第5話 トパーズが見せたもの

 セリカの邪悪な置き土産は、東翼中の至る所に残されていた。あちこち飛び回って、心の目に見える映像がようやく止まる。ミネルバは安堵の息を吐いた。


(すべて見つけた。セリカのひそかな企ては断ち切られたんだわ)


 しかし目の前の光の玉はさらに熱を持ち、ぱちぱちと火花を散らし始めた。まだ探し物が残っていると叫んでいるようだ。

 まばたきをした次の瞬間、ミネルバの意識は筒から噴き出す花火のように王宮を飛び出していた。


「どこへ行くの? セリカの悪影響が他の場所にも及んでいるのっ!?」


 思わず叫ぶと、ルーファスがはっと息をのむ気配を背中で感じた。2人の手を包む光の玉は燃えるような熱を発している。


(迷っている暇はない。大丈夫、このトパーズは悪意を寄せつけない強い力を持っている)


 いまやミネルバは、己の触媒となってくれたトパーズに絶対的な信頼を置いていた。

 瞬時に頭の中を整理して、心の目に意識を集中する。見えているのは城下町だ。建物が密集する市街地を一気に駆け抜け、深い森があるほうへと進んでいく。

 森のはずれに、古いけれど小綺麗な屋敷が見えた。つる性の薔薇が壁を伝うように茂っている。納屋や厩舎もあった。

 

「王宮の東、湖の近くの森のはずれの古民家。つる状に伸びる薔薇で囲まれている。家の前には、地面より一段高くなった木造のテラスがある。そこに立って赤ん坊をあやしている若い女性。老紳士が揺り椅子に座っています。彼らの目線の先には……土遊びをしている5歳くらいの男の子。あ、鹿毛の馬にまたがった凛々しい男性が来ました。馬から降りて、力強い手で男の子を抱き上げています」


 心の目を走らせながら、ミネルバは情報を余すところなく口にした。頭の中で吟味している暇はなかった。

 

「男の子が男性の首に抱きついて、頬にキスをしています。みんなの顔が幸せそうにきらめいていて……なのに全員に、セリカの呪いがこびりついているのを感じます。欲がなさそうで、世間を避けてひっそり暮らしているという雰囲気なのに……」


 そこで目の前の風景が消えた。入れ代わりに見えてきたのはグレイリング大使館だ。ミネルバの意識は空を切り裂く彗星のように猛スピードで移動していた。


「丘陵に鎮座した壮麗な建物……ニコラス様とシーリア様がいる大使公邸っ!」


 ミネルバは身がすくんだ。ルーファスが空いている右手でぎゅっと抱きしめてくれたおかげで、気を取り直すことができた。冷静になって心の目を働かせなければ。


「客間にフィルバートがいます。声は聞こえませんが、顔つきからしていらだっているのは間違いなさそうです。彼の胸元からセリカの魔力を感じます。力はフィルバートの心臓を向いている……これは護符? いえ、それにしては……」


 また目の前の景色が変わった。大急ぎで次の目的地に向かっているようだ。王都にほど近い、小さいけれど肥沃な土地が見えてきた。


「小さな村です、レノックス男爵の城があります。そこからただならぬ雰囲気を感じます。激しい渇望と果てしなき欲望……石造りの床に何か描かれている……これは、幾何学模様と古代文字?」


 そこで映像がぷつんと切れた。

 ミネルバは小さくあえぎながらルーファスにもたれかかった。全力疾走したかのように息が切れていた。

 トパーズから生じた光の玉も消えている。ミネルバは震えている左手で額の汗をぬぐった。


「大丈夫かミネルバ、気分が悪くなったのか? 体調はどうだ、頭痛や吐き気に襲われていないか?」


 背後のルーファスが焦ったように問いかけてくる。


「だ、大丈夫です、気分は悪くなっていません。少し疲れただけで、深刻なことではありません。体力的にも精神的にも限界という感じでは──」


 そのときお腹がぐうぅっと物凄い音を立てた。ミネルバは気まずさと恥ずかしさでうつむいた。


「安心しました!」

 ロアンが元気いっぱい叫んだ。

「触媒との相性が良かった証拠です。びっくりするくらい食欲があるでしょう? 力を使ったあとにお腹が空っぽになるのは、僕とお揃いですね!」


「そ、そうね……」


「初めてで遠くまで飛べるなんて、凄まじい才能と精神力ですねえ。訓練したら世界の果てまで見渡せるんじゃないかな。ほらほら殿下、ミネルバさんを座らせてあげないと。くっついていたいのはわかるけど!」


 ロアンの褒め言葉と無邪気なからかいに体が震えた。いや、これはやはり空腹のせいだろうか。

 ロアンは床に大きな紙を広げ、一心不乱に何かを書き込んでいる。どうやら東翼の見取り図らしい。畳みじわがついているのは、鞄に入れて持ち歩いていたせいだろう。

 ルーファスが吐いた息がミネルバの耳朶をくすぐる。彼はちょっと気まずそうに「座ろうか」と小さく言った。

 ミネルバは足元がふらついているのを見破られないように祈りながら、ルーファスに手を引かれて椅子まで歩いた。腰を下ろすと、目の前のテーブルに並ぶ食べ物のにおいで唾が出てくる。

 まずは乾ききった喉を癒すために、冷めきった紅茶を飲んだ。


「最後のほうに見た映像はどれも断片的というか、情報がもどかしいほど不完全で……。特に森のはずれの家族は、いったいどういう意味だったんでしょう……」


「わからないが……そのトパーズが、ミネルバを遠くまで移動させてまで見せたかったものだ。ただの一般人では済まされないだろうな」


 ルーファスがスコーンを割って手渡してくれた。ミネルバは遠慮なくかぶりつきながらうなずいた。

 ロアンが東翼の見取り図から顔を上げる。


「案外、セリカと協力者の『第二の目標』かもしれませんよ。普通に考えて、フィルバートも一枚噛んでるんじゃないかな」


 ルーファスが目を細める。ロアンは見取り図の端を掴んで持ち上げた。


「この見取り図を見てください。ミネルバ様が見つけた場所を線で結ぶと、幾何学的な模様が浮かび上がる。ミネルバ様が最後に見たのも、幾何学模様と古代文字でしたね。これって、どう考えても召喚陣です。かつてこっちの世界の人間が使っていた、異世界人の力を強制的に呼び出すもの。いまとなっては禁術ですけどね」


 ロアンが掲げる見取り図を見ながら、ミネルバは寒気に襲われた。

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