第5話 決意と未来

「すまなかった、ミネルバ。自分勝手な私たちのせいで、グレイリングで苦しい立場に追い込むわけにはいかない。あなたが公平に扱われるようにしなければ……」


 キーナン王が身体を震わせる


「ミネルバ、本当にごめんなさい。いえ、ミネルバ様と呼ばなければいけないわね……。あなたを傷つけてしまったことを、どれだけ後悔していることか……」


 オリヴィア王妃が声を詰まらせた。

 ミネルバはゆっくりと息を吐きだした。


「お二人の謝罪を受け入れます。私はもう大丈夫です。グレイリングに行ったら、アシュランで学んだひとつひとつを誇りにして生きていきます」


 ルーファスが椅子の後ろに回り、ミネルバの肩に手を置いた。

 悩みの種のひとつだった名誉の問題が消え失せようとしている。目の前にまっすぐな道が見えた気がした。

 グレイリングでの新生活は簡単なことではないだろう。それでも、すべてのことに終止符を打つことができれば、すっきりした気分で前に進むことができる。

 国王夫妻は、3人の兄たちにも順番に謝罪の言葉を口にした。


 オリヴィア王妃がミネルバのほうを向き、もう一度深々と頭を下げる。


「ミネルバ様……。あなたは本当に優しくて、裏表なくフィルバートに接してくれた。あの子よりもずっと気骨があった。知識も礼儀作法も、グレイリングの令嬢たちが驚くくらい洗練されているわ。温かさと思いやりに溢れ、献身的なあなたは、きっとあちらでも尊敬されることでしょう」


「オリヴィア様……」


 ミネルバは嬉しいと同時に悲しくもあった。

 オリヴィア王妃はミネルバを可愛がってくれた。一度として高圧的にいばり散らすことはなかった。

 彼女の知識量は教師たちの遥か上だった。ミネルバは、彼女のおかげで数か国語が流暢に喋れるようになったのだ。

 上に立つ者としての立ち居振る舞い、歴史と文学、数学と科学、水彩画に楽器演奏──さらには帳簿のつけ方や地図の見方まで教えてもらった。

 社交の場での好ましい話題、周囲の人々を会話に引き込む方法、王室外交を完璧にこなすために各国のしきたりを叩き込んでくれた。

 国王夫妻は遠からず表舞台から退くだろう。アシュランが属国として存続できるかどうかはわからないが、フィルバートが王位継承者から外されることは確実だ。

 もしもグレイリングの傀儡国家になってしまったら──キーナン王もオリヴィア王妃も悲しむだろう。しかし彼らはもう何の口出しもできない。

 

「フィルバートがあなたの爪の先ほどでも賢明だったら、こんなことにはならなかったでしょうに……。あの子は天使が降ってきたのだと言ったわ。アシュランに異世界人が降臨した、これは生涯に一度あるかないかの幸運なんだって」


 オリヴィア王妃が遠くを見るような目つきになった。


「セリカは私たち光をもたらし、違う生き方があることを教えてくれる存在。価値のある異世界人と巡り合えたことを喜ぼう……そう言って、私たちを欺いたの。まさか禁術を使って自ら呼び出していたなんて、思いもしなかった……」


 そう言って王妃はぎゅっと唇を噛んだ。


「セリカは愛らしい顔と、強欲な心を持っていた。ふしだらな魅力もね。男を手玉に取る魔性の女だと思ったわ。フィルバートはすっかりのぼせ上がって……見ていて情けなかった。セリカが王宮に来てから口論が絶えず、罵詈雑言すら飛び交ったわ。王族としての誇りと責任を説く私たちが、あの子はうとましくなったのね。じっくりいたぶって殺してしまおうと思うくらいに……」


 すでに濡れて光っていた王妃の頬に、新たな涙が転がり落ちる。

 ミネルバも過去を思い出していた。

 得体のしれない人間をいきなり王宮に連れて来たことに、キーナン王は恐ろしく腹を立てていた。オリヴィア王妃も、フィルバートに対して馴れ馴れしい態度をとるセリカに眉をひそめていた。


「セリカを王太子妃にしよう、そうすれば国が栄える──とてもそんな提案には乗れないと突っぱねたわ。不思議な力を持つということと、人の上に立つ資格があるということは、必ずしも同じではないと何度も言った……」


 かすれた声で言いながら、オリヴィア王妃は静かな怒りを燃やしていた。目を見ればわかる。彼女は強硬な意見を持ったとき、決して譲らない女性なのだ。

 キーナン王が「ああ」と呻くようにうなずいた。


「私はフィルバートに言った。心変わりしたお前は、貴族たちを集めてそのわけを説明する必要がある、と。私はその場でお前と……血縁としての縁を切ると。ミネルバとの婚約を破棄するならば、そうされて当然なのだと」


「そこまで……」


 ミネルバは思わずつぶやいた。キーナン王がまたうなずく。


「いくら異世界人でも、あのような娘とかかわりを持つのは望ましくない。私たちが叱ると、口では反省していると言いつつ反抗的な態度をとるような娘だ。セリカの魂胆と正体を暴こうと動きかけたとき……なぜか頭に霞がかかるようになった」


 キーナン王の瞳が悲し気に揺れる。


「体中から力が消え失せていくようだった。耳の奥で悪魔の声が聞こえた。決して耳を貸してはいけないとわかっていたのに、気が付いたときには、セリカを受け入れることが最善だと思うようになっていた……」


 王の小さな体が、王妃と同じように静かな怒りを燃やしている。


「フィルバートの罪は裁かれなければならない。そこに血族の愛情が入り込む余地はない。あれを育てた私たちも、その後にきちんと罰を受ける。私は王位を失わざるを得ないだろうが、それで当然だ」


 いまや国王夫妻は、目に見えて生気を取り戻していた。

 元より世界最長の在位期間で、よその国々からことのほか尊敬されている人たちだ。ミネルバが初めて謁見を許された日と同じように、威厳が全身から放たれている。


「フィルバートは言っていた。自由を謳歌してどこが悪い、と……。気まぐれや思いつきで異世界人を召喚して、万が一この世界の平穏を一変させるようなことになっていたらと思うと恐ろしい」


 キーナン王は椅子の上で姿勢を正した。


「ルーファス殿下が動いてくださったおかげで、最悪の事態は免れました。心より感謝申し上げます。属国の王とはいえ、この称号には責任が伴う。アシュランのすべての国民の生活を守る義務がある。私たちは残された時間を、すべて罪滅ぼしのために使います。そして、あの頑固で強情で愚かな孫に……私たち自ら引導を渡します」


 あまりに威厳のある声だったので、ミネルバも兄たちも背筋を伸ばした。

 ルーファスが「わかりました」と静かに答える。


「お二人の誠意を見せて頂きましょう。ひとまず私たちは、フィルバートを閉じ込めてある大使館に戻ります。あなた方はしばらく、息つく暇なく公務に追われるでしょうが、並行して進めてもらいたい作業があります」


 ルーファスの冷静な声が、ミネルバの背後から降ってくる。その力強さが心地いい。 


「高位貴族には、多かれ少なかれ王家の血が流れている。私が提示する条件に合う者たちの一覧表を作っておいて欲しいのです」


 ミネルバは兄たちに視線を向けた。

 多少なりとも王家の血が流れる人々の中から、新たに王位を継承する者を選ぶのならば、歴史の長い公爵家の息子である彼らの名前も当然入るはずだった。

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