第16話 3日目②
「シングルサイズなんだよ、それ。二人だと狭いじゃねぇか。降りろよ」
「くっつけばどうにかなるって! ほらほら」
「だから、くっつきたくねえって事なんだよ!」
「いいじゃん! 家族なんだからさ!」
薄暗い部屋で言葉の応酬をするが平行線だ。確かに、この一週間は家族として過ごすと言ったのは俺だ。言いはしたが、兄でも父でも弟でも、高校生の異性と一緒には寝ないだろう。むしろ赤の他人の方が一緒に寝る機会が増える年だ。
「あれは例えであって、本当の家族なんかじゃ……」
暗くて気づかなかったが、俺のすぐ近くまでアサヒが迫っていたらしい。服を無理やり引っ張ってベッドに押し倒される。
「おい! やめろよ!」
「いいじゃん。久しぶりなんだもん。誰かと一緒に寝るの」
薄暗いとはいえ、近くにいるアサヒの顔はよく見える。エロい雰囲気やそういう事の誘いではない事は分かっていた。それでも、アサヒの顔は見たことがないくらい悲しそうで驚いてしまう。
誰かと寝るのが久しぶり。その言葉の意味は聞かなくてもすぐに察した。母親の事だろう。家に帰ってこなくなる前から夜の仕事があったのだろうし、アサヒは一人で毎晩寝ていたのだろう。古ぼけたアパートが台風の強風で揺れたり、雷が近くに落ちた地響きも一人で耐える。一戸建てに住んでいたのかもしれないので、古ぼけたアパートというのは俺の勝手な想像だが。
観念してベッドに横たわる。アサヒは目一杯壁際によっているようだが、それでも肩が常に触れ合う距離感だ。
「お袋さん、いつからそういう生活だったんだ?」
「昔の話はしないんでしょ?」
すぐ真横からアサヒの声が聞こえる。何てことない事のはずなのに、なぜか胸が高鳴る。
「しねぇよ。いいから、それだけ教えろよ」
「私が中学の時かな。小学校の四年か五年の時にお父さんが出ていったの」
五年前というところか。一人で寝る生活が当たり前になっていたのだろう。物理的に離れていても、同じ屋根の下に誰かがいるのとそうでないのは安心感が違いそうだ。
「そっか」
「何かないの?」
「何もねえよ。聞いただけだからな」
「ふぅん」
しばしの沈黙。顔は見えないがアサヒはまだ寝てはいないはずだ。昨日まではアサヒが寝付いてから俺が寝付く生活だったので知っている。昨日までと同じなら、アサヒが寝付いたら隣から大きなイビキが聞こえてくる予定だ。
「お母さん、どこにいるんだろうね」
「どうだろうな。この街はもう望みは薄いだろ。次だな」
「また一人で探さないと行けないのかぁ。大変だなぁ」
俺についてきてほしいのだろうか。一人であてのない旅をするくらいなら、道連れがいた方がいいのは分かる。でも俺みたいなおっさんじゃなくて、もっと適任なやつがいるだろう。いや、いないのか。こんなバカみたいなことに付き合えるような時間がたらふくあるようなやつは、多分そんなにいない。想像を絶するほどの金持ちか、真面目に生きることを諦めたやつくらいだろう。俺はどっちかといえば後者かな。
「家に帰ったらいいじゃねえか」
「家賃払えないから、すぐに追い出されちゃうよ。電気もガスもいつまで使えるのか分かんないし」
どうやらアパート暮らしという点については当たっていたらしい。俺のカンもなかなか冴えている。
「親戚はいないのか?」
「いない……いないよ」
本当はいるのだろうけど、関係は良くない、といったところか。下手に公的な支援を求めたら、親戚に引き取れないかと照会がかかるだろうし、アサヒにとってはそれも地獄だろう。たらい回しにされるのが目に見えているのだから。
「じゃ、探し続けるしかないんだな。それか、高校だけは出て働けばいいんじゃねえか。一人で生きてくんだよ」
「一人は寂しいよ。ずっと一人なんてさ」
かれこれ十年くらいは一人で過ごしている俺にそれを言うか。寂しさを感じることが全く無いとは言わないが、それでもなんとか精神のバランスを保てる程度の寂しさだ。恋人でもいれば俺も変わったのかもしれない。その場合は仕事を変えないといけないのか。どっちも面倒だ。
「彼氏でも作れよ」
「確かにねぇ。じゃ、次の街では神待ち女子としてデビューしてみようかな」
「そういう意味じゃねえんだけどな」
「精神的な繋がりが云々ってこと? ずっと一人だったコマがそれを言うんだ」
痛いところをつかれた気分なので黙る。再び薄暗い部屋の中に沈黙が訪れた。今度はアサヒはしっかり寝付いたようだ。真横からイビキが聞こえる。これはこれで寝られない。こいつが俺の部屋にいる限り、俺の安眠は遠のくばかりのようだ。
アサヒの鼻をつまむとイビキが止まる。同時に呼吸も止まった。いくら鼻や口のあたりで手をひらひらさせても風が当たらない。生きているのだろうか。窒息するほど息を止めたつもりはない。ほんの冗談のつもりだったのだ。
しばらく様子を見ていると、アサヒが目をカッと開いて俺の方を見てきた。
「息、止めたね。一生取り憑いてやる」
俺がアサヒを殺してしまったのか。じゃあこれはなんだ。幻なのか。アサヒの怨霊が俺に見せているのか。
「すまん! 祟らないでくれ!」
「生きてるからね。勝手に殺さないでよ」
「な……なんだよ。ビビらせやがって」
「いや、こんな冗談でビビるチンピラって何なのさ……」
「ビビってねえよ!」
「ビビってたよね。『すまん! 祟らないでくれ!』ってさ」
アサヒはケタケタと笑う。笑うたびに体が震えて、アサヒの体とくっついている俺まで震えてしまう。
「元はと言えば、アサヒのイビキがうるさかったのが原因じゃねえか。どうにかしてくれよ」
アサヒは無視して狸寝入りを決め込む。だが、また十分もするとイビキをかきはじめた。
それだけ安心して寝られているという事の裏返しだと自分を慰める。俺だったら十個近くも離れたおっさんの横で安心して寝られる訳がない。
意識を失ってはアサヒのイビキに起こされるサイクルを何度か繰り返していると、いつの間にか次の日になっていた。
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