第304話厄水の魔女:旧友との再会

「……あなたはどちら様かしらあ〜?」


 言葉とともに建物の陰から出てきたのは、老婆。


 老婆だけではなくその背後からは様々な年齢の男達も現れた。十代の者もいれば五十代の者もいる。さらにその上だって存在している。

 けれど、その中で女はあの老婆だけ。だから魅了の上書きをしたのはあの老婆だろうと位うことは理解できる。けど……


 ……こんな相手に私の《魅了》が上書きされた? 


 そう思ったが、そうは思いたくなかった。だって、そう認めてしまえば、私の魅力がこの老婆如きに負けていると言うことになってしまうから。


 確かに昔は美人だっただろうと思わせる顔立ちをしている。背もそれなりに高いし、若ければさぞ男を集めることができただろうが、それも昔の話。今はただの老婆でしかない。


 けれど、この状況で出てきたと言うことはこの老婆が《魅了》、或いは使役系の何かのスキルを使ったのだろう。

 見た目で大きく劣っているにもかかわらず私の魅了下にあった者を強制的に操るとなると、考えられることとしては、私よりも二段階以上格上の力を持っているということ。最低でも第八位階で、もしかしたら第十位階になっているかもしれない。


「同性相手にそんな気持ち悪い喋り方してんじゃないよ。媚びてんのは昔っから変わらないねえ」

「昔……?」


 私はこんな老婆のことなんて知らないはずだ。けれど、この老婆はまるで私のことを昔から知っている旧知の如く振る舞っている。

 昔の私を知っているものなんて、それほどいないはずだ。昔この街にいたことがあったけれど、あれから何十年と経っているのだから、知り合いなんているはずがない。


「はあ〜。まだわかんないのかい? ひどい話もあったもんだ。数十年来の仲間にあったってのにさ。まあ、あんたはともかくとしてあたしは随分見てくれがかわっちまってるからね。気づけなくても仕方ないかねえ」


 私はわかっていないにもかかわらず、ろくな説明もなしに話を進める老婆。

 なぜだか無性に苛立ってくる相手に向かって、私は侍らせていた男達に命じて老婆を攻撃させた。


「っと。いきなり何すんだい」


 けれど、そんな男達の攻撃は、老婆の背後に控えていた男達によって防がれた。


 そうなるだろうとは思っていたけれど、実際に防がれると余計に苛立つ。

 そのせいで、私は無意識のうちに唇を噛んでしまっていた。


「殺しなさあい」


 それでも、とさらに指示を出して男たちに攻撃を続けさせるけれど、数の面では相手の方が多いため、ろくな傷をつけることもできずに取り押さえられてしまった。

 想定通りではあったけれど、実際にそうなると腹が立つ。

 私は苛立ちが増したことで余計に唇を噛んでしまい、しまいには血が出てしまった。


 けれど、その痛みと口の中に広がる血の味を感じて、少し冷静になることができた。


 ……まだ、大丈夫。まだ問題はない。こんな状況、どうにでもなるに決まってる。


 そう、問題なんてないはずだ。

 相手が私の魅了を上書きすることができるのなら、そもそも周りに人を置いていても意味なんてない。それどころか、逆に操られて背後から攻撃をされるかもしれない。

 それを考えると、先に手放してしまって正解だ。多少なりとも相手を疲労させることもできただろうし、むしろ最善の手だった。


 そう考えて苛立ちを抑え、小さく深呼吸をするともう一度老婆に問いかけることにした。


「どちら様かしらあー?」

「……はあ。ま、仕方ないかね。なら——これでわかるかい?」


 けれど、相変わらず知り合いのように振る舞っている老婆は、私がこの老婆のことを知らない——思い出せないからか、ため息を吐き出して自身の顔に手を当てた。


「っ! あ、なたは……っ!」


 老婆が顔から手を離したあと、そこにはそれまであった老婆の顔はなく、見たもの誰をも魅了するであろう美しい顔があった。


 変装スキル。その言葉が頭の中に思い浮かんだ。


 けど、それ自体はいい。変装なんて、『娼婦』に限らず『詐欺師』や『道化師』、『盗賊』だって持ってるスキルなのだから。

 だから、私が驚いたのはそこではない。私はこの女が変装のスキルを使ったから驚いたのではなく、この女が私の知り合いの顔とそっくりだったからだ。

 そっくり、と言うよりも、本人そのもの。先ほどまでの言動からすると、本当に本人なのだろう。

 ならばこの変わりようは変装スキルを使用した事によるものではなく……。


「……そう。まだ生きてたの」


 目の前に立つ女を見て、私はどうにかその言葉だけ絞り出すことができた。


「ああ、流石にこの姿なら思い出せるかい。おかげさまでね。たった数年ぽっちでここから出ていけたあんたとは違って、あたしはここに居付いちまったが、まあ元気でやってるよ」


 けれど、どういうつもりなのかこの女はそう言うなり、再び顔に手を当てると元の老婆としての顔に戻した。

 今の変化は私に自分のことを思い出させるためだったのかもしれないけれど……訳がわからない。わざわざ醜い姿に戻す意味なんてなかったはずなのに。


 けれど、この女の考えがわからないなんてのは昔からそうだった。昔から訳のわからないことを考えて訳のわからない行動をする。それがこの女。


 殺したとは思っていたけど、死んでなかったわけだ。

 それからどう立ち直ったのかはわからないけれど、この女はあの時からずっとここに残っていたらしい。

 身なりや振る舞いから察するに、それなりの立場にいるのだろうと思う」


「……あの時死んだはずじゃあ、なかったかしらー?」


 自分が殺したはずの旧知の顔を見て驚きはしたが、その驚きを引きずるわけにはいかない。

 私は自分を冷静にさせるためにも余裕を見せるためにも、私の上に『普段の私』を貼り付け、喋り方へと変える。


 けれど、そんな私の態度の変化に対して、目の前の女——カルメナは呆れたように肩を竦めながらため息を吐き出した。

 そんな仕草の全てが私を苛立たせる。


「その話し方はいい加減辞めてもいいと思うんだけどねえ。もうだいぶ崩れてるじゃないかい。ま、あたしが言うことでもないかもしれないけどねえ。……で、なんだったかね。ああ、あの時のことか」


 カルメナはそう言うなり当時のことを思い出しているのか、少し懐かしむように遠い目をした後、フッと笑みを浮かべた。


「確かにあの時死にかけた。いや、殺されかけたね。あんたに」


 そして、その瞳をわずかに濁らせて私を射すくめる。

 それと同時にカルメナの背後にいた男達は私を取り囲むように動きだし、それぞれが持っていた武器を私に向けて構える。


 ……確かに、この女ならこの程度できるでしょうね。私から魅了権を奪ったのも納得できるわ。


 何せこの女は私とは違って副職ではなく天職に『娼婦』を持っているのだから。

 今のカルメナが何位階なのかはわからないけれど、仮にカルメナが私と同位階——いえ、格下だったとしても、一位階程度の差であれば私の魅了を上書きされるだろう。


「どこぞの金持ちが都合のいい愛人として奴隷を買うことはよくあるが、あの時はあたしとあんたのどっちかだけが選ばれることになった。どっちかは籠の外に出られて、もう片方は籠の中」


 そう。そうだ。あの時私を買った男が探していたのは『娼婦』だった。だから、その中でも質が良かった私かこの女で迷っていた。

 だから私は、自分が選ばれるためにこの女を殺そうとした。

 けれど、普通に殺したのなら私が疑われるから毒を使って病気に見せかけた。たとえ些細なものであろうと、病気ならば買うのを躊躇うはずだから。

 実際、原因不明で体調を崩したカルメナは選ばれず、私が外に出られた。


 けれど、まさか生きているとは思っても見なかった。

 あの時は私がいなくなった後ならいくらでも死んで構わないと、後遺症などは考えずに、絶対に体調を崩すように毒を盛った。だからてっきり死んだものだと思っていた。


「あなたはー、ずっとここにいたようねー」

「ああ。まあ住めば都とは言うだろ? ここも、随分と住みやすい街になったよ」


 この街が犯罪者の都市として生まれ変わる前からここにいるだけに、その変化を実感しているんだろう。

 感慨深げに周囲の建物を見回しながら話している。

 その言葉が嫌に癪に障る。


「その割にはー、治安がすごく悪そうだけどー?」

「ははは。そりゃあそうだろうね。けど、それも慣れりゃあ日常の華になるもんだよ。見てる分には面白い見せもんだからね」


 だから、そんな言葉を否定するために嫌味を言ってやったけれど、それは笑って流されてしまった。


「ま、旧友との再会はこの辺にしとくかい。こんなババア達の身の上話なんかよりも、今は大事な話ってやつがあるからね」


 そう言った瞬間、空気が一変した。

 表面上はなんにも変わっていない。けれど、カルメナがその身に纏っていた雰囲気が害意の籠められたものになっている。

 そして、それと同調するかのようにカルメナの周囲に立っていた男達からの気も、攻撃的なものになった。


「……旧友に対して、そんな態度は酷いんじゃないかしらー?」


 戦うことになったら、カルメナ本人はどうとでもなるとしても、周りの男達がめんどくさいことになるだろう。

 ここに呼んだということは、全員が第八位階以上であると考えるべきで、それが二十以上。

 普段であれば、怪我をすることはあったとしても問題無く対処し切ることができる程度の数でしか無いけれど、今は少しまずい。

 今の私はあの植物のせいで怪我をし、体力が消耗している。

 その怪我は治ったとはいえ完全に問題なくなった、というわけではない。

 ……考えたくは無いことだけれど、長期戦になったら、やられる可能性が出てくる。


「おや、あたし達が旧友なんて間柄だったかい?」


 言葉の上ではさっきまでと同じ普通の会話。けれど、今にも攻撃してくるのではないかと思える害意は変わらずに存在している。


「さっきそう言ったのはあなたでしょー?」


 ——仕掛けるなら、できる限り早く、そして一気にまとめて仕留めるべきね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る