第6話 力を合わせて

 諜報員であるジミーは忙しい人だ。ロバートを法廷に引きずり出すために、あちこちを飛び回らなければならない。

 そのため千里眼と結界の同時発動は、翌日の午前中に行われることになった。場所は昨晩と同じルーファスの書斎だ。


「私は長いこと諜報活動の最前線にいて、しぶとく生き残ってきてますんで。千里眼の情報を『見て』わかることは多いかと。各国の諜報員の情報も、頭に叩き込まれてますしね」


 穏やかな表情でジミーが言った。

 ルーファスは特殊能力の持ち主たちを集め、訓練している。ジミーもロアン同様、彼が探し出してきた人材であるらしい。

 ルーファスが「間違いなく信用が置ける」と言っている人物だけのことはあり、ジミーは千里眼に対して困惑も好奇心もあらわにしなかった。

 ルーファスとの共闘が上手くいかなかったら、すぐに中止するという約束だ。それでもほんの一瞬、何かが見えるとしたら──様々な国の人間を見て、幅広い経験を積んできたジミーに同席してもらうに越したことはない。


「ロバートを捕えて終わりという、安易な決着をつけることはできない。それでは繋がっている人物を取り逃がしてしまうことになるからな。ロバートはすべてを否定するだろう。証拠を要求するだろう。現時点では金を貰ったという事実と、反逆行為を単純には結びつけられない。洗いざらい白状させるために、確実な罪の証拠を手に入れる必要がある」


 ルーファスが決然とした口調で言う。丁寧に仕立てられた黒いシャツと黒いズボンという身軽な服装のおかげで、広い肩や分厚い胸板、引き締まった腰や長い脚がより一層際立っている。

 彼はミネルバの肩を掴み、自分と向き合わせた。


「しかしミネルバ、私たちの砂が触媒として反応してくれるかどうか……それは練習してどうにかなることではない。一度だけ、ただ全力を尽くしてやってみる。私たちが一体になれなかったら、そのときは潔く諦めよう」


 ルーファスの瞳に断固たる決意を感じ取り、ミネルバは「はい」と答えた。


「特殊能力を混ぜ合わせるなんて、前代未聞のことだ。もし失敗に終わったとしても、過度に思い悩む必要はない。とがめる者は誰もいない」


 ルーファスは揺るぎない声で言った。その力強さがミネルバの不安を鎮め、安心感を呼び起こす。

 彼の落ち着き払った態度を、ミネルバはありがたく思った。おかげで緊張がほぐれた。可能性が低いとしても、成功したいのなら不安や緊張に囚われているわけにはいかない。

 立会人はジミーと、そして特殊能力者であるロアンだけだ。この二人なら状況を正しく判断できるし、ミネルバとルーファスも無理をする必要がない。

 マーカスとソフィー、もうすぐアシュランに帰国する家族たち、トリスタンにセラフィーナ……いまごろ皆、落ち着かない気分でいることだろう。エヴァンもセスもぺリルも、扉の向こうに待機して、いつでも動けるように身構えているに違いない。


「では……やってみよう」


 ルーファスがミネルバの手を取る。彼の触媒である翡翠が、左の手のひらにそっと置かれた。

 ミネルバは翡翠を握り締めた。ルーファスの大きくて頑丈な手が、トパーズの婚約指輪ごとミネルバの左手を包み込む。


「注意深くやろう。ゆっくり、慎重に……少しでも危険だと思ったら、すぐにやめよう」


「ええ。まずは私たちの力が、上手く砂と共鳴するかどうか……」


 負けん気は刺激されるけれど、ルーファスの誠意と思いやりに触れたら、無茶をしようとは思えなくなる。ミネルバを愛し、心配してくれる高潔な人。いまはただ静かに、彼との心の絆を感じよう。


(私たちの守護石……お願い。あそこにある砂のように、力をひとつに溶け合わせて……)


 ミネルバは祈った。

 砂の入ったガラスの壺は、宮殿の敷地内にある神殿からエヴァンとロアンが運んできてくれた。背の高い台の上に置かれ、神聖な雰囲気が漂っているものの、触媒としての力の兆しは見えない。


(焦らない……慌てない……)


 粘り強さも辛抱強さも、どちらもミネルバの得意とするところだ。ミネルバとルーファスが引き起こした、二つの強い力が辺りに満ちる。

 繋がった手の周辺でぱちぱちと火花が散った。二つの特殊能力が惹かれ合っているのは確かだ。しかし溶け合うことはできず、いくつもの火花が弾けるのみだ。


(神様……そしてルーファスのご先祖様……どうか、私たちに力を貸してください。グレイリングの人々を、侵略や戦争から守りたいんです。よその国の民の平和な生活が、崩壊するのも見たくはありません。どうかどうか、私たちに力を……)


 額に玉の汗が浮かぶ。ルーファスの眉間にも深いしわが寄っている。砂からの反応はないが、互いから生まれた力がどんどん強さを増していく。

 白い霧のようなルーファスの力。橙色の光がまばゆいミネルバの力。力と力がぶつかり合い、渦を巻く。

 二つの力の奔流がガラスの壺へと流れ込んだ。その中にある砂から、違う力を得ようとするかのように。


「ルーファス、見て!」


 頬が熱くなるのを感じながら、ミネルバは声をあげた。ガラスの壺が、白い霧と橙色の光に飲み込まれる。一度すべてが消え……壺自体が脈打つように明滅し始めた。

 壺の中で、二人の力が協調し始めているのがわかる。ぶつかり合うのではなく、相手の力を高め、補おうとしている。砂でろ過されて、混じり合い……やがて壺の中から、ミネルバの肌の色に似た淡く優しい光が飛び出してきた。

 壺から放たれた光がミネルバとルーファスの全身を取り囲み、周囲が見えなくなる。しかし不安はなかった。だってこの光は、二人で生み出したものだから。


「繭の中にいるみたい……」


 力に包み込まれるのは、圧倒されるような感覚だった。この内側にいる限り、絶対に安全だと思える。ルーファスの結界を触媒である砂が高め、さらに強めてくれたのだろうか。

 やがて光が弱まり、ロアンとジミーの姿が見えるようになった。

 ミネルバが動くと、結界の繭も一緒に動く。驚くほど見事な出来栄えだった。ルーファスも好奇心をかき立てられたように、繭の壁を触っている。


「二人の力がひとつに溶け合った結果だな。この結界ならば、千里眼の使用中も有効だろう」


「ええ。不思議なほど安心感があるわ。まるでルーファスに抱きしめられているみたい」


「行っておいで、ミネルバ。私はここで君を支えている」


 ルーファスは両手でミネルバの顔を包んだ。彼の黒い瞳に見つめられ、やる気が一気に燃え上がる。

 彼がミネルバの背中に回り、言葉の通りに肩を支えてくれた。

 ミネルバはガラスの壺が置かれた台に手を伸ばした。下の棚に宿帳があるからだ。宿帳を手に取り、表紙を開く。

 ミネルバは意識を集中して、先頭の署名に指を這わせた。トパーズと翡翠、そして砂の壺から、同時に強い反応が返ってくる。

 ロアンとジミーの口から感嘆の声が漏れた瞬間、ミネルバの意識は体から飛び立った。


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次回、第二部最終回です

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