第539話結局自分のため

 

 で、まあそんなだから、宗教を信じているやつらは〝ありがたい教え〟を口にされていれば、おとなしくしているんじゃないかと思っていたんだが……


「信仰ってのは、結局のところ自分が幸せでいるためのもんなんだよ。幸せになれないとわかれば、そんなものはゴミになる」

「あ? ああ、ばあ——カルメナ。こっちきたのか」

「向こうの指示はもう終わったからね。しばらく様子見してたけど、もう流れができた以上は余程のことがない限りあたしなんていなくても平気だよ」


 婆さんは今は『婆さん』の姿をしていないので、外で婆さんと呼ぶことは禁じられていた。

 俺が王様で婆さんは部下なのに『禁止される』ってのはどうなんだ、と思わなくもないけど、まあそれは仕方ない。俺も納得できる理由だしな。

 でも、俺にとって婆さんはあくまでも『婆さん』なので、カルメナって呼ぶのはなんとも違和感があるんだよな。


 で、それはいいとしても、なんだったか。……ああ、信仰についてだったな。

 宗教ってのは、心の拠り所だと聞く。拠り所ってのは、詰まるところそれがないと潰れてしまう人にとっての支えだ。潰れたくないからその支えにしがみつく。

 そしてその潰れたくないっていう思いは、幸せになりたいって思いを言い換えたもの。


『今の自分は辛いけど、教えを信じていればいつかは救われる。そうであって欲しい。そうあるべきだろ。だって自分はこんなにも辛い思いをしているのだから。だから、救われなければおかしい』


 そうして活動し、一度でも幸せな経験をした者は、『自分は救われた。これも教えを信じたからだ。だから他の人も救ってあげなくちゃ。そうして良いことをしていれば、きっと自分はまた救われる。幸せなことが起こるはず——いや、起こるに決まってるんだから』と考える。


 神様信じて縋ってる暇があるんだったら、自分で這い上がる努力をしてろよ、なんて思う俺にとっては理解できない存在だけど、多分概ねそんな考えが根底にあるんだと思う。


「できたーー! これを……えいっ! ついでにそっちもー……治れー!」


 中には心の底から人々を救いたいと思う人もいるかもしれない。こんな命の危険が身近にあって、個人でも頑張れば『力』を持つことができるような世界であれば尚更だろう。

 でも、それはごく少数だ。そんな考えが大多数かといえばそんなことはない。


 つまり宗教とは、大衆のためと謳いながらも、結局は自分のためを思っている者達の集まりというわけだ。


 だから、婆さんの言った『幸せになれないのなら』という言葉は正しいのだろうと思う。


「半端な痛み辛み程度じゃあ信仰心とやらに狂ったままでいられるかもしれないけど、今みたいな本当に命のかかった状況じゃあ、それも、一瞬の苦しみじゃあなくて真綿で絞め殺されるかのようなじわじわと死の淵に追い立てられるような苦しみじゃあ、半端な信仰心程度なんて壊れておしまいさね。ゆっくりと迫る恐怖ってのは、単純に刃物を突き立てられることなんかよりもよっぽど恐ろしいもんだよ」


 まあ、ある意味拷問されているようなもんだからな。今のこの国の状況って。

 拷問は、耐えるのにも才能がいる。辛い思いをしても耐え続けるってのは、生半可な覚悟じゃできないことだ。

 だから、信仰心が壊れるって言われると、理解できる——半分くらいは。


「でも、あれだろ? 宗教って『殉教』とか口にしながら自殺することさえ厭わないもんだろ?」


 そう。宗教のめんどくさいところはそこだ。主人に忠誠を誓った騎士とかもそうだけど、目的を果たすためなら自分の命すらも武器に変える存在。


「おいおい、なんでエルフがこんなとこにいるんだよ。ああ?」

「え? なんでって……あっ! あなた怪我してるわね! ふふん。私にはお見通しなんだから。えいっ!」

「はあ? あ、おい。何しやが——あ? ……怪我が消えた?」

「もーちょっとで場所が完成するから、他のみんなも待っててねー!」


 そんな奴らが、後少しで死ぬからと言って、信仰の対象である教会を襲うだろうか?


「そりゃあ場合によってはね。でも、それはあくまでも『自分の意思で行動した場合』の話さ。今回の飢えみたいな、自分の意思ではないどころか、そもそもその死になんの意味もない状態じゃあ、誰だって死にたくないと思うもんさ。いくら信仰のために死ねと言われても、その意味がわからなければ死ねない。価値があると思えなければ死にたくない。そんな思いは信仰の否定に繋がる。『こんなことで無駄に死ななければならない信仰に意味があるのか』ってね。そして、そんなふうに自分で信仰を否定しちまえば、後は脆いもんだよ」


 自分の意思で迎える価値のある死か、誰かに殺される意味のない死の違いか。そりゃあそこに抱く感情が違って当然ってもんか。


「それに、あんたの言ってるのはよっぽど〝深い〟奴らだろう? 一般の信徒なんて、そんなのは大して信仰しちゃいないもんさ。それこそ、命をかけるほどだなんてことは考えもしないくらいだろうねえ」


 そりゃあそうか。自分が幸せになるための道具が宗教なのに、その結果自分が死んでちゃ意味がない。


「ま、本気で心の底まで信仰に狂ったイカれはどうしようもないけどね。でも、そんなのはごく少数なもんで、大体は命がかかるほどの飢えの中じゃあ信仰も薄れるもんさ」


 結局のところ、俺や国王の行動次第では、民衆は自分の心の拠り所である宗教を恨み、反乱を起こす可能性があるってことだな。

 騒ぎを起こしてもらうこと自体はいいけど、こっちの目が外れている状態で騒がれるのは困る。なので、しっかり状態を把握しておかないとだな。


 宗教の怖さや脆さについて長々と話した婆さんだったが、気楽そうに言った俺の言葉を聞くなり呆れた様子を見せて息を吐いた。

 多分これ、俺に宗教についての『授業』をしていたんだろうな。俺も一部ではなぜか知らないけど崇められてるし。

 ……ああ。あとはリリアもな。むしろあいつこそ崇められてると言ってもいいだろう。何せ、すでに俺の仲間にも信徒エルフがわかりやすくいっぱいいるもんな。

 あいつとこれからも付き合っていく以上は、あいつに関して起こる出来事についてはどうなるのか、どうすべきかを学んでおく必要がある。だから、そのために『宗教についてのお話』があったのかもしれない。


 と、そこまで思ったところで一つ気になったことが出てきた。


「——あ、ところでリリアはどうしてるんだ?」


 なんかさっきから話の途中でちょいちょい変な声が聞こえてた気がする。炊き出し作業で忙しそうだし、声なんてそこらじゅうから聞こえるからはっきりとはわからなかったけど、多分あれはリリアの声だった。

 ……あいつの声だけ判別できるようになるなんて、なんかやだなぁ。


「リリアならあちらで炊き出しの手伝いを——していませんね」


 本来ならそこにいたであろうリリアのことを示すべくソフィアが振り返ったが、その視線の先にはリリアはいなかった。普通に炊き出しをしているエルフと聖国の兵。それから炊き出しに並んでいる市民達だけだ。


 リリアのやつはどこ行ったんだ? 一応護衛は何人もついているはずだから好き勝手離れてどっかに行くってことはないはずだけど……


「みんなーー! もーちょっとだから。本当にあともーちょっとだから、もちょもちょっと待っててねーー!」

「「「「うおおおおおっ!」」」」


 なんか声が聞こえてきた。

 いや、声というか叫び?


 その声に嫌な予感を感じつつも、俺は一旦ソフィア達と顔を見合わせる。

 その場にいる全員が一様に同じような表情をしている。具体的には呆れとめんどくささを混ぜたような顔。

 唯一婆さんだけはなんだか楽しそうに笑っているが……どうせ処理するのって俺だろ? つまり大変なのも俺だろ? ……とてもではないが婆さんのように笑うことなんてできない。


 それでもいつまでも見ないわけにはいかないので、一度深呼吸をし、それから意を決して振り返ったのだが……


「……何やってんだあいつ?」


 俺はそんな言葉しか出てこなかった。


「頑張れ嬢ちゃん!」

「転んじゃダメよ!」

「重いものを持つ時は俺達に言ってくれ!」


 なんでか知らないが、炊き出しをやっている広場の端の方、広場から少し出た大通りの一部でなんだか箱が積み上げられており、その前には痩せ細っているが幾分か顔色は良い市民達が集まって叫んでいた。


 そして肝心のリリアはというと……


「みんなありがとーーー!」


 積み上げた箱の上に、両手で抱えるほど大量の布を持ってよろよろと歩きながら市民達の声に応えていた。


 そんなに大量の布を持って何をするんだと思っていると、リリアはその布を箱の上に敷き始めた。

 そこまでやればあいつが何をしているのかわかった。いや相変わらずなんのためにそんなことをしてるのかは分からないんだけどな?


 けどまあ、そうして大量の布を敷かれたことで舞台(?)は完成した。


「これでよっし!」


 舞台の上でガッツポーズをしているリリアと、それに合わせて喜びの声をあげる民衆。

 ……マジでなんなんだろうな?

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