藍滴茶会

絵空こそら

藍滴茶会

「ペル、灯りを消して」


 カンテラをかざしたまま振り返ると、ヨマは眩しそうに瞳孔を細めた。


「なぜ?テナとの目印なのに」


 友達のテナは目がよくない。だから赤い光を待ち合わせの目印にしようと約束していた。


「この道にはテナの好きな藍水果がなっているでしょ。お土産にとっていこう。明るいと見つけられない」


「でも」


 灯りを消したら足元が見えないのは、ヨマも同じはずだ。彼女も夜目がきくけれど、この道は暗闇よりももっと深い、漆黒だ。


 ヨマは無造作にカンテラの灯り石をひっくり返すと、私の手を握った。


 「あたしはいいの。ペルについていくから」


 彼女は視界が闇に包まれても、てんで平気な顔をしている。本当は見えているんじゃない?と疑うくらい。ヨマの滑らかな青い手を握り返しながら、私も視界がなくなればいいのに、と少し思う。この手触りだけが暗い世界の中、ふたりを繋いでいるものだとしたら、どんなに素敵だろう。


 とはいえ、頼られたのが嬉しくて、私はゆっくりと彼女の手を引く。


 私の眼はどんなものでも透過する。最高濃度の暗闇の中、目映すぎる光の中、木々が乱立した森の中でも、ちゃんと道筋が見える。数少ない私の美点。それを教えてくれたのも、ヨマだった。


 小さいころから、ヨマは私の憧れだった。おとぎ話に出てくる地球のような肌や翼の色、もう一段濃い色の毛髪と、静かな橄欖色の瞳と爪。勇敢で、友達想い。


 私の皮膚や髪は生まれつき半透明だった。骨や血管や臓器が見えてしまうのが嫌で、毎日木の実を潰して体に塗っていた。


 ある時近所のいじめっ子に、顔に水をかけられて、頭の中の脳を覗かれたことがある。「気持ち悪い」と言われたのか、自分で言ったのかわからない。ただ恥ずかしくてたまらなくて、死んでしまいたかった。


 私はヨマに縋り付いて、どうして私はこんなに醜いのか、どうして私はヨマじゃないのかと泣いた。ヨマは私を抱きしめながら、


「もしもペルがあたしと同じだったら、あたしはペルを好きじゃないよ」


と言った。青い涙が私の肌に落ちて、伝っていった。


「ペルはとっても綺麗だよ」


 その時のヨマの呼吸や鼓動や体温を、ずっと覚えている。自分のためには決して涙を流さない彼女が、私のために泣いてくれた。今でもそのことが、何にも代えられない一番の宝物だ。



「藍水果だ!」


 ヨマが小さな声で叫んだ。私もはっとして、上に意識を向ける。


 藍水果の輪郭がひとつ、小さく光っている。薄い色から濃い色へ、繰り返し繰り返し、呼吸をするように。やがてその瞬きに呼応するように、たくさんの藍水果が光り始めた。


 私たちはその中から、形のいいものを四つ取った。大きな葉に包んで、眠っている灯り石を起こさないよう、そっとカンテラに入れる。


 その時、薄氷花の咲く音がした。私とヨマは顔を見合わせる。そして同時に走りだした。


薄氷花は毎日決まった時間に咲くから、待ち合わせに使われることが多い。テナとの約束も、この時間だったのだ。


 私の手を引いて走るヨマはとても速い。藍水果の木立の中を、悠々と駆け抜けていく。私はカンテラを落とさないように、なんとか彼女についていく。


テナが見えた。遠くで銀色の雀斑が光っている。私たちは少し手前で呼吸を整えて、忍び足で近づいた。


「テナ!」


「きゃっ」


 すぐ隣でヨマが元気に声をかけると、テナの四つの蹄がたたらを踏んだ。


「びっくりしたあ。ヨマ、おどかさないでよ」


「ごめんごめん」


「テナ、遅れてごめんね」


 私たちが謝ると、テナは笑って長い首を横に振った。


「少し遠くでね、森猫の家族がダンスを踊っていたの。そのリズムを辿っていたら、ふたりが来てたことに全然気づかなかった」


「森猫のダンス?どんなリズム?」


「こうよ」


 彼女の蹄はパカパカと、少しだけへんてこなステップを刻んだ。私とヨマも真似をする。


「あはは、おもしろい。あとでサクライ先生にも教えてあげよう」


「そうだ、テナ。お土産があるのよ」


 私はカンテラから包みを取り出した。中から輪郭の光る藍水果が姿を現す。


「わあ、藍水果ね!私の大好物」


 テナは顔を綻ばせた。


「ふたりともありがとう。サクライ先生も好きだといいね」


 テナは最近引っ越してきた子で、闇に溶けそうな黒い身体と、銀色の髪や角や蹄を持っている。初めて喋った日、その柔らかな話し声や、穏やかな所作に、私はたちまち彼女が好きになった。彼女は視力が悪い分、集中すれば角の感覚で、遠いところで何が起こっているのかわかるのだそうだ。


 カンテラの灯り石を起こすと、欠伸をするように赤い光が辺りを照らした。私たちは並んで歩き出した。



 学校の近くの、古い森を進むと、泉の先に家が見えた。木と蔓で編んだ小さな家。玄関の扉の横で、黄色の灯り石が瞬きをしている。ヨマが扉をノックすると、サクライ先生が姿を現した。


「三人とも、いらっしゃい」


「先生、こんにちは。おじゃまします」


 私たちが声を揃えてそういうと、彼女は微笑んで私たちを招きいれた。


 サクライ先生は、正確には先生ではなくて、学校の事務員さんだ。薄橙の、とても珍しい色の肌をしていて、白い髪の毛を長い三つ編みにしている。遠い森からやって来たそうで、誰もその出身地を知らない。この地に辿りついたとき、言葉も通じなかった先生は、猛勉強したそうだ。


「すごいなあ。わたしは、全然知らないところに来るの、怖かったもの。それに、言葉も通じなかったら、どうしたらいいかわからないわ」


 テナが言う。


「私も最初はそうだった。でもね、この世界のひとは皆親切で、路頭に迷っている私を助けてくれた。だから、この世界のことを知るのはとても楽しかったの」


 先生はお茶を入れながら言う。先生はとても物知りで、落ち着いている。だから本当の先生が困ったとき、サクライ先生を頼ったりする。


「故郷が恋しくないですか?」


「もちろん、恋しい時もありますよ。でも、先生はこの森と、森に住んでいるひとたちが大好きです。だから寂しくありません。はい、どうぞ」


 先生がひとりひとりの前にお茶を置いてくれる。それは黒くて甘くて、口の中でぱちぱちとはじける不思議なお茶だ。先生はここに来る前、このお茶をつくって売っていたらしい。


「わあ、素敵」


 初めてこのお茶を飲むテナは、そのはじける感触を確かめるように目を閉じた。


「そうだ先生、お土産があるんです」


 私は持っていた包みを解いた。家の中は明るいので、その輪郭はほとんど見えなかったけど、先生にはその弱い光で十分わかったみたいだった。


「あら、おいしそうな藍水果」


 先生は朝の蜘蛛糸を取り出して、藍水果を半分に切った。透明な輪郭が嘘のように、中は鮮やかな青色をしている。


「ヨマに似てるね」


 テナが言うと、ヨマは苦い顔をした。


「あたしが食べられるみたいで、嫌なんだけど」


「ふふふ。じゃあ、地球みたい」


 私はそう言って、半分になった藍水果をつまんだ。口に含むと、爽やかな匂いが広がる。


 一滴、お茶の中に果汁が垂れた。黒い波の中で、青色が、花開くように浮かぶ。


 私はおとぎ話の地球のことを思った。どんなひとたちが住んでいるのだろう。きっとヨマのように青い美しい肌をして、テナのように穏やかで、サクライ先生のように賢いひとが、暮らしているのだ。そんな世界があったら、行ってみたい。いつかヨマとテナと、サクライ先生と一緒に。



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藍滴茶会 絵空こそら @hiidurutokorono

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