一章 じっくり仲を深めてから その1
●牧原大河
林間学校から五ヶ月後──夏休み明け。
「……まさか本当に、ノーブレスに入ってくるとは思いませんでした」
大きな執務机の向こうで、近衛・R・知佳さんは無表情でいった。
ここはノーブレスの会長室。
近衛さんが、執務をする部屋である。
内装はシンプル。筆記用具やノートPCなどがある執務机、本棚、電気ポットや茶葉が置かれた台など。
近衛さんは、僕の成績が書かれた紙を見て、
「貴方は入学時、ほぼ最下位の二六四位。そこからグングン成績を伸ばし……先日の夏休み明けテストで三位に入り、ノーブレスに入る条件を満たしたのですね」
「帰宅後は勿論、学校の休み時間も勉強しましたからね。夏休みはアパートにこもって、一日十四時間ほど」
「受験生みたいですね……」
貯金をほとんど使い、腕利きの家庭教師を雇った。その人から学習方法を教わり、それを野球で培った根性で続けただけだ。
近衛さんが、ひんやりした碧眼を向けてきて、
「友人と遊ばなくてよいのですか?」
「大丈夫です。学校に友達一人もいませんから!」
「大丈夫の意味が……」
林間学校後、案の定クラスメイトから肥だめ事件をイジられた。トイレに行こうとすると『おい牧原! 落ちるなよ!』とかね。
付き合う義理はないので無視していると、クラスで孤立した。だがおかげで勉強時間を確保し、ノーブレスに入れたのだ。さ、寂しくなんかないもんね。
僕は会長室を見回して、
「ところで……ノーブレスって、他のメンバーはいないんですか?」
「わたくしと牧原君だけです」
「え?」
「ノーブレスに入るには、学年三位以内の成績を修めた上──理事長の承認をいただかねばなりません。そこで弾かれる人が多いのです」
理事長……確かに、不機嫌そうなお婆さんと面談した。
ちょっと話しただけで『合格』と言われたけど。そんなにあの面談、狭き門だったのか?
──それはさておき。
僕は尋ねる。
「ノーブレスの仕事は、生徒会的な役割に加え、生徒を扶けることですよね。ざっと思いつくだけでも、学校行事の運営、予算編成、悩み相談とか大変な仕事量ですが……それを、近衛さんたった一人でしてきたのですか?」
何故か近衛さんは、居心地悪そうに目をそらして、
「大したことではありません」
(なんて謙虚な人だろう)
チョロく惚れなおしていると、近衛さんは書類の山に手をつけ、黙読したり決裁印を捺したりする。凄いスピードだ。
手持ち無沙汰なので尋ねる。
「あの、僕は何をすれば」
「いまは、わたくし一人で充分です。あなたが加わると、むしろ非効率になるでしょう」
……うぉ。
結構ショックだ。
でも……仕事に没頭している近衛さんからは、悪意を全く感じない。『事実をそのまま言った』って感じだ。忖度とか、一切しないタイプなんだろうな。
「わかりました。では勉強していますので、何かあれば声をかけてください」
部屋の隅の机に向かう。
成績を落とすとノーブレスから強制的に脱退させられるので、まだまだ勉強の手は抜けない。
(でも仕事がきたら全力でやるぞ。役に立つところを見せないと)
近衛さんをちらりと見る。
金髪を彩る、桜のヘアピンが可愛い。
表情は凜々しいけど、ずっしりした胸を机に乗せてるのが蠱惑的だ。あんなに大きいと大変なんだろうな。
それにこの部屋ホコリ一つ落ちてないし、備品一つ一つがピカピカだ。近衛さんが綺麗好きだとわかる。
(なのに)
肥だめに飛び込んで、僕を助けてくれたんだ!
(あんなこと普通できないよ。愛おしすぎる)
恋心は溢れんばかりだが……告白を焦ってはいけない。
五ヶ月も猛勉強して、ようやく一緒に過ごせるようになったんだ。じっくり仲を深めてから、想いを告げよう。
●????
「おー、あいつ、マジでノーブレス入ったんだな。……よく見ると、すっげえ可愛い顔してんな」
「まあいかにも、楓子ねーが好きそうなタイプだね。年下だし」
「わかってるじゃねえか光莉。しかし成績爆上げはともかく、よく性悪ババアの理事長が認めたな」
「そだね──あ、知佳ねーに見とれてる。やっぱ完全に惚れてるじゃん。ねえ
「うん。でもそのことに、知佳姉さんは全然気づいてないべ……
「演劇の稽古で忙しいのだ。この場面、私はこう動いて……」
「おい舞姫、物音立てるなっ」
●牧原大河
(ん?)
僕は天井を見上げた。何かが動くような音がしたからだ。
「近衛さん、天井裏にネズミでもいるんでしょうか?」
「……そうかもしれませんね」
「僕が天井裏に上がって、駆除しましょうか?」
「そ、その必要はありません」
なぜか慌ててこちらを見る。胸が机の書類に当たって数枚落ちた。
「牧原君がケガしたら大変ですから」
(近衛さんに心配された!)
チョロく有頂天になっていると。
ドアがノックされた。
近衛さんが「どうぞ」と言うとドアが開き、やや派手な女子が入ってくる。
緊張しているようだ。学内一のカリスマと会うためだろう。
「わ、私! 一年二組の宝来ミサキと申します。会長さんにご相談がありまして」
ノーブレスは、生徒からの相談をいつでも受け付けているという。僕も頑張らねば。
ただ問題は、コイツが……
「あ、牧原じゃん」
僕をイジってくるクラスメイトだってことだ。林間学校では苦しむ僕を見て『ツイッターにあげよ』と撮影もしてたな。おのれ。
「ねえ牧原、あんた最近、成績爆上げするわ、ノーブレス入るわで、クラスのみんなビックリしてるよ」
僕のような『特待生崩れ』は、難しい授業についていけず、他校に編入するか不良になる者が多い。
いずれ僕もそうなると、クラスメイトはタカをくくっていたようだ。賭けしてる奴もいたしな。
(クラスの奴なんて、顔も見たくねぇ)
でも、ノーブレスに入った以上、嫌いな奴の悩みごとも解決しなきゃ。それが近衛さんからの好感度アップにつながるはず。
(割り切ろう)
ため息を押し殺し「ようこそ」と笑顔を作る。
近衛さんが手で示し、
「そちらの応接室で、お伺いします」
会長室の隣には応接室があり、テーブルを挟んで二人掛けのソファが、向き合うかたちで置かれている。
僕はお茶を用意したあと、近衛さんと並んで、宝来ミサキの向かい側に座った。
近衛さんが質問を開始する。冷たい美貌と相まって、敏腕検事みたいだ。
「宝来ミサキさん。貴方の悩みをお聞かせください」
「はい。実は……」
宝来はクラスメイトの『
その名に、また嫌な記憶が蘇る。林間学校で『すげえ投手だったのに、いろんな意味で堕ちたな』とか僕をディスった男だ。
宝来の相談は『山田君に告白して付き合いたいが、勇気が出ない。どうすればいいでしょうか』──
(恋愛相談か。近衛さんはどう答えるだろうか)
好きな人の恋愛観を知るチャンス。
近衛さんは「なるほど」とうなずき、
「その男性のことは忘れなさい。高校での恋愛など時間の無駄です」
「「ええー?」」
根本からの全否定に、僕と宝来がハモった。
近衛さんは、なぜかプロジェクターを持ってきて、ノートPCとつないだ。
マウスで操作すると……プロジェクターにより、壁にグラフなどの資料が映る。万一の妊娠リスク、風紀の乱れなど『高校生の男女交際の弊害』が並べられていく。
近衛さんは説明を終えると、
「ちなみに、これはわたくしが作った資料です」
こんなもん作ったのか……少しズレてる気がするな。
(ただ、これはまずい)
宝来と山田の恋など、僕にとってハエの交尾よりも価値がない。
だが近衛さんが『高校時代の恋愛は無駄だ』と言い切ってしまったら。
(僕が、近衛さんと付き合えなくなるじゃないか! それは困る)
近衛さんを論破しなければ。
挙手して、
「近衛さんが仰ったことは、間違ってないかもしれません」
「ええ」
「その上で質問ですが、学生の本分はなんですか」
「もちろん勉強です」
「ですよね。では恋愛が──学力向上に絶大な効果を持つなら、無駄ではないのでは?」
近衛さんも、宝来も、僕を不思議そうに見つめる。
「僕が成績を、最底辺から急激に上げられた、のは──」
声が上ずる。あぁ、もっと仲を深めてから言いたかったのに……!
でも近衛さんを論破せねば、僕の恋は成就しない。
立ち上がり、告げた。
「林間学校で近衛さんを好きになり、傍にいたいと思ったからです! 野球ができなくなって腐ってた僕に、あなたが生きる希望をくれたんです!」
宝来が「へ?」と口をあんぐりあけた。まあ恋愛相談に来て、目の前で告白が行われたら無理もない。
いっぽう近衛さんは相変わらずの無表情。僕を見る目は、冷たいままだ。
僕は沈黙に耐えかね、
「ど、どうですか近衛さん」
「何がです?」
「僕という成績急上昇の実例を目の当たりにしても、高校生の恋愛は無駄だといいますか」
近衛さんは肩をすくめる。
空になった宝来の茶碗を見て、
「お茶、淹れ直してきましょう」
会長室へ入っていった。
……ぜ、全然響いてない? 空回りした感が凄いぞ。
(お、終わった。ノーブレス初日に振られる! 毎日必死で勉強したのになあ……!)
頭を抱えてうずくまる。全国大会決勝で、サヨナラホームランを打たれたとき以上の絶望感。
そのとき、宝来が弱々しく言った。
「ゴ、ゴメン牧原。私のために、会長に反論してくれたんでしょ」
(は?)
「私、あのまま会長の言うこと聞いてたら、多分告白しないままだったと思う。『会長の言うことだから間違いない』って。それを言い訳にして」
「お、おう」
「それを防ぐために、振られる事も覚悟で、ああ言ってくれたんじゃない?」
……
──アホか、こいつ。
なんで、僕が死にかけのとき笑ってたヤツのため、そんな事しなきゃならん。
……だが、これは利用すべきだ。
(ドアの向こうで、近衛さんが聞いてるかもしれない)
好感度がアップするよう、一芝居打とう。
近衛さんにも聞こえるように、やや声を張り気味に、
「へへ、気付かれちまったか」
「ご、ごめん……肥だめに落ちたところを撮影したり、山田君とイジったりして……」
宝来が感動のためか、手で顔を覆って泣き出した。
僕はゴミを見るような視線を向ける。だが、それとは裏腹に優しい声を出す。
「大丈夫。気にしていないよ」
好感度よ上がれ。ゲームセットまで絶対に諦めんぞ!
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