宝来文学222号 「時差号」
奈良大学 文芸部
お気に召すまま かえる
鐘の音が聞こえる。
ふと顔を上げると、目の前には見慣れた真っ白な塔が立っていた。黄金の鐘がお勤めの終了を告げようと、一生懸命身体を揺らしている。
下に目を向ければ一面に真っ白な世界がが広がっていた。その中から小さな色たちがわらわらと飛び出してくるのが見えた。
僕しかいない静かな部屋で、コンコンと小気味いいノックの音が響く。ドアを開けて入ってきたのは僕の付き人のクミールだった。
「トーア様。いくら窓が閉まっているとはいえ、へりにお座りになるのは危のうございますよ」
「……すみません。外の様子が気になってしまって」
しかめっつらのクミールに注意されてしまえば、いうことを聞かないわけにはいかない。それに、最もな注意でもあったので大人しく謝る。そうすればいつものシワシワの笑顔のクミールに戻った。
「お勤め終了でございます。お疲れ様でございました」
「クミールもお疲れ様でした」
「もっいないお言葉でございます」
いつものやりとりを交わせば、クミールは察したようでさらに笑みを深める。
「クミール」
「はい。なんでございましょうか?」
「街の様子を見てきてもいいですか?」
「もちろんでございます」
「神使のお役目としても、視察は大切なことでございますから」
お役目だからとか関係なく、街の様子を見に行くことは好きだ。元々神使として五歳の時にお役目をもらうまでは普通に街で暮らしていたし、もう立場が変わってしまったとはいえ友達もいた。クミールはそれを知っているから反対なんてするはずもない。分かってはいるしほぼ毎日やっていることだから許可は出るとも分かっている。でも、やっぱり嬉しいものは嬉しい。
「ありが「ただし」はい」
「夕の神事までにはお戻りくださいませ」
『トーア様なら分かっているとは思いますが』
そう釘を刺してクミールは部屋から出ていった。
僕も開きっぱなしだった聖典を閉じて部屋を出る。そのまま螺旋階段を降りていくと、ようやく外が見えてきた。勢いのある熱い風が僕の服を巻き上げ、目の前を白く染め上げる。
神殿から一歩踏み出せば、活気あふれる街が広がっていた。ワイワイガヤガヤと気分よく騒ぐ声がそこかしこで響いている。真っ白な店の前では色鮮やかな食べ物が美味しそうに並んでいた。遊びまわる子供の声や商人と客のやり取りなど、様々な人々の声がこだましているのが聞こえて笑みを深めた。
きっと僕の顔はクミールにも劣らずしわくちゃになっていることだろう。
「あっトーア様だ!」
幼い声が、一瞬の隙間を縫って街に響き渡る。シン、と静かになったその途端、ドカンッと声が爆発した。
「ほんとだ!トーア様だ‼︎」「今日も街に降りてきてくださったのね!」「ありがたいことだ」「流石最高神様からのお告げを頂いた方だ」「なんと立派な神使様だろう」「トーア様!トーア様のおかげでこんなにも実りが良かったのです!ありがとうございます!」「トーア様!今日、俺、全部祝詞唱えられたんだぜ!」「あっずるい!僕も出来ましたよ!」「私だって出来たよ‼︎」「トーア様。トーア様のおかげで息子のトガリエの病気が完治いたしました。本当に、ありがとうございます」「トーア様!あのね!」「トーア様!」「トーア様!」「トーア様‼︎」
街の人たちの騒ぐ声を聞いて笑みを深める。にっこりと笑ったまま全員の顔を見渡してから口を開いた。
「みんな、お勤めお疲れ様。僕もみんなの話ちゃんと聞きたいから、一人ずつ話してくれると嬉しいな」
「今日も大人気だね、トーア様」
ある程度落ち着いてくると、見慣れた緑が目の前にフラッと現れた。自分の目線よりちょっと下から声が聞こえてくる。はあ、とひとつため息をついた。
「その呼び方やめろって言ってるだろう?」
『ガーラ』
にこにこと笑う彼を横目に見ながらぶすくれてみせる。
「ごめんごめん、トーア」
みんなと同じ真っ白い服を着て聖典を抱えていたガーラは両目を細めて、僕のことを眩しそうに見ていた。
ガーラは僕がまだ街で暮らしていた時の友達だ。
髪と同じくらい綺麗な瞳を持つ彼は、飛び抜けて熱心な信仰者でもある。僕が神使になるとお告げをもらった時に一番喜んでくれたのはガーラだけだった。
今でも鮮明に思い出せる。いつも薄く微笑む顔を崩さなかったガーラが、今よりも小さかったからとはいえ、目をキラキラさせて『すごい!すごい!』と『君には神様が見えていたんだね!』と言いながらぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃいでいた。白い肌を紅く染めて、めいいっぱいの笑顔を浮かべて。あんな顔をしたガーラを見たのは初めてだった。その時は神託よりもそっちの方が驚いた。次の日熱を出して倒れたところまで含めて、懐かしい思い出だ。
「今日は一段と良い天気だね」
思わず目を細めてしまうそれは、空の上で真っ白になって輝いていた。ガーラは眩しそうに手をかざしながら同じように目を細めている。太陽を見上げたガーラの顔は、僕を見ていたそれと何となく重なって見えた。
「本当にね。もう目の前が真っ白だよ」
「それはいつものことでしょ?この街はユクリエル様のお色をしているんだから」
「そうなんだけどね」
あはははと笑う。
この国が崇める神、そして俺を神使として認めてくれた神がユクリエル様だ。髪も瞳も翼も何もかもが真っ白で、初めてお会いした時は純白という言葉以外にこの神様を表す言葉は無いだろうと思ったほどだった。
「ユクリエル様は、それはそれは美しい白を纏っていらっしゃるんだろうなあ。いいな、トーアは。近々『神降ろし』があるから、またお目にかかれるんでしょ?どれだけ素晴らしかったかまた教えてね」
「ガーラは本当に好きだね」
「当たり前でしょ‼︎」
毎年毎年色褪せることのないその情熱につい笑ってしまった。ガーラが『もう!』と照れるように声を上げる。すると『またやっているよ』とでもいうように周りからクスクスと、微笑ましそうに僕達を見る街の人たちの笑い声が聞こえてくた。耳が赤くなっていくガーラを見て、またふふっと笑った。
「ユクリエル様とトーアのお陰だよ」
「いきなりどうしたの?」
訳が分からなくて、首をかしげた。頭を疑問符が埋め尽くす。
「こんなに天気がいいのも、木の実の実りがいいのも、この街のみんなが笑顔なのも、ね」
「本当にどうしたの⁇」
『何かあっただろうか?』と頭を捻っても何も出てこない。特に何かした覚えはないのに。
「東の国はあのツァースとの戦争の準備をしているっていう噂がある。それでもこのシェイタンが平和でいられるのはまさしくユクリエル様とトーアのお陰なんだよ」
「それを、分かって欲しいんだ」
『ふと思っただけなんだけどね』と言って優しそうに微笑んだ。その後、『同じユクリエル様を信仰する国だというのに。信仰心が足りないんだ』と笑顔とは真反対の顔でブツブツ呟いていたけど。
ふと声が止んだ。
「ガーラ?」
どうしたのだろうとガーラの方を見ると、やけに真剣な顔をして僕の顔を見つめていた。緑に透き通るガラス玉たちには僕の顔が写って見えた。
「トーアは、神使としてすごくよくお勤めしていると思う。だから、それをもう一歩進めればもっとこの国は良くなると思うんだ」
言わんとすることが分かってしまった。思わず顔をキュッとしかめてしまった。僕はあんなにも断ったのに、まだ諦めていないようだ。
「トーア、どうせ夕の神事まで暇なんだろう?今度こそカルメラの食事処に行かないかい?」
『みんな待ってるんだ』
そう言うガーラに僕は何度も繰り返してきた言葉を口にした。
「行かないよ」
「トーア」
「僕が昔のことを忘れたことは一度としてないよ」
「それでも君は神使様だ。いつまでも引きずっているわけにはいかないだろう?」
ふと昔のことが頭をよぎり、チクリと心に針を刺していく。どこか遠くで声が聞こえたような気がした。
「神使様としてはちゃんと行っているんだから十分じゃないか。とにかく、僕は行かないよ」
もう何回も口に出した言葉をまた繰り返す。頷く気のない僕を見て、ガーラはひとつため息をついた。そして、いつものように笑った。どうせ諦めてなんかいないんだろう。
「じゃあ、もう少しだけ僕の話に付き合ってくれる?」
『それくらいならいいだろう?』と言われて、僕も断れずに頷いた。機嫌を直したガーラと共に、時間まで話に花を咲かせていた。
そしてガーラは一人で食事処へと向かって行った。
僕も一人で神殿へと帰り、食事を済ます。月のない夜に灯る明かりが、僕は好きだった。夜の少し冷たい空気がやけに心地よく、心が少し落ち着いた。暖かい光が照らす中行われた神事の途中、見覚えのあるよな顔を見かけたような気がした。
その後も思った通りガーラは事あるごとに『あそこへ行こう』『ここに寄ろう』と誘ってきた。
けれど、僕がそれに頷くことは一度としてなかった。
「おはようございます。トーア様」
「おはようございます。クミール」
いつものように挨拶をする。
ただ、今日だけはちょっと特別だ。
「お体の方に異常はございませんか?」
「大丈夫です。今日だけは体調を崩すわけにはいきませんから。最近は特に気を付けていましたし」
その返答に満足したのか、クミールはにっこりと笑う。
今日はついに神降ろしの日。一切の仕事をしてはいけないとされるこの日ばかりは、毎朝聞こえてくる騒がしい声も聞こえない。鳥も風も今日という日をわかっているのか音一つ立てず、本当に静かな朝だった。
「それでは準備の方、始めさせていただきます」
身を清め、神降ろしのためだけに織られた服を着る。顔には薄く色がつけられ、伸びた髪は軽く結われていく。頭に飾りがつけられると、金色のそれは動くたびにしゃらりしゃらりと音を立てて揺れていた。耳、首、腕、足と余す所なく飾り立てられていった。準備が、たくさんの人によって恐ろしいほどの速さで完成させられていく。くるくると動かされているその姿は、外から見れば踊っているように見えていただろう。
目を開けば、相変わらず自分らしくない姿の『自分』が鏡の中にいた。『神々しい』とか『神秘的だ』とかいう声が自分の足元からそこかしこと聞こえてくる。
頭を垂れたクミールが口を開いた。
「いってらっしゃいませ、神使様」
しゃらん
しゃらん
澄んだ音を奏でながら、街の大通りをゆっくりと歩いていく。純白を身に纏い、透き通るような水晶は、時折色を変えながら揺れていた。後ろには捧げ物を持った付き人たちが列をなして歩いている。煌びやかな装飾品。美しく織られた布。色鮮やかな木の実。その他の数え切れないほどの捧げ物も、白の中でキラキラと宝石のように輝いていた。
しゃらん
しゃらん
そっと視線を動かす。この建物の中でみんなは祈りを捧げ続けているのだろうな、とふと思った。最近双子が生まれたあの家でも。木の実を売っているあの店でも。元気な子共がいるこの家でも。年寄りが営むこの店でも。ガーラも今朝会った街の人たちも、全員が手をつけ膝をつけ頭をつけ祈り続けているのだろうと、そう思った。
しゃらん
しゃらん
聖典の原本を両手に抱え、神殿の奥へと足を進めていく。その先にこの神殿よりも一回りほど小さく、古い神殿が顔を出した。スウッと光が差し込むこの神殿はその古さも相まって、一等神々しく見える。
しゃらん
しゃらん
捧げ物は手早く神へと供えられ、この場にいるのは僕一人だけとなった。目の前には大きな像を中心に、たくさんの石像たちが僕を取り囲むようにしてそびえたっている。中央へと歩みを進めると、美しい装飾が施された書見台がポツリと一つ立っていた。書見台に聖典を乗せる頃には完全に扉が閉まり、鈴の鳴る音だけがこの空間に響いていた。
「待っていたよ」
ひどく心地よい声が降ってくる。声のする方へ目を向ければ、ぶわっと純白が目の前を覆い尽くした。宙を舞ういくつもの羽根が、雪のようにキラキラと輝いて見えた。
「ユクリエル」
「久しぶり。トーア」
にこりと嬉しそうに笑う。認めたくはないが、今までこれよりも綺麗な白は見たことがない。憎たらしいほどに美しかった。
だが、
「『久しぶり』じゃねえよ!このバカ神が‼︎」
「え〜」
取り繕った仮面を剥がし、俺はコイツに怒鳴りかかる。確かにコイツは見惚れるほど綺麗なヤツだ。それでも俺は、コイツの本性を嫌と言うほどよく知っていた。
「街の人に見えねえからって何度も何度もちょっかいかけてきやがって!」
「だあって何にも反応してくれないからつまんないんだもーん」
「したらしたでちょっかいかけてくるだろうが!」
「そうだけどさー」
「おっっっっ前なあ‼︎」
米神がビキリと音を立てる。コイツは確かに敬うべき神だ。崇めるべき最高神だ。分かってる。分かってはいるが、コイツの行動・言動のせいで全部台無しだ。
「ほーんと仮面かぶるの上手くなったよね!あの街の人間、今のトーア見たらびっくりして気絶しちゃうんじゃない?」
「どうでもいいわ、そんなん」
ケッと吐き捨てるとコイツは楽しそうにアハハと笑っていた。早々に無視し、視線を回らす。まだ姿の見えない、もう一人いるはずの人間を探していた。
するとカタンと手前の方で音が聞こえた。バッと駆け出す。続けてゴトゴトと何かを揺らすような音がし、小さく砂埃が立った。ガンッと何かが外れたような音がすると、ズルズルと引きずる音とともに壁の一部に穴が一つ浮かび上がる。
できた穴からは腕が一本生えていた。俺はそれを躊躇なく掴むと、容赦なく引き抜いた。
「ゲホッゴホッゴホッ。っあー。相変わらず埃っぽいな、ここ。どうにかならないのか?」
咳き込みながらも一年前と変わらない声が聞こえてきて、思わず笑みが溢れた。
「いくら神聖な場所だっつっても、壁の中までは掃除しねえよ」
「そういうのはどうにかなるんじゃないのか?そのシンシサマのお力で」
「んなことできるか。『壁の中も掃除してください』なんて言ったところで理由聞かれたらどうすんだよ?」
「それはお前に任す」
「人任せにしてんじゃねえ」
互いにバシバシ叩き合いながら笑い合った。こんなことすら懐かしい。
中から出てきたのは、俺と同じくらいの大きさの人間だ。黒い髪に黒い目。この街では不幸の象徴、もしくは『悪魔』に魅入られたとされる『黒』を持つ人間。
「久しぶりだな。トーア」
「ああ、久しぶりだな。ダン」
そして、俺の唯一の友人だ。
「俺の話なんて大して面白くもなかっただろ」
ガブリと木の実にかぶりつきながら、ダンに尋ねる。あの後、二人で床にどかりと座って会えなかった一年のことについて話し合った。笑ったり、怒鳴ったり、時々叩いたりしながら話し続けた。
「いや。俺は『中』には入れないからな。どうなっているか気になる」
「んなこと言ってどうせどっかから情報仕入れてんだろ?」
そう言えば「まあな」と言ってフッと笑った。
次の木の実に手を伸ばす。そういえば、とほったらかしにしていたユクリエルに目をやるとつまらなさそうにむくれていた。『話に入ってこれなくて拗ねてんな』と思い、ついでにユクリエルにも投げてやるとパッと顔を輝かせて楽しそうにかぶりついていた。俺もと思いかぶりつく。この木の実は確かに神のものだが、神降ろし中の俺の食糧でもあるので自由に食い放題だ。どうせ神が食べようが俺たちが食べようが、外の人間には分かりやしない。
「それにしても、よくこんなこと続けていられるな」
「僕もそう思う。別に人間たちにかまわなくたっていいじゃん」
「またその話か」
「俺ならとっくにイカれてるよ」
そう言ってダンはぐじゅりと木の実にかぶりついていた。
『黒』をもって生まれた人間はこの国に入ることはできない。我が子だろうが待ちに待った初孫だろうが、即刻外に出される。そしてなかったことにされる。『中』に入ってこようとすれば、それは『ヒト』ではなく、『穢れ』として退治される。もちろんその子のために用意したものは全て穢れたものとして処分され、子が腹の中にいたことすらもなかったことにして生活し続けている。
この国では『黒』の人の話を出すことすらもしない。『存在しない』からだ。存在しないモノの話をしたって意味がない。
そして彼らはそれを普通のこととして、全員が受け入れている。
「誰これ構わずおべっか使って、ニコニコニコニコ笑って。疲れちまうぞ」
「そこらへんはうまくやってるよ。基本的に聞くだけだからな。情報仕入れるのに丁度いいから結構気に入ってるし」
「そうか」
「トーアは世渡り上手だもんね」
「ダンは喋るの下手だもんな」
「……うるせえ」
耳が赤く染まっていたのを見てひとしきり笑ってやった。
そしてその後、俺はユクリエルが占った、と言うことになっている吉兆をまとめながら、目の前でもしゃもしゃ木の実を食べるその本人を眺めていた。
『神降ろし』の本来の目的である『この街の吉兆を占う』ということは俺にとっては簡単なことだ。なんたってユクリエルが伝えてきたことを、適当に仰々しく書けばそれで終わりだからだ。
本来なら今までの神使たちと同じようにする必要があるんだろうが、そのほとんどが俺には必要ない。祝詞で神を呼び出す以前にユクリエルは俺の周りをウロチョロしてるし、捧げ物を納めるのはユクリエルが『時間がかかる』と言って嫌がる。それにそもそも俺たちが食ってる。占いの結果は上手く書けばいい。『神降ろし』という神事はユクリエルが『気に入らないから』という理由で意味のないものと化していた。
当の本人といえば一仕事終わって機嫌がいいようで、ダンに木の実をあげたり装飾品で適当に着飾って笑い転げていた。
ダンもダンでユクリエルの好きにさせている。全体的に白いユクリエルとは逆に全体的に黒いダンが金色の装飾品を付けるととても似合って見えた。いささか付けすぎだとは思うが。それを見てはるか昔二人で見た満点の星空を思い出した。確かこんな感じだったような気がする。白色のユクリエルに金色の装飾品は目がチカチカして眩しすぎるのだ。
「ト〜ア〜まだ〜?」
「あと少しだから、もうちょっとダンで遊んでてくれ」
「は?」
「そんなの適当じゃダメなのかい?」
ひょいと上から覗いてくる。はばたくたびに、ふわふわと落ちてくる羽根が少し鬱陶しい。これ、かなりの頻度で抜け落ちてるが大丈夫なのか?とふと思った。
「これでも『神使様』だからな。ここが使えなくなると困る」
「それもそっか。じゃあもうちょっと待ってるね」
『ダン!次これ付けて‼︎』と言いながら腕いっぱいに装飾品を抱えて飛んでいく。だいぶ金色に染まったダンの動きは随分と遅くなっており、かなり体が重そうだった。文字通りのそのそと動いている。金色の山に埋もれたダンを想像してつい笑みが溢れる。俺も早く混ざりに行こうと、再び作業に取り掛かった。
「街の人間って本当にバカだよね」
ユクリエルはカシャンと腕輪をつけながら、ポツリと呟いた。ダンの右腕が全て金色になったのを満足そうに見ながら、今度は左腕につける腕輪を探している。
「急にどうした?」
「だって僕が人間のことをどう思ってるかも知らないで、『貴方様のおかげです!』って言って崇めてるんだよ?」
「トーアがこの国にいるから、加護を授けてるだけなのにね」
キラキラと光る腕輪を日に透かして、再びダンの腕へとつけていく。何を思ったのか装飾品の山を抱えぶわりと飛び立つ。そしてそのまま、思いっきり空へと放り投げた。ぼろぼろと落ちていくそれは、まるで茶色に変わった落ち葉のようだった。コレは、アイツにとって石ころとなんら変わらないものなんだろう。丹精込めて作った装飾品たちは、今のところダンにつけて遊ぶ以上の価値を持たなかった。
「お前も毎年毎年飽きないな」
「ほんと救えないんだもんコイツら。昔はトーアに対してなんの興味もなかったくせに、僕たちが見えると知った途端コレなんだから」
は〜あ、とでも言うようにして肩をすくめている。
「トーアにしてきたこと、僕が許すわけないのに」
スッと目が暗く濁り、雨音が響く中、恐ろしいほどに低い声が響いた。
「それに不吉だなんて勝手に決めて捨てた子が、トーアが唯一本当に友と認めている人間なんだよ?本当に可哀想だね!今!この瞬間も‼︎『神使様の一番の友人は僕だ!』なんて疑いもなく信じているのだから‼︎」
くるくると飛び回りながらそう叫んだ。あはははははと笑いながら、心底、楽しそうに。
「ねえ?ダン」
恍惚な笑みを浮かべたままダンに視線を向ける。
君もそう思うでしょう?と言わんばかりに。
「ああ。反吐が出る」
「おい、ダン!」
ダンは俺の言葉なんて聞こえていないように話し続ける。
「俺もトーアが元気でいられるならそれでいい。俺を見てくれたのはトーアだけだったし、トーアを見ているのも俺だけだった。誰も彼もがいないものとして扱った俺を、たまたま見かけただけだとはいえ、声をかけてくれた。手を引いてくれた。トーアだけだったんだ。今更どのツラ下げて擦り寄ってきてやがる。そう思っていた、ずっと。今もだ」
「ダン……」
うふふふふと声が響く。ユクリエルは楽しそうに笑いながらダンの周りをゆっくりと飛んでいた。
「ダンはちゃんと分かってるもんね?僕がトーアのこと大好きだから、ダンのこと殺さなかったってコト」
『だからあの身の程知らずな人間よりは君のこと、イイコだと思っているんだよ?』
瞳の中にダンの変わらない表情を写したことに満足したのか、ふわっと空気が緩んだ。
『それにね、』と続けて言う。。
「今はもうカノンのお気に入りだから、ちょっかい出すのめんどくさいし。せっかくいい感じに発展してきた東の国、潰されちゃうと困るからね」
「……まだ、そんな悪趣味なことしてたのか」
「悪趣味なんて言わないでよ〜。コレも仕事の内なんだから!まあ楽しんではいるけどね〜」
ユクリエルがダンに手を出さないのは、カノンのおかげというのが大きいのは確かだ。カノンはダンのことを気に入っている悪魔のことで、俺で言うユクリエルのことだ。
〈『黒』を持つ人間は悪魔に魅入られている。〉
これはあくまで神話での話だ。だが、ダンにとっては『そう』じゃなかった。
ダンは悪魔『に』魅入られていると言うよりかは、悪魔『が』魅入られていると言う感じではあるが。だからダンが不幸をもたらすわけでも、何か裁かれるようなことをしたなんてこともない。
聖典の中では神と悪魔が長年憎み合い、殺し合い、今も互いの国が戦争を続けている、と書かれている。そうしてそれを街の人間は馬鹿正直に信じている。『神は自分たちを守ってくれている』と。『自分たちの繁栄を願ってくれている』と。そう信じきっている。
だが、実際は全く違う。
神と悪魔は互いに憎み合っていないし、戦争もしていない。仲が悪いということはあるが、殺し合いまでいかないし、せいぜい口喧嘩いって殴り合いまでだ。それで済むのは『仕事』にも関係するからかもしれないが。
彼らは『仕事』として、国の行く末を操る。今日の『神降ろし』のように吉兆を占ったり啓示をもたらしたりして国を動かしている。時に繁栄させ、時に滅ぼし、時に災害を呼び、時に戦争を起こさせながら。
彼らにとって、どちらが勝とうが構やしないのだ。気に入った人間にさえ手を出されなければ、それ以外はどうでもいい。そこらの雑草と同じ。そこらの虫っけらと同じだ。
戦って自分が目をかけていた方が勝てば面白い。負けても『そんなもんか』と飽きてお終い。たまに一生懸命立ち直ろうとするのを邪魔しながら見る。興味が失せれば潰してお終い。新しいのでやり直し。
それを談笑しながら見ている。一種の娯楽扱いだ。
「後もう少し育ったらカノンの国と戦争させるんだー。数百年くらい前から考えてたんだから!悪魔の国と神の国の一大戦争‼︎面白いだろうなあ」
子供のような顔をして、待ち遠しいというように笑っていた。
「トーアだってそうじゃないの?」
「はあ?俺は少なくとも戦争について楽しそうに話すなんてことしなんてねえよ」
くるっと振り返ってずずいっと顔を寄せてきたユクリエルをぴしゃりと跳ね除ける。しかし『そうじゃないよー』とほやほやと朗らかに言われた。
「トーアだってダン以外の人間はどうでもいいって、思ってるでしょ?」
「そ、れは………」
目の奥が怪しく光る。
ふと頭にガーラが浮かんだ。目の前にいるダンと無意識に比べ始める。ガーラはいつも笑っていた。ダンは無表情でいる方が多い。ガーラは。ダンは。ガーラは。ダンは。
仮に『どちらか選ばないと片方死ぬ』と言われたら?
「………」
うん。
考えるまでもないな。
「そうだな」
俺は間違いなくダンを選ぶ。
たとえ死ぬのがガーラじゃなくてクミールでも。死ぬのが一人じゃなくて街の人全員だったとしても。
俺はダンを選ぶ。というか、悩んだ時点でダンを侮辱してる。
「……………」
ユクリエルの方を見てみれば、相変わらずニコニコと楽しそうに笑っていた。
コイツに俺の底を見られていたと思うと虫唾が走る。けど、相手はアレでも神だし付き合いも長い。しょうがないと言われればそれまでだがやはりいい気はしない。
「……………………」
よく考えてみなくても俺は神使になる前に俺にしたことを忘れたつもりはないし、ダンを捨てた街を許す気もサラサラないんだから選ぶとか悩むとか、そういう選択肢は元々ない。神使として聖典は読まなきゃいけないから読んだが、ユクリエルたち神とカノンたち悪魔の話が適当に美化して書かれているだけだし、聖典は開いてるだけでもう読んでなんかいない。街に出るのは情報収集を兼ねているから別に何とも思わないが、やってくる人間が暑苦しい。ガーラなんか特にそうだ。直接聞いたことなんてないが俺に近づいてきたのは俺が神使になりそうだったからっぽいし、毎日毎日『ユクリエル様ユクリエル様』うるさいし。
「……………………………」
事あるごとに歳が近いヤツらと合わせようとしてくるし、『君のこと、全部わかってるよ』みたいな顔で笑うし。それに、それに、それに…………。
「…………………………………」
「えっ……と…………」
「……………………………………………………」
「………………悪かったよ」
ダンは何も言わずスタスタと近づき、ボコッと頭を殴った。
そこそこ痛かったが、俺も何も言わなかった。
そこにもう一つ影が増える。
「分かってないみたいだから僕も言うけどね?僕はトーア以外の人間なんて死のうが生きようがどうなろうが別に構わないの。トーアが幸せならそれでいいの!」
『ダンなんかよりも、もっとずっとそう思ってるの‼︎』
ムスッとむくれながら言う。『怒ってます!』と全面的に押し出しているつもりのようだった。そんなユクリエルを見てぽろっと言葉がこぼれた。
「お前は、」
「ん?」
不思議そうに首を傾げる
「お前は会った時から全然変わらないな」
『見た目も考え方も、何もかも』
そう言うときょとんとした顔をして、ユクリエルは楽しそうに笑った。
「そりゃそうだよ!」
「なんたって僕は」
神様だからね!
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