第3話 不気味な男2

 ミネルバの隣に座るソフィーの、ぎゅっと握った拳が震えている。


「待ってロバート!」


 ソフィーが叫び、目に挑むような光を浮かべて立ち上がった。扉をくぐる直前だったロバートが、顔だけをソフィーに向ける。


「考え直してくれたんだね、ソフィー。やっぱり君は物わかりがいい。僕たち二人でみんなを説得しよう? さあ、こっちにおいで」


「そうじゃないわ」


 ソフィーは怒りの声をあげた。

 期待を打ち砕かれたロバートが首をかしげる。笑みを浮かべてはいるが、目が笑っていない。


「僕からミーアを誘ったわけではないんだよ? ふしだらな娘に『私を抱いて』とわめかれて、おかしな精神状態になってしまったんだ。そうやって誘われた男は、僕が初めてではないに違いない。だからねソフィー、僕は被害者なんだよ?」


「お願い、もう黙って」


 ソフィーの頬が赤く染まる。怒りはもちろん、緊張や不安を感じているのだろう。


「私、あなたのことをよく知っていると思っていた。でも実際は、何ひとつ知らなかったんだわ。自分に見る目がなかったことを、よくよく思い知らされた。私を愛していたら、どんなことをしてもミーアを振り払ったはずよ。いまとなっては、あなたが私を本当に愛していたとは思えないけれど」


 その場にいる誰もが、ソフィーの声に激しい怒りを感じ取った。彼女は左手を持ち上げて、きらきらと輝いている婚約指輪を睨みつけた。

 そんなものが自分の指に嵌っていることが耐えられないとばかりに、乱暴に指から引き抜いて手のひらに載せる。


「返すわ。ミーアのことは許せないけれど、私は感謝すべきね。あなたみたいな最低の男から救い出してくれたんだから。親族会議の結果、あなたが地獄に足を踏み入れても自業自得よ」


 歩み寄ってきたソフィーから指輪を差し出されて、ロバートの顔から笑顔が消えた。


「ひとつ言っておく。僕がギルガレン家の秘密を盗もうとした証拠は何もない」


 ロバートは鼻にかかった嫌な声を出した。


「その点についての僕の無実は、ほどなく明らかになるだろう。僕の罪は、恥知らずを絵に描いたような女の餌食になったことだけ。たとえ社交界の笑い者になろうが、僕はあがくよ。親族会議の席でも、洗いざらいぶちまける」


 ロバートがソフィーを睨みつける。その目はぞっとするほど冷ややかだった。


「僕と結ばれる以外に、君の未来に幸福などありはしない。婚約が崩れたことで、君の人生もめちゃくちゃになったんだ。社交界で恥をかくくらいなら、死んでしまった方がましだと思うに違いないよ。僕は待っているから、気が変わったら連絡してくれ」


 ふてぶてしさを感じさせる顔つきのロバートを見ながら、ミネルバは心がざわつくのを感じた。

 呆然としていたディアラム侯爵がやっと正気に返り、ロバートのところまで走っていく。


「も、申し訳ございません。ロバートは極度の興奮状態に陥っておるのです。注意深く見張りながら領地に連れ帰ります。心が落ち付けば、己の所業を深く反省するでしょう」


 親としてはそう信じたいに違いない。侯爵は額の汗をぬぐった。


「ギルガレン辺境伯、今回のことはどちらの家にとっても痛ましい出来事だった。親族会議の結果は、すぐに報告する……!」


 息子の背中を押して、侯爵が廊下に出る。慌てて後を追う侯爵夫人は涙を流していた。従者たちはロバートが逃げ出さないように警戒しているが、歩き去っていく彼の背中は堂々としたものだ。

 受け取って貰えなかった婚約指輪を持ったまま、ソフィーは両腕で自分の体を抱くようにした。明らかに恐怖に怯えている。


「ソフィー、あなたは立派だったわ」


 ミネルバは震えているソフィーを抱き寄せた。


「ミネルバ様……あの人、すごく怖い……」


 ソフィーの震える指先が、ミネルバの腕に食い込んでくる。

 ミーアがロバートに熱を上げたことは事実だ。人の頭の中を覗く方法がない以上、ロバートの主張が嘘だとは言えない。

 ミネルバの本能が、ソフィーを守れと警告している。何とかして、彼女を恐怖から遠ざける方法はないものだろうか。

 両腕でソフィーを抱きながら、ミネルバはルーファスに視線を向けた。彼は側近のジェムに何事かを耳打ちしている。

 床にへたり込んでいるミーアがしゃくりあげた。


「私……はじめてをロバート様に捧げたのに、捨てられた……。お父様、私はどうなるの? もうまともな結婚はできないの?」


「お前のしたことは許されることではない。お前をこの家に残しておいたら、ソフィーの評判によけい傷がつく。いますぐに荷物をまとめて、ポールター修道院に行ってもらう」


「ポールター修道院って、小さな島の断崖絶壁の上に建ってるっていう……」


 ミーアは目をぱちくりさせた。

 ロアンがすばやくミネルバの側に寄ってきて、小声で囁く。


「金さえ払えば、どんな女でも受け入れる修道院です。ほとんど刑務所ですよ。一度入ったらまず出られない、ただむなしく老いていくだけです」


 ミーアが泣きわめきながら床に倒れ込んだ。


「いや! 修道院で生涯を終えるなんて耐えられない! お願いお父様、修道院じゃなければどんな遠くへでも行くから。もう厄介事は起こさないから。平民だろうが離婚歴があろうが、お爺さんみたいな年齢の人でもいいから、誰かのところへ嫁がせてっ!」


「お前はあのロバートの子を妊娠しているかもしれない。ポールター修道院ならば、適切に対処してもらえる」


 ギルガレン辺境伯が大きく息を吐く。


「ミーア、お前は甘やかされたわがまま娘だ。母親が三歳のときに亡くなって……住み込みの乳母に任せるよりはと、母方の祖父母に預けたのが間違いだったんだ」


 辺境伯は悔やむように言った。


「死んだ娘にそっくりなお前を、あの人たちが甘やかしたのは明らかだ。だが一番罪深いのは……ソフィーに対してやたら強気な態度をとるお前を、矯正することができなかった私だ。ミーア、もう十分楽しい思いをしたはずだろう? ソフィーの心に生涯消えない傷を負わせた、その罪を償いなさい」


 ミーアは泣きながら首を左右に振った。頭の中を恐怖が駆けめぐり、とても冷静ではいられないのだろう。

 ポールター修道院に放り込まれたら、ミーアの脆い精神力では耐え切れないに違いない。


「ひどい、ひどい! ロバート様が悪いのに……っ! ソフィーが幸せそうな顔をしていたのが悪いのに!!」


「お前はいつも、自分の罪を誰かほかの人間のせいにする。まともな人間になりたかったら、厳しい場所で考え方を変えなければならない」


 辺境伯はミーアに近づき、彼女を腕の中に抱きしめた。父親として心が痛むに違いない。だが迅速に処罰を下す姿勢は立派で、やはりルーファスの評価通りの人物だとミネルバは思った。

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