第143話 生への望み
「これは……少々マズいな……」
「……」
言われなくても分かるし、どう見たって少々どころじゃない。
それが、俺の本音だった。
いったいどれほどの幼体がここにいるのか。
膜を食い破る音と共に這い出てきた蟻達を見れば、クイーンアントが何かをしたことによって、この部屋の幼体が無理やり活動モードに入らされたとすぐに想像できる。
この状況で何をすべきなのか――
必死に頭の中では考えようとするも、手は震え、思わず目の前にあるリルの足を掴もうとしてしまう。
行かないでほしい。
一人にしないでほしい。
リルがここにいる限り、クイーンアントへ攻撃は届かない。
スキルが【手加減】だと遠距離攻撃手段が無いのは、今までのリルの動きでなんとなく分かる。
かといってスキルを入れ替える時間的余裕も無い。
一度【分体】を引っ込め、スキルを入れ替えさらに出すとなれば、今までの経験から早くても10秒超、いや15秒くらいの時間が掛かるはず。
その間、俺は自らの身を守ることができるだろうか?
(……)
幼体だけならまだしも、標的が俺一人になった時点で、クイーンアントに殺される未来しか見えない。
ならば……リルがクイーンアントを。
俺が無数の如く湧いてくるこの蟻をなんとかするしかない。
せめて自分に寄ってくる蟻くらいはなんとかしないと、解決の糸口がまるで見えなくなる。
「……リル、行って。それでクイーンアントを倒してきて。その間は自分でなんとかするから」
「……」
「そうしないとこの状況、どうにもならないでしょ……?」
「そう、だな。では私が必ず、あの派手なやつを倒してこよう。ロキもここで十分強くなっているんだ。自分の身くらいは守れないとな?」
「……うん。なんとかして足掻くよ。死にたくないから」
「分かった。ただし――本当にどうにもならないと思った時は、【神通】で誰でもいいから呼びかけろ。もう使えるはずだ」
「えっ? 呼びかけてどうするの……?」
「……では行ってくる」
「……」
リルの言っていることはアレか。
死後、また時間を空けずに【蘇生】を試みる。
そういうことか……?
2度目が上手くいくかなんて保証はない。
それはフィーリルから忠告されていること。
だから、もう死ぬことは許されないのに――
砂塵が舞い、淀む空気の中、数えるのも馬鹿らしいほどの幼体蟻に群がられながら、それでも少しずつクイーンアントへと近づいていくリル。
これならばクイーンアントの標的が俺に切り替わる可能性は低そうだと、深く深呼吸したのち自ら作った穴から這い出る。
(あーあ、レヴィアントもいっぱいじゃん……)
できれば対峙するのは避けたい魔物だった。
俺に向かって【招集】を使われたら、視界で蠢く幼体どもが一斉に俺を標的に変えるはず。
そうなればもう、どうにもならない。
そんなことは分かっているが―――不思議だな。
一度腹を括ってしまえば、なぜか落ち着いている自分がいることに気付く。
リルが一人でクイーンアントに挑む姿を見せつけられたからか。
それとも一度死んだという経験が、何かを俺に
もしくは、あまりに厳しい状況から既に達観してしまっているのか……
(まぁいいさ、やらなきゃ絶対死ぬ。やっても高確率で死ぬ。ならせめて――)
「足掻きまくってから死んでやるよ」
そう呟き、近場にいた黒い外殻、ソルジャーアントの幼体へと斬りかかった。
・
・
・
1匹斬れば、5匹が釣れる。
5匹斬れば、30匹が釣れる。
30匹斬れば――――
(まるでこいつらはゴキブリだな……)
思考と行動はまるで別。
すでに視界を覆いつくすほどの蟻に群がられながらも、両手に携えた剣を握り、闇雲に振り回す。
わざわざ狙いを定める必要はない。
蟻の上に蟻が乗り、その上にまた蟻が乗る。
まるで四方から壁のように迫り、俺の皮膚を食いちぎろうとするならば、振り回しているうち何体かへと剣が当たり、勝手に蟻が斬られていく。
レベルの大幅な上昇、スキルの大量取得。
この2点のおかげで、初期から使っていた方のショートソードでも蟻の幼体が斬れるのは有難かった。
蟻どもがあまりにも俺に近づき過ぎて、剣を振り回す隙間すら無くなったら――
『無数の、かまいたちよ、周囲の、蟻を、皆殺せ』
(……また、黒いか)
目の前で大量の蟻が細切れにされ、一拍の空白が生まれる。
この流れが既に5回目。
周囲は
それでも蟻の数が大きく減ったようには思えない。
束の間の時、周囲を見渡すも――視界に入る中央の戦況に大きな変化は見られなかった。
巨大な黒塊が一つ。
その塊から蟻の肉片とも呼べるものが飛ばされているので、リルが未だに交戦中であることは分かる。
だが、まだクイーンアントに届いていないこともなんとなく分かってしまう。
(賭けに、出るか……?)
そんな考えも一瞬。
また周囲から群がり始める幼体蟻。
リルの方へ群がる蟻共をこちらに呼びたくないのか、レヴィアントの【招集】がこの場だと機能していないことがまだ幸いだと――
溜め息一つ。
千切れかけた指で強く握り、目の前に迫る蟻へと剣を振るった。
・
・
・
(何体倒せば、終わりが、見える……あと何体、倒せば……リルは……)
目の前で顎を大きく開き、脚に、腹に、腕に噛みつかれながらも自身の腕を振り回す。
背には土壁。
望んでこの配置を取ったわけでもなく、あまりの圧で後退った結果、俺には逃げ場すら無くなっていた。
もう4レベルの風魔法が放てる魔力残量は1発分しか残っていない。
腕を横に振り回した直後、目の前の幼体蟻が口から酸を飛ばし、俺の顔面に降りかかる。
「きかねーんだよ……ボケ……ッツッ……」
――また、
それが見なくても分かった。
痛い……身体中が……痛い……
また……指を……皮膚を持っていかれる……
でも俺の手が追い付かない。
顔……? 今度は俺の鼻でももっていく気か……?
「ふ……ふざけんなぁあああああああああああ!! 無数のかまいたちっ! 周囲の蟻共を皆殺せぇええええ!!!!」
ヒュヒュヒュヒュヒュッ……
怒気の灯る目で、俺の顔に噛り付こうとした蟻が、俺の腹や脚に噛り付いていた蟻が細切れになっていく様を。
そしてその先、中央の黒い塊を見つめる。
(これで範囲魔法は、もう撃てない……あと、できることは……)
一度座り込めばもう立ち上がれないと、壁に背を預けながら中空を見上げる。
視界には俺を監視するかのように、複数体のレヴィアントが周囲を飛んでいた。
こんな事態になった要因はいくつもある。
だが解決できない原因は一つしかない。
リルが【手加減】を持ち込んでしまっているから。
遠距離攻撃の手段無し、範囲攻撃の手段無し。
ただ身体能力と剣の性能に任せ、目の前の敵を叩き潰すしか手がないんだ。
こっちはある程度落ち着いてきたとはいえ、リルの方がさばき切れていないことは視界に入る光景を見れば一目瞭然。
上空に複数いるレヴィアントの幼体も、その原因の一端を担っているのだろう。
俺よりリルを、ボスとなるクイーンアントを守るように幼体を固めているから、余計にリルが阻まれる格好になってしまっている。
(リルがクイーンアントを倒せなければ結局俺は死ぬ……死ねばもう蘇生は怪しい……死ねない……もう死ねない……でも手が……)
―――無くは、ない。
それは初めから分かっていたこと。
ただ、俺がその選択をどうしても選びたくなかった。
今までひたすらに我慢して我慢して我慢して―――
でも死んだら、そして蘇生が失敗したら、その我慢の全てが水の泡となる。
「それほど……マヌケなことは、ないよなぁ……」
望まない本音が自然と口から零れ落ちた。
ソッと目を瞑り、そのまま痛みで意識が遠のきそうになるのを我慢しながら、ステータス画面の一部を眺める。
『スキルポイント:878』
【空間魔法】を取得するため、もしくは取得できた時のレベル上げ用にと、俺が今の今までひたすら貯め込んできたスキルポイントの全てだ。
後がないなら残す意味もないと、手早くスキルを眺めながらも、最終的にはある一つのスキルを見つめる。
(これしか、ないか……)
まったく取る予定のなかったスキル。
それどころか、
だが、現状打破の可能性があるのはもうこれくらいしか見当たらない。
はぁ……
覚悟を決め、心の中で呟く。
生への望みと引き換えに、自らを納得させる。
(【狂乱】のレベルを……上げられるだけ、上げて、くれ……)
開戦したタイミングであれば、まだ他にも選択肢はあったかもしれない。
でも、もう魔力が無いんだ。
となれば魔法系は全滅だし、戦闘系スキルの大半もスキルポイントを注ぎ込んだところで使うことができない。
だからこその選択。
魔力を消費せずに能力が向上する、このスキルに賭けるしかない。
(まさかこんな、使ったこともない、ゴミスキルに……ため込んだスキルポイントを、全て注ぎ込む、とは……)
痛みと悲しみで涙が出そうになる。
『【狂乱】Lv3を取得しました』
『【狂乱】Lv4を取得しました』
『【狂乱】Lv5を取得しました』
『【狂乱】Lv6を取得しました』
『【狂乱】Lv7を取得しました』
『【狂乱】Lv8を取得しました』
『【狂気乱舞】が解放されました』
「……」
余計なことを考えるのは生き残ってからでいいと、可能な限り上げ切った【狂乱】スキルの詳細を眺める。
【狂乱】Lv8 使用後は全ての通常攻撃動作に能力値290%の限定補正を行う。ただし制限時間が経過するまで、周囲の生物に対する通常攻撃動作以外を行うことができなくなる。 使用制限時間8分 魔力消費0
「ははっ……」
自然と乾いた笑みが口から零れた。
レベルが上がったことによって、解除できそうもない使用時間制限が8分に延びてしまっている。
だが、通常攻撃限定で能力値290%。
これなら――
もう
まぁ、いいさ。
俺は中央の黒い塊を見つめながら呟いた。
「【招集】」
その瞬間、幼体蟻の動きがピタリと止まり、一斉に
そうだ。
【招集】をかけたのは俺だよ。
だから、俺のところへ集まってこい。
幼体蟻の大移動が始まると同時に、上空のレヴィアントが焦ったように不規則な動きで羽ばたいているのが目につく。
(お前らが【招集】をかけ直しても、たぶん無駄だ……おまえらはレベル5。俺はレベル7だからな……)
スキル詳細には上書きについて何も書かれていない。
説明があるのはその効果範囲だけ。
そもそも魔物専用スキルなのだから、同族以外に上書きされるなんて状況は本来想定もされていないことだろう。
だが常識的に考えれば、効果はスキルレベルの高い方が適用されるはずだ。
そして方向を変えず、俺に向かって押し寄せてくる様を見れば、俺の読みは正しかったと言える。
「ッ!? ロ、ロキッ!! 何をしているっ!!?」
遠くでリルの叫ぶ声が聞こえた。
しかし、ここでリルが蟻共を追いかけてくれば何の意味もなくなってしまう。
だから大きく息を吸い込み、朦朧としながらもリルに向かって大声で叫ぶ。
「――リルッ!! 俺が引き寄せている間にっ!! 早くクイーンアントを倒してッ!!」
今伝えられる、精一杯の思い。
早く倒してもらわなければ、俺はいずれ詰む。
範囲攻撃の手段が無い時点で、どの道ジリ貧に代わりはない。
(でも、これで、クイーンアントへの道は開けたはずだ……頼むよ、リル)
そう心の中で呟きながらも、最後になるであろう覚悟を決め、俺は徐にそのスキル名を呟いた。
「――【狂乱】――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます