように会話の応酬が続く中、言われた言葉を反芻し納得する。
確かに言われてみればその通り、俺はこの世界に来て人間以外の存在を見たことが無い。
女神様達の言っていた、人に分類される様々な種族の総称――人種。
エリオン共和国の転生者、ハンスという男が大きく関与している獣人。
ヴァルツ王国のさらに東、フレイビル王国に多く住むドワーフ。
リルが素体という話のエルフ。
その他、リアが口にした古代人種など、様々な人間以外の種族がいることを聞いていながらも、今まで素体のリル以外に会ったことがないのだ。
しかもそのリルだって女神様なんだから、こんなの会ったうちには入らないだろう。
人間しか見当たらないラグリース王国。
地域性の問題かとあまり深くは考えてこなかったが、そうか、差別が原因か……
「外は良い天気だねぇ」
「?」
独り言ではないと分かる唐突な言葉。
視線を向ければ、ばあさんは大型のガラス窓越しに、庭園と呼ぶに相応しい外の景色を眺めていた。
綺麗に刈り揃えられた草花は、その手の園芸に興味の薄い俺でも素直に綺麗だと感じる。
「過ごしやすい陽射しですね。それに庭も素晴らしい」
「そうだろう? どうせならちょっと見に行くかい。エニーは監査院のお二人をおもてなししときな」
「「え?」」
有無を言わさぬ言動に戸惑う俺とエニーちゃん。
庭が見たいという願望は無いが、どうもついていかないとマズそうな雰囲気に気圧され、そのままばあさんの後を追う。
「せっかくの天気だ。ロキと外で話してくるよ」
「ッ――」
ドアの横に立つカムリア次官に一言告げるも、口籠るだけで返答はない。
やや焦りの表情を浮かべる男とは多少的に、ニローさんは力強い視線でばあさんの姿を追っていた。
一度廊下に出て、そこから回り込むように宮殿の外へ。
ばあさんの緩りとした歩調に合わせて景色を眺めていると、広大な庭の終点。
外周であろう樹木が立ち並ぶ辺りで、それまで無言だったばあさんがやっと口を開く。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
「……何か秘密の話でもあるんです?」
冗談交じりの返しだったが、どうやらばあさんはそのつもりらしい。
ヒッヒッヒッ、と。
個性的な引き笑いをしながら言葉を続ける。
「監査院の連中は何も外ばかりに目を向けているわけじゃないからね。私らのやり取りだって監視しているのさ」
「なるほど。だから彼らは部屋にいたわけですか」
「追い出したってスキルを使われりゃあ大概筒抜けだから、放っておいたけどね」
「……だから、ここですか?」
「そういうことだよ。ちなみに喋る時は宮殿の方を向くんじゃないよ。唇の動きで会話を読まれる可能性があるからね」
「……」
「これから言うことは国ができれば隠したい事実。その上でロキ自身がどうすべきか判断するといい」
真っ先に感じたのは違和感だった。
国の重鎮とは思えぬ投げやりな言葉。
それでも本来は隠したいことと言われれば聞かないわけにはいかない。
呟くように吐き出す言葉を一言一句聞き逃すまいと、その言葉に耳を傾けた。
―――そして、ひとしきり話が終わった後。
俺の中でフツフツと湧き上がるのは、ラグリース王国に対しての苛立ちと怒りだった。
内容はオランドさんから聞いていたこの国が直面している現状、その補足情報だ。
ラグリースを含めた西の三国と、東のヴァルツ王国、さらに東のドワーフが住まうフレイビル王国という東の二国。
これがそのまま人間至上主義の西方三国同盟と、人間以外の人種を指す亜人寛容主義の東方二国同盟という構図になっているらしい。
らしいというか、実際ラグリースは人間しか見ることがないし、フレイビルにはドワーフが多く住んでいるという話なのだから、もう確定情報と言い切ってもいい内容だろう。
そして西方三国の中でもラグリースは特に酷く、亜人が生産したとはっきり分かる物品は基本受け入れず、かつ亜人にはラグリースの国土すら踏ませないという徹底っぷり。
ここ数年で売買を目的としない個人の装備品だけは認められるようになったらしいが、それまではフレイビル産と分かる装備を身に着けているだけでも入国の許可は下りないほどだったらしい。
話を聞いてもまったく理解できないほどの毛嫌いっぷりだ。
もちろんここまでやっているのはラグリースだけで、他の同盟二国は亜人という存在を低く見ている程度。
商売のために国を跨ぐことも、良し悪しは別として、奴隷契約し活用することも普通にあるという。
ただこの過度な亜人差別が直接的な戦争の原因というわけではなく、実際はもっと金の絡んだ話になるとばあさんは言った。
ラグリースの北部は、かつてマルタの上空からも見えた、かなり標高の高そうな山脈群。
良質な武具を生産するフレイビルの交易ルートは、西方面だと山脈の北側と、山脈の南側であるラグリースを通るルートの本来二通り。
しかしそのうちの南ルートはラグリースの土地すら踏ませないという方針で潰れていたため、北側のルートから交易をおこない金を稼いでいた。
逆にラグリースの名産である麦などの穀物類も東のヴァルツ王国を通せないなどの対抗措置が取られていたため、ある意味お互いが痛み分けの不干渉。
この関係はばあさんが生まれる前から長い期間続いていたらしい。
しかしこの関係性が崩れ始めたのがここ数年の話。
原因は山脈の北側ルートに存在する国が、急激に物品税を引き上げたことで不穏な空気が広がったという。
国を跨ぐ時、現代でいう関税のように、商人や荷馬車は関所で持ち込む荷に対しての税を要求される。
当然、税が大幅に上がれば利益を生み出しにくくなるわけで――この話が出た時、俺は思わず聞いてしまった。
「もしかして、東の異世界人、マリーの影響ですか?」
「なんだ知ってんのかい。まぁ、そうとしか考えられないよ。程度の差はあれど、中央はどこも似たような状況さ」
こう返された時、苛立ちから思わず奥歯が鳴った。
ラグリースが行なっている過度な差別をまったく肯定する気はないが、それでもやっぱりおまえかよ、と。
結局大陸中央の国々は、お互いが税収面で厳しい状況に置かれ始めているのは百も承知なため、物品税を引き上げた北ルートにある国よりも、差別というくだらない理由で長年西のルートを塞いでいるラグリースに怒りの矛先を向けている。
その結果がここ数年小競り合いにまで発展している両国間の状況らしい。
だからここまで聞いて、「もう差別止めればいいじゃない」と、まるで子供を諭すかのような口調で突っ込んでしまった。
他の同盟二国のように根底の意識はすぐに変えられずとも、亜人が生産した物品や亜人が通ることだけでも許可すれば、たったそれだけで税収面の増加が見込める。
おまけに対抗措置として東に穀物類を通せないなら、それらも解消して輸出利益も大きく見込めるのでは?
そんな普通の価値観があれば当然行き着く結果を伝えたわけだが――
「そう簡単にはいかないだろうねぇ。なんせここは神の裁きを受けた地。同じ轍は踏めぬと、王家はそればかりを考えているのさ」
神妙な面持ちで話すばあさんの横で、思わず俺は「あっ」と。
頭の中で和人形のような黒髪美少女の顔を想像した。
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