第5話 シーリアとの再会

 それからも帝都デュアートを目指しながらの旅行は続いた。とても充実していて、幸せな日々だった。

 途中からは船にも乗った。船旅には慣れていなかったので、グレイリング自慢の帆船の快適さはありがたかった。

 ミネルバは毎日をルーファスと過ごし、徐々に皇弟妃としての道が整えられていくのを感じた。

 立ち寄った先では丁重に扱われ、軽視されたり思いやりのない態度を取られることはない。誰もが笑顔で迎えてくれた。

 ミネルバはもちろん、ミネルバに献身的に尽くしてくれるソフィーも、様々な催しを心置きなく楽しむことができた。ロバートとの一件はすでに広まっていたが、彼女に哀れみや蔑みの目を向ける人はいなかった。

 何回もの心浮き立つ昼ときらめく夜を過ごし、最後の訪問先に到着したのはアシュランを出発してから二週間後のこと。

 帝都からほど近いベンソン侯爵家の屋敷では、懐かしい人が待っていた。


「ああミネルバ、会いたかったわ!」


 黒い髪と青い瞳を持つシーリア・フィンチが抱きついてくる。ルーファスに惹かれながらも、自分の気持ちに素直になれずにいたころのミネルバの背中を押してくれた人だ。

 グレイリングの淑女の中で、ミネルバの最初の友人であり姉貴分でもあるシーリアとは、アシュランにあるグレイリング大使館で出会った。彼女の夫であるニコラス・フィンチ伯爵は特命全権大使であり、異世界人研究者でもある。


「私も会いたかったわシーリア。元気な赤ちゃんが生まれたそうね、おめでとう!」


 シーリアが嬉しそうにうなずく。当時からお腹の大きかった彼女は、出産のために実家であるベンソン侯爵家に戻っていたのだ。

 男性陣が侯爵と歓談している間、ミネルバとソフィーはひと足早く育児室に足を踏み入れた。クリーム色を基調とした可愛らしい部屋だ。

 ベビーベッドに眠る茶髪の男の子を見て、ミネルバは思わず感動の声をあげた。


「か、可愛い……! こんなに小さいのにニコラスさんそっくり!」


「そうなの、びっくりするくらい私の要素がどこにも見当たらないの」


「待望の嫡男が生まれて、フィンチ伯爵家も大喜びでしょうね。名前は何ていうの?」


「ジュリアンよ。この子話し声程度では起きないから、そこの椅子に座ってちょうだい。いまお茶を持ってこさせるから」


 ミネルバとソフィーは、花柄のクッションが置かれたベンチに並んで腰かけた。シーリアは赤ん坊をあやすための揺り椅子に座る。数分後、テーブルの上には温かいハーブティーが置かれた。


「聞いたわよソフィー、災難だったわね。でも、ろくでもない男と縁が切れたのはかえって幸運だったわよ」


 積極的な性格で裏表のないシーリアがずばりと言う。


「私もそう思います。ミネルバの女官になって、仕事で気持ちを紛らわせることが出来ました。いまでは運命だったと思っています。だってミネルバったら、放っておくと目が血走るまで本を読むんですもの! ストイックというか、何事にも全身全霊で打ち込みすぎというか。私が止めないと体を壊してしまいますわ」


 そう言ってソフィーは上品にハーブティーを口に運ぶ。ミネルバは思わず身を縮めた。

 ギルガレン伯爵家から持ってきた儀式の本は、主な内容をすっかりそらんじている。そのために睡眠時間を多少削ったので、ソフィーに叱られてしまったのだ。

 シーリアがにんまりと笑う。


「ソフィーを女官にしたのは悪い選択肢ではなかったわね」


「ええ、実際悪くなさすぎるわ。有能で熱意があって、職務に忠実。顔も広いし、ソフィーが協力してくれれば、何でもやり遂げられる気がする。こんなに素晴らしい女官は滅多に見つからないわ」


「ソフィーはあなたのことが好きで、尊敬しているのよ。私もそう。少し側にいれば、ミネルバは美貌と幸運だけでルーファス殿下の寵愛を得たわけではないってわかるもの」


 ジュリアンがむずがりだしたので、シーリアは慣れた手つきでベビーベッドから抱き上げた。そしてまた揺り椅子に座る。


「属国の令嬢から大帝国の皇弟妃へ夢のような転身をとげるあなたを、公爵家の令嬢たちがいかに恨んでいるかは、もう知っているわよね?」


「ええ、ソフィーに教えてもらったわ」


「私もミネルバの友人として、率直で誠実でありたいと思ってる。だから遠慮なく言うけれど、カサンドラ・メイザー公爵令嬢があなたを陥れる準備をしているという噂があるの。ここは帝都から近いから、噂が入ってきやすいのよ」


 ミネルバとソフィーはほとんど同時に背筋を伸ばした。ソフィーが眉根を寄せてシーリアを見る。


「具体的にはどのような計画ですか?」


「カサンドラ主催の『ミネルバ様の成功をお祝いする会』ですって。グレイリングに不慣れなミネルバを、同年代の友人として温かく迎えたいそうよ。噂から判断する限り、公爵家の令嬢たちによる吊し上げの場ってところかしら」


「とんでもないわ! カサンドラがどれだけ皇弟妃になりがたっていたか、誰だって知っている。彼女の意図に疑いの余地はないわ、ただミネルバを虐めて恥をかかせたいだけよ。宮殿に入ったら目が回るほど忙しくなるのだから、厄介な招待は断るべきだわ」 


「私もそうしたほうがいいと思うわ。宮殿に到着したらすぐに招待状が届くはずよ。断ったら断ったで、礼儀知らずだの意気地なしだの言うのは間違いないけど、気にしちゃ駄目」


 ソフィーとシーリアの会話を聞きながら、ミネルバは不思議な闘志が湧いてくるのを感じていた。


「でも、知らん顔をするのはよくないわ。先延ばしにしても、別の手段を考えてくるだけの事でしょうし」


 ミネルバはぐっと顎を上げた。


「もしカサンドラが私を招待するつもりだとして。まあ、お断りするわね。優先順位が自分にあると思われたくないから。そのおわびに宮殿内でお茶会を開いて、カサンドラを含めた厳選されたお客様をお招きするわ」


 なんだかわくわくしてきた。オリヴィア王妃からも、社交界の戦いの鉄則を仕込まれたものだ。


「攻撃は最大の防御だもの。そうそう、お茶会にはテーマカラーがあったほうがいいわね。緑と青なんてどうかしら、アシュラン王国の国旗の色よ。ドレスや手袋、小物入れや靴、いずれかにその色を使ってもらうの」


 ミネルバはにっこりと笑った。シーリアもソフィーもあんぐりと口を開けている。


「私のことが嫌いな人は、絶対に身に着けてこないでしょう。こそこそされるのは嫌いだし、敵味方がはっきりわかって助かるわ」


「ミネルバって……めちゃくちゃ負けん気が強いのね」


 かろうじて落ち着きを取り戻したソフィーが、小さな声で言った。


「ええ、きっと三人も兄がいるせいね。兄たちに追いつきたくてがむしゃらにやっていたら、競争心が強くなってしまったの。ごめんなさい、もしもお茶会を開くなら、ソフィーは準備が大変になってしまうわね」


「もしもじゃなくて、確実に開くことになるでしょうね。女官として立派に勤めを果たすから、そこはまかせてちょうだい」


 ソフィーは旅立って以降ずっと持ち歩いている鞄から、革製のバインダーを取り出した。それを開き、ジェムから貰ったスケジュール表を眺める。真剣な表情から、彼女も戦うつもりになったことがわかった。

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