第2部2章

第1話 旅の途中で

 グレイリング帝国の辺境伯、カルバート・キルガレンの領地への旅は快適だった。

 ルーファスはあえて最短経路を使わず、観光を楽しむ余裕のある旅程を組んでくれた。旅行の経験のなかったミネルバは、途中にある国のすばらしい名所をいくつか見て回った。


「こんなにゆっくり移動するのは、ルーファス様の部下になってから初めてです! これまで荒っぽい強行軍しかしたことなかったですもん。給料はいいし、いろんな人に出会えるから楽しいですけど、たまにはゆっくりするのもいいですねーっ!」


 旅の間ロアンが何度も同じことを言うので、ルーファスも彼の部下たちも苦笑するしかなかった。

 とある村に立ち寄ったとき、聖人をたたえるお祭りが開かれていた。

 先頭左馬騎手を務めているロアンが「お祭りだあ!」と陽気な笑い声をあげる。やはり馬に乗って馬車の傍らに付き添っているエヴァンに、馬車の中にいるルーファスが停まるように指示を出した。


「大道芸人や手品師も来ているようだ。ミネルバ、馬を休ませている間に見て回ろうか」


「ええ、ぜひ!」


 最新式馬車のクッションのきいた座席の上で、ミネルバは思わず体を弾ませた。

 少し先にある馬宿で、従僕や馬丁といった使用人たちが休憩している間、ミネルバたちは祭りの広場を歩き回った。


「串焼き肉に焼きたてのパイ、麦芽飴に生姜パン、さーて、どれから食べようかなあっ!」


 ロアンが興奮気味に叫ぶ。

 広場には屋台やテントが立ち並んでいた。群衆の間を練り歩く踊り子、旅芸人や軽業師、詩を売ってお金を稼ぐ吟遊詩人、占い師や楽士が、祭りに訪れた人々を心ゆくまで楽しませている。

 ミネルバの護衛のエヴァン、ルーファスの護衛のセスとぺリルも、楽しそうに祭りを眺めていた。しかし彼らは極度に感覚を研ぎ澄ましているので、どんな事態にも瞬時に反応できる。

 恐ろしく腕が立ち、主人を守るためなら非情にもなれる護衛たちに守られながら、ミネルバはいろんな品物を見て回った。

 見事な細工の装飾品、民族衣装に香水、馬具や工具といった実用品、燻製肉や日干しの魚、果物に野菜に香辛料など、ありとあらゆる商品が売られている。


「グレイリングの勢力圏は、どこも活気があるわね。この村の人々も、とても幸せそう」


 ミネルバは感動しながら言った。青空に響く人々の笑い声は、彼らが幸福な日々を生きている証だ。


「ああ。我が国の影響下にある土地の人々が、笑顔を見せてくれるのは嬉しいな」


 ルーファスが静かな声で答える。彼の黒い瞳に喜びの色が浮かぶのが見て取れた。


「ここもアシュラン同様、国土面積も人口規模も小さい国よね。グレイリングを宗主国として、内政自治を保障されて。文化の押しつけもないから、古い時代の名残が村のあちこちに残ってる。グレイリングが尊敬される理由がわかるわ。もうひとつの大帝国ガイアルは属国に移民をたくさん送り込んで、その国独自の文化も禁止するというし」


「そうだな。ガイアル帝国は属国の王子や王女を人質にとっているし、属国と言うよりは属州以下の扱いをしているそうだ」


「ガイアルの皇太子ラーヒル様は、たしかルーファスと同じ22歳だったわよね。婚約式や結婚式といった式典にはおいでになるの?」


「呼ばざるを得ないだろうな。互いににらみ合っているとはいえ、戦争をしているわけではないし。私とミネルバにまつわる式典は、世界的にも一大行事だ。規模の小さい婚約式はともかく、結婚式には必ず来るだろう」


 ルーファスが顔をしかめた。


「ラーヒルはまだ皇太子だが、いずれ世界でも指折りの権力者になる。かなりの人間嫌い、女嫌いという噂があるが、それでいてハーレムに何十人もの美女を囲っているらしい。歴代の中でも最大級だそうだ。どう考えても、友人として仲良くなれそうにはないな」


 ハーレムという言葉を聞いて、ミネルバは背筋が寒くなるのを感じた。

 グレイリングの文化圏は一夫一婦制だが、ガイアルは一夫多妻制だという。絢爛たる牢獄に閉じ込められた何十人もの女性のひとりには、絶対になりたくない。

 女嫌いという噂はかつてのルーファスと同じだが、ラーヒルはかなり残忍な性格だと聞いている。


「うまっ! マーカスさんこの肉すっごく美味しいですよ!!」


「こっちのパイも、この世のものとは思えないほどの美味しさだぞ。あっちの燻製肉もうまそうだ、携帯食用に買い込んでいくか!」


 旺盛な食欲を見せるロアンとマーカスを見て、ミネルバの肩から力が抜けた。せっかくのお祭りなのだから、あの二人のように楽しむべきだ。


「ルーファス、あっちに民芸品の可愛い人形があるわ。珍しい織物のリボンも。キルガレン辺境伯の娘さんたちに、お土産に買って行ってもいいかしら」


「自分用にもたくさん買うといい。私も可愛い甥っ子に何か買ってやるとしよう」


 今日の夕方には、ギルガレン辺境伯の屋敷に到着する予定だ。回り道をしたミネルバたちと違ってまっすぐ領地に戻った辺境伯は、温かい歓迎の準備を整えてくれていることだろう。

 国境というのは重要な地点で、そこを治めるのは皇帝からの信頼の厚い人物でなければならない。

 ギルガレン辺境伯には結婚適齢期に差しかかったソフィーとミーアという二人の娘がいるが、彼女たちをルーファスに嫁入りさせて、皇族の仲間入りを果たそうという野心を抱くような人ではなかったらしい。


「お、俺もギルガレン辺境伯のお嬢さんたちに何か買って行こうかな。ロアン、あの金細工のブレスレットどう思う?」


「ちょっと悪趣味じゃないですか? ていうか長女さんは婚約してるんでしょ。ギルガレン辺境伯は、次女さんをジャスティン様の花嫁候補に考えてるっぽいし、無駄なことはやめときましょうよ」


「じゃあ次に立ち寄る貴族のお嬢さんのために買っとく。俺はルーファス様やジャスティン兄さんみたいに、何もしなくても女性を惹きつけられる男じゃないしな!」


「不憫すぎますマーカスさん、自覚があるのが悲しい!」


 青い空にロアンの叫び声が響いた。

 ミネルバとルーファスは顔を見合わせて笑い、それからしばらくの間、一向に活気の衰えない祭りを楽しんだ。

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