第135話 なぜ

 リガル様との模擬戦。


 相対する距離はおおよそ10メートル。


【気配察知】を全力で発動させながら、まずは先制とばかりに左手へ魔力を込める。


「風よ、無数の、かまいたちとなって、全力で、切り裂け!」


 魔力の出し惜しみなんてしない。


 そんな長時間、俺が耐えられるとも思っていない。


 だから初めから全力で。


 剣を握り締めたまま腕を横薙ぎに振るい、不可視の風刃をリガル様に向けて放つ。


 無数の風刃がどれほどのものかなんて俺にもよく分からない。


 だが、これなら左右、もしくは上方に大きく避けるのが定石だろう。


 そこに合わせて【突進】を――



「ふむ。懐かしい魔法発動の仕方だな。だが――」



 リガル様は避けなかった。


 その場で呟きながら、手を振りかざし



「―――威力が弱い」



 振り下ろすと同時に、地面の砂埃が波状に広がる。


(えっ? 霧散させられた? 力業で風魔法に対抗したのかよ!?)


 想定していない事態に内心驚くも、魔法防御耐性に任せてその場を動かないという選択は有り得ると思っていた。


 ならば。



(【突進】!)



 敢えて言葉にはしない。


 そんな言葉で予測させるようなことをしてたまるか。


 心の中で呟いた【突進】によって、急速に近づくリガル様との距離。


 そして眼前に近づいたところで剣を持つ右手を振り上げれば、やや驚いた様子を見せながらもリガル様の視線がその剣へ向く。


 だからこそ、両足それぞれに魔力を込めた。



「土よ、大きく、盛れ!」


「む?」



 続けざまに、もう片足に込めた魔力ですぐさま詠唱を開始する。



「穴を、大きく、開けろ!」


「ぬおっ?」



 視界が遮られた中、指定のポイントに穴を開けられるかは若干不安だった。


 だが直前まで見ていた景色だ。


 リガル様のこの反応からすれば、予想通りいきなり現れた足元の穴へ意識が向いたに違いない。


 だから俺は、自らが作った土盛りの上を飛び越える。


 ついでに取得した【跳躍】があればできると思っていた。


 これならば、左右と違って最も警戒心が薄いはず。


 それにリガル様が今所持しているのは【手加減】という、名前からして俺を間違って殺さないようにするためのスキルだけだ。


【気配察知】を持っていないなら、俺の行動に気付けず―――



(いやいや、なんで急にあんな遠くにいるんだよ……)



 俺が両手に剣を握り締めたまま土盛りを飛び込えた先にはリガル様がおらず、ただ直径1メートルほどの穴が空いているのみ。


【気配察知】で捉えたリガル様の気配は土盛りの後方15メートルほどで、その間の移動を認識できておらず、俺からすればいつの間にかそこにワープしたような錯覚を覚えてしまう。


「ハハッ! 実に器用なことをするものだな! 思わず何が飛び出てくるのか予想できず場を離れてしまった。これは私の負けと言ってもいい。だが飛び越えるというのは悪手だな。空中の停滞を制御できなければ、攻撃到達までの時間が最も遅くなるだろう? 理想はその土盛りが貫けるほどの攻撃を仕掛けるべきだったな」


「なるほど……やっぱりリガル様は戦の神様ですね。凄い。凄いですよ! でも、どうやってそんな遠くまで移動したんです? そんなスキル持ち込んでないでしょう?」


「ん? ただ足に力を込めて、その場から退避しただけだが?」


「そ、そうっすか……」



 クッソーッ!



 これが絶対的な能力値の差ってやつか?


 スキルや知恵でどうこうできる問題じゃないことは、この一連の流れでよく分かる。



「では私も攻撃に移るとしようか」


「ぐぬぬ……ま、負けませんからね!!」




「あぁ、その意気だ」




 この時、肌がピリリと。


 何か空気が、いや場の雰囲気が変わったような気がした。




「私は今、非常に楽しい。少しでも長く―――この時間が続くことを祈る」




「……えっ?」



 この言葉を聞いて。


 発するリガル様の表情を見て。


 俺は思わず戦慄し、身体が突如として震えだす。



(な、なんだよ、あの人を狩りそうな目は……)



 もし、ここが戦場だったなら、リガル様が敵対する相手だったならば。


 俺は情けなくも、迷わず逃走を選んでしまったことだろう。


 逃げられないと分かりながらも、脱兎の如く少しでも遠くへと、無我夢中で走っていたに違いない。


 まだ疲れているわけでもないのに呼吸が乱れる。


 こちらに歩み寄るリガル様の姿を視線で捉えているのに、自分が今何をすべきか、その方策が頭から抜け落ちて真っ白になる。



「集中しなければ、すぐに死ぬぞ?」


「ッ!?」



 その瞬間、リガル様は目の前にいた。


 俺が余計なことに気を回していたのは1秒? 2秒?


 そんな長い時間ではなかったはずなのに――



「うぎぃいいいいっ!!!」



 今まで感じたことの無い、焼かれたような腹の痛みに耐えきれず、這い蹲りながら身悶えしてしまう。


 そもそもとして、今どのような攻撃を受けたのか、それすらも分かっていない。


 見ていたのに、【気配察知】は発動していたはずなのに何も捉えられなかった。



「ふむ……この程度だとまだ厳しいか。もう少し緩めるか?」



 そう呟きながら見つめるリガル様の指には血が付着しており、まさかと、自らの腹を見て血の気が引く。


(えっ……血が……まさか、指で刺された? 俺が?)


 気が動転し、再度歩み寄ってくるリガル様に、思わず後退りするしかない。



「ふぐっ……血……痛くて……立てな……」


「バカ者。敵がそのような言葉で温情を掛けてくれると思うのか? 身を守るのはいつだって自らの力。そして自らの意志だ―――立て」



 なんなんだよ、これ……


 心の底からそう思った。


 だがこのまま這い蹲っていたら、俺は何をされるか分かったもんじゃない。


 恐怖から膝を立て、手に力を込めて立ち上がる。



「うぐっ……ふぅ……ふぅ……」


「そうだ。戦う意志を示せ。そうすることによって相手は蹂躙する以外の別の選択、その先を考え始める」


「あ、あい……」


「もう少し加減はする―――では、ゆくぞ」




 ――見えた。


 まず、そう思った。


 リガル様の言葉通り、力加減を緩めてくれたのか。


 俺の下へ、まるで低空飛行のように飛んでくるリガル様の姿が確かに見える。



 だが、だからと言ってどうすればいい?



 咄嗟の判断。


 それは潜在的な意識の結果。


 まだ強く残る恐怖から、俺は【跳躍】して躱す、リガル様からという選択を取る。取ってしまう。


 だからか――背後から聞こえる声に、俺の心はますます戦意を失い萎縮した。



「また悪手を取ったな? 逃がさんよ」



 勘弁してくれ……痛いのは嫌だ……



「ううぅ! 【飛行】!!」



 より遠くへ。リガル様の手が届かない空へ。


 そう思って必死に上空を見上げ、手をバタつかせながらも空を舞う。



 ――なのに、なぜか掴まれる俺の足首。



 それが「どうして!?」と、言葉に現れると同時に、俺の視線は空から自らの足元へと移る。


 すでに上空20メートルくらいだ。


 人がどうこうできる高さではない。



「まさか空中の制御、【飛行】も使えるとは恐れ入った! しかし強者はただ跳ぶだけでもある程度の高さまで到達するぞ?」



 瞬間、視界は反転。



「ぐふぅううう……ッ!!」



 強引に引っ張られた足によって俺の拙い空中制御は失われ、気付けば背中から地面へと叩きつけられる。


 肺から大量の空気が漏れ、新たに吸うことすらままならない。


 あの高さから落ちてもまだ生きていることが、成長の証とでも言えるのか。


 今はそんなことがどうでもよくなるほど、『』という恐怖が心を汚していく。



「敵に背を向け、中途半端に逃げるからこうなるのだ。ならば、次はどうする?」


「もう、許して……痛い……ごめんなさい……」


「先ほども言っただろう? 自らを守るのは自分自身なのだと。敵にその判断を委ねるなど、好きにしてくれと言っているようなものだぞ?」


「だ、だって……」


「だってもこうもない。このままでは死ぬだけだ―――立て」




 なぜ?




 身体中に痛みが走る中、俺は自問自答する。


 これは俺の力を確認することが目的の模擬戦で、その相手はリガル様で、命の安全が保障された戦いだったはず。


 なのに、どうしてここまで俺は痛めつけられ、その上でまだ戦闘の継続を強いられているんだ……?



 理解が、できない。



(でもこのままでは死ぬだけ……俺は、リガル様に殺される……?)



 ふと、学生時代の嫌な記憶が蘇った。


 それでも何もできなかった、とても嫌で忘れたい、でも忘れられない記憶。



 逃げるのも無駄。



 許しを請うのも無駄。



 なら、俺にできることは?



 俺が助かる道は?



 俺を殺そうとするリガル様を、この場で殺すこと?



 いったい、どうやって……?



 歴然とした能力差を見せつけられ、俺には無理だと恐怖する気持ちと、その中に"なぜ俺を殺そうとするんだ"という、怒りの感情が芽生え始める。



「なんで……なんで俺がこんな目に……」



 自然と、俺は立ち上がっていた。



「そうだ。それでいいんだ」



 だからか、リガル様の声も、弾む。



「うぐっ……くそっ! くそっ! くそッ!!」



 端から見れば、滑稽な姿に映っただろう。


 地面に叩きつけられた時、剣は両方とも衝撃で投げ出していた。


 だから、素手。


 それでも形振り構わずリガル様の下へ駆け寄り、必死に手を伸ばして殴りつける。


 身長差もあって顔になんか碌に届きもしない。


 それでも、涙を溜めながら拳を振るう。



「なんでだ! なんで俺を殺そうとするんだ! なんでっ!!」



 それに対しての答えは返ってこない。


 ただただ、俺の伸ばす手が軽くあしらわれるだけ。


 だからか、思わず俺はリガル様に飛びついた。



 死にたくない。



 殺されてたまるか。



 二つの感情がグチャグチャに混ざり合い、手が届かないならと、安直にそう思っただけのこと。


 胸元に飛びつき、咄嗟に引き離そうと伸ばすその手に噛みつこうとする。


 ――が。



「おっと。噛みつくことに特化したスキルを所持していたな? リアから聞いているぞ?」



 俺の僅かな抵抗も空しく、リガル様の手が俺の目元を大きく覆い、そのまま宙釣りにされる。


 握られ、きしむ頬骨や頭蓋骨の痛みに悶絶しそうになりながらも抵抗するが、手を伸ばそうが脚を出そうが、リガル様の腕の長さに敵わず接触することすらできない。


 あまりの痛みで声を発することすらままならなくなる。


 そして――


 覆われた指の隙間から、もう片方の腕を引く姿が見えた。



(あぁ……また、指で刺される……もう嫌だ……)



「これで終いだな。実に新鮮で、楽しい一時だった。ロキ、この痛みを忘れるなよ?」



 来る。


 視界の大半が塞がれてはいるが、【気配察知】の影響か、それがなんとなく分かった。



「ふ、ふざけん……な……硬質……化」



 ―――ボキッ。



 その時、腹の辺りで何かを折ったような音が聞こえた。



「ッ!?……フハッ、フハハハッ!! そうだ! そうだぞロキッ!!!」



 その瞬間、腹部を突き抜けるかのような強烈な痛みが走り、口の中が鉄の味しかしなくなる。


 意識が飛びそうになる中、最後に視界へ入った光景は、肘まで赤く染まったリガル様の腕だった。

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