第303話厄水の魔女:カラカスに逃げて……

 ・厄水の魔女アドリアナ


 私は今、薄暗い路地裏を進んでいた。

 進んでいると言っても、私自身が歩いているわけではない。適当に確保した男に椅子を持たせ、その上に座りながら進んでいるだけ。

 けれど、進んでいるとは言っても行くアテなんてない。昔この街にはいたことがあったけれど、それはこの街が『犯罪者の都市』となるよりも前の話。今は様変わりしすぎてどこに何があるかなんてわかるわけがなかった。


 ここは通りから外れているところだけれど、少し歩いて大通りに出れば喧しいくらいに人がいることだろう。それも、聞こえてくる喧騒や灯りから察するに娼館なんかが立ち並ぶ歓楽街の辺り。

 だから、身を隠す場所を確保しようと思えばすぐに確保できるとは思うが、こんなに荒れた格好をしていては目立ちすぎる。せめてもう少し休んでからにするべきだろう。


「くうっ……この私が、こんな無様なことに……」


 街中に入るのにもわずかばかりの無茶をしているために消耗が大きく、運ばれている際の振動だけでも体に響き、全身から痛みを感じる。


 どうしてこんなことになっているのかと、そう思わずにはいられない。


 今回の戦争は、負けるはずがないものだったはずだ。『八天』を五人も揃えて、絶対に勝てるはずの戦いだった。

 ——なのに、負けた。


「あれは……なんだったのよっ……」


 なんだあれは。なんだあの攻撃は。どうして私の体の中から植物が生えるのか。

 攻撃なんて喰らっていなかった。飛んできた攻撃は全て防いだし、それが種を飛ばしたことによるものだという事もわかった。

 その種には触れなかったし、万が一を考えて何もできないようにと水分を抜いてごみへ変えた。

 なのにどうしてどうして……。


 それでも実際に起こっている事実は変わらなかった。体内で荒れ狂った植物は私の体を突き破り、外に出た。


 強烈な痛みと、吐き気を催すような光景はしばらく忘れることはできないだろう。


 けれど、それでも第十位階としての体を持っている私はそう簡単に死ぬことはなかった。

 痛みで気が狂いそうになったけれど、それでも生き残ることができた。


 とはいえ、それ以上の生長をされてさらに傷つけられては今度こそ死んでしまう。

 早めに対処しないと、と判断し、飛んできた種同様に腹部から生えている植物から水分を抜いて枯らすことで処理をする。

 体内には植物の残骸が残っていたけれど……それを引き抜いた時の感覚も、忘れることはないでしょうね。


 植物を一気に枯らしたせいで、体には穴が空いて血が流れ出した。当然のことではあるけれど、そのまま放置していれば死んでしまう。

 そのことに焦りながらもどうすれば、と考えた結果、私は傷口を水で覆い、血の流れを誘導することでなんとか命をつなぐことができた。


 けれど、生き延びたはいいけれど血の誘導なんてものはかなりの集中力を使うために、まともに動くことはできそうにない。歩いて移動することくらいはできる。でも、そんなことをしていれば普通に見つかってしまい、今度こそ殺されておしまいだ。


 けれど、私は死ななかった。その後、幸いなことに私の元へと人がやってきたのだ。理由は私の死体を回収するつもりだったらしいけれど、ちょうどいいと思った。

 この男達を使えば、労することなく街の中に入ることができるのだから。


 そして私は副職のスキルを使い、男達に運ばせて街の中へと入っていくことに成功した。


 あとはこの腹部に開いている孔だけれど、それも男達の中に治癒の魔法を使える者がいたために治すことができた。

 完治、とまでは言わないけれど、今のところ死ぬ心配はないくらいには治ったのだから問題はないだろう。


「……ちょうどいいところに」


 そんなわけでカラカス内部に潜むことのできた私は路地裏で隠れていたのだけれど、流石カラカスというべきでしょうね。ハイエナのように私へと襲い掛かろうと数人の男が集まってきた。


 ただ倒すだけならば難しくはない。けれど、今の状況であれそれよりも良い方法がある。

 正直に言えばこっちの力はあまり使いたくないのだけれど……背に腹は変えられない。

 それに、さっきも使ったのだから今更だ。今はとにかく戦力を整えて安全を確保しないと……。


「ねえ〜、ちょっといいかしらあ〜?」


 そう言いながらゆったりとした動きと声で男達へと手を伸ばし、語りかける。

 そして、それと同時にスキルを発動させる。


 私の天職は『水魔法師』だけれど、副職は『娼婦』。

 娼婦なんて職はレアだと言われているけれど、私はこんなもの欲しくなかった。こんな職を与えられたがために、私は娼婦として売られることになったのだから。


『娼婦』のスキルは基本的に性行のためにあるようなものばかりしかないのだから、そんなものが貴族の娘に出てきたら不名誉なことこの上ないでしょうね。ええ、だから私が貴族として認められず、娼館に売られた理由も理解できる。

 だからといって許すつもりはなかったし、実際に許さなかったけれど。


 そんな娼婦のスキルの中には、他者を操る《魅了》というスキルがある。《魅了》は第六位階のスキルだけれど、私は天職だけではなく副職もそこまで上げた。むしろ、順番で言うのなら副職の方が先に第六位階にまで上がった。そうでないと、私は娼婦として生きることを強いられた『鳥籠』から抜け出すことができなかったから。


 使いたくないスキルを使い、認めたくない職を鍛え、私は男に取り入って鳥籠から抜け出した。

 そして、男に取り入りつつ、天職の方を鍛えて第十位階の『八天』となった。


 この男もそう。今までの男達と変わらない。

 たった一つのスキルを発動させるだけで、男はまるで私以外に見えていないかのようにふらふらと頼りなさげな足取りで歩き出し、私に近づいてきた。


 ……しかしまあ、認めたくない職ではあるけれど、一つだけ……常時発動型スキルだけは好ましいと思っている。


『娼婦』の常時発動型スキルは、《免疫強化》。

 これは名前通り免疫力を強化して毒も病気も、人の体に害をもたらす状態異常に対して耐性をつけるスキル。戦闘職の身体強化ほどではないけれど、体の丈夫さも上がる。これがあるから『娼婦』の職を持つものは高値で取引される。どれほど雑に扱っても、簡単には死なないから。


 このスキルがあったからこそ、私はなんの病気にもならずに健康体のままこれまで生きてくることができた。さっきの大怪我だって、このスキルがあるからこそ生き延びることができた面もある。


 でも、できることならばもう一つの希少とされている『娼婦』の中でもさらに希少なスキルである《抗老化》の方が良かったと思わなくもない。

 このスキルは名前の通り老化を抑えるスキル。今の私の見た目も若い頃のものだけれど、これは『変装』という娼婦のスキルを継続して使い続けているだけ。

 でも《抗老化》のスキルがあればそんなことをしなくても歳は取らないでいられる。

『娼婦』なんて職を与えられたせいで私はこんなところにこなくてはならなかったのだから、それくらいの特典はあっても良かったはずだと、そう思ったこともある。

 一緒のところで生活していたもう一人の『娼婦』が持っていただけに、尚のことそう思った。


「そ〜よぉ。いいこねぇ……」


 ……そういえば、あの時いた『あいつ』は、どうなったのかしら?


 昔、娼婦をしていた時、私を連れ出した男は私ともう一人『娼婦』のどちらを連れて行くかで迷っていた。

 最終的には私が男に選ばれて外に出たけれど、あの女は、〝ちゃんと〟死んでいるのだろうか?

 ……いや、最後まで確認することはできなかったけれど、きっと死んでいるだろう。


「っ!?」


 なんて、カラカス……それも歓楽街なんてところに来たからだろう。もう思い出したくもないはずの昔のことを思い出してしまう。

 そんな意識の逸れた私にに対し、私のそばに近寄って来ていたはずの男は突然走り出し、私に向かって手にしていた武器を振るってきた。


 その攻撃は私をカラカスの内部にまで連れてきた最初に魅了した男達に防がれたけれど、私は魅了したはずの相手に攻撃されたと言う事実にただ呆然と驚くしかなかった。


 私が呆然としている間にも、襲いかかってきた男は私が侍らせていた男達に殺されたけれど、相変わらず私は驚いているだけですぐに動くことはできなかった。


 魅了が効いていなかった? いえ、そんなはずはない。確かにあの男は私の魅了にかかっていた。

 でも攻撃してきた。

 どうしてそんな事態になったのかと考えた際に出てくる答えといったら——


「おやおや、まだそんなに動けるだけの力が残っていたのかい。あんたも婆さんなんだからもっとおとなしく死んどきなってんだよ、まったく」


 ——自分よりも強い《魅了》に上書きされた時だ。

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