09
「ただいま、戻ったわよー」
店とは違う玄関から家に入り、声をかけると、少し遅れて、返事の代わりにがしゃん! と何かが落ちる音がした。
「ちょっと、大丈夫……いや本当に大丈夫?」
キッチンで作業をしていたらしいツムギさんが、調理器具を落としたらしい。辺りにいくらかの調理器具がちらばり、彼の頭には丁度大なべがかぶさっていた。
綺麗にヒットしたのか、と思うと漫画みたい、と笑えてしまうが、よく考えれば鍋が頭に直撃したわけで。幸い、土鍋のような重い鍋ではないが、痛いことに代わりはないし、頭をぶったということだ。勢いでしゃがみ込んだのか、それとも床の調理器具を拾おうとしたのか。
「す、すみません……。大丈夫です、うわっ」
慌てて立ち上がろうとしたツムギさんがそのままよろける。鍋が頭にはまったままだから、周りが見えないのだろう。ただでさえ、前髪で視界が悪いだろうに。
「鍋、とらないと見えないんじゃない?」
そう言って、わたしは彼にかぶさった鍋を取る。――取っ手に引っかかった、前髪を巻き込んだまま。
「…………」
こちらを見上げるツムギさんの目は、珍しい色の光彩だった。空色とオレンジ色の混色である。綺麗に上下で分かれている。ちなみに上が空色で下がオレンジ色。あと、意外と丸い目をしていて、目元が見えると一気に幼く見える。
あれっ、幼く見えるっていうか、もしかして彼、わたしより年下……? 今のわたし、行き遅れ(ノイギレール貴族基準)の二十五歳だし。
そんなことを考えると、鍋を引っ張られる。ガン、という音と共にツムギさんが被り直したらしい。
「み、見ましたか……」
恥ずかしい、とかではなく、この世の終わりだ、と言わんばかりの声で、ツムギさんは問うてきた。その声音に、思わず「何を?」と返してしまう。
「目、目です……」
ぎゅう、と鍋の取っ手を握る、彼の手が白い。随分と力を込めているのだろう。
これは誤魔化した方がいいんだろうか、と思いつつも、素直に「見たよ」と答えた。だってばっちり目が合ってしまったし。
「こんな、気持ち悪い目――」
「素敵な目、うらやましいわ」
わたしの言葉とツムギさんの言葉が重なる。
「え、ごめん、なんて言った? 被るとは思わなくて」
聞き返すと、ツムギさんは「うらやましいって、何でですか……」と、信じられないと言わんばかりの細い声で聞いてきた。
「ノイギレールの宗教、ノイギ教だと、オッドアイとか、生まれつき体にまだらの痣があるとか、体の部位が二色以上の混色だとそれはもうちやほやされるんだから」
人を作った神が、最後までどの色を与えるか迷った結果、だと言われている。最後まで悩まれ、結局両方を与えたられた子は、神から愛されている、という認識なのだ。
わたしがそう説明すると、ツムギさんは、「……そう、なんですか」と小さく返し、鍋を被ったまま床の調理器具を拾い始めた。
ノイギレール貴族の娘であったわたしは、口が裂けても、ノイギレールの人間であった人の目がなくても、こんなことは絶対に言えないが、正直神様と言うものはあまり信じていない。日本人特有の漠然とした神様、というのは分かるが、あれこれ戒律があり、教えもあり、という宗教はいまいちピンとこない。
確かに、オッドアイや痣ならまだしも、髪を染めたわけではないのに、メッシュを入れたように二色だったり、マニキュアを塗ったわけでもないのに爪の色が違ったり、というのは不思議な話だと思うけれど。でも異世界だし。
でも、その目がうらやましい、というのは事実だ。
だって、そんな目があったら、きっと婚約破棄されずに、今頃夫婦生活を送っていただろうから。
多分、目を見られたくないのだろうけど、これだけ散乱している調理器具を見なかったことにするのもなんだかためらわれて、わたしは拾うのを手伝うことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます