恋する男子に占いを教えて(4)
午後の授業は体育だった。
五時限目と六時限目をまたいで隣のクラスとの合同授業だったが、残念ながら男子と女子は別々だった。
放課後からはクラブ活動が始まる。
体力測定が終わったら陸上部の備品を片づけて、男子は教室で、女子は更衣室で着替えを済ませる。
掃除のあとは、再び教室に戻ってホームルームだ。
担任の先生から配られたプリントを前から後ろの席へ回して、日直の号令で一斉に起立する。
来月の期日までに提出しなければならない入部届だった。
俺は、学生鞄を肩に絡げてそそくさと教室をあとにする。
ページの耳を端折った求人情報誌でアルバイト先を探しつつ、ケータイをいじって電話番号を打ち込みながら。
すんでのところでぶつかりそうになった女子生徒を避けて、急いでいるから、と断るなり階段の踊り場で折り返す。
そうして、下駄箱で靴を履き替えようとしたその時だった。
「青木――!」
後ろから追いかけてきて俺の二の腕を掴んだのは、野々坂百花だった。
簀の子が敷かれたコンクリート張りの昇降口に、耳障りなくらい甲高い声が響きわたる。
「早く行かないと千嵐さんが帰っちゃうよ! とにかく一緒に来て!」
「いや、俺はこれからバイトの面接が……」
俺は、一旦脱ぎかけた上靴のかかとを踏みながら、無理やり腕を引かれて階段を駆け上がる。
野々坂は、左右に揺れるポニーテールをはずませながら、人混みを押しのけて廊下を逆走する。
「――お待たせ、千嵐さん!」
そうして連れてこられたのは、校舎の二階にある一年C組の教室だった。
ホームルームが終わってすでに大半の生徒がいなくなった、人影まばらな隣のクラスである。
「それで、俺に何の用だ……?」
俺は、後ろから背中を押されて前のめりにつまずく。
黒板前の教壇に両手をつき、どうにかこうにか踏みとどまる。
一年C組の千嵐小夜は、俺が教室に入るなり席を立ち、礼儀正しくお辞儀をする。
いやいや、わざわざ起立しなくてもいいのに――と、俺はすっかり恐縮して何度となく会釈する。
教壇の上に置き忘れられた出席名簿には、数字の千に嵐と書いて
席順は、教室中央の最前列から二番目だった。
見た目は、普通だ。
普通に可愛いほうの部類だと思う。
身長は150センチ程度と小柄ながらも、しゃんと背すじが伸びているせいか、正面から見てもあまり小さいという印象は感じさせない。セーラー服に隠された胸のふくらみも含めて。
上靴のつま先はやや内向きだった。ぱさついた前髪でおでこを隠して、ゆるめにふわっと結んだお下げ髪を肩にかけている。
「――ねっ、言った通りでしょ?」
と、俺の背後から肩越しに憑依して、まるで心霊写真みたいにピースサインを覗かせる野々坂。
千嵐は、ぎゅっと拳を握ってほんのわずかにスカートの丈をたくし上げ、そうと言われなければ分からない程度に小さく頷く。
「……何だよ」
「ううん、こっちの話。あんたには関係ないから」
本人が知らないところで好き勝手に陰口を叩かれているこの感じ。
何だか自分だけのけ者扱いされているようで、すこぶる居心地が悪い。
「ほら、そんなところに突っ立っていないで座りなよ」
野々坂は、なかば強引に俺の荷物を奪って放り投げた。
さらに自分の机から椅子を引きずってきて、どうぞと着席をうながす。
……ところで俺は、なんでこんなに緊張しているんだ?
落ち着け。俺はただ、隣のクラスにお邪魔して、好きな女の子の椅子に座っただけだ。何も悪いことはしていない。セーフかアウトかで言ったらセーフだよな?
「あらためて紹介するね。こいつがうちの中学で一番出来が悪かった青木隼人。子供のころから野球しかやってこなくて、テストの点数はいつもビリだったんだけど、去年の夏から猛勉強を始めてギリギリで合格したんだよ?」
「大して努力したわけじゃない。運も実力のうちだ」
「手術が成功してよかったね。ダイジョーブ博士とはどこで出会ったの?」
「それはパワプロの話だ。……ほら、千嵐だって困ってるだろ。その冗談で笑ってんのお前だけだぞ」
千嵐は、膝の上に両手を置いてお行儀よく座っていた。
きょとんとした顔で自らを指差して、びっくりしたようにつぶらな瞳を大きくする。……いきなり呼び捨てにするのは失礼だっただろうか?
野々坂は、――ほら、ご挨拶は? と頭ごなしに俺の首根っこを押さえつけ、どうぞよろしくとお辞儀をさせる。
言うなれば、あたかも二対一の三者面談みたいな位置関係だった。
「そうだ、忘れるところだった!」
すると野々坂は、ふと何かを思い出したように拍手を叩き、自分の荷物をまさぐり始める。
机の片側のフックに引っかけた学生鞄だ。手提げにしても肩掛けにしても持ち運びやすい、紺色のスクールバッグである。
「じつは今日の昼休みにね、学校の図書室に行って面白そうな本を借りてきたの。あんたの運勢も占ってあげようと思ったのに、恥ずかしがって教室から出てこないんだもの」
じゃじゃーん!
と、自分で効果音を演出して後ろから持ち出したのは、背表紙に学校のシールが貼られた一冊の書籍だった。
「12星座と血液型から分かる男女の性格診断……?」
俺は、野々坂から手渡された本の題名を確かめ、じっくりと品定めをする。
装丁の傷み具合や、黄ばんだ図書カードの日付からして、ずいぶんと年季が入った蔵書だった。
表紙の帯には最新版と銘打ってあるが、一体これは何十年前の出版物だ?
ぱらぱらとページをめくってみた感じ、とても勉強に役立ちそうな内容は載っていなかった。
相合い傘をハートマークで囲んだ落書きが、古き良き時代の哀愁を匂わせる。
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