第207話母とのお茶会

 話し、か……


「まあ、それなりにはな」

「そうですか。それはよかったです。——それで、あなたはどうするつもりですか? 話ができた。それでおしまい、というわけではないでしょう?」


 フィーリアの言いたいことは俺の今後についてだろう。今後、といっても明日からの予定なんかではなく、これからの身の振り方って意味だ。

 今の俺は、なろうと思えば王子として戻ることもできないわけではない。多少の面倒や煩わしい事はあれど、戻ろうと思えば戻れるのだ。


 どうするのか、どうしたいのか。それは俺がこれまで母親について悩んできたのと同じくらいに考えてきたことだった。結局はここにたどり着いて母さんと話してみるまで決まってなかったんだが、つい先日、どうしたいのか決まった。


「そうだな。……まあ色々と考えたんだが——」


 と、俺が今後の身の振り方について話そうとしたところでドアを叩く音が聞こえた。

 だが、そのドアの叩き方で俺は誰が来たのかドアを開ける前に理解できてしまった。


 ソフィアに視線だけで合図をすると、ソフィアは頷いてからドアを開けた。


「ヴェスナーちゃん! どう? 元気? 気分悪いところなんかはなあい? お菓子を持ってきたから一緒に食べましょう!」

「食べましょう!」


 ドアの奥からは、歳のわりに……といったら失礼かもしれないが、可愛らしいドレスを着た我らが母と、その横には、一応……まあ、一応とりあえず、恩人であるリリアが腰に手を当てながら現れた。


 リリアは俺の友人だってのと、母さんの治療をしたってことで、母さんと出会ってからすぐに仲良くなった。

 あとはその子供らしい言動が母さんの琴線を刺激したのかもしれない。子供と暮らしたいと願い色々とやってきた母さんにとっては、子供みたいにはしゃぐリリアの相手は楽しいんだろう。


 まあ、それでも俺ありきな感じだから、ただリリアと会っただけならさほど仲良くなることはなかったんじゃないだろうか?


「あらフィーリアちゃん! あなたも来たのね! よかったわ。なら一緒にお茶会といきましょうか」


 部屋の中に入るなり真っ先に俺に声をかけた母さん。普段はそのまま俺のそばまでやってきて止まることなく話しかけてきたり抱きついてきたりしていたのだが、今回はもう一人の子供であるフィーリアがいるからかそんなこともなく、代わりにお茶会なんてもんを提案してきた。


 だが、お茶会なんていつもやってるだろうに。もうここ最近毎日がお茶会だろ。


「また来たのか……」


 今日も来るだろうな、とは思っていたが、本当に来たか。

 今までは母親を探して話してみたいとは思っていたが、流石にこれだけ続くとちょっと……、って感じはする。嫌ってわけでもないんだけど、なんというかしつこさを感じてしまうのは仕方がないことだろう。


「……お母様、随分と元気そうですね」


 祖父であるイルヴァも言っていたが、今までの母親とは雰囲気が違うのだろう。フィーリアは少し戸惑った様子でそう口にした。


「元気を通り越してんだろ。なんだよあれ、はっちゃけすぎじゃねえの?」

「それだけ喜ばしいと思われているのだと納得するしかないでしょう。実際、喜んでいるのは確かなわけですし」


 まあ確かに喜んではいるのだろう。でなければあんなにはしゃいだりしない。

 俺だって俺に会えたことで喜んでくれているのは素直に嬉しいと思うし、ありがたいとも思う。


「それはありがたいんだけど、こうもアレだと、ちょっとアレだぞ」


 なんか言葉にならなかったけど、俺の気持ちはそんな感じだ。アレだよ。考えるな、感じろ。


「代名詞が多すぎてわかりづらいですが、言いたいことは理解できます。というよりも、見ていればいやでも理解できますね」

「そりゃあよかったよ」


 そんな俺の言葉はちゃんと、かはわからないがフィーリアにも伝わったようで、自分の母親を見たフィーリアの表情は微妙なものになっていた。


 だが、俺たちがそんな会話をしている間にもお茶会の準備は着々と進んでいき、俺たちの前にはカップとケーキが置かれた。


「どうぞ。今日のは私がブレンドしたのよ。お口に合うといいのだけど……」


 今までもそうだったが、母さんは貴族の令嬢であり王妃であるにもかかわらず、俺のものを用意するのは侍女ではなく自分の手で行うのだ。

 今日もそう。俺たち全員分の飲み物を用意したのは母さんで、今日のは茶葉から母さんがブレンドしているらしい。


 母さんは自分が用意したお茶を美味しいといってもらえるか心配なのか、不安の色を顔に滲ませて俺のことを見ている。


 そして、そんな視線に対する俺の答えはひとつしかなかった。


「おいしいよ」

「本当!? ならこっちもどうぞ。ずっと食べさせてあげたくてお料理の練習もしてきたのよ!」


 俺の言葉を聞いた母さんは、まるで全ての心配事がなくなった童女のようにパアッと花笑んだ。

 歳を考えるとそんな笑みはふさわしくないと言えるのだが、母さんの場合は見た目が若々しく、どこか幼い雰囲気があるために、そんな子供のような笑みも似合ってしまっているので何も言えない。


 いやまあ、嘘じゃないよ? お茶そのものは嘘じゃなく実際美味しいからいいんだけどさ、ずっと見られても困るっていうか……うん、困る。


「他にもね、裁縫なんかもやってみてあなたの服を作れるようになったの。ここにはないけれど、アルドノフの城に戻ればあるから着てみてちょうだい」


 どうやらこのお母様、今まで親父からの手紙を受けて俺の状態を想像し、服を作っていたそうだ。それも一つ二つではなく、両手の指で数えても足りないくらいに。

 服飾だなんて高位貴族の娘がやるようなものでもないだろうに。これでそういった職を持っているのならやることもあるかもしれないが、母さんは『土魔法師』と『貴族』という職なので、普通ならどう考えてもやらない。


 ちなみに『貴族』の職は魅力アップや威厳アップ、指揮や統治といったもので、間違っても裁縫や料理なんかのスキルを覚えたりはしない。


「あ、ありがとう」


 母親が自分のためにいろんなことをしてくれているというのは嬉しくもあるが、恥ずかしくもある。

 なので、そんな恥ずかしさから逃れるべく、少しでも話を逸らすためにソフィアに目配せをしてお茶のおかわりをもらうことにした。


「——ところで、今更だけどあなた、名前は?」


 そんな俺たちの無言のやりとりを見ていたからか、母さんがソフィアにそう声をかけた。

 たかだか声をかけた、それだけのことではあるが、その瞬間、俺は軽く目を見張った。


 今更、という言葉からわかるかもしれないが、これまで数日ほど母さんと接してきたが、その場にもソフィアはいたのだ。だが母さんは俺とリリア以外にはまるで興味を示さず、名前を聞くこともなかった。

 そしてそれはソフィアだけではなく、ソフィアも周りの侍女も護衛の騎士も、全部に等しく関心を向けなかった。まるで、自分の世界の中にはそんな奴らは存在していないとでも言うかのように、当たり前に関心を向けなかったのだ。


 それは貴族としてはある意味当然なのかもしれないし、王妃ともなれば周りに誰かしらいるのは当然なのでいちいちそんなことに気にしないのだろうと思っていた。

 そんなだから俺もソフィアのことを紹介する機会を逃してからは紹介できず、母さんはソフィアの名前すら知らずにいた。


 あるいは、貴族だから王妃だからなんてのは関係なく、俺以外はどうでもいいからこそ関心を持たなかったのかもしれない。何せ母さんは、実の娘から『壊れている』と評されるほどの人物なのだから。

 俺のため、俺だけのために動き、俺以外のことはどうでもいい。そこには俺以外にもフィーリアも入るのかもしれないが、それでも二人だけだ。俺たち二人以外は全てが等しく無価値に思えているのかもしれないとすら思える。


 そんな母さんが今、明確にソフィアのことを意識して目を向けた。


「……ヴェスナー様の従者として仕えさせていただいております、ソフィアと申します」


 ソフィアは突然話しかけられたからか一瞬だけ反応が遅れたが、それでもすぐにお辞儀をして挨拶をした。


「ソフィア……。確かグレイシルの御息女だったかしら」


 グレイシル? なんだそれは?

 ご息女、って言い方からするにどっかの家で、もっというならソフィアの実家なのか? じゃないとソフィアに対してそんなことは言わないだろ。


「……お分かりに、なられるのですか?」


 俺はその言葉の真意が分からずに首を傾げたのだが、ソフィアは普段の冷静さを消して目を見開き、驚きを露わにした。

 その反応からするに、どうやらグレイシルというのはソフィアの実家であっているようだ。


 だがしかし、どうして母さんはソフィアの実家の名前がわかったんだ? ソフィアは家名なんて名乗ってなかったはずだ。俺だって知らなかったのに。


「ええ。私、敵になり得る者を覚えるために一度でも社交界に出てきた者は覚えているのよ。私にとって、貴族が一番の敵になりやすいもの。あなた、小さい頃に一度だけ父親に連れられて城に来たでしょう? 成長しているけれど、ソフィアという名前まで合っているのなら流石に間違えないわ」


 一度見た貴族の顔を全部覚えてるとか……すごくない? 俺なんか人の顔と名前を一致するしない以前に、記憶に引っ掛かりを作ることすらできないのに。

 覚えられないのは興味ないからなんだけど、じゃあ興味があれば貴族の顔を名前を全部覚えられるかっていうと、まあ無理だろう。


「それで——あなたはヴェスナーちゃんを悲しませないかしら?」


 その瞬間、僅かに部屋の中にピリッとした空気が流れたような気がした。

 母さんの顔は相変わらず笑っている。だが、その瞳の奥はカケラほども笑っていなかった。

 そんな母からは、敵意とも殺意とも違う。なんだか表現できないような嫌な圧迫感を感じた。


 威圧感を感じるといっても、戦えば勝てるだろう。殺そうと思えば殺せるだろう。

 だが、そんな勝ち負けや力の強さなんてものとは関係ないドロドロと重くまとわりつくような、そんな不気味な圧。


「はい。私の命に掛けてお守りいたします」


 だが、ソフィアはそんな圧を真っ向から向けられても臆することなく、母さんのことを見据えてはっきりと答えた。


 ソフィアが迷うことなく答えたからか、母さんはじっとソフィアのことを見つめた後に威圧感を収めてソフィアから視線を外し、代わりに俺へと笑いかけてきながら口を開いた。


「そう。なら消さなくてすみそうね。よかったわ。せっかくのヴェスナーちゃんのお嫁さん候補だもの」

「ぶっ! 何を——」


 だが、その口から吐き出された言葉に俺は吹き出してしまい、言葉に詰まった。

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