恋する男子に占いを教えて(7)


 そのあと俺と千嵐は、教室の戸締まりを済ませて帰宅の途についた。


 放課後に何の用事もない男女が、たった二人きりで教室に居残っていたと知れたら、それこそ不純な関係を疑われかねない。

 他の生徒から目撃されておかしな噂が広まったら、俺はもう恥ずかしくて学校に行けない。


 そこで俺は、忘れ物をしたとか何とか言い訳をして千嵐と別れたのち、自分だけ別の階段を使って校舎内を遠回りした。

 途中で職員室に立ち寄って教室の鍵を返却し、それから下駄箱へ。


 この時、時刻はすでに午後5時を過ぎていた。

 予定よりも少し下校時間が遅くなってしまったけれども、とくに普段と変わらない一日だった。多くの生徒は、まだ学校に残ってクラブ活動に励んでいる時間帯だ。


 いつもの帰り道。

 肩に背負った学生鞄からケータイを持ち出して、忘れぬうちにマナーモードを解除しておく。校門の脇を通って駐輪場へ向かい、スタンドを蹴って自転車を押し出す。


「おかえり、青木!」


 すると、その時。

 道ばたで突然声をかけられた。


 校門のフェンスに背中をもたれつつ、手持ちぶさたにスマホをいじっていた野々坂が、耳にはめていたイヤホンを外して後ろから追いかけてくる。


「ずいぶん遅かったじゃない。知らない女の子と二人っきりで何をしてたの?」


 ……まさか、こいつ。自分だけ一足先に下校したと見せかけて、ずっと俺の帰りを待っていたのか?

 だとすれば、一体何のために?


 俺は、すぐさま自転車のブレーキを握って立ち止まる。

 その場でしゃがみ込んでペダルを空回りさせ、外れかけたチェーンを歯車に噛ませる。


「それ、あんたの自転車?」

「だったら何だよ」


「……本当に?」

「人聞きの悪いことを言うな」


 ねえねえ、聞いて聞いて。

 今朝はなかなか寝癖が直らなくて遅刻しそうだったから、お父さんに軽トラで送ってもらったの。


 野々坂は、いつにもましてご機嫌なテンションでのべつまくなしにまくし立てる。

 そのせいで俺はサドルにまたがるタイミングを失ってしまい、横に並んだまま自転車を押し続けるはめになる。


「そういえば、アルバイトはもう決まった?」

「いや、まだだが」


「だったら、うちで働けばいいのに」

「お前ん家、土建屋だろう? しかも親父さん、一人親方だし」


 今度の週末は? 夏休みは暇でしょ? 高校を卒業したらどうするの?

 何度もしつこく同じことを聞かれて、俺はいささか答えあぐねる。


 普段学校ではあまりこういう話をしないが、俺も彼女も、決して恵まれた境遇に生まれたわけではない。

 ほんのついこのあいだまで俺たちが通っていた中学も、不良ばかりで喧嘩が絶えない荒れ果てた学校だった。


「後ろ、乗っていい?」

「駄目に決まってるだろ」


「何でよ」

「自転車の二人乗りは、法律で禁止されている」


 野々坂は、いきなり俺の肩をグーでパンチした。

 いや、それは何のボケに対するツッコミなんだ? というツッコミをさせるためのボケなのか?


 いつになく積極的にスキンシップを図ってくる彼女に対して、俺はいくばくか戸惑いを覚える。

 だいだい、俺はお前に告白してフラれたばかりなんだぞ? 今は独りになりたいんだ。頼むからそっとしておくれよ。


「ほら、荷物を寄越せよ。持ってやるから」


 俺は、普段よりも歩幅を小さくして彼女が追いつくのを待った。

 自転車のハンドルに学生鞄の持ち手を引っかけて、お互いの歩調を合わせる。


 横断歩道の手前で立ち止まり、電柱のボタンを押す。

 やがて信号の色が変わり、懐かしい童謡のメロディーが流れ始める。


 歩道橋と踏切が重なった駅前の交差点だ。

 交通安全の標語が掲げられた国道沿いに、潰れかけたパチンコ屋や、セルフ方式のガソリンスタンドが並んでいる。


「それで、どうだった?」

「何がだ」


「千嵐さんと、ちゃんと話せた?」

「まあ、普通にな」


「どうだった?」

「だから何がだ」


「千嵐さんのこと、どう思った?」

「べつに何とも」


 野々坂は、むふふっ、とよだれをすすってスケベな笑い方をした。

 鬱陶しいからよせと言うのに、肘鉄砲でしつこく脇腹を小突いてくる。


 学校帰りの男子生徒がいつも立ち読みしているコンビニの前を通り過ぎると、路肩にバス停がたたずんでいる。

 バス停のベンチに座って雑談している女子生徒たちのお目当ては、ブレザーの制服を着こなした私立校の好青年だった。


 ――こいつは、恥ずかしくないのだろうか?

 ズボンのポケットをまさぐって自動販売機に小銭を入れている最中、ふとそんな考えが頭をよぎり、俺は何気なく野々坂の横顔を盗み見る。


 こんなふうに二人で並んで通学路を歩いていたら、俺はこいつの彼氏だと思われてしまう。

 一人では飲みきれないからと言って残りのジュースをもらったら、俺はその飲み口を介して彼女の唇に触れることになる。


 それは彼女にとって、一体どういう心境なのだろう?


「このラブレター、記念にもらっていい?」

「まだ持ってたのかよ、そんなもの。さっさと捨てればいいのに」


 そう言って野々坂が、片手に提げた学生鞄から取り出したのは、いつぞや学校で紛失した差出人不明の手紙だった。

 ガードレールに腰かけて夕焼けを見上げながら、片目をつぶって便箋が入った封筒を透かしてみせる。


「それとも、千嵐さんに渡してあげようか?」

「……何が望みだ、要求を言え。こちらには交渉に応じる用意がある」


 それじゃ、また明日――と別れ際に手を上げて自転車にまたがった俺は、思いがけずハンドルを誤って転倒しそうになる。

 普段ならば目にも留めない道路脇の側溝に、どこからか流れ着いた桜の花びらが残っている。


 野々坂は、さっきからしきりにスマホの画面を見返しては、指先で突っついて文字を打ち込んでいた。

 しかし、なかなかふさわしい言葉が思いつかないのか、いつまでも既読のままメッセージを返信できずにいる。


「私たち、友達だよね?」

「ああ、残念ながらな」


「これからも、ずっと?」

「それは約束できない」


 野々坂は、右手から左手へと荷物を持ち替えて、仲直りの握手を求めてくる。

 もちろん俺は、マスクをつけて断った。あいにく感染防止の観点から、彼女との接触は自粛せざるを得ない。


 そんなこんなで、駅前のバス停で待ち時間をつぶすこと10分あまり。

 黄昏時の踏切を行き交う自動車がちらほらとヘッドライトを照らすころ、ようやくローカルの路線バスが到着する。


 野々坂は、自動で開いたドアの乗り口を踏み上がり、切符を取って空いている座席に着く。

 そして、プシュッ――とガスが抜ける音とともにバスが発進する瞬間、無理やり車窓をこじ開けて大きな声で叫ぶ。


「私、あんたの片想いを全力で応援してるから!」


 俺は、漕ぎ出した自転車を止めて片足立ち、後ろから追い越していくバスを振り返った。

 鼻まで覆ったマスクを外しながら、耳に手を当ててもう一度聞き返す。


「えっ?」



  第一話 恋する男子に占いを教えて(完)

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