第443話聖樹からの忠告

 

「……みんな?」


 聖樹は今、みんなの声が聞こえない、と言った。

 その『みんな』とは、いったい誰のことを指すんだろうか?

 みんなと呼ぶからにはそれなりに親しい関係、近しい存在であることが考えられるが、この場所から移動しない聖樹にとって近しい存在となると限られるし、そもそも話をすることができるような存在も限られる。

 そんな極めて限定的な存在が誰なのかと言ったら……。


「っ! それってもしかして——!」


 この森にいるエルフ達。その考えが真っ先に思いついた。

 あいつらなら聖樹が『みんな』と呼んでも不思議ではない。


 だが、そんな俺の言葉に、聖樹は首を振って答えた。


「みんなって言っても、あの子達じゃないよ。それだったら、流石に私ももっと怒ってるって。ぷんぷんってね」

「ぷんぷん……」


 間延びした言葉使いではなくなっているものの、それでも態度は完全に真面目にはなっていない。

 いや、もしかしたらこれはふざけているように感じられるけど、こいつにとってはこれが普通なのかもしれない。だってフローラの親で、リリアの先祖だもん。


「そうだよ。その声が聞こえなくなった原因がもし何者かによるものだったら、そいつをぶん殴ってボッコボコにしてやるんだから」


 そう言いながら聖樹は右手で拳を作り、思い切りふりかぶる動作をしてみせた。


「まあ、実際には誰かが何かをしたってわけでもないと思うんだけどね〜」


 パンチを一発放ってみせてから、聖樹は息を吐き出してそう言った。


 誰かが何かをしたわけではないってことは、なんらかの異常気象、あるいは現象が起こってるってことでいいんだろうか? ……だが、そのことについて考えるよりも、先に聞きたいことがある。


「待った。そもそも『みんな』って誰のことだ? ここのエルフ達じゃないんだろ?」


 俺はエルフのことを考えたが、それは否定された。でも、なら『みんな』というのは誰なんだって話になる。

 まずそこがわからなければ何も考えようがない。


「んえ? あ〜、まだ言ってなかったっけ〜? 私の言った『みんな』って言うのは、この子達のことだよ〜」


 そう言いながらしゃがんで雑草に手を当てた。つまり、聖樹の言った『みんな』とは、植物達のことだ。

 だが、その答えには少し……というかだいぶ疑問がある。むしろ疑問しかない


「この子達? でも……」


 俺は眉を顰めながら足元へと視線を向けるが……


『なんだー。何見てんだー』『水よこせー』『食べ物もよこせー』『ぐぺー。そろそろ足どけて……』『でも、踏まれるのもちょっと気持ちいいような——』


 視線の先にいる『みんな』からは普通に声が聞こえる。なんか変なこと言ってる奴もいるし、むしろ聞こえすぎてうるさいくらいだ。


「あー、うん。これも言い方が悪かったね。ここの子じゃなくって、あっちの子達のことだよ〜」


 聖樹はそんな植物達を、微笑ましげな表情を浮かべて見てから首を横に振って答えた。


「あっち?」


 聖樹が指さした方向は……東。

 示されたのは方向だけで、距離は分からないから正確なことは言えないが、それは聖国を指しているように思えた。


 ただまあ、実際に聖国を指しているのかはわからないし、ここから東へ向かってどんどん繋げていけば、どこで異常があるかわかるだろう。


 そう考えた俺は、いつものように植物に頼んでフローラを中継してここから東にある植物たちに順番に繋げていってもらったのだが……


「……これは、聖国か?」


 聖国の領土にたどり着いて少し進むと、それまでは順調につなぐことができていた植物との繋がりが、ぱたりとなくなった。


「あー、うん。そうだねー。多分そう呼ばれてる場所、のはず。かな〜?」

「はっきりしないな。声が聞こえないって言ったけど、聖樹でもダメなのか?」


 俺はあくまでも近くにある植物達を通じて中継してもらっているだけだから、何かあった際にわからなくても仕方ないと思う。

 だが、聖樹は俺なんかとは比べ物にならないほどの植物との繋がりがあるはずだ。何せ本人が植物だし。


「うん。まったく、全然、ちい〜っとも聞こえな〜い」

「あっちに聖樹はないのか?」

「ないよ」


 俺が聖国の聖樹について問いかけてみると、目の前の聖樹は悩むことも躊躇うこともなく、いやにはっきりと告げた。


 そんな態度がまずいと思ったのか、聖樹はハッとした様子を見せてから気まずそうな笑みを浮かべた。


「……正確には、なくなった、だけどね」


 聖樹が……なくなった?


 ……そう言われても、正直なところ信じられない。

 だって、フローラみたいなまだ若い樹なら理解できるが、目の前にある聖樹のような大樹がなくなるだなんて、とてもではないが思えない。雷の直撃を受けたところで、傷はついたとしても枯れることも燃えることもないだろう。もしかしたら傷つくことすらないかもしれないとさえ思えるのだ。

 そんな聖樹がなくなったと言われても、信じられるわけがない。


「なくなった? 聖樹って枯れるのか?」

「枯れないよ。……普通ならね」

「なら、普通じゃない何かが起こったってことか」

「……まあ、そうだね。でも君の場合は心配しなくていいよ。あの子……フローラって名前をつけてあげたんだね。あの子を大切にしている限りは、勝手になくなることなんてないから」


 大切にしている限りは……か。

 わざわざそんなことを言うってことは、それはつまり……


「誰かに枯らされたのか?」


 俺がそう言うと、聖樹の浮かべている笑みが固まり、


「……それは、自分で確かめてみるといいんじゃないかな〜?」


 明らかに作った笑みを浮かべながら誤魔化すようにそう言ってきた。

 できることならば今知りたいのだが、ここで踏み込んだところで教えてくれないだろう。それどころか、機嫌を損ねる可能性さえある。


「……わかった」


 どうせ、多分そのうちに聖国に行く機会はあるだろう。その時に調べよう。


「だが、それはいいとしても、話が繋がらなくなった理由はわからないのか?」

「あ〜、うん。それね〜。ぜ〜んぜんわっかんないんだよね〜」


 俺が問いかけると、聖樹は元の調子に戻って、うんうん首を捻って考え始めた。


「ん〜。強いていうなら、邪魔されてるっていうよりも繋がってないって感じ?」

「繋がってないって……例の植物の繋がりか?」


 この世界の植物は、物理的に切り離されていたとしてもなんらかの見えない力で繋がっているらしい。普段俺が盗聴に使ってるのだってこの繋がりを利用している。


「そそ。繋がってるものが邪魔されてるんじゃなくって、そもそも繋がり自体が切られちゃってる感じがするんだよね〜」

「今までにこんなことが起こったことはないのか?」

「ないね〜。あるんだったらもう理由なんてわかってるも〜ん」

「それもそうか」


 今まで起こらなかったことが、この時代で起こるとかやめてほしい。

 俺、今まで色々問題があったんだし、そろそろ休ませてくれてもいいんじゃないか? ……まあ、色々あった問題って、ほとんど自業自得な感じはするけど。


 まあそれはそれとして……


「それによる被害とか、今後こっちに影響が出てくる可能性は?」

「それもわっかんな〜い」


 俺の周りをくるくる飛びながら適当そうに話す様子は、本当に適当に答えているんじゃないかと思えるが、こいつの……こいつらの態度はこれが普通だ。だから、そうは思えなくても実際にわからないんだろう。


「ただ、今のところはこっちに何かあるってことはない感じかな〜?」

「その根拠は?」

「だってこれ、こんな感じになったの一ヶ月くらい前だもん。それから全く状況が変わらないんだから、平気なんじゃないかな〜?」


 一ヶ月? そんな前から異変が出ていたのか?

 ……全然わからなかった。植物達には異常が出たら教えろって言っておいたのに……いや、繋がってないんだったら異変が出ても教えられないか。

 でも、繋がりが切れたこと自体は教えてくれても良かったと思うんだが……


「でも、大変だよねー。もしこのままの状況が続くんだったら、あの地は死んじゃうんだもん」


 なんて考えていると、聖樹が口を開いたのだが……そう言った聖樹の笑みには、どこか暗いものが混じっているように思えた。


 明るく能天気なエルフ達の大元である聖樹は、真面目な面を見せることはあるが、基本は頭お花畑な存在だと思ってた。

 怒ることはある。不機嫌になることもある。場合によっては恨み辛みや敵意を見せることだってあるだろう。

 でも、そこまでだ。人のように後ろ暗い悪意を持つことはない。


 違う。今の顔を見てしまえば、絶対にそうではないのだと理解せざるを得なかった。今のはただ怒った訳でも、拗ねた訳でもない。


 ザマアミロ。


 誰かの不幸を喜ぶような、そんな暗い悪意を持った表情だった。


 だが、そんな表情をしたことも気になったが、それ以上に気になったことがあった。


「死ぬ? それってどういうことだ? そんなにやばい状況なのか?」


 聖樹は今『あの地』と言った。人でも生命でもなく、あの地。どう考えてもやばい状況に思えてならない。


「ん〜……ああ、そうだ。すっごく簡単に考えればいいよ。君の体から腕が切り離されたとして、くっつけないまま放置したら、その腕はどうなる?」


 腕が体から切り離されたら? そりゃあまあ……


「腐るな」

「うん。そんな感じのことが起こるかな〜? 実際に起こったことないからわかんないけどね〜」

「そんなにやばいのか……?」


 聖樹は気楽そうな声で言っているが、その内容はかなりやばいことを言ってる。

 こんなことで嘘はつかないだろうからこの聖樹が言っていることは真実なのかもしれないが、その声の軽さからいまひとつ信じ切れず、思わず問い返してしまった。


「え? 当たり前でしょ〜? 森が枯れれば動物は死ぬしかないし、畑に種を蒔いても育たなければただの徒労になるもん。水をきれいにすることも、空気をきれいにすることも、な〜んにもできなくなっちゃうんだから」


 でも、そんなことが起こればどう考えたってこっちにも被害は出てくるはずだ。

 繋がりが切られてその地の植物が死んだとしても、残っている植物達的には問題ないのかもしれない。

 けど、そんなことが起こった地に住まう人や動物の動き次第では、他所の場所で何かしらの異変が起こる。


 聖国以外の植物はそのまま。土地に問題もない。環境に変化は起こらない。

 けど、聖国に住んでいる人間は必ず何かしらの問題を起こす。

 移民か支援か略奪か……。


 なんにしても、何か起こるのがわかってるんだったら、何もしないわけにはいかない。


「……こっちでも調べてみる」

「そう〜? う〜ん、まあ気をつけてね〜?」


 最後に言葉を交わし、俺は聖樹の元から離れていった。


 ……あ。贈り物について話をするのを忘れた。


 そう気づいたのは、俺がエルフの里を離れて花園に帰っている途中だった。

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