第232話娘と会えた結果

 

「あんたは何してっ……もう! 離れて!」

「何をいって……何をしている! 私を誰だと思っている! 私はその子の父親だぞ!」

「父親でもなんでも、男はあの子に近づかないで!」


 子爵を拘束した後は、そばに置いておいてはまずいと判断したのか、メアリーはその体を掴んで強引にこちらへと引きずり始めた。


 父親ですら近寄ることを許さないって、いったい何がどうなってるんだと思わないでもないが、なんとなく理解できてしまった。

 あの高飛車で傲慢で他者を虐げることになんの迷いもない自分が一番だと思っている女が、あんなに見窄らしい状態でも何も言わず、なんの反応も見せずにいる。

 それは、そうなるだけの理由があったってことだ。

 見たところ、体そのものは無事。治癒で治した可能性もあるが、あったとしても些細なものだっただろう。先程見た歩いた様子からは一度足を失ったなどと言った様子は見られなかった。


 そうなると、ああしておとなしくしているのは体が原因ではない。原因があるのは精神的な方。


 ……ありふれたことと言えばありふれたことだ。特にこの街ではそれが他の街よりも顕著で、見ようと思えばそこらで見ることのできるものでしかない日常の一部ではある。

 だが、〝それ〟はあの娘にとっては心を壊すほどの異常な出来事だった。


 つまりその原因である〝それ〟とは——


「ちち、おや……おとう、さま……?」


 たった今行われた二人の会話が聞こえていたのだろう。鉄格子の向こう側にいた例の娘から、漏れ出たような小さな声が聞こえてきた。


「エリス!? ああ! ああそうだ、私だ!」


 メアリーの拘束を解いてどうにか近寄ろうとしたのだろう。子爵は押さえられながらも娘に手を伸ばす。


「おとう……おと……あー……あーあー! あああああああああっ!」


 だが、その手は何も掴めないどころか、相手からも伸ばし返されることもない。

 返ってきたのは、聞いているだけで悲痛さが伝わってくるような絶叫だけ。


 突然叫び出し、それと同時に頭を、顔を、腕を、やたらめったに身体中を掻きむしり始めた娘を見て、子爵だけではなく離れたところから見ている俺たちも呆然と驚き、固まるしかなかった。


 だが、そんな様子で俺の中にあった考えは間違いではなかったんだと理解することになった。


「なっ!?」


 しかし、娘の行動はそんな叫びだけでは終わらない。

 目の前にいた子爵——自身の父親に向かって魔法を使い、炎の波を放った。


 使われたのは第一位階の火の魔法。ただ小規模な火を発生させるだけの魔法だが、それがあれほどまでに大きくなるということは、そこに込められた魔力が尋常ではないと言うこと。

 後先のことなど考えず、ただ感情のままに魔力を込められた魔法ではあるが、脅威であることに間違いはない。


「チイッ! だから離れてっていったのに!」


 メアリーはそう言いながら拳を振るう。

 炎に向かって拳を振るったところで、と思うかもしれないが、多分なんらかのスキルを使ったんだろう。規模はそれなりのものとはいえ、感情のままに放っただけあって制御なんて全くされていない炎は、メアリーの放つ拳の拳圧によって散らされた。


 だが、それでも一度防いだだけでは完全に凌ぎ切ることはできない。

 一度は散らして防いだ炎だが、開いた空間を埋めるように周りの炎が新たに押し寄せる。


「邪魔!」


 近くに人がいたままでは凌ぎきれないと判断したのか、メアリーは無防備に座っているだけだった子爵をこちら側に向かって蹴り飛ばした。


「エリィ、そっちは頼んだわ!」

「ええ」


 エリィというのは多分さっき一緒にやってきた女性のことだろう。エリィと呼ばれた女性はメアリーの言葉に返事をし、何をしたのか少しすると突然炎が消えた。


 炎が止まった後に娘の様子を見てみると、そこには意識を失った状態の娘の姿があった。多分、強制的に眠らされたのだろう。


 眠らされた娘を見ていた子爵だが、その側にはメアリーが近寄ってきていた。


「あ、あれは何が——」


 子爵は戻ってきたメアリーに向かって問いかけるが……


「勝手に行動すんなって言ったでしょうが!」


 殴られたことでその言葉は途中で強制的に止められた。


「あんたのせいであの子は!」


 そしてしゃがみこんで子爵の胸ぐらを掴むと、そのまま地面に叩きつけるように押し倒した。


「チッ。………………はあ」


 けど、それ以上何かをすることはなく、メアリーは子爵から手を離して立ち上がった。


「何があったんだ?」

「坊ちゃん」


 俺の呼びかけに答えたメアリーだが、その表情には未だ険しさが残っている。


「賊に捕まった女がどうなるかなんて、坊ちゃんはわかってるでしょう?」

「……まあな」

「その場限りのやり捨てだったら、まあまだ割り切ることもできるものよ。けど、それでも割り切れない人だっている。当然よね。あんなクソッタレども、腹を裂いて殺したって許せないっ」


 怒りを滲ませながら吐き出された言葉が示す出来事は、予想通りといえば予想通りなものだった。


 あの娘に起こった出来事とは、性的暴行……なんてのは誤魔化しか。そんなマイルドに包み隠すような言い方じゃなくて、もっと乱暴な言い方の方がふさわしいだろう。つまり、強姦。あるいはレイプ。


 そんな行為は、男である俺からすれば本当の意味で理解することはできない。

 だが、その対象とされる女性であるメアリーからしてみれば、とてもではないが許し難いことだろう。あるいは、この怒りからすると実際に自身に起こったことがあるのかもしれない。


「たった一回、っていうにはその一回が大きすぎるけど、それでも一回だけのことでも〝そう〟なの。それが何回、何十回も……何日、何十日も続いたら、どうなると思う? それも、ここにいるのはあたしたちみたいな『そういうこともある。仕方なかった』なんて割り切りをつけられるような平民じゃなくて、蝶よ花よと育てられたお嬢様。その結果が、あれ」

「男への嫌悪……いや、憎悪、か」


 そうなっても仕方がないと思う。自分を犯した者だけではなく、それと同類の『男』という存在そのものを恨み、憎んでもおかしくない。

 だが、その答えをメアリーは首を振って否定した。


「それは、〝軽い〟場合の話。あの子の場合は捕まってからおよそ一月の間、〝使われ〟続けた。それも、薬も使われてね」


 犯された、ではなく、使われた、か。でも、確かにその表現の方が合っているんだろう。

 人ではなく、ただ物として自身の意思など関係なく使われ続ける。どれほど拒んでも聞いてもらえず、逆に苦痛を与えられる日々。

 そして、ただの暴行だけではなく薬もとなれば、どうなるかなんて考えるまでもないい。


 それは奴隷なんてものがそこら中で扱われているこの街では簡単に見る事の出来るものではあるが、そんなものが日常になれば壊れてしまってもおかしくないのだろう。まともに自我を保ってられる者なんて、一握りしかいない。


「あれでもマシになった方なのよ。最初は周り全部を巻き込んで魔法を使おうとしたり、自殺しようと自分の首を絞めようとしたりしてたんだから」


 先程の様子を見ていれば、そんなことを言われても「そうなんだろうな」と素直に理解できる。


「最近では落ち着いてきて、他の子達とはそれなりに接触できてた。怯えた様子は見せてたけど男にさえ会わなければ普通に生活することができてたの。だから仕切りを二つ挟めばリハビリにもなると思ってたんだけど……」


 他の子ってことから察するに、他にも同じような境遇のやつがあの扉の向こうにはいるんだろう。

 まあ色々と保護してる、みたいな話を親父から聞いてたし、そうなんだろうなとは思っていたが……。

 なんというか、言葉がない。


「悪いけど、これ以上はあの子に会わせられないから。わかるでしょ?」


 その言葉は俺ではなく、父親である子爵へと向けられたものだった。

 その言葉は理解を求めるものではあったものの、子爵の答えなど期待していないという意思を感じられた。


「……ああ」


 メアリーの言葉に頷いた子爵は、フラつきながらも立ち上がり部屋の外に出て行こうと歩き出したが、まともに歩けないようで護衛に支えられながら部屋を出て行った。


「メアリー、悪かったな」

「ううん。完全に見捨てられてるわけじゃないって分かっただけでも、あの子のためになるから」


 そうしてメアリーと軽く会話をした後、俺はずっと黙ったままだったカイルやソフィアたちを連れて部屋を出て、建物を出て行った。


「とりあえず、親父のところに戻るぞ。多分、あっちでもなんか話があんだろう」


 こんなところに寄越したんだ。なら、なんらかの意図があってのことだろう。

 ただ見せたかった。知っておいてほしかったってだけかもしれないが、その辺りのことは一度聞いてみないとわからない。

 どうせ子爵を親父のところに送らないといけないんだ。なら、その時か、その後にでも聞けばいい。




 親父は俺たちが出て行ってからずっとこの部屋で待っていたのか、俺たちが出る前に使った応接室で待っていた。


「娘に会うことができた……ありがとう」


 そんな親父の元へと戻った俺たちだったが、子爵の第一声はそれだった。

 子爵は部屋に入るなり親父へと頭を下げ、かけられた言葉に親父はわずかにだが眉を顰めた。

 そして、何を考えたのか少しの沈黙の後に息を吐き出し、口を開いた。


「ありがとうねぇ……それはあの娘の状態を見ての言葉、でいいんだよな?」


 どこか挑発するような、普段の親父とは違和感を感じる言葉。


「そうだ」


 だが、子爵はそんな言葉にも怒りを見せることはなく、頭を下げたまま一瞬のためらいを見せることもなく肯定した。

 その様子からは、子爵が本当に本気で感謝しているんだということが理解できる。

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