共感

中 真

第1話 理想の社会

 通勤電車の中、片手で端末を操作していると手元が狂い、先程まで読んでいた政治家の賄賂のニュースが画面上から消えてしまう。手動ではなく、いい加減脳内チップ操作に切り替えたいのだが、今使っている旧式チップは残念ながら対応していない。加えて二十数年の試行錯誤から見つけた設定基準が狂うのであれば、チップ操作に移行する気になれないのもまた事実である。


 ジレンマに頭を悩ませながら、何気なく端末に表示されている別の記事の見出しだけ読む。


「ミタル教徒、自爆テロか」


 遠い国で死者、重症者の出ているなかなかに大きな事件だ。


 怒り五分、悲しみ三分、恐怖二分。脳内はチップを介してそれらの感情で満ちていく。


 何の権限を持ってこの団体は凶行に走ったのか。残された遺族が気の毒。物騒な世の中だ。総合的に、なんて酷い事件。


 そもそも皆が皆、互いと共感できていれば、こんな事件は起きないのだ。


 追々おいおい湧いてきた不安から、目だけ動かして電車の乗客を見渡す。朝の通勤通学ラッシュの一員であるOL風の女性や学生服に身を包んだ青年のうなじや耳元に脳内チップの手術痕が見られ、渦巻いていた感情が幾分か和らいだ。


 大丈夫。この町ではこの記事のような酷い事件は起きる筈も無い。なにしろチップ手術施工率は九十パーセントを超えており、チップ関連サービスの一番人気である共感ネットワークの普及率も先月七十パーセントを超えた。皆が皆、感情を共感し合えれば他人を傷つける人などでてこない。まさに理想の社会である。


 端末が振動する。同級生からの共感伝言だ。慣れた操作で伝言を開けば、脳内チップから温かい気持ちが溢れ出てきた。思わず目を閉じ、口角が上がる。


 そうか。姪が産まれたのか。こんなにも可愛らしく、愛しく、嬉しい。


 温い余韻に浸りながら、スーツの波と共に駅のホームへと流れる。


 チップ手術と共感ネットワークの普及率百パーセントが実現できれば、きっと世の中は幸せなものとなるだろう。強い使命感を感じながら、勤務している共感ネットワーク関連サービスを提供する会社へと向かう。

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