第9話 1日目⑤

 ハンバーガーを食い終わったので、母親探しを本格的に始めることにした。とはいえ、手がかりも何もないのだ。外は灼熱地獄なので、ひとまず方針を決めるまではフレッシュナスに居座ることにした。


「お袋さんの写真とかないのか? 探すにしても写真のある無しじゃだいぶやりやすさが違うだろ」


 アサヒは「あるよ」と返事をして俺に携帯の画面を見せてくる。人の親ではあるが、いかにも夜の女といった感じのケバケバしいメイクと汚い茶髪だと思った。そして、アサヒに全く似ていない。


「似てねぇな」


「そりゃね」


「どういう事だ?」


「お互いに過去の話は秘密なんだよね? コマが昔のことを教えてくれたら私も教えるよ」


「ただの雑談だろうが。いいから教えろよ」


「やだ。コマが先だよ」


 アサヒはむくれて頬を膨らませる。可愛い仕草ではあるが、生意気な中身を覆い隠せるほどではない。別にこいつの母親の事も、家庭の事情も知らなくても人探しはできる。無視して探し方を考える事にした。


「お袋さんの名刺を見る限りだと、ホステスだろうな。それが本人の名刺じゃなかったとしても、家に置いてあるくらいだから知り合いのものだろうな」


「それくらい女子高生でも分かるよ。だから私はここに来たんだって」


「うるせぇな。整理してるんだから黙ってろ。それで、その名刺の店が営業許可を取らずに闇営業してるなら営業時間も風営法は影響しない。多分遅くまでやってるとこだろうな。だから仕事が終わって家に帰るとしたら早朝。明日からは早朝にこの辺を張り込むぞ」


「おぉ。それっぽいね。探偵みたいだよ!」


「探偵……そういえば探偵は雇わないのか? 俺みたいな人探しの素人よりよっぽど使えるだろ」


 アサヒはバツが悪そうに笑い、人差し指と親指で丸を作る。金か。確かに、母親が居なくなったのだから金はないだろう。この様子だと通帳も持って逃げたのだろうし。今朝目に入った、アサヒのスニーカーの事を思い出す。俺でもあんなにボロボロなスニーカーは捨てるのに、こいつは大事そうに履いている。親からのプレゼントなのか、新しい物を買う余裕がないのかは知らないし興味もないが、後者なのだろうと思った。


 ただ、これから毎日コンクリートやアスファルトを踏みしめるのだから、あんな靴では数日も持たないと思った。そうなると俺が困るのだ。足が痛いだのとグチグチ言われて、俺の仕事が増えたり、期間の延長もありえるかもしれないからだ。だから、先手を打つことにした。


「金は仕方ないな。本格的に活動するのは明日の朝からにするか。今日はこの写真を持って聞き込みをするくらいだな。その靴、長いこと歩けるのか?」


「これ? どうだろう。ちょっと足にマメが出来てて痛いんだよね」


「新しい靴、買うか?」


「えぇ!? いいの!? もしかして……プレゼント?」


「そんなんじゃねぇよ。足が痛いから歩けないって駄々こねられたらたまんないからな」


「大山さんに会っといて良かったよ。コマがこんなに面倒見が良くなるとはね」


「元々悪いほうじゃなかっただろ。失礼なやつだな」


「アハハ。確かにね」


 どうやら予想通り、靴に思い入れはないようだ。新しい物を買う金がなかっただけなのだろう。


 とりあえず行き先が決まったのでフレッシュナスを後にする。外に出ると、ビルの隙間に青空が見える。この街の景色はいつもこうだ。林立するビル達が主役。空は昼も夜もいつも引き立て役だ。田舎だとこうはいかない。我が物顔で青色と雲が空を占領している。不意に、故郷の景色を思い出して懐かしくなった。




 適当な大通りに面しているチェーンの靴屋に入り、レディースのスニーカーを眺める。アサヒも色々見てはいるが、選択肢が多すぎて決めかねているらしい。


「コマぁ。決めらんないよぉ。予算はいくらなの? 色は? デザインはどうする?」


「んなもん自分で決めろよ。この店で売ってるやつなら値段も大した事ないしどれでもいいぞ」


「コマって意外と服とか気を使ってるよね。部屋はあんなのでめっちゃオタクなのにさ」


 俺の服や靴をジロジロと見てくる。高校生に俺の身につけている物の良さがわかるとは思えない。チンピラのように、いかにもなハイブランドで固めるファッションは嫌いなので、デザインは地味だが素材にこだわったものを選んでいる。それでも着る人が良いので十分な迫力が出るのだ。


「いちいち一言多いんだよ。見た目はきちんとしとかないとナメられるんだ。浮浪者みたいなやつが浮浪者を顎で使えねぇだろ」


「なるほどねぇ。そのグレーのスニーカーも可愛いね。それがいいな。どこで買ったの?」


「これか? 通販だよ。アムステルダムからの直輸入だ。しかもカーフレザーっていってな、子牛の革だぞ、子牛」


「アムステルダム?」


「ほら。あれだよ。ヨーロッパの……あそこだよ。ほら」


 アムステルダムが国の名前でない事は分かるのだが、どの国なのか出てこない。知らないのではなくてど忘れしているだけなのだが、高校生の前でこんな事もすっと出てこないのは恥ずかしい。


「オランダね。コマ、おっさんみたいだよ。ウケる」


「お前……俺を試したな? 分かってるのに聞いてたんだな!」


「おお、どうどうだよ、コマ。お店で大きな声を出さない」


 アサヒは口に人差し指を当てて静かにしろと指示をしてくる。誰のせいで怒ってるのか分かっているのだろうか。


 結局アサヒは、俺のスニーカーにそっくりなグレーの安物スニーカーを買った。白いスニーカーはすぐに汚れるので俺の一存でやめさせた。


 きれいな街ならいいのだが、この街は汚い。白いスニーカーなんて履いていたらすぐに汚れてしまう。それに、おろしたての真っ白な靴を履いていたら金持ちだと思われてカモにされる。無用なトラブルを避けるための工夫だ。黒色は逆に色の汚れが目立つ。グレーが一番無難なのだ。


 そんな事をいくら説明してもまったく納得する素振りを見せなかったのだが、俺の「お揃いっぽい」という一言でアサヒは落ちた。今は喜んでグレーのスニーカーを履いて、歩道ではしゃいでいる。


 これまで稼いだ金は自分のためにしか使ってこなかった。ゲーム、アニメグッズ、服や靴を買った。嬢に貢ぐ客のように、人のために金を使うなんて馬鹿だと思っていた。俺には友達も彼女もいないので使う相手もいないだけだが。


 でも、今日は人のために金を使うのも悪くないと思えた。自分のために使う五千円よりも、遥かに満足できる使い方だった。そう思うくらい、アサヒの顔は眩しく笑っていた。俺達の真上に上がっている、真夏の太陽のようだった。

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