第2部7章

第1話 和気藹々

 パレードが終わったあと、宮殿ではアシュランからの訪問団をもてなす歓迎会が開かれた。

 グレイリングの貴族からは閣僚評議会の面々が招待されていた。ジャスティンとコリンは、宰相や大臣といった肩書を持つ人物たちと握手や社交辞令を交わすのに忙しく、再会を楽しむ時間はほとんどなかった。

 ようやく歓迎会が終わったあと、バートネット家の四兄妹とルーファス、ソフィーとロアンは翡翠殿の大広間に向かった。


「元気そうだし、幸せそうだなミネルバ。嬉しい限りだ」


 ジャスティンが嬉しそうに両手を広げる。ミネルバは遠慮なく彼の胸に飛び込んだ。


「不思議だな。髪型もドレスも見慣れているはずなのに、なぜか様変わりして見える」


「ジャスティン兄さまは、なんていうかキラキラして見えるわ。王子様っぽくなったというか」


「そりゃあ自分磨きに励んだからな。ミネルバのために全力を尽くしたくて、美容の専門スタッフを雇ったんだ」


 悪戯っぽい目をしながらジャスティンが微笑む。彼の隣に立っているコリンが肩をすくめた。


「キラキラした見た目を維持するのって、本当に大変なんだね。マーカス兄さんもやってみたら? とびきり魅力的になれるかもしれないよ」


 コリンは肩にかかったサラサラの髪を払いのけた。マーカスが「かもしれないとは何だ!」とかっと目を見開く。


「冗談だって。パレードが終わったんだから、僕はもう美容はやりたくないよ。泥パックもマッサージも脱毛も、思い出すだけで吐き気がする。スパルタ式だし痛いし癒されないし、散々だったんだから」


「もしかして美容の専門家って……」


 コリンの疲労を感じ取り、マーカスが彼に近づきながら尋ねる。コリンはげっそりした顔つきで「男だよ」と答えた。


「ジャスティン兄さんは、国中のご令嬢から狙われる立場になったんだから。おいそれと女性を雇えるわけないだろ」


「お、おお。そりゃ災難だったというか、何というか……」


 室内にマーカスのひきつった笑いと、残りの面々の和やかな笑いがあふれた。

 ちなみに、パレードでは裏方に徹して表には出てこなかった両親──父であるサイラス・バートネット公爵と母のアグネスは、歓迎会のあとグレンヴィルとエヴァンジェリンの住む翼棟に移動している。

 親睦を深めるためだろうし、ミネルバとルーファスの婚姻に関しての話し合いもあるのだろう。


「ジャスティン兄様、コリン兄様。私付きの女官を紹介するわ。ギルガレン辺境伯の長女、ソフィーよ。美人で聡明で気立てがよくて、とっても優しいの」


 ミネルバの言葉に、ソフィーは恥ずかしそうな笑みを浮かべた。ジャスティンとコリンが背筋を伸ばす。


「長兄のジャスティンです。はじめましてソフィーさん、どうぞよろしく」


 そう言って微笑むジャスティンは堂々としていて、いかにも王太子らしく見えた。

 ソフィーが顔を真っ赤にして、ぎこちなく会釈をする。


「こ、こちらこそよろしくお願いします、ジャスティン様」


「女官というのは、個人秘書であり友人でもあるとか。うちの妹の相手は大変でしょう?」


 ジャスティンは苦笑しながら「頑固ですし」と付け加えた。


「そこらの男よりも根性があるし、負けず嫌いだし、自分に厳しい。そのせいで、ソフィーさんに迷惑をかけていなければいいのですが」


「と、とんでもございません。私はいつもミネルバの強さに救われているんです。彼女と出会えたことを、私は死ぬまで神に感謝するでしょう」


「そう言って貰えて嬉しいです。これからもミネルバを支えてやってください」


 ジャスティンはソフィーをいたわるような眼差しを浮かべた。彼女が妹のミーアと婚約者のロバートに裏切られて傷ついていることは、あらかじめ手紙で伝えてある。


「末の兄のコリンです。いやあ、女神と見まがうほどお美しい。その上真面目で勤勉な方だと、妹からの手紙にありました。僕はいま兄の花嫁探しで難儀しているんです。ソフィーさんみたいな良識ある人が、アシュランの王妃になってくださったら──」


「いえいえいえいえ!」


「うおぉぉっほんっ!」


 ロアンがずいっと前に出てくるのと、マーカスが咳払いをするのがほとんど同時だった。


「ソフィーさんは僕と同じで、残りの人生を主人に捧げると決めちゃってるんですよ! だから結婚するにしても、グレイリングを離れるのは厳しいんじゃないですかねっ!」


「そうだぞコリン! たしかにソフィーさんは綺麗だし教養ありまくりだが、ミネルバにとってなくてはならない人なんだっ!」


「いやだから『ソフィーさんみたいな人』って言っただろ。さすがにミネルバから女官を取り上げられないよ。紛らわしい言い方してごめん。それにしても、どうしてマーカス兄さんとロアンが盛大に動揺してるのさ」


 コリンがきょとんとした顔になる。ジャスティンもソフィーもだ。くすっと笑ったルーファスが、身振りで椅子に座るように促した。


「ジャスティン、花嫁探しが難航しているのか?」


 全員がソファーや椅子に腰かけた後、ルーファスがジャスティンに問いかけた。


「ええ。アシュランの令嬢たちから最も望まれる男に、自分がなったというのも妙な気分なのですが。相手のことをよく知る時間を作れないというのが現状でして」


「結婚は軽く考えるべきではないからな。君の子孫に王位継承権が受け継がれていくとなれば、なおさらだ」


「この立場になってしまうと、愛のために結婚することが難しいのはわかっているのですが。私は妻になる人に身も心も捧げたいし、生涯誠実であり続けたいと思っています。家柄の良さや教養が必要なのは当然ですが、慈悲深く思いやりがあって、人格の素晴らしい女性。自分にぴったりだと思える女性……そういう人は、中々見つかるものではありませんね」


 ジャスティンは力なく笑った。隠すことのできない焦りと疲労がにじみ出る。


「私的な利益追求のために王妃を目指す女性では困りますし。いよいよとなれば、トリスタン様にお世話して頂こうかと思っています」


 そう言ってジャスティンは、穏やかな目をミネルバに向けた。


「婚約式は五日後だなミネルバ。新しい人生の始まりのその日まで、精一杯支えるよ。あの迫力のある老婦人、テイラー夫人だったか? 彼女はずいぶん厳しそうだ。私にできることは気分転換を手伝ってやることくらいだが──乗馬は無理にしても、兄妹四人で散歩をするのもいいな」


「ありがとうジャスティン兄様。でもルーファスと私は明日から宮殿の神殿で、婚約式前の『清めの期間』に入るの。神官たち以外に接触していいのは家族と限られた使用人だけで、神殿と翡翠殿の往復以外に、外に出ることは許されないんですって。話し相手になってくれるだけで、十分すぎるほど気分転換になるわ」


「ミネルバができない用事は、私がなんでもしますわ。ジャスティン様もコリン様も、外出したいときは遠慮なくおっしゃってください。すぐに手配しますから」


 ソフィーが明るい声で言った。


「ミネルバは清めの期間中、私にお休みを取るように言ってくれたのですけれど、翡翠殿に残ることにしましたの。貴族たちから次々に届くお祝いの品の目録を作ろうと思って。実家の父も忙しくて、帝都への到着が遅れていますし」


 職務に対するソフィーの責任感の強さには、ミネルバも驚かされることがある。女官職は楽しくて幸せだとソフィーは主張するが、休みを取らないのはやはり心配だ。


「ソフィー、清めの期間中は少しでも自由に過ごしてね? 楽しみにしていた宮殿の図書館で過ごしてもいいし、友達を招いても構わない。宮殿にはそのための施設もあるんだし──」


「心配しないで、あなたが神殿にいる時間は気楽にやるから。バートネット公爵夫人に、園芸のコツをお聞きするチャンスは逃せないもの」


 ソフィーがうなずいた。


(お母様とソフィーなら、たしかに話が合うに違いないわ。兄様たちもロアンもいるのだから、彼女が孤独を感じる暇はないはず……)


 ミネルバは肩の力を抜いた。清めの期間中にトラブルが起こる可能性など、欠片も無いように思えた。


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いつも読んで下さってありがとうございます。

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