第4話 千里眼

「この世界の自然から生まれたトパーズが、ミネルバの味方になってくれる。この指輪に神が宿っていると信じるんだ。まずは、手を前に出して」


「は、はい」


 ミネルバは言われた通りに左手を突き出した。ルーファスが真後ろに移動し、寄り添うように立つ。


「ミネルバが安心できるよう、私が支える」


 そう言ってルーファスは後ろから手を伸ばし、下からすくうようにミネルバの手首をぎゅっと握りしめた。


(み、密着しているせいで、体じゅうが熱く感じる。まるで体の中で、熱い火花が散っているみたい……)


 ミネルバは体がこわばるのを感じた。

 ルーファスとこれほどぴったりと体を触れ合わせたのは、あのお茶会の日に抱きかかえられて以来だ。

 筋肉質で引き締まった彼の体を意識せずにはいられない。心臓が早鐘を打ち、どきどきする音が聞こえる気がする。


「まずは、セリカの魔力を思い出して。あのどす黒い、ねっとりした影のような……東翼に隠されているものからは、あれと同じ悪意が発せられているはずだ。だが、むき出しの悪意ではない。ひとつひとつは恐らく、小さな波紋のようなものだろう」


 耳に息がかかるほど近くから、ルーファスの深みのある男らしい声が染み込んでくる。


「怖がらないで大丈夫だ。君はたったひとりで立ち向かっているんじゃない。私たちは異世界人ではないけれど、それぞれに力を授けられている。ひとつひとつは小さくても、集まれば強い。私たちは互いに忠実で、偽りのない仲間だ」


 後ろでルーファスが微笑む気配を感じた。


「私はその指輪に『どんなときでもミネルバを守ってくれ』という強い願いをこめた。かつての持ち主だった私の母や祖母も、君を守ってくれるはずだ」


 ミネルバは自分の左手を見つめた。ルーファスの大きな手から伸びる、少し骨ばった長い指が視界に入る。守られている、包まれているという気持ちで満たされて、心臓の動きが落ち着いてきた。

 まだルーファスとダンスを踊ったことはないけれど、彼にリードされたらすばらしく上手に踊れる気がする。体中を愛で満たされて、自分に自信を持つことができるに違いない。

 視界の端で、ロアンが固唾をのんで見守っている。その姿が可愛らしくて、いっそう穏やかな気分になった。


「頭の中で感じたこと、わかったことは記憶しておいてもいいし、すぐに口にしてもいい。ミネルバのやりやすい方でいいから」


「はい」


「それでは指輪を真っすぐに見つめて、意識を集中させてみよう。すべての触媒が、ロアンのときのように派手な反応を返すわけではない。いつもの自分のやり方で大丈夫だ」


 ミネルバは唇を引き結んだ。そして、やらなければならないことだけに意識を集中する。

 赤みの強い、大粒のトパーズがきらりと光った気がした。見間違いかと思ったが、トパーズは再び光を放った。それは心が温かくなるような橙色の光だった。

 やがて光は玉となり、繋がっているミネルバとルーファスの左手を包み込む。ミネルバは呆然として、明るさを増していく光の玉を見つめた。


「初めてで、これほど大きな反応が返ってくるとは……」


 ルーファスの驚いたような声が耳をくすぐる。美しくまばゆい光を放つ指輪に、ミネルバは心を開いて呼びかけた。


(セリカが隠したものがどこにあるのか知りたいの。この世界に危険を及ぼすものを、すべて取り除きたい)


 まばゆい光の玉が回転を始める。ミネルバは自分の中に、いままで感じたことのない力が湧き上がるのを感じた。

 全身に鳥肌が立ち、うなじがざわつく。身も心も揺さぶられるような衝撃が襲ってきた次の瞬間、視覚的には見えないはずのものがミネルバには『見えて』いた。

 意識がシャンパンのコルク栓のように飛び出し、部屋の壁をすり抜けていく。信じられないスピード感で、王宮東翼のさまざまな場所を通過する。

 いまの東翼は活気に満ちていた。声や音が聞こえないので詳しいことはわからないが、国王夫妻の健康状態が改善したことを喜んでいる様子だ。

 使用人たちは誰もが笑みを浮かべて、元気よく仕事を片付けている。


(あそこから何かを感じる……)


 ミネルバの意識がリネン室に引き寄せられた。

 小奇麗な紺のスカートとブラウスを着て、室内帽で髪を覆った若い娘がいる。彼女はまぶしいほど白いシーツやタオルを棚にしまっていた。

 ミネルバは間違いなく邪悪な気配を感じ取った。さらに意識を研ぎ澄ませて、忌まわしい物体のありかを探す。


「ひとつ目を見つけました。リネン室、右端の棚の裏」


 ひとつ見つけたことで、セリカの力に波長を合わせる方法を覚えた。ミネルバの意識は次の場所へと駆けだした。

 導かれるように飛び込んだのは、三方が書架に囲まれた部屋だ。膨大な数の本が収められている。


「ふたつ目、オリヴィア様専用の図書室。真ん中の棚の上から三段目、ランズダウン侯爵から進呈された詩集に挟まれています」


 猛スピードで白い大理石の廊下を抜けたら、東翼の使用人たちがプライベートで使っているエリアに出た。

 一番手前にある部屋から、自分を引き寄せる力を感じた。大きなマホガニー製の机の上に郵便物の山ができている。でっぷりと太った中年男性が、うんざりした顔で郵便物の仕分けをしていた。


「みっつ目、使用人区画のメール室。机の天板の裏に貼りつけてあります」


 あまりにも目まぐるしく風景が変わるので、途中で何かを考えるゆとりはまったくなかった。ミネルバそれからしばらくの間、セリカが残していった物体のありかを探し出すことに没頭した。

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