ラブラブフルーティソルベ

剃り残し@コミカライズ連載開始

第1話 0日目①

 ドブネズミみたいに美しくなりたい。彼は本気でそんな事を思っていたのだろうか。俺のように、実際にドブネズミみたいな生活をしてみたら、自分の醜さしか見えてこないことに気づくだろう。


 臭いドブに住み着くネズミより、ケージで飼われたハムスターの方が幸せに決まっている。目の前には、いかにもハムスターのようにケージで可愛がられて育ってきたであろう女子高生がいる。高校生らしい黒髪のショートカット。顔はハムスターというよりはタヌキ。タヌキを漢字でどう書くのかは学校で習ってないから知らない。


 とにかく、そのハムスターはケージを飛び出して、肉食獣が蔓延る真夏の歓楽街に迷い込んできた。制服という餌を身に着けて。鴨が葱を背負って来るというのはこの事だろう。大山(おおやま)さんが担当の風俗店でも制服系の店が一番人気で、需要は昔からずっと落ちていないらしい。俺には良さが分からない。コスプレをしてもらうならナースか警察、メイドあたりが好みだ。


 この歓楽街に集った猛獣達は、若々しいハムスター、タヌキ、ネギを背負った鴨、呼び方は何でもいいが、その女子高生を捕食してやろうというギラギラした目で見つめている。すれ違いざまに人の首はそんなに曲がるのかと驚くほどだ。マジシャンでもそんなに首は回らないだろう。


 時計に目をやると夜の十一時を少し過ぎたところ。閉店までもう少しだ。雑居ビルの入り口でタバコに火を付ける。ただ人を待つだけというのも退屈だが、もう慣れた。


 今日も今日とて、初出勤の女の子のケアをする。別に何をする訳でもない。ただ、ハンバーガーを食べながら話すだけ。大山さん曰く、俺は声が良いので話していると落ち着くと店の女の子の間でもっぱらの評判らしく、初出勤の女の子から仕事の愚痴を聞くついでに一緒に飯を食う事になっている。


 俺は話し相手の中身を見る。見た目なんていくらでも化粧で誤魔化せるからだ。中身は誤魔化せない。見た目以上に幼い奴、擦れた奴。色々いるが、少し話せばそいつがどういう人なのか分かるのだ。こんな仕事をしているうちに身に着けた特技だ。中身を見て、すぐに辞めそうなのかどうか見極めて、辞めそうな上玉はフォローを手厚くする。


 今日は何をネタに話そうかと考えていると、また目の前を例の女子高生が通り過ぎた。さっきから何度見かけただろうか。ずっと同じ通りを行ったり来たりしているらしい。葱ではなく、大きな鞄を背負って家出してきたはいいものの何処にも行く宛がない、という感じだろう。


 不意に彼女と目が合う。ハムスターのように口をパクパクとさせながら、俺の方に近づいてきた。


「あのぉ……この辺に『アモーレローズマリー』ってお店ありませんか?」


 ハムスターは俺の前に立ち、上目遣いで見上げてくる。もしかして、俺に絡んできているのだろうか。面倒事は避けたいので無視を決め込む。こんな時間にふらついている女子高生なんて地雷以外の何物でもない。第一、警察は何をしているんだ。早くこいつを補導してくれ。あたりを見渡すと、いつもこの辺をウロウロしているはずの警官が一人も見当たらない。どこかで喧嘩でも発生したのだろう。


「あの! お兄さんに話しかけてるんですけど! おーい! 私の事、見えてますか?」


 若草のような匂いがうっすらと分かるくらいの距離まで近づいてきた。さすがに申し訳ないのでタバコを吸うのをやめ、地面に落として踏みつける。まだ半分は吸えたというのに、このハムスターのせいだ。反応しないと、いつまでも付きまとってきそうな根気強さが目に現れているので渋々答えることにした。


「見えてるし聞こえてるよ。高校生は早く家に帰れ。家出ならもう一つ路地が違うぞ。向こうの路地は立ちん坊もいるし、神待ちしてる奴のたまり場になってんだよ。そこで拾ってもらえ」


「見た目は怖いのに親切なんですね。タバコもやめてくれたし。どうせ頼るなら優しい人がいいんです。仕事中ですか?」


「関係ないだろ。今の時代、未成年の女と絡むだけでやいやい言われて面倒なんだ。わかってくれよ」


「私、お母さんを探しに来たんです。だから、この街に詳しい人がいいんです。ロリコンのサラリーマンより、強面のヤクザの方が私にとっては有り難いんですよ。強面ヤクザの優しい人、他にいますか?」


 ハムスターは俺の話を聞かずに自分の話ばかりしてくる。第一、俺はヤクザではない。大山さんはヤクザだけど、俺はその手下として仕事をもらっているだけだ。どうせグレーな仕事をするならデカく稼ぎたいから組に入りたいと大山さんに何度も掛け合ったが、その度に断られている。強面なのは否めないところが何とも悲しい。俺は話せば良いやつなのだ。見た目が少し怖いだけ。それだけだ。


「俺はヤクザじゃないよ。いいからあっちに行けって。邪魔なんだよ」


 何が引き金になったのか咄嗟には分からなかったが、ハムスターは目の前に大きな肉食獣が現れたかのように顔を引き攣らせる。虚ろな目になり、口が少しずつ動きだした。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。邪魔はしませんから、そんな事を言わないでください。お願いします。ここにいさせてください。いつもご飯をありがとうございます。高校を出たらすぐに働きますから」


 壊れた人形のようにボソボソと俺に謝ってくる。飯の世話なんてしていないのだが。邪魔、という言葉が彼女のスイッチだったのだろう。人格が変わった、いや、辛うじて正常に見えるように繋ぎ止めていた、継ぎ接ぎだらけの人格が表に出たと言うべきか。一点を見つめながら謝罪を続ける。親のせいなのか、同居人のせいなのか、はたまた孤独のせいなのかは分からないが、自分の過去と重なってしまい、見ていられなくなる。


「お、おい。悪かったよ。ごめんな。ここにいていいから。とりあえずそれは目立つから着替えてこい。エレベータに乗って六階に行くんだ。店のやつにコマの知り合いだから休ませろって言ったら聞いてくれるよ」


「はい。ありがとうございます」


 虚ろな目をしたまま、俺の顔も見ずに彼女はエレベータに乗っていった。

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