第2話 事件について

 パーティーがお開きになったあと、ミネルバたちはルーファスの書斎に集まることになった。

 そこはどこから見ても男らしい部屋だった。がっしりした作りの、落ち着いた色合いの家具で統一されている。全体的にシンプルだし、繊細さとは無縁だが、とても居心地のいい雰囲気だ。

 普段着用のドレスに着替えたミネルバとソフィー、ラフな格好になったルーファスとトリスタン、ギルガレン辺境伯と護衛たち。そしてマーカスもその場に加わっていた。

 これから話し合われることには、限られた人間だけに与えられる情報が含まれている。マーカスもそれはわかっていて、あれこれ考える顔つきをしている。そんな彼に、ルーファスが落ち着いた声をかけた。


「マーカスも、ソフィーが直面していることを知っておくべきだ。彼女の身を守るためにも。なにより、君が側にいる方がソフィーも安心できるだろうし」


 ソフィーがうっすらと頬を染めた。マーカスも真っ赤になったが、ソフィーを椅子までエスコートし、それから自分も隣の椅子に腰を下ろした。


「さて、まずはおさらいをするとしよう」


 トリスタンが皇帝らしい口ぶりで宣言した。その場にいる全員が椅子の上で背筋を伸ばす。


「事の発端は、ディアラム侯爵家のロバートとギルガレン辺境伯家のミーアが、ルーファスとミネルバの滞在中に思慮に欠ける行動をとったことだ」


 ルーファスが「ええ」とうなずく。彼の頭が急速に回転し始めたことが、隣に座るミネルバにまで伝わってきた。

 皆で取り囲んでいるテーブルの上に、ルーファスは革の袋を置いた。そこから取り出されたのは、黒い革張りの手帳だ。それがなんなのか、ミネルバははっきりと覚えていた。


「これはロバート・ディアラムの手帳だ。彼がミーアから聞いたと主張している、地下通路の道順と、仕掛けの解除方法が書いてある」


 そう言って、ルーファスは手帳に視線を落とした。


「ポールター修道院にいるミーアに事情聴取をしたところ、彼女がロバートに教えたという事実に間違いはなかった。いくらロバートが知りたがったとはいえ、通路の秘密は皇族と、ギルガレン家の当主一家だけが知ることを許されるもの。順当に考えれば、ギルガレン家側の落ち度が大きいと言うべきだろう」


「面目次第もございません……」


 ギルガレン辺境伯がうなだれる。ルーファスは彼に向かって「いや」と首を振った。


「ミーアの恋慕が原因だと簡単に事をおしまいにするには、ロバートの行動はあまりに向こう見ずで、支離滅裂すぎる。しかし問題は、ギルガレン家に寛大な処置をすれば、ディアラム家にもそうせざるをえないことだ。ロバートにもそれがわかっていたんだろう。あの日の彼の自信の裏に、私は何らかの企みが隠れている気がしてならなかった」


 マーカスがわずかに身を乗り出した。


「ロバートがどれだけ自己中心的で浅はかな男だとしても、ミーアをすばやく切り捨てたことは、恋慕とはかけ離れていますからね。あの場でソフィーさんにすがるなんて、殿下やミネルバが快く思わないことはわかっていたはず。皇族を怒らせる危険性より何より、ロバートにとって大切なものがあったと考えるのが自然だ」


 ソフィーが小さく息を吐いた。


「大切なものというのが、私ではないことは確かですわ。あの日、ロバートが地下通路に入ったのは短い時間です。この手帳に描かれているのは、通路のほんの一部……ミーアが隔離されていた塔への行き方だけ」


 テーブルの上の手帳を眺めながら、ソフィーが悲しそうな表情になる。


「あの日、お父様はミーアに対して断固とした態度を崩しませんでした。あの子に利用価値がなくなったと、ロバートは素早く計算を巡らせたのではないでしょうか。だから、私との縁を切らしたくなかった……理由は分かりませんけれど、ロバートは通路をくまなく調べたいのではないかしら」


「ああ。ソフィーとの婚約も、ミーアに近づいたのも、目的は地下通路だと言われた方がまだ納得できる」


 ギルガレン辺境伯がソフィーよりも大きなため息をついた。


「城が建てられておよそ五百年、我が家は代々、地下通路の維持管理という義務を負ってきました。定期的に工事を入れて近代化させてきましたし、仕掛けを付け足すなどの改良も行っています。それでなくとも難解な迷路のようになっていますし、代替わりするたびに、ある地点からある地点への行き方を変えるなどして、前の代の秘密が漏れても影響が少なくなるように努力してきました」


 辺境伯は声を震わせながら言った。情けなさと悔しさを噛み締めているようだ。


「ソフィーはギルガレン家直系の誇りを忘れず、決して通路のことを口外しなかったが、ミーアは……今回のことを肝に銘じて、地下通路の工事を進めています。もちろん警備も強化しています。なによりルーファス殿下が、我が家の立て直しのために必要な人材を送ってくださいました。心より感謝申し上げます」


 辺境伯が深々と頭を下げた。

 あの日ルーファスが、側近のジェムに何事かを耳打ちしていたことを思い出す。状況判断が得意な彼のことだ、あの時点ですでに動き始めていたに違いない。

 トリスタンがテーブルの上の手帳を引き寄せ、ぱらぱらとページをめくった。


「ロバートは侯爵家の嫡男なのだから、私が辺境の警備をことのほか重視していることは知っているだろう。もうひとつの大帝国ガイアルの動向も気になるし、不穏な時代は続いているからね」


 トリスタンは「ただし」と言って、手帳をパタンと閉じた。


「ギルガレン辺境伯は、ガイアル帝国からはもっとも離れている。アシュランやその他の、小さな属国と接している地域だ。反乱勢力も無いし、いまのところギルガレン家の地下通路の情報は、あまり貴重とは言えない。他の辺境伯領には、近隣諸国と緊迫した状況だったり、蛮族と対立している地域もあるがね」


「そういう意味では、ロバートがリスクを冒す意味がわからない。しかし策略というものは、それらしくないところにあるもの。私と兄上はあらゆる可能性を踏まえて、調査に乗り出すことにした」


 ルーファスが言った。トリスタンが長い指先を口元にあてる。


「この国の安全について、私が見過ごしていいことは何ひとつないからね。いくつかの公爵家が、妙にロバートに肩入れしているのも気にかかる。まずは状況を調べて、ロバートのことを知り尽くす必要があった。ミネルバ、ソフィー、これまで経過報告ができなくてすまなかったね」


「そんな、陛下に謝って頂くなんて、とんでもないことです。秘密裏に事を進めていらっしゃることはわかっていました。物事が不確かなときは、秘密厳守が当然です。そうでないと、追っている相手に気づかれてしまうかもしれませんし」


 ミネルバはしっかりとした口調で答えた。


「私の役目は、ソフィーをロバートから引き離しておくこと。彼女の安全を守ることだけだと、自覚しておりましたから」


 トリスタンが満足気にうなずく。


「それでは、調べて分かったことを教えよう。セス、調査の『専門家』を呼んでくれるかい?」


 トリスタンはさっと片手を上げて、ルーファスの護衛であるセスに指示した。セスは「は」と短く返事をし、書斎の扉を開いた。


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本日は2話更新します

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