おせっかいな道路掃除婦フーカ

瑞田多理

第一章 白い帽子

ざらついた強風が走った。

 それは灰色に沈黙したビルの間を駆け抜けてやってきた疾風だった。あたりに舞う砂粒、コンクリートの欠片、モルタルの粉塵、そういった、もろもろが風化していくに応じて生じる塵の類を巻き込んで吹いている。いうなれば荒廃の色をあまねく運ぶための風だった。駆け抜けて、どこかへ去っていく、その最中。それは渋谷と呼ばれた町にやって来た。

 かつてこの街の象徴であった109ビルも、今やそうした遠慮のない風や雨にさらされて見る影もない。そのシンボルであった三つの数字は消灯されて久しく、真ん中にある「0」という数字は無惨にも半分にひび割れていた。生命という生命が滅び去ったこの地域の状況を、端的に表しているかのようだった。

 しかし風に乗って進めば、この地は全く何もいないのではないということが明らかになってくる。道玄坂を下り、渋谷駅の周辺にまで視線をおろせば、巨大な建造物と、そこへ闊達に出入りする人影が見えてくる。

 彼ら――便宜上「彼ら」と男性名詞を使う――は渋谷駅を覆い隠すような建造物へ出入りしている。

駅の周辺を歩き回っている、ある程度の汎用性を持ったヒューマノイドは第三世代と名乗る。その動作は、実際のところヒトと相違なかった。関節部に覗く球体回転モーターの機構がなければ、彼らが一つの使命を帯びたロボットたちであるなどと見分けもつかない。

 そんなロボットたちが蠢く駅のほど近く。

かつてハチ公と呼ばれた、人の行き交うのを見守り続けた銅像の前だった。


少女がいた。

巨大な廃棄物コンテナに腰掛けて、物憂げな表情。


「はぁ」


 この荒涼とした風景の中、紅一点。彼女は一つため息をついて、独り言を吐く。

「まぁた、おばあちゃんって言われちゃった……」

 帯びている愁いの表情は、第三世代のロボットたちが浮かべられるそれとは比べ物にならないほど情感豊かなものだ。人間の浮かべる憂いとまったく相違ない。年のころは十五、六を想定して作られたのだろうか。丸みを帯びた顔が思春期を経てしゅっと研ぎ澄まされる、そのちょうど中間の年頃。エメラルドを思わせる大きく、透明な瞳からは、いまにも涙がこぼれそうだ。

 しかしその長い髪は。まるで年老いすり切れた老婆のように真っ白で、見る角度によっては銀色に輝いてさえいた。

 緑眼銀髪の少女――型、ヒューマノイド。自称するときはフーカという。ゆったりとしたデニムと白いTシャツとを身に纏い、その上からこれまた白い、前全身を覆うエプロンを着けている。

「ねぇ、トラさん。私、そんなに老けて見えるかなぁ」

 虚空に向けて少女フーカは問う。すると虚空から答えが返ってくる。

「容姿の問題ではない。型式が古いのだから、お前の自助努力ではどうにもならない」

「うぅ、そうなんだけどさぁ」

「むしろ『おばあちゃん』呼ばわりで済むことに感謝するべきだ。旧型である我々第二世代にも、こうしてサポートを継続してもらえているのだから。本当なら、生産ラインなど打ち切られていて当然だ」

「ド正論……」

 フーカはうなだれると、腹立ちまぎれに足元の廃棄物コンテナに踵を見舞う。

「ムカつく」

「一番損耗が激しい踵を、そう言った無為な行為で痛めつけるのは感心しないな」

 そう響くが早いか、コンテナが動いた。

 クランクが巨大な車体を持ちあげ、格納されていた四輪が車体に沿って展開される。突然襲ってきた揺れを、フーカは慌てて車体につかまってこらえる。

「性格わるーい。アーティファクトを積載しているときの形態変更は事前告知が必要じゃなかったの」

「お前はアーティファクトではない」

「でも大事なバディでしょ。落っこちて電算系が壊れたらどうするつもり」

「この程度のインシデントに対応できないバディなどいらん」

 クランクが格納され、廃棄物コンテナは四輪を備えたものになった。廃棄物コンテナ型ムーブクラフト、フーカには「トラさん」と呼ばれている。

 その車体はモスグリーンの塗装を施された分厚いステンレス鋼で覆われている。幅二十センチメートルほどの凹凸が縦方向に、等間隔に走っている。車体右側面、その右上隅には彼の識別名「TLA―003」の刻印がある。フーカが彼をトラさんと呼ぶのはこれが由来だった。

「さぁ、行くぞフーカ。巡視の時間だ」

「わかってますよ。同じ衛星時間使ってるんだから。道路掃除婦のお役目、果たしに行きましょうか。お空の上から『みちびき三号』も見てるしね」

「わかっているならいい」

「乗り気じゃないのはトラさんのほうじゃないの」

 フーカがぶぜんとした表情で言った。するとTLA―003――便宜上トラサンと呼称する――が、無機質な声で言った。

「正直にいえば、そうだ。今日は何か、見つかるといいな」

「お気遣いどーも。でも、望み薄だよね……」

 答えてフーカは、今日一番のため息をついた。


「今日こそ、人間に会えるといいな」


「ああ、望み薄だな」

「うっさいわ」

「早くナビを出せ。行き先を決めるのがお前の仕事だろう」

「メインの指令は収容なんだからね」

「何かがいればな」

 フーカはバディの皮肉に対して舌を出し抗議しながらも、ナビゲーションを開始するべく、体内の大容量ストレージにアクセスする。暗号化解除。フーカのメインメモリに、渋谷ステーション周辺のビューが展開される。路地の一本、ビルの一つに至るまで精巧に写し取られた、街の模造品そのもの。

 道路掃除婦であるフーカの職務はこの地図を描くことから始まり、そしてこの地図をもとに探索へと出る。ゴミ拾いと、それを捨てただろう人間を探すためだ。そういったものが残っていないか、フーカは毎日トラサンと一緒に巡視して回っている。

 もっとも、これまでに収容できたものは、数えられるほどしかない。

 彼女のルートマップは、当然のように走査済みを示す緑色ですべて埋まっている。

「んんん、んじゃあ、今日は初心にかえって道玄坂のほうで」

 数多くある渋谷駅から出て戻るルート。その中からフーカは一本を選び出し、トラサンへ転送する。トラサンはそれを受領。電気駆動のモーターが静かに、車体を動かす。今度はフーカが驚くような加速度はなかった。ゆっくりと、町をなめるように走る。フーカが遺失物を見逃さないよう、というトラサンの配慮だった。

 


「あ、トラさん待った」

 フーカが突如、声を上げた。トラサンは指示通り急停止する。フーカの体が前へかしぎ、フル稼働した姿勢制御システムが体を垂直に戻す。

「もうちょっと止まり方ってものが、あるんじゃないの」

フーカが頬を膨らまして憤慨を表したが、トラサンは無視した。

「せっかく見つけた遺失物を、見失われちゃかなわん。それで、何を見つけた」

「ちょっと制動距離とったからって見失うようなポンコツじゃありませんー」

 フーカは憎まれ口を叩きながら、トラサンから飛び降りる。しなやかに伸び縮みする人工筋肉が、フーカの重い体を支えて張り詰める。人工筋肉による肉体制御は、第二世代のヒューマノイドにしか採用されていない。第三世代からすれば遺構とでも呼ぶべきもので、メンテナンスの対象ではあるがパーツの再生産はされていない。

「慎重に扱えよ、自分の体が替えの利かないものだと、わかっているだろう」

 トラサンが声を上げるのも無理もないことだった。フーカは耳を貸さなかった。弾むような独特の走り方をして、遺失物に接近、拾い上げる。

「見っけ。アーカイブ照会……スマートフォンだね」

 四角い形状をしていて、前面には真っ黒な液晶画面が張られている。ベゼルはほとんどない。背面に使用されている銀色の樹脂はかつてと同じ色だろうか。デジタルデバイスだった。かつて、人類がインターネットにつながるための窓として利用してきた端末。

「実物は初めて見たなぁ……。こんな小さな画面で、よく情報を摂取できてたものだね」

「初めて」

 トラサンは言いかけたが、「いや、いい」と話を戻した。

「人間は何らかの五感を震わせる情報を介してしか、電子データにアクセスできない。それは実際のところ、適役だっただろうよ。インターネットとやらへの常時接続ができて、その通信結果を映像出力できる。それに、音声による通信。我々としてはレガシーな手段だが」

「何か言いたそうね、トラさん」

「別に。対話というレガシーな手段にしがみつくバディに、あきれ果てているだけだ」

「うっさいなー。私にとってはそれが普通なの」

 口を開けばいがみ合う、フーカとトラサンだった。しかしそれは付き合いの長さがなせる信頼の証でもあった。彼らはお互いに製造されてから、ずっとバディを組んで活動してきた。同じものを見て、同じものを感じ、同じものを拾ってきた。もっとも、搭載するフレームワークの違いによって、もしロボットに『感じ方』などというものがあるとしたら、それは決定的に異なっているのだが。

 フーカは改めて手元のスマートフォンに目を落とす。それには透明なケースがついていて、ケースからはストラップがぶら下がっている。白い生き物――これは、クマと呼べばいいのか、ネコと呼べばいいのか――を模したストラップだ。

「スマートフォンだけだときつそうだけど、このストラップがあればギリギリ特徴量になるかな。よし、やってみよ」

 フーカはうなずく。

 そして、天を仰ぐ。

「道路掃除婦フーカが『奇跡の海』へ要請。刻歴(ストアド)現実(リアリティ)のダウンロード要求」

 その声は単なる発声にとどまらない。電子データとして変換されたその文字列と音声データは、そのまま要求文字列と認証キーとして天へと届く。通信に用いられるのはフーカの外部通信用ポートの中で唯一開いている、『奇跡の海』との通信ポートだ。ほかの用途には一切使えず、常に開状態を要求されている。恐らくポーリングされているのだろうとフーカは予想しているが、特に気にしたことはない。

『奇跡の海』というのは、ロボットたちが例外なく従うマスターA.I.であり、同時に大容量データベースでもある。フーカはその奇跡の海に、ストアド(刻歴)・リアリティ(現実)を要求した。すなわち、はるか宇宙空間に浮かんでいる人工衛星『みちびき三号』が撮影した高精細な地上の動画のアーカイブである。

 スマートフォンがここに残置された年代を推定、奇跡の海にあるアーカイブと素材の経年からおよそ三十年前。その時から起算してプラスマイナス一年分の映像データをダウンロード。巨大なデータだが、数分で終了する。この帯域を使用するのは、今となってはフーカだけだ。

 ダウンロードした映像情報をパケットごとにパリティチェック。破損なし。結合して動画データを展開。そして目の前のスマートフォンを撮影。画像検索を開始。都合三年分の六十fpsで撮影された動画に対して、画像の特徴量検索を試みる。

 フーカの頭髪が、わずかに熱を帯びる。彼女のそれは頭部に集中している電算系を保護するヒートシンクの役割を持っている。

しかしこの程度のことでフーカの脳が焼き切れることはない。

これが彼女の、本来の役割であるためだ。

 道路掃除婦型ヒューマノイドに求められる役割。それは『人の落とし物を見つけ、持ち主に送り届けること』だ。

 もっとも、その役割を履行した記憶は、フーカにはほとんどない。第三世代と第四世代が大手を振って街を歩くこの時代に、数えて四点だけだ。このスマートフォンを合わせれば、記念すべき五つ目になる。

 フーカはうなり続ける。それは対象となる人類(アーティファクト)を発見するまで続く。超広範囲にわたる、特徴量解析による画像検索にはとてつもない負荷がかかる。しかしフーカに搭載されたプロセッサは、その超高負荷処理をも十分足らずで終わらせてしまう。

「……いた。三十一年前だ」

 捜査範囲のギリギリだったことをフーカが示す。キャッチした位置情報を逃すことのないよう、即座に視野をストアド・リアリティモードに切り替える。

 すると、フーカの目の前に現れたのは、全力疾走の構えで静止する少年の姿だった。まるで本当にその場にいるかのような立体感を持ち、表情まで精細に見て取れるのは、みちびき三号の持つ高解像分解能のおかげだ。もちろん触れようと手を伸ばしても、そこには何もない。これは、フーカの視野の中にのみ存在する幻影。

 ヒトの記憶。かつて生身の人がいたという記憶。それを奇跡の海と、すべての機械知性体たちは忘れない。この記録はそうした意味合いをもつとともに、フーカの存在意義を示すもう一つの道しるべだった。

「ストアド・リアリティ再生(アクティベート)。教えて、この子の行き先を」

 その要請は、通信を伴うものではない。フーカの中でスイッチを切り替えるためのシーケンスだ。フーカの表情には、それまで見られたゆとりは一切なくなっていた。至極真剣に目の中に映るストアド・リアリティが表す軌跡を追いかけている。

 トラサンはその様子を黙って見守っていた。その結末は、これまでの経験から予想がついている。

 衛星時間にするとおよそ五秒ほどだった。しかしフーカにとっては、それは一日にも匹敵する長い時間。その果てに、フーカが頭(こうべ)を垂れる。それが結末に至った合図だった。

「どうだった」

 フーカは無言で首を振る。

「そうか」

 トラサンが短く答える。

「まぁ、三十余年も前の遺失物では。アーティファクトも生きてはいないさ」

「……わかってる。わかってるよ」

 つぶやくと、フーカはもはや遺品となったスマートフォンを、ぎゅうと胸に抱いた。そしてひざまずいた。

「胸郭に異常……。いつものことだけどさ、痛いよ、トラさん」

「俺にはわからん感覚だが、それがお前に備わった機能なんだろう。アーティファクトの死を、悼むという機能が搭載されているんだろう」

「本当、トラさんは無機質だよね」

「そう作られたからな。さぁ、行くぞ」

 トラサンがフーカを促す。

「収容しに行くんだろう。アーティファクトを」

 フーカは心痛のあまり無言。しかし、やがて顔を上げてうなずいた。

「うん。行こう」



 トラサンの背に乗って、フーカは走る。

 アーティファクトまでの経路は、フーカが街の現状に沿ったルートをマッピング済みだ。トラサンはそれに沿って、周囲を哨戒しながら移動する。探索時よりもペースは速い。アーティファクトの収容は最優先事項だからだ。

フーカもまた同様。トラサンの速度に振り落とされないようにしっかりとしがみつきながら、同時に周囲をくまなく走査している。走査の対象としては大きく二つある。さらなる遺失物・アーティファクトの捜索と、危険物の探知だ。

フーカに搭載されたフレームワーク、名をFinding Unsecured Critical Artifact、略称してF.U.C.A.という。そのフレームワークは、人間の安全を脅かす存在を徹底的に検知する能力を持っている。例えば、毒ガスの類。例えば、爆発物を抱えたカバン。その他さまざまな脅威を検出する能力を持っている。

三十年前とは言え、アーティファクトがその場で死亡しているのだ。何らかの脅威があってもおかしくない。

「トラさん、止めて。この路地の奥だ」

「了承した」

 トラサンは急停止する。フーカは文句ひとつ言わずに、むしろ慣性を利用するかのように飛び降りて、トラサンが入れないような狭い路地を駆けていく。

 トラサンはそれを見送って、じっと待っている。やがてフーカから、悲しげな通信が届く。


『アーティファクト、発見』


『状態は』

『完全に白骨化してる。一往復での運搬は困難』

『いつもの、ってことか。こちらの状況はクリア。敵性反応なし。時間はいくらかけても構わない。それよりもお前を損耗させるなよ。またステーションの連中におばあちゃん呼ばわりされるのは嫌だろう』 

『こんな時に冗談は止してよ。収容プロトコルに移ります』

 フーカとトラサンの間には、バディ間で繋がる通信用ポートがある。その通信内容は徹底的に暗号化され、二人の間に共有されている秘密鍵でしか復号することができない。音声が届かない、もしくは、何らかの事情で音声を出力することが危険と判断されたときに、フーカたちはこの通信手段を用いることになっている。

 フーカが収容プロトコルに移行すると、トラサンは退屈だ。自身に備わったゴミ箱の蓋を開けて待っている以外に、やることがなくなる。

「さっさと済ませてくれよ、フーカ」

 トラサンは音声出力でぼやいてから、もたもたしている相方を急かす。

『おい、位置情報が更新されていないぞ。何か起きたか』

『大丈夫だよ。ちょっとだけ待って。なにせ、量が多いから』

 フーカは即座に言い返したが、それはただの口実だった。せっかちなバディに対する時間稼ぎだ。

フーカはアーティファクトの――即ち遺体の――前に跪いて、祈りの姿勢を取っていた。目を閉じて両の手の指を組み合わせ握って祈るその姿は、トラサンに見られようものなら滑稽だと指摘されるだろう。

それは真似事に過ぎない。機械知性体に神と呼ばれる不明瞭な領域は存在しない。

だが、アーティファクトにはきっと、救ってくれる神みたいなものがいたに違いない。彼は機械知性体ではなく人間だったから。彼がせめて安らかであるよう祈るのは、フーカにとっては自然なことだった。

「お疲れ様。一緒にお家に帰ろうね」

 フーカは目を開く。手をほどく。彼を家に還すために、運んでやる必要があった。

 収容そのものは十分足らずで完了した。アーティファクトは全て、トラサンの蓋を開けた中にある収納スペースに格納されている。それはかつて、見た目通りゴミ箱としても機能していたものだったが、いまの主立った役割としては、トラサンのそれは棺桶だった。

「これで全部か」

 トラサンが面倒くさそうに問う。フーカが頷く。

「満足したか」

「なんで」

 続くトラサンの問いに、フーカは睨み付けながら問い返す。

「祈っていたんだろう。アーティファクトが見つかって、良かったじゃないか」

「良くない、全然良くないよ」

 ガン、と鋼鉄を叩く音が響く。フーカはトラサンを両の拳で、渾身の勢いをつけて殴っていた。

「たしかに。見つからないよりは見つかった方がいいよ。でも、死んじゃってたらさ。死んじゃってたら護れない」

 殴りつけた拳をそのままに、フーカは項垂れる。翠玉を思わせる色をした大きなアイカメラからは、決して涙がこぼれ落ちることはない。しかし彼女の頬が、唇が、わななくその様子は、まさしく泣き出しそうな表情だった。

 トラサンも言い過ぎたと悟ったのか、申し訳なさそうに呟いた。

「済まない。配慮が足りなかった」

 しかし、お互いに涙を流せなくとも、時間だけは流れていく。巡回ルートを大きく外れた上に、帰投時刻が迫っているため、フーカとトラサンの内部アラームが作動し、強烈なパルス音声を発生させる。驚いて飛び上がるフーカ。トラサンも「う」と小さく呻く。

「……帰んなきゃね」

「そうだな」

 意味の無いやりとり。

「落ち着いたか」

「うん。……ううん、定義による」

 フーカはトラサンに飛び乗って、首を振る。

「目の前のアーティファクトは死んでいる。事実。それは了解しました。でも、死んでいて欲しくなかった、っていうのも事実。それは私の思考回路(フレームワーク)がそう言ってる」

「そうか。そういうときは現実の方を見ることだ。死人を生き返らせることは出来ない。お前の思考回路でも、そう結論づけるだろう」

「そうだね――残念だけど」

 フーカはトラサンに飛び乗ると、たったいま収容したばかりのアーティファクトを思いやる。

「ウィルスがね。ちょっとだけ残ってたんだ、あの子」

「――そうか。帰ったら除染が必要だな」

「うん。いや、そうじゃなくて。あの子も犠牲者だったんだな……ってこと。大規模テロのさ。私たちがいままで収容してきたアーティファクトの五人中四人から、この組成のウィルスが出てる。でも三十年前の渋谷で、こんな大規模な生体テロがあったなんて。覚えてないし、記録にも見つからないんだよ。トラさんは何か知ってたりしないの」

 足許に問うと、しばしの沈黙。しかし答えはいつもと一緒だった。

「お前の知らないことは、俺も知らない。バディじゃないか、俺たちは」

「それもそっか。この組成はメモリーしとこ。サブストレージの隙間にねじ込めばいけるでしょ」

「大事なデータを破損させるなよ」

 トラサンはいちいち憎まれ口をたたく。フーカがそれ以上気に病まないように。

 フーカのフレームワークである『人命救助の最優先』という厄介な、しかし崇高な使命。彼女がそれを果たし、大手を振って道路掃除婦を名乗れるようになるその日まで、トラサンはそうするつもりだった。



 夕刻の渋谷ステーションは、方々に散っていたロボットやヒューマノイドたちでごった返す。といっても、ストアド・リアリティ上のスクランブル交差点で見られたような大混雑にはほど遠い。せいぜい合わせて数百体程度の規模だ。何をしに来たかと言えば、凡そ一週間に一度使い果たすバッテリーの充電と、各々の任務で損耗した躰の修復である。

 フーカたちはその列の脇を通り抜けて、もう一つの入り口へと向かう。ステーションの内部に秘匿された施設、『ターミナル』へと向かうためだ。

 ターミナル……というものが一体どういう機能を有しているのか、実のところフーカは知らされていない。それが人類の終着駅だ、という曖昧な認識だけを持っている。

アーカイブ上にもデータは存在しているようだが、フーカのクリアランスではアクセスできない。トラサンに聞いても同じだと言うから、きっと第二世代には開示しないような設定を為されているのだろう。そのことを思い出す度にフーカは憮然としたものだった。

「だって、一番ターミナルに行くのは私たちじゃない」

「そうは言ってもクリアランスの問題はどうしようもない」

 そんなやりとりを、何度もしている。

 しかし、ターミナルが目的とするところは分からなくとも、この施設が非常に重要なものであるということは分かる。常に警備されているからだ。ステーション内にある他の設備、例えば充電ドックや修理工廠に見張りなどは付いていない。しかしターミナルだけは、いつ行っても第三世代のヒューマノイドが歩哨として護衛に立っている。フーカに備わった解析装置は、ターミナルの警備に務める彼らを構成する部品が、そこらの第三世代よりも遙かに格上の物であることを見抜いていた。可用性、即応性、どれを取っても一流の動きをするだろう。人工筋肉というレガシーな動作系を持つフーカでは太刀打ちできないだろうと思われた。もっとも敵対する機会など、ないだろうが。

 そうした特別な彼らは、識別名を統一してジェイラーと名乗っていた。フーカたちがターミナルに近づくと、その一人が即座に駆けつけて、短距離通信で用件を尋ねた。『アーティファクトを収容した』とトラサンが答える。するとジェイラーはわざわざ音声出力に切り替え、嘆息して見せた。

「それで、生死は」

「死んでいる。なぜ短距離通信を使わない。状況は俺が把握している」

「そこの道路掃除婦型にも分かるようにだよ。通信ポートすら開いていない欠陥品め。今日という今日は、受け入れは許可できない」

 険のある言葉遣いでジェイラーは言った。

「死体など、いくら持ってこられてもしょうがない。生きた人間を見つけたらまた来い、と何度言わせるつもりだ」

「でも、ここは人類の終着駅なんでしょ」

 フーカも負けじと言い返す。

「だったら、終末を迎えた人だって、迎え入れてくれていいんじゃないの」

「論理的誤謬だ。終末を迎えた人類は、もはや人ではなく単なる有機物の塊にしか過ぎない。従って受け入れる余地もない」

「そんな言い方、ないでしょ」

 あきれ返った様子で言ったジェイラーに対し、フーカは激高する。掴みかからんばかりの勢いで、ジェイラーに迫る。

「ストアド・リアリティが見えないわけじゃないでしょ。この子はちゃんと生きて、立派に脅威から逃げて、その結果殉死したんだよ。生命という職務に殉じたんだよ」

「我々はストアド・リアリティなどという腐れたデータに興味を示さない」

 答えたジェイラーの表情は、腹立たしいものであると同時に不気味でもあった。乏しい感情表現の中から、最も侮蔑的であると考えられるものを選んで出力しているに違いない。フーカはその、作り物のような表情によってコケにされたと感じ、さらに憤る。

「腐れた……? どの口でそんなことを」

「我々の職務はターミナルの保護である。ターミナルの保護に人類の来歴は必要ない。必要なのはみちびき三号からのリアルタイム映像情報だけだ。あれは有用だ。お前たちのような役立たずが接近してくることも手に取るようにわかる」

「融通の利かない役立たずはどっちかな」

「過ぎた汎用性は効率を落とす。まさに目の前のポンコツ第二世代が証明しているようだが」

「おい、大概にしろよ。第三世代」

 フーカのヒートシンクが熱を帯び始めたのを見て取って、それまで黙っていたトラサンが鋭い声で遮った。同時にフーカへ、専用ポートを介してメッセージを送る。

『らちが明かん。我々で引き取ろう』

『でも、そうしたらこの子はどこへ送ればいいの』

『アーカイブを見た。ヒトには埋葬という習慣がある。我々の手で、家に帰してやろう』

『家ってどこよ』

『地球だ。人間たち生物が生まれて育った地面なら、文句はあるまいよ』

『……』

 この間に要した時間は一秒にも満たない。やはり音声による意思伝達は非効率だとトラサンは思う。そして残酷だとも思う。その結論を、フーカの口から言わせなければならないのだから。

「……わかりました。このアーティファクトは引きあげます」

「やれやれ。定義を更新しておけよ。アーティファクトとは、生きた人間のことだ。復唱」

「誰がするかバーカ。お勤めご苦労。一生鳥かごの周りをぐるぐる回ってろっ」

「そうするとも。それが職務だ。お前さん方が野鳥のようにゴミをついばむのと一緒でな」

「フーカ。取り合うなよ。さっさと行こう」

 トラサンが止めていなければ、永遠に言い合いが続いていてもおかしくなかった。それは少なくとも言語回路においては、ジェイラーの思考回路(フレームワーク)がフーカのそれと匹敵する性能を持っていることを意味する。彼らの役割を勘案すると、それこそジェイラー自身が指摘したように「過ぎた汎用性」のように思える。しかしトラサンはそれ以上何も言わなかったし、フーカは憤りのあまりそういった些事に気を払うゆとりがなかった。

 ターミナルを後にする。ジェイラーは何事もなかったかのように警邏に戻る。フーカたちは埋葬に適した場所を探して、マップを参照する。結果、北の方向に自然公園の跡が残っていることを発見し、そこへ移動する。



 穴掘りを始める前、フーカは代々木公園跡という場所のストアド・リアリティを戯れに再生してみた。

 かつて――みちびき三号が稼働し始めてすぐのころは、緑地公園だった。それが十年ほど経つと、ビルディングがにょきにょきと立ち始める。しかしそれらは三十年以内にすべて取り壊されてしまっている。その後人の手が加わった形跡はなく、現在まで続く野ざらしの平野になっている。

 一度建造したものを取り壊すという判断をした、人間たちの意思決定にフーカは疑問を覚える。渋谷の街は、よく言えば古式ゆかしいビル街を保っている。しかしこちらのビルディングは、用が済んだとでも言わんばかりに破壊されている。

「トラさん、見えるよね」

「ああ、見たぞ」

 フーカは素直に、その疑問を投げつけた。するとトラサンはしばし沈黙する。即応性が求められる彼の思考回路(フレームワーク)には珍しいことだ。

「トラさん?」

「……おそらくは、お前の言うテロによって、建物そのものが著しく汚染されたのだろう。除染の手間よりも、解体を選んだ。あとは自然のなすがままに。そういうことじゃないだろうか」

「なるほど。さっすがトラさん。頭回るー」

「論理的な帰結だ。それをまとめられないお前の思考回路のほうにこそ、メンテナンスが必要なんじゃないか」

「うぐ」

 フーカはうめいた。穴を掘る手が止まる。それをトラサンが厳しく指摘する。フーカは頬を膨らませながら穴掘りを再開する。

「やりたいと言い出したのはお前のほうだぞ」

「筋繊維の緊張が結構ピークなんですけど。ねぇ、トラさん。マニピュレータでざくざくやれないの」

「断る」

「なんで」

 トラさんは間を作った。まるでため息をついたかのようで、フーカを黙らすには絶妙な時間だった。

「俺のマニピュレータは。収容して保護すべき対象を拾い上げるための腕だ。穴掘りで土にまみれるためのものじゃない」

 無機質なトラサンの合成音声に、わずかな怒気が含まれているように感じられた。フーカは失言を悟った。

「……わかったよ。二度と頼まない」

「そうしてくれ。お前のことをぶん殴るために使わずに済む」

「恐ろしいこと言わないで。トラさんに殴られたら全損でも足りないよ」

「そう思うなら、穴掘りに励むことだ」

 トラさんの叱咤激励もあって、故も知らぬ少年の墓穴は二十分ほどで出来上がった。トラサンの上部装甲が重厚な音を立てて開く。フーカはその中から遺骨を拾い上げ、傷つかないよう慎重に穴の底へと並べていく。

 穴はヒト一人が収まるには少し小さく、屈葬の形をとることになる。すべての骨を並べ終えたとき、フーカはそれが、アーカイブに記録のあったヒトの胎児の姿によく似ていると感じた。出生するときと、死没するとき。同じ姿勢をとった彼のことを思うと、フーカの情感豊かな感情回路は切なさ、儚さを覚えて、胸郭に再び異常な痛みが走る。祈りの姿勢を取るのは自然なことだった。膝をつき、手と手を握り合わせて、目を閉じる。

 衛星時間で言うと十分ほど、フーカはその姿勢を継続していた。トラサンはその間、何も言わなかった。しかし何もしていなかったわけではない。周囲を哨戒し、何かないかと探している。フーカの陥った感情の落とし穴から、気晴らしをさせられる何かを。

 フーカは、死に対して敏感すぎる。それは思考回路(フレームワーク)の違いという尺度を超えてなおそうだ。

もともと道路掃除婦型ヒューマノイドは人間に対して友好的に接することができるよう、感情表現が豊かで、その解釈にも長けている。しかし、それにしても度が過ぎている。まるで人間と同族であるかのように、人間の死を悼み、生を寿ごうとする。生きた人間を、もはや渇望してすらいる。

 埋葬という行為も、この祈りの姿勢も、思考回路に規定された職務の範疇を大きく逸脱する行為だ。トラサンはフーカに調子を合わせて白骨死体をアーティファクトと呼んだが、彼の思考回路からすればあれは完全に単なるゴミだった。ジェイラーの言ったことは正しい。

人間であるのは生きている間だけ。生きている、をどう定義するかについてはトラサンの認識だけで決定するわけにはいかないが、とりあえず意思を持って動いていれば、生きているといえる。そういう意味で、死体に祈りの意味を見出すフーカの思考は、理解不能だった。

 今は調子を合わせていればいいが、そのうちにこの悪癖は、フーカを追い詰めることになるかもしれない。もし、万が一レベルの話ではあるが……そこへ、トラサンの立体視アイカメラに映ったものがあった。

「おい、フーカ。見ろ」

 対象物の座標と映像情報を即座にフーカへ送信。フーカははっと顔を上げて、それを見た。

 帽子だった。

 広く、丸いつばを持った、真っ白な帽子だ。そこへ同じく、無垢なクリーム色のリボン

が山の部分に蝶々結びされている。

「……きれいだね」

「ということは、風化するばかりの遺失物ではない。あれにメンテナンスを施していたものがいるということだ」

「ロボット軍団はそんなことしない。だったら」

「つまり」

「生きた人間が、いる……!」

 フーカが色めき立つ。

 トラサンに表情を示すインターフェースはない。だから黙っていると、彼が何を考えているのか、フーカにはわからない。

 でも、きっと。トラサンも喜んでいるに違いない。問い合わせを投げるのも無粋だ。

「よし、追跡するよ」

「持ち場の問題はどうする」

「奇跡の海に走査データを送信済み。受信した応答は、このエリアはクリアだって。別の場所に移動してもいいって!」

 フーカはリアルタイムに情報の送受信をしながら、無邪気に飛び跳ねて喜んで見せる。その様子をトラサンは眺めている。フーカは本当に生きた人間に会いたくて、会いたくて仕方がないのだ。それは仕方のないことなのだと思う。

 なぜなら彼女のフレームワークが、そう規定されているからだ。

 トラサンはそのことを知っている。知っていて、黙っている。

 フーカが人間と出会うということが、どのような結果をもたらすのか。それも知っていて黙っている。

 すべてはフーカのなすがままに。それがフレームワークの一段上のレイヤーにある、トラサンの行動理念だった。

 仮に、幸せというものがヒューマノイドに対して定義できたとして。

たとえそうすることが、フーカの幸せにつながらなくとも。

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