第7話 未来に続く道
ルーファスが与えてくれた結界にすっぽり包まれて、ミネルバの意識はあちこちに飛んだ。トパーズから光の球体が現れ、そこにいくつもの顔が浮かんでは消えていく。
ミネルバの視界と連動する球体を見つめるジミーの口から、驚愕の声が漏れた。
「こりゃあすごい……。こいつは西の小国クレンツの情報部の人間だ。いちおうは独立国とはいえ、ガイアル帝国の犬ですよ!」
容赦のない鋭さのある顔立ちの男を見て、ジミーが叫び声をあげる。宿帳の名前はハドリック・ドゥーガンだが、偽名であることは間違いない。
球体に映し出される男の顔、服装、現在の居場所──捜査を開始するために必要な情報をメモするジミーの顔は、真剣そのものだ。
有名な温泉地であるディアラム領には、数多くの外国人が訪れる。しかしガイアル陣営であるクレンツ王国の人間となると話が違ってくる。容疑をかける理由としては十分だ。
「よーし、よしよし、これで動かぬ証拠を押さえられる。ロバートを法的に拘留できるぞ!」
ミネルバはさらに集中力を高め、署名から映し出される顔を観察した。何人も何人も……ジミーはその中からも、突破口となり得る情報を見つけたらしい。
(お、終わった……)
最後の署名から指を離したとき、ミネルバは激しい疲労を感じていた。体力だけではなく、精神力もかなり消耗した気がする。
数えきれないほどの顔の中には、ぞくりとするような不気味さや、冷酷さを帯びているものがあった。
明らかに周囲を警戒している人もいた。神聖な物とは対極にある、邪悪な瞳を持つ人だった。ミネルバの安全が脅かされることはなかったのは、ひとえにルーファスの結界のおかげだ。
「お見事でございました! ミネルバ様の稀に見る才能に、大いに驚かされましたよ。短い間に、いくつもの奇跡を起こしてくださった。千里眼の情報は、ロバートを逮捕するための大きな助けになるでしょう!!」
ジミーの言葉に、ミネルバの背後にいるルーファスがうなずく気配が伝わってきた。
「ガイアルが一枚噛んでいることは間違いなさそうだ。任せたぞジミー、クレンツの情報員から引き出せるだけ情報を引き出してくれ」
「ええ、お任せください。上手くすれば、お二人の婚約を祝う大舞踏会までに吉報をお届けできますよ」
ジミーはうなじに手を当てて頭を下げた。そして顔をあげると、にんまりと笑った。
「ロバートを捕縛したら、社交界にもひと波乱起きますなあ。奴を擁護していた連中には、たっぷりと白い目が注がれるはずです」
「ああ。上流社会では、噂が広まるのは速いからな。ロバートから情報を買っていたとすれば、大問題になるだろう。使い道が縁談や商談のためだとしても、多くの人間にとって許容しがたいことだからな。愚かにもほどがある」
「貴族連中も、うまく懲らしめられるように動きますのでご安心を。いくら自らの擁護者でも、追い詰められたロバートが彼らとの『友情』を守れるとは思えませんしね。情報を売った先を、洗いざらい白状させてみせますよ」
ジミーは流麗なお辞儀をし、踵を返した。
ついさっき千里眼で見た何人もの顔の中には、もちろんグレイリングの貴族の顔もあって──中でも頻繁に登場したのは、カサンドラの父であるメイザー公爵だった。彼がロバートとどのような関係を築いていたのかは、ジミーの捜査でおのずと明らかになるだろう。
「お二人とも、かなり疲れたでしょう。食べて、飲んで、ゆっくり寝ちゃいましょう」
ロアンが心配そうな顔つきでこちらに近づいてくる。次の瞬間、扉の向こうで大きな歓声が上がった。
「ありゃりゃ、みーんな集まってたのか。殿下とミネルバ様が偉業を成し遂げたことを、ジミーさんが伝えたんだな」
ロアンの言葉通り、数人の男女が扉の向こうから顔を出した。
マーカスとソフィー、テイラー夫人、ジャスティンとコリン、トリスタンとセラフィーナ、ギルガレン辺境伯、実の両親と義理の両親、信頼できる護衛たち……ミネルバとルーファスは、あっという間に愛おしい人々に取り囲まれた。
敬意と賞賛の言葉をひとしきり与えられ、ミネルバとルーファスは笑顔で応えた。心は軽いが──ついに体の疲れが限界に達した。二人同時に、崩れるように床に座り込む。
ミネルバはルーファスにもたれて、大きく息を吐いた。ルーファスは目を閉じて、指先で眉間を揉んでいる。
「はは……さすがに疲れました」
ルーファスが苦笑する。
「無理もないな。お前は二週間の旅のために、がむしゃらに働いていたし。その後もずっと忙しかったのだから。しかしよくやった、ルーファス」
「ミネルバさんをちゃんと守ったのね。あなたは男の中の男よ」
ルーファスに向けられたトリスタンとセラフィーナの眼差しは、深い愛情に満ちていた。
「殿下……ありがとうございます」
ジャスティンが床に両ひざをついて頭を下げる。
「あなた様はミネルバを生涯かけて守ると……一生尽くし続けると誓い、その言葉通りに行動してくださる。ミネルバへの献身に、心から感謝いたします」
コリンも兄にならった。
「ミネルバは本当に幸せな婚約をしました。僕たちは安心してアシュランへ帰れます」
ソフィーがひざまずき、ぎゅっとミネルバの手を握った。ミネルバも握り返した。
「ありがとうミネルバ、私のために危険を冒してくれて……私はあなたに出会えて、友達になれて、言葉にできないくらい嬉しい……っ!」
「私も、言葉にできないくらい嬉しい。ソフィー、マーカス兄様をよろしくね。一般的な貴公子とはタイプが違うけれど、本当に素晴らしい人なの」
ソフィーの頬が薔薇色に染まった。
「うん……マーカス様の側にいると、すごく幸せな気分になれるの。本当に優しくて思いやりのある人よ。それにあの、すごくワイルドで格好いいし、非の打ちどころががないっていうか……」
胸の前で両手を組み合わせ、ソフィーがうっとりした顔つきになる。隣にいるマーカスが派手に咳きこんだ。
「ロバートから貰った婚約指輪、返そうとしたけれど受け取って貰えなかったでしょう? あれをね、マーカス様が預かってくださることになったの。時が来たら、ロバートに突き返してくださるって」
「うっわー、マーカス様ったらカッコいいー」
ロアンが悪戯っぽくオッドアイをきらめかせた。ジャスティンとコリンが同時ににやりと笑い、右と左からマーカスの肩を掴む。
「マーカス……お前からソフィーさんに、新たな指輪を贈らねばならんな」
「バートネット家に代々伝わる指輪をつけたソフィーさんは、さぞかし美しいだろうねえ」
「お、おう。ジャスティン兄さん、コリン、アシュランに戻ったら早速梱包して、こっちに送ってくれるか」
「何を言ってるんだマーカス。お前の滅多にない晴れの舞台に、兄である私が立ち会わないでどうする。死ぬ気で仕事を終わらせて、指輪は私が運んできてやる」
「マーカス兄さんの人生の一大事だものね。僕たち、兄さんのためならどんなことでもする覚悟だからさ」
「いや、いい! 遠慮する! 二人とも絶対に面白がっているだけだろっ!?」
マーカスが盛大にうろたえる。室内は和やかな笑い声で満たされた。
ロバートの件が片付けば、マーカスとソフィーは新たな人生を歩み始める。
属国の公爵家の跡取りと、宗主国の大貴族の娘という身分の差を考えれば、色々と問題はあるだろうが──ありのままの姿を受け入れてくれる相手となら、きっと乗り越えられるだろう。
「一件落着と言うには早いが、目途は立ったな」
ルーファスが背後から、ミネルバをそっと抱きしめてくる。テイラー夫人は眉を上げたが、何も言わなかった。疲労困憊の二人が寄り添っているだけだと、大目に見てくれることにしたらしい。
「私たち、体力を取り戻すには少し時間がかかりそうね。ロアンの言う通り、ゆっくり休まなきゃ」
「たしかにそうだな。そうしなければ、皆納得しないだろうし」
愛情たっぷりの視線を向けてくれる人々を見ながら、ルーファスが目を細める。
「これから先も、きっと色んな事があるだろう。気丈な君は挫けたりしないだろうが」
「ルーファスが私を慈しみ、守ってくれるとわかっているから頑張れるの。愛し愛される人生を長く分かち合うために、仕事もちょっとお休みして、英気を養わなきゃね」
「仰せのままに、愛しい人。でも何もしないのは暇だから……君をどんなに愛しているか、伝えるための時間にしようか?」
ルーファスに耳元で甘い言葉をささやかれ、ミネルバは頬が熱くなるのを感じた。ロアンが笑顔でからかってきて、また室内に笑い声がはじける。
ルーファスがゆったりと微笑み、ミネルバの手を取って立ち上がった。
こんなに素晴らしい皇弟殿下に愛されるのは、最高に幸せなことだ。ミネルバはしみじみと思った。
ルーファスとミネルバの旅路は始まったばかり。生涯の愛を誓う結婚式までは、まだまだ時間がかかるけれど──二人の強い愛情があれば、どんなことにも勇気をもって立ち向かえるに違いなかった。
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お付き合い頂きありがとうございました。第二部完結です。第三部では、ロバートとカサンドラが重要人物となります。ガイアルの皇太子ラーヒルも出てくる予定です。ジャスティン兄様の嫁問題も残ってますね。
有難いことに書籍化させて頂くことになり、そちらの作業もありますので、第三部開始まで少しお時間いただきます。
これほどの長編を書いたのは初めてで、続けられたのはひとえに読者様のおかげです。本当にありがとうございます。まだまだ落ち着かない世の中ですが、皆様もどうかご自愛くださいませ。
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