第6話 エーナイン、はぐれる


 「もーいい! これっきり、あんたとはもうこれっきりよ! シレイも私一人でちゃっちゃと終わらせてやるんだから、あんたは冒険でも探検でも虫取りも石掘りでも好きにやってなさい!」


 「今こうして助けてもらっている相手に云うことがそれ? いーんだよ別にここで手離したって」


 「わーちょ、ちょっま、待って、待ってってば! 待ちなさい!」

 

 「なんで最後ちょっと逆ギレなのさ。まだ何もしてないでしょ」


 「する気だった! 今にも手離しそうだった! こんな気分屋に生殺与奪の権を握られる身にもなってみなさいよ! だいたい何、さっきからちょっとずつ落ちてるんですけど!? そのご立派な翼は何のためについてんのよ!」


 「うるさいなー。ボクだってまだ慣れてないんだから静かに、してっ……あー」


 「あー? なによ」


 「腕疲れてきた、エーナイン重たい」


 <重たくないっ>


 力強い否定が、こともあろうに言霊に乗って返ってくる。

 ただ、いかに言霊であろうと万能ではない。特に今のような使い方をしても、せいぜいが相手の心をホカホカさせたり、ためらう背中を押す程度の効果しかないのだ。


 「……ま、まさか、言霊が効かない……?」


 「いや言霊っていうか、むだだま……うっ」


 さすがのテンシーも、それ以上続けられなかった。

 エーナインが歯を剥いて唸りながら、切れ長の青い目に涙をためて彼女を睨みつけていたからだ。


 エーナインからすれば、上を見上げてもテンシーの身体が差し込む日輪の中に入っているせいで、見ているだけで目に沁みるほどだった。

 涙でぼやける切れ長の目には不思議と、影だけしか見えないテンシーの毛量まで増えたように見えてしまっていた。 


 「……あのさ、ボク、ちょっと行きたいところができちゃったんだけど」

 

 不意に、テンシーのぼそっとした声が風を切る耳に届く。


 「はあ!? だめに決まってるでしょっ、とりあえずどこか安全な場所に降ろしてよ!」


 またしばし、沈黙があった。

 そして、


 「……ほんと? ありがとう! よかったーもう腕が限界だったんだよ。じゃあ三つ数えたら手を離すから、よろしくね」

 

 「え、ちょっとテンシー? テンシーさん? 聞き違いかしら今なんか聞き捨てならないことを聞いた気が――」


 「さん……にい……」


 「うそ、うそうそうそ! ちょっとまってさっきの全部嘘だから! お願いだから離さないで!」


 必死の呼びかけが届いたのか、テンシーがエーナインを見下ろす。

 滑空する二人が陽光の下から、雲の下に入る。 

 

 影になっていたテンシーの顔は、心なしか晴やかだった。

 そう、例えば重荷から解き放たれたかのような。


 「テンシー、あんた今、だれと話してたの?」


 「……いち」

 

 片や、にっこりと微笑み、小首を傾げて。

 片や、頬をひくひくさせ、やっぱり小首を傾げて。


 二人の手が、離れた。


 「こんのばかてんしいいいいいいいいいいいっ!!!」


 「ごめーん。そっちはそっちでなんとか頑張ってねー」


 テンシーは青白い力場の翼を二度ほど羽撃かせて方向転換すると、落下した台地の天涯へとふわふわ飛んでいく。


 呪詛を吐き散らし垂直落下を続けるエーナインの身体は、けれど次の瞬間。テンシーの背中から別れて飛んできた、棚引く長白髪の塊に受け止められた。

 不意に、落下の速度が奇妙なほど遅くなる。長白髪は蛇のように剥き身のエーナインに絡みつき、茂る枝葉に突っ込んで降下していく彼女の身体を守った。


 ほどなくして、エーナインは網の目状に広がったツタにみごと軟着陸を果たした。

 というより、ツタの群生地に突っ込んで絡まり続けながら速度を下げ、結果的にがんじがらめの状態で止まった。という方が正しいかもしれない。


 「ぐぬぬぬ……あのおたんこなす、何のためらいもなく手を離しやがったわね。もう許さないっ、さっさとシレイを解決して私だけでも城へ戻ってやる。あんなお気楽ご気楽なねぼすけ、あとで泣いて謝ったって許してやらないんだから!」


 ひとまずの身の安全が保証されてホッとしたのか。誰に話すわけでもないのに一人気炎を吐く。だが、ツタはおよそ奇跡ともいうべき複雑さで身体に巻き付いていて、とても解けそうにはない。

 おまけに、彼女の肌を枝や棘から守ったおきなさんはといえば、


 「嗚呼、善き哉……」


 長白髪をエーナインの体中に絡みつけ、自分は顔を彼女の胸元あたりに載せてそんなことを口走る始末。


 「ったく、どいつもこいつも」


 イライラの頂点に達したエーナインのすぐそばから、気炎ではない本物の火の手が上がった。

 それも、自然発生した火花などではない。正真正銘、火の手であった。エーナインの右手から立ち上る青い火が、身体に絡まるツタの結び目の尽くを、たちどころに焼ききっていく。


 焦げたにおいがあたりに立ち込め、のろしのように煙が立ち上る。

 最後のツタを焼き切るのと同時に、他のツタに足を絡めて優雅に地上に降り立ったエーナインは、手をひと振りさせて火を消す。

 最後まで指先に灯っていた残り火もふっと吹き消すと、乱れた赤髪を鬱陶しそうに払い、辺りを見回した。

   


 「いやはやお見事。して、これからどうなさいま――す”っ」


 「お前ね、テンシーに手を離すようにそそのかしたのは」


 よれよれなしろたえのように落ちてきたおきなさんのお面を片手でがっしりと掴む、エーナインの青い目にはあからさまな怒気が滲んでいた。


 「お、お許しを。テンシー様もああ見えて本当に限界だったようですので、降臨して早々共倒れするよりは、と。それに、」


 「それに?」

 

 「それに、聞けばあの崖の上で何か気になるものを見つけたご様子でしたので」


 「……ふん、結局そっちが本命なんじゃない。あんの薄情者」


 どこか力なく、おきなさんを手放したエーナインは一瞬だけ肩を落とす。

 だが、次の瞬間には切れ長の青い目には、怒りも憂いも消えていた。


 「まあいいわ。あんた、どんな役立たずかと思ったけど案外優秀じゃない。あのおバカもいなくなっちゃったことだし、この際孫の手だろうが翁の面だろうが使ってあげるわ」


 「おお……! やっと我が主様がワシをお認めくださった。あな嬉しや! しかれば早速!」


 「んなっ、ちょっ、ちょっとなんで身体に巻き付いて――くっ、この、どこ触ってんのよ!」


 「い”でででっ、おとなしくしてくだされ! これから人探しをするというのにいつまでも裸身のままでは何かと都合が悪いでしょう。適当な衣服を見繕うまで、不肖の毛で御身を不逞の輩からお守りせねば――ぶっ」


 「一番の、不逞の、輩は、あんたでしょー、っが!」


 激高したエーナインの手が、再び火の手に変わる。だが、おきなさんの毛先が脇腹をくすぐったせいで手元が狂い、明後日の方向へと火球となって飛んでいく。


 火球は枯れた枝を焼き払い、ツタからツタへと燃え移って、遂には苔むした枯木の大樹まであっという間に燃え上がった。

 湿気を帯びた大気中で起きたとは思えないほどに早い火の巡りに、二人は取っ組み合いの姿勢のまま身を寄せ合い、成り行きを見守るしかなかった。


 「ど、どどどどうすんのこれ!?」


 「やむを得ませぬな、ここはひとつ」


 「な、なにか妙案が?」


 「――逃げましょうぞ!」


 「渋い声でカッコつけて云うことじゃないっ」


 組んず解れつ、這う這うの体で二人は逃げ出した。

 走る途中、木と木の間に張られたツタをゴールテープのように引きちぎったり、古ぼけたボロボロの石柱に激突して壊してしまったりしたが、どちらもあまりに朽ち果てていたせいで逃げるのに夢中だったエーナインたちは気づかなかった。


 それが、明らかに人の手によって造られたものであることにも。

 

 それが、界を隔てるために人が築いた境界線であることすらも。 


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